4-3 Grim Reaper's Scythe(6)

「いやぁ、ご迷惑をおかけいたしてすみません! あはは」

 本当に生死を彷徨う重傷を負っていたのか、と。

 斉藤が甚だ疑問を抱いてしまうほど、大怪我から復帰した栗山の声は、明るく大きく逞しかった。

 事故から大凡おおよそ半月。

 自他共に認める脅威的なスピードで、栗山遼は復職を果たす。

 いずれにせよ、仰々しく右腕を覆うギブスは大怪我が真実であることの名残を象徴していた。

「長い間悪かったな、斉藤!」

「いえ……」

「辛気臭い顔すんなよ、斉藤!」

 体を思いどおりに動かせることが、嬉しくてたまらないのか。

 ギブスのない左の掌が、斉藤の薄い背中をバンと叩く。

 どこか変な所を打って、前よりパワフルになっているんじゃないか? と、斉藤はやたらと元気な栗山を怪訝な表情で見つめた。

 思いっきり叩かれた背中から。

 水紋のようにジンジンと鈍い痛みが、徐々に斉藤の体中に広がっていく。

「いや、別に辛気臭い顔なんか」

「俺が死ぬかと思って泣いてたんだろ? サイバーの佐野に聞いたぞ?」

「泣いてないっすってば」

「心配すんなって! 俺は不死身だ!」

「つか……なんで、そんなに元気なんですか?」

「不死身だから!」

「だから、不死身って」

「事件も収束したし、さっさと仕事すっぞ! 斉藤」

 仕事をすることがこの上なく嬉しくてたまらないと言った体で。

 栗山が、執務机デスクに積み重ねられた書類の束に手を伸ばした。

(もう、終わったって……思ってるんだろうな、この人は)

 腹に留まる気持ちの悪さ。

 消化できず未だに燻る不快さを、斉藤は栗山に伝えることをしなかった。


 栗山が重傷を負い、立て続けに局部を負傷した男に急襲されてから二週間。

 その二週間、全く進行しなかった直近の事件が、斉藤や池井の想像を上回る速度で、急激に解決へと収束していった。

 その糸口となったのが、H市K町南公園〝通称・三角公園〟で行方不明になっていた小学三年生の児童・浦井綾人の保護。

 そして、突きつけられた新たな事実だった。


* * *


 ブーブーブー!

 けたたましい音を発した無線機が、睡眠不足の斉藤の頭を激しく揺らす。

(あぁ、またか……)

 未だ身元がわからない局部を負傷した男の襲撃から、まだ半日も経たない。

 変な緊張と興奮で、頭も体も休まることがなかった斉藤は、まだ始業前だというのに疲れ切っていた。

 一つの事件が終わり切らないのに、また新しい事件が起こる。

 終わりが見えない不安定な自分の現状と無限ループな日常が、斉藤の気力すら奪っていった。

 いつもなら緊張を促すはずの無線速報にすら、ぼんやりと耳を傾けているざまだ。


『警察本部から、I警察署、H警察署並びに人身安全・少年課。I市H町スカイマートコンビニエンスストア店長別府と名乗る者から、一一〇番入電。〝浦井綾人〟と名乗る小学生くらいの男子が、別府の勤務するコンビニエンスストアに保護を求めてきた』と通報あり。H警察署第三十号事案に該当するものと類推する。関係所属等にあっては、至急対象者(マルタイ)の保護に向かい、早急に対応されたい! 繰り返す。警察署本部から--』


 ガタン--!!

 車輪のついた執務椅子が、派手な音を立てて床の上に横転した。

 くるくると、空をかき回す車輪の音が無線機のガサつく粗暴な音に重なる。

 椅子を倒すほどの勢いで、斉藤は立ち上っていた。

「今……何て?」

「斉藤! ぼんやりすんな!! 行くぞ!!」

「は、はいッ!!」

 背後から飛ぶ捜査員の強い声に、斉藤はハッとして衝動的に体を動かす。

 弾かれるように一歩踏み出し、覆面パトカーのエンジンキーを握った。

 短靴の底が、無数に廊下を鳴らす。

 突然の、状況がガラリと変わる通報に、頭がまだ回らない。

 ふわふわした足元に力を入れ、斉藤もその靴音を追い越す勢いで走り出した。


『はぁ!? 何だって!?』

 スマートフォンの先から、池井の動転した声が大きく響いた。

 斉藤は咄嗟に、耳につけていたスマートフォンを少し離す。


 I市のコンビニエンスストアに到着し、しばらく。 

 斉藤は、防犯カメラの設置場所を地図に落とし込んでいた。

 一心不乱に作業をしていたせいか。

 ポケットが小刻みに振動しているのに気づくのが少し遅れてしまった。

 斉藤は慌てて、ポケットの中で暴れるスマートフォンを掴んだ。

 斉藤の状況説明に、開口一番に珍しく池井が狼狽する。

「連絡が遅れてすみません、池井補佐。始業前の一一〇番通報だったので」

『それは謝んな!! 遅く登庁した俺が悪い』

 おそらく栗山とのいる病院に寄ってきたのだろう。

 自堕落な朝を過ごしていた斉藤とは正反対な池井に、斉藤は電話先で頭を深く下げた。

『それで対象者マルタイは!?』

「今、救急が対象者を救急車で搬送していきました。女性警察官が付き添っています」

『何もされてなければいいがな……』

「そうですね、本当に何もなければいいです」

『捜査は? 捜査はどうなってる?』

「先程、機動鑑識と警察犬が到着しました。対象者マルタイの衣服から監禁場所を追跡中です」

『そうか。斉藤、近隣の防犯カメラは押さえたか?』

「はい。今、サイバー犯罪対策課と共同でコンビニエンス並びに周辺の防犯カメラを押さえているところです」

『何か……妙だな』

 池井の意を唱える言葉に、斎藤は少し引っかかりを感じた。

「妙?」

『タイミングが良すぎるんだよ、色々』

「タイミング、ですか?」

『まぁ、いい。俺は県機関(子ども福祉課)と連携してバックアップにまわる。防犯カメラの映像を回収することに専念しろ!』

「はい!」

 スマートフォンを再びポケットにしまうと、斉藤は用箋挟の地図に再び視線を落とす。

 池井との通話を切ると、一気に現場の声と、耳に差し込んだイヤホンから無線機の音がこだました。

 遠くから近くから。

 一斉に押し寄せる情報が、斉藤の胸をざわつかせる。

『こちら警察犬・岩永。アーク号、コンビニエンスストア西側からH交差点付近到達。対象者マルタイの痕跡が途絶えた模様。以後追跡できず』

『同じく警察犬・瀬戸。ファスト号、コンビニエンスストア東側から同じくH交差点付近にて対象者マルタイの痕跡を失尾しつびした模様。追跡できず』

 警察など法執行機関の捜査活動に利用する犬を警察犬という。

 一八九六年、ドイツ帝国のヒルデスハイム市警察で初めて採用されたのが始まりとされる。

 人の四千倍から六千倍といわれる犬の鋭い嗅覚等の能力を訓練し、足跡追及能力や臭気選別能力を捜査に活用するのだ。

 現在日本では、警察が所有し使用する直轄犬と、警察による試験や毎年度の審査に合格して、要請を受け非常勤の警察犬として働く嘱託犬の二種類があるのだが。

 今、高度な能力と訓練を受けた直轄犬が、対象者マルタイの痕跡を掴めずに追跡を断念した。

 おそらく、被疑者は。

 自動車等、対象者である少年をそこまで運んできたと推測される。

 ここから先は、人海戦術だ。

 斉藤は小さく息を吐いて気を引き締めた。

(あれ、なんだ?)

 ふと斉藤の足元がキラリと光る。

 アスファルトに転がるガラスの破片。

 そう思った斉藤だったが、膝を曲げその光に手を伸ばした。

「これは、遊撃者の……?」

 小さくて、丸い。

 キラキラと輝く、遊撃者の丸いシールだった。

 瞬間、頭から冷や水を浴びせられたような感覚が、斉藤の全身を覆う。


--近くに、ある!! 対象者マルタイがいた場所が、近くに!!


 無線を入れなければ。

 応援を呼んで、警察犬も……でも!! 

 斉藤は息を殺して、立ち上がった。

 裏付け。証拠。いや、違う。

 そんなものなど、今の斉藤には存在感しない。

 直感しかなかった。

 花が匂いを放ち、虫を吸い寄せるように。

 斉藤はシールを握りしめ、路地の先にある一軒家へと向かって歩き出す。

 I市など来たこともないのに、何故か既視感に襲われた。

 核心などどこにもないのに、その一軒家を知っているような気がして、目が離せない。

 どこにでもある住宅街の路地だから?

 その先の、蔦に覆われた一軒家がそういう気持ちにさせているのか?

 それとも、過去本当に。

 そこにいたことがあるから、なのか?

 色んな考えが頭を巡っては、緊張する斉藤を煽るかのように。

 額を冷たい汗が一条、また一条と伝っていく。

 逆に強張った斉藤の手は、火鉢に手を突っ込んでしまったみたいに異様に熱く感じた。

 一歩一歩、慎重に。

 アスファルトの砂利を短靴がジャリっと踏み締める些細な音さえも気にしながら。

 荒れ放題の敷地に斉藤は、足を踏み入れた。

 そして、ベルトに差し込んでいた特殊警棒に手を伸ばす。


--何者かの、気配がする!!


 ゴクリと、喉を鳴らし。斉藤は中途半端に開いている玄関の引扉に手をかけた。


* * *


「で、はまだ黙秘してんの?」

 栗山のやたらと明るい声に、斉藤はハッとして顔を上げた。

 あまり思い出したくない、直近の記憶。

 無意識に斉藤の息が荒くなる。

「みたいですね。〝取調官を変えろ〟と頑なに拒否しているようですから」

「ま、時間の問題だろ? いずれにせよ、そのうちゲロっちまうよ」

「そう……でしょうか?」

 斉藤は額に手を当てて、グッと目を瞑った。

 玄関を開けた途端に鼻をつく異臭と、未だ瞼に残る鮮明で、凄惨な現場が蘇り斉藤の胸をざわつかせる。


〝あぁ、意外と早かったね〟


 真っ赤な血が床一面に広がる、暗い部屋に響く声。

 室内にいた人物に驚愕し、斉藤は握りしめていた警棒を危うく落としてしまうところだった。


〝斉藤さん、おはようございます。まさか、こんなところで会うなんてね〟


 そう言って人懐っこい笑顔を浮かべた人物は、真っ赤に染まる両手を斉藤へと差し出した。


〝早く僕を捕まえなきゃ、ですね。斉藤さん〟


 その姿はまるで、大鎌を持つ死神のように現実味がなく夢のようだと。

 斉藤は回らない思考の中、僅かにそう思っていた。

 固まる斉藤の目線の先。

 そこにいたのは、紛れもない。F日報の記者・榊大志、その人だったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る