3-1 Grim Reaper's Scythe(1)

「ったく……なんで、俺がこんなこと」


 F県警察人身安全・少年課の栗山遼は、ため息混じりに自分の置かれている環境を呪っていた。

 「栗山、お前しばらくサイバー犯罪対策課からの資料と証拠品の整理をしとけ」


 池井に言い渡された一言。

 遠回しでもなく、単刀直入でもなく。

 なんとなくな雰囲気で戦力外通告を受けた栗山は、誰もいなくなった執務室で一人。

 先日発生した児童掠取事件の証拠品と格闘していた。

 リストと一点一点照合し、事件の関連性の有無をメモしていく。

 加えて、サイバー犯罪対策課が解析したデータと見比べ、鑑識が拾いきれなかった可能性を、視点を変えて観察するのだ。


 なかなか根気のいる作業に、栗山自身、辟易していた。


「あぁ、面倒くせぇ」


 まさか、あからさまに事件担当から外されるなんて。

 考えてもみななかった。

 花井とかいう、臨床心理士のと言い争いをしたのが不味かったのか。

 思い出せば思い出すほど、腹の中が熱くなった。

 自分自身が悪かったのか、など。

 ガラにもないマイナスの感情が、熱くなった腹の中をじんわりと冷たくする。

 瞬間。

 栗山は、ついさっきまで隣に座っていた斉藤の疲弊した顔を思い出した。

 池井も、妙に斉藤を気にかける行動をとっている。

 何かあったのは明白なのに、ペア長である自分に何も知らされない。


(あんなになるまで。まさか、俺の代わりにめちゃくちゃ怒られたんじゃないよな?)


 そればかりではない。全く関連も持たないような、バラバラな特徴の証拠品と睨めっこしている現状も。

 何の共通点すら見いだせず、二進も三進もいかない。

 栗山の不安や不満は、頂点に達していた。


「あぁ、もう!」


 机の上に乱雑に広がった証拠等を、栗山は乱暴に段ボールに突っ込む。

 わざとらしく椅子を引いて大きな音を立てると、大股で執務室の扉をわざと大袈裟に開けた。


「うわっ……!」


 瞬間、目の前に現れた影動いて、小さく驚きの声を上げる。


「あ! すみません!! 大丈夫ですか!?」


 咄嗟のことに、栗山は慌てた。

 いくら感情的になっていたとはいえ。

 漫然とした己の行動が、関係のない人に対して危害を加えるところだった。

 ましてや、相手が部長クラス(※警視正クラス)だったとしたら、もう出世は見込めないかもしれない。

 栗山は思わず目を瞑った。


「大丈夫っす! ビックリしただけなんで」


 栗山の耳に響く、思いの外若い声。

 栗山は内心ホッとして、そっと目を開ける。

 腕まくりをした白シャツから伸びた筋肉質な腕。

 分厚いファイルをいくつも抱えた警察官が立っていた。

 視線を徐々に上げる。

 見上げた警察官の裏表のない明るさと、溌剌とした雰囲気に栗山は思わず息を飲んだ。


(こういうタイプって、不満とかそういうの感じないんだろうな)


 と、栗山は漠然と考えていた。


「会計課予算編成室の緒方です。池井補佐はいらっしゃいますか?」


 そう言って。

 明るい声の主である緒方は、開け放たれたドアの隙間から人身安全・少年課を覗き込んでいる。


「あぁ、すみません。池井補佐なら今、事件対応中で外出してまして」

「あぁぁ、そうですかぁ……」


 腕に抱えたファイルを落としそうなほど、緒方は肩を落とした。


「今日の十六時に、来年度予算編成の関係で約束してたんですけど」

「すみませんねぇ。警務部門の方にはわからないでしょうけど、捜査部門に約束は無理でしょ?」


 未だ不満が燻っていた栗山は、落胆する緒方につい棘のある言い方をしてしまった。

 そんな対応にも拘らず、緒方は臆する事なく栗山に距離を詰める。


「じゃあ、資料だけ! 池井補佐の卓上に置いてっていいでしょうか!? 資料を見られたら、多分分かると思うんで!」

「どうぞどうぞ」

「ありがとうございます! 失礼します!」


 緒方はハリのある声で言うと、栗山とドアの間に体を滑り込ませた。

 軽いフットワークで執務室を進む緒方を見ていると、不満がまた燻り出してくる。

 栗山はその燻りを逃そうと、はぁっとため息を吐いた。


「あ、これ。遊撃者ですね!」


 執務机に書類を置いた緒方が、栗山の執務机に放置されていた小さなシールを見て叫んだ。

 チャック付きビニール袋に入った証拠品。

 栗山は慌てて、自席に走り寄った。


(あぁ、しまった。保管箱に入れ忘れちまった)


 再び大きなため息を吐いて、栗山は段ボールに小さなシールを放り投げた。


「また流行ってるんですよね、これ」

「え?」

「覚えてません? 昔、これのカードゲームが流行ってたんですよ?」

「そうなのか?」

「姉貴が保育士してんすけど」


 緒方は眉尻を下げると、栗山を見て苦笑する。


「保育園でも、なんか流行っちゃってるみたいで。よくこのキャラクターの折り紙とか、義兄稲本と一緒に作らされるんです」

「最近の園児は、すげぇ遊びすんだな」

「いやぁ、もっぱらグッズ集めが主みたいっす」

「でも、だいぶデザインが違うようだけど?」

復刻リバイバルで名前とデザインが一新されたんです。今は〝ガリラス〟っていうみたいです」

「〝ガリラス?〟」

「メーカーも遊撃者って使いたくなかったんでしょうね。昔は人気すぎて、これにまつわる色んな事件が発生しましたから」

「そうなのか……」

「でも、キャラクターやストーリーは、まるまる遊撃者をベースに使っていて。昔ほどではないですが、そこそこ人気も上がってきてるみたいですよ?」

「へぇ」

「さっきのあのシール。確か、レアキャラのシールっす」


 緒方の言葉に、栗山はハッとして乱暴に段ボールを開ける。

 キラキラとした小さなシールが目に留まった。

 栗山自身、どこかで見たと心の隅に引っかかけていた。

 大きな鎌と丸い月が印象的なそれを、栗山はそっと手に取った。


死神リーパー……」


 呟く己の声に、栗山の背筋が凍る。


--まさか! まさか!! 


 こんな状況で共通点を見つけることになるとは。


「緒方さん、だっけ?」

「はい?」

「あんた、すげぇな」

「え?」

「ちょっと、俺出てくるわ!!」

「ちょっ……! 栗山係長!?」


 背中に緒方の慌てた声を浴びながら、栗山は執務室を飛び出した。


(なんで! なんで、気がつかなかったんだ!?)


 階段を三つ飛ばしに駆け降りて、警察本部の自動ドアにぶつからんばかりに外へと走る。

 事件で人身安全・少年課の公用車が、全て出払っている今。

 他の課に伺いをたてて、公用車を借りる余裕すら栗山になかった。

 警察本部前の国道で身を乗り出すと、目の前の道路を往来するタクシーに向かって、栗山は大きく手を挙げた。


--早く、早く! 一刻も早く!!


 反対車線を走行していたタクシーが栗山に気づいて、ゆっくりと展開右折をする。

 はやるの気持ちとは裏腹のスピード感に、栗山の焦りが大きくなっていった。


「クソッ! 早くしろって!!」


 そう悪態をついた、その時だった。


--ドンッ!!


 栗山の体内に、鈍い衝撃音がこだまする。


(な、なんだ!?)


 次の瞬間には、警察本部の自動ドアが上下逆転して見えるほど、視界が宙を舞っていた。

 まるでスローモーションのように、ゆっくりと回転する景色が現実味なく栗山を襲う。

 次第に地面に近づく視界。

 刹那に。

 栗山のすぐそばを小型の黒っぽい車が、勢いよく走り去っていくのが見えた。


(俺、轢かれたのか--!? まさか……まさか!!)


 走り去る小型車のナンバーを見ようと、栗山が目を凝らした、その時。


--ガツン!


 と、全身が砕かれるような。

 強い痛みを伴う衝撃が、栗山を襲った。

 ボヤける視界が映すのは、熱を宿したアスファルト。

 そして傷だらけ自らの指と、地面を這う赤い液体が、みるみるアスファルトに広がる景色だった。


「う……うぅ」


 ここぞとばかりに、悪態をつきたいのに。

 栗山の口から漏れるのは、血の味を含んだ呻き声のみ。

 次第に意識と力が、栗山から抜けていく。


「栗山係長ッ!! しっかりしてくださいッ!!」


 動かない体にかけられる、さっき見知ったハリのある声。栗山は力を振り絞って目を開けた。


「お……がた」


 赤く染まった自身の指は、異様に震えている。

 栗山は堪まらず、真っ白な緒方のシャツを掴んだ。

 緒方は栗山のその手を、躊躇なく両手でしっかりと包み込んだ。


 暖かく力強い。

 生命が手を通して伝わってくる感覚が、栗山の僅かな意識を刺激した。


「今、救急を呼びましたから!! しっかりしてください!!」

「斉……藤……」

「栗山係長! あまり喋らないでください!!」

「気を……つけろ。斉藤に……気を、つけろって」

「栗山係長ッ!!」


 遠くなる、薄れていく、全ての五感。


 緒方が栗山に声をかけたと同時に、栗山の手からスッと力が抜ける。


「しっかり……!! しっかりしてください!! 栗山係長ッ!!」

 


※ ※ ※



「は!? 何だって!?」


 スマートフォンで話し込んでいた池井が、突然、焦った声をあげた。

 H市役所のがらんとした会議室に響くその声に。

 見守りカメラのバックアップデータを回収していた斉藤は、思わず手を止めて振り返る。


「F市総合病院……あぁ、分かった。今から向かう。すまんな、緒方係長」


 はぁ、と深いため息を吐いて。

 池井は重たい表情のまま、スマートフォンの画面に指を滑らせた。


「池井補佐、どうかしましたか?」

「栗山が……」

「栗山係長?」

「栗山が、事故にあったそうだ」

「事故!?」


 池井のか細い声が紡ぐ信じられない言葉に、斉藤は驚きを隠さず叫んだ。


「俺は今から、F市総合病院に行く。斉藤、悪いがバックアップデータを回収したら、本部に直帰しろ」

「だったら、公用車を使ってください。池井補佐」

「お前、バックアップデータがあるだろ」

「データはSSDに取り込みました。あとはH署に行ってVPN回線でデータを転送するので、そんなに荷物もかさばりませんよ」

「そうか。悪いな、斉藤」


 池井は踵を返して、素早く会議室の扉を開けた。


--バタン!


 勢いよく閉まる扉の音と、池井の短靴たんかの忙しない音が遠ざかる。

 急激に、斉藤の周りが静けさで覆われた。

 遠ざかる池井の気配を目で追いながら、大きく息を吐いた。

 そして、力を抜くように肩を大きく揺らす。

 斉藤はプラスチックケースに入ったDVD-Rを、一つ一つ整理していった。


(静かなのが、こんなに気になるなんて……だな)


 そう、心の中で呟いて。

 はたと、斉藤の手が止まる。


って……何だ?」


 ちょっと、待て……!


 今までだって、静かなことなんて数えきれないほどあったじゃないか!? 

 何で、何で俺は! 

 だなんて思うんだ!?

 瞬間、膝の力がガクンと抜けた。


 やばい、倒れる--!!


 倒れるのを免れるようと、斉藤は華奢な長机に腕を必死に伸ばした。


 ガシャン、ガシャン! 

 プラスチックケースの軽い音が、長机の上で踊って斉藤の足元に落下する。


 斉藤自身、この時初めて自覚した。


 俺は、何か知っている。

 何かを隠している--!!

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