3-3 Grim Reaper's Scythe(3)
「警察本部前の防犯カメラの位置とか性能が、若干クソ仕様だってのは目を瞑ってくれ」
サイバー犯罪対策課の捜査員である佐野は、苛々を含んだため息を吐いた。
道路を往来する車の波が、パソコンのモニターに映し出される。
その画面の右端には、豆粒ほどの小さな塊が小刻みに動いていた。
その動きが栗山であると、斉藤はすぐに認識できたが、画像もザラついて画素もへったくれもない。
それが栗山であるという明確な確証は、現段階では二割強ほどしかなかった。
「県道に設置されて、十年以上は経過している化石級のカメラなんだ。クリーンアップしても、ここまでが限界だ」
「……化石級ですか」
佐野の説明を聞きながら。斉藤は瞬きを忘れたかのように、ザラついた画面を食い入るように見つめた。
瞬間、右端でチラチラしていた小さな影が黒いシルエットの塊にのまれて、画面外へ弾き出される。
斉藤は思わず息を呑んだ。
「あ、これ……! この車ですか?」
「あぁ、これだ。栗山を轢いたのは」
「随分と、小さな車体に見えますね」
「そう見えるよな」
佐野がマウスを素早く操作すると、画面の流れが急に遅くなる。
コマ送りになった画面は、余計にザラつき。
画面内を不自然に移動する黒いシルエットの車体が。
斉藤の〝自称・当てにならない記憶〟の片隅に引っかかった。
(どこかで……どこかで、見たことがある)
食い入るように画面を見つめる斉藤に気づいた佐野が、黒い車体にカーソルを移動して拡大する。
慣れた手つきで、セカンドスクリーンに拡大画面を飛ばした。
パソコンの中身が急激に作動する音が、斉藤の鼓膜を揺らす。
「佐野係長?」
「車、気になるんだろ?」
「……はい」
「クリーンアップするけど。あんまり期待するなよ、斉藤」
「はい、お願いします」
解析の速度と反比例する、処理速度の遅さ。
限界まで何度もクリーンアップされても、ボヤけた輪郭やナンバーを明確にすることはできなかった。
「佐野係長。これ、大分古い車種じゃないですか?」
「え?」
「ボヤけてはっきりはしないですけど、車体もホイールも少し小さい気がします」
ボヤけた画面の輪郭を補正するように、斉藤は目を細めて呟いた。
「斉藤、わかるのか?」
「人身安全・少年課に異動になる前は。俺、署の交通事件捜査にいたんです」
「なるほどな。斉藤も、宮脇先輩にしごかれたクチか?」
「はい。お陰で、車種からホイールのサイズを割り出すくらいはできるようになりました」
「それで、斉藤はコレをどう思うんだ?」
「大分古い。三十年くらい前の軽自動車じゃないかと判断します」
斉藤は、セカンドスクリーンに拡大された車体の真ん中を指でなぞる。
「画像が鮮明じゃないんで、断定することはできませんが、ここに薄ら。ドアの溝が見える気がするんです」
「なるほど、ツードア仕様か」
両手を頭に乗せて佐野は、背もたれに体重を預けて感嘆を含んで言った。
「三十年以上前の軽自動車って、排気量がまだ小さくて。車体自体も大分コンパクトなんです。コンパクトな車体にフォードアはキツキツで。軽自動車はツードアが主流だったそうです」
「でも、こんなヴィンテージカーみたいな軽自動車なんて。今はそんなに走ってないだろ?」
佐野の言葉に。画面を柔らかになぞる斉藤の指が躊躇して、握り拳へとかわる。
途端に、出かけた言葉を無理に押し込めた。
疑わしきは罰せず--刑事訴訟法三三六条が、斎藤の頭の中をチラチラとかすめていく。
〝被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない〟
(言うべきか、言わざるべきか……)
確証もないまま、疑いをかけてしまった場合。
しかも、相手は組織にとって、最も気をつけねばならない相手であること。
何十にも重なる、絡まった不安要素。
それを煽る、突き刺さるような鋭い佐野視線。
居心地が悪そうな表情を浮かべた斉藤は、歯切れ悪く口を開いた。
「実は……一台、心当たりがあるんです」
「え!?」
「いや、違うかも知れないんですが、とても似すぎていて……。でも、どうにもピンとこなくて」
「どういうことだ!? 斉藤!!」
「……F日報の
「ッ!?」
マウスを握る力の入った佐野の手。
乱暴にマウスを離し、佐野は俯き表情の見えない斉藤の肩を強く掴んだ。
「斉藤……!」
「似てるだけ、なんです」
チラつく画面と、あの車と。
そして、軽いエンジン音が耳の奥からザワザワと膨れ上がった。
エンジン音、伝わる振動、鉄分を含む緩く漂う空気。
あらゆる要素が渦となって、斉藤の脳裏に一斉にフラッシュバックする。
「あの時も確か、車の音がして……いや、でも。そんな、ことするわけない」
「斉藤、しっかりしろ!」
「……え?」
「大丈夫か? 今日はもう帰れ」
ハッとして。見上げた視線の先に、佐野との顔あった。
斉藤を凝視する佐野の、こわばった表情に。
斉藤は心臓を握りつぶされてしまったと錯覚するほど、苦しくなった。
(何を、俺は何を考えていた? 今、何を考えて、何を口走った!?)
ぐにゃりと床が曲がって、足元から不安定な己の体を支えようと。
斉藤は咄嗟に佐野の腕を掴んだ。
「……ッ! す、みません。佐野係長」
「疲れてんだよ、斉藤。栗山のこともあったし」
「そうかも、しれません」
「これから先の解析は、サイバー
過呼吸気味に肩で息をする斉藤の背中を、佐野はゆっくりと摩った。
じんわり、背中が熱くなる。
斉藤の肺は、深く大きく息を吸えるように落ち着いてきた。
「はい……。佐野係長、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「無理するな、斉藤」
「はい、ありがとうございます」
佐野に促され、斉藤はサイバー犯罪対策課のドアを開けた。
ドアが。廊下に漂う空気が。
体に纏わりつく。異様に重たく感じる。
(ダメだ、なんで俺……こんなに。事件に集中しなくちゃいけないのに)
頭の中に残る不快な感覚。
一つ残らず不快さを取り除くべく、斉藤は頭を大きく振った。
--ブブブ、ブブブ
拭えない不快さを助長するかのように。
斉藤のポケットに突っ込まれたスマートフォンが、小刻みに揺れる。
斉藤は大きくため息を吐くと、発信者も確認することなく通話ボタンを押下した。
「はい、斉藤です」
『斉藤、俺だ。池井だ』
ぶっきらぼうな、それでいて落ち着く池井の声に。 斉藤は、ホッと小さく息を漏らした。
『今、大丈夫か?』
「はい、大丈夫です」
『栗山がな……』
「……栗山係長が、どうしましたか?」
『お前に、伝えたいことがあるみたいなんだ』
「え!?」
『容体が安定してきたとはいえ、まだ言っている事が支離滅裂でな』
「い……! 今から! そちらに向かいます!」
栗山の話を聴きたい! 今すぐにでも!
纏わりつく得体の知れない不快さが、少しでも解決するかもしれない。
斉藤は声を張り上げて、電話の向こう側にいる池井に応えた。
『いや、今日はもういい』
「でも!!」
『栗山が少々、興奮気味でな。看護師さん達も四苦八苦してる』
「……」
『今日はゆっくり寝て、明日詳しく聴こう。俺も同席するから』
「わかりました。明日、必ず……!」
電話を切った後、池井は深く息を吐いた。
容体が安定したとはいえ、未だ
池井は窓越しに見ていた。
今は大人しく眠っている。
しばらくは落ち着いた状態が続くだろう、と。
先刻、医師からの説明も受けた。
突然、意識が戻ったかと思った矢先。
支離滅裂なことを叫び出した栗山が心配でたまらなかったが。
それよりも、先程まで電話で会話をしていた斉藤の返事が気になる。
確固たる意思を含んだ言葉の語尾が強い。
何かあったに違いない。
池井は椅子に放り出していたジャケットを手にすると、冷たい色の照明に照らされた病院の廊下を歩き出した。
--カツン、カツン。
刑事の勲章というべき、すり減った靴底が静まり返った病院にこだまする。
(とりあえず、一度帰って。仮眠して。それから、上への報告を作んなきゃな)
色んなことがありすぎて、疲弊した脳と体を懸命に奮い立たせ。
池井は、真っ直ぐ非常出入り口へと進んだ。
--カツン、カツカツン、カカツン、カツン。
池井は、ハッとして顔を上げた。
自分の足音に混ざる、誰かの足音。
気づいた瞬間、体中の血液が足元に落下したかのように。
一気に、池井の体温が低下した。
(振り返るな! そのまま、進め!)
池井は歩調を速めることなく、真っ直ぐ前を向いて非常出入り口へ向かう。
--カツン、ン、カカツン、カツン。
犯人を尾行することはあっても、されたことは今まで一度もない。
縮まらず、かといって離れもせずの不気味な足音。
些か、居心地の良くない状況に、池井は息を殺して全神経を背後の気配に集中させた。
(チャンスは、一度きり)
池井は小さく息を吐くと、非常出入り口のドアの持ち手に手をかけた。
そして、目の前にあるガラスのドアを睨むように凝視した。
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