1-3 グリム・リーパー(3)
「どこで油を売ってきたのか知らないけど、だいぶ遅かったな」
F県警察本部地下。
薄暗い廊下の先に、一際重たい空気を纏った鉄扉がある。
鉄扉の上には、仄かな灯りに浮かび上がる〝特別専従捜査室〟という文字。
斉藤は一つ呼吸を飲み込むと、鉄扉をノックした。
カンカン--と。
冷たく無機質な音が、想像より遥かに大きく地下廊下に響き渡る。
厭に耳に刺さり、斉藤は辺りにキョロキョロと視線を投げた。
ギィィ--。
その時、不機嫌そうな声で言われる嫌味と、鉄扉の軋んだ音が斉藤の心臓を飛び上がらせれる。
鉄扉の隙間から上目遣いの鋭い眼光が覗き、斉藤の頭のてっぺんからつま先まで凝視した。
「ッ!?」
「
「は、はい!」
「入れ」
声を上擦らせて返事をした斉藤は、慌てて隙間に体を滑り込ませる。
いよいよ、〝特別専従捜査室〟の領域に足を踏み入れたのだ。
「〝特従室〟の稲本だ。池井補佐からは、大体のことは聞いているだろ?」
「大体……は、ですけど」
「いいか? 先入観なしで資料に目を通せ」
「え? どういうことですか?」
「今から一時間だ。資料は中に準備してある」
「ちょ……稲本さん!?」
「早くしろ」
稲本に強引に背中を押されて、斉藤は奥の部屋に押し込められた。
暖色の光を放つデスクライトしかない、ぼんやりとした部屋。
その真ん中に四隅が潰れた茶色いダンボールが一つ置いてある。
なんとも言い難い雰囲気が漂う室内。
さすがに気圧されて、斉藤はゴクリと喉を鳴らした。
--バタン、と。
重たい鉄扉の閉まる音が、冷や汗の流れる背中に伝わる。
(気が進まないからやりたくない、なんて。絶対に言えないよな)
斉藤は覚悟を決めたかのようにため息を深く吐いた。
胸ポケットから白手袋を取り出すと、重たい足取りでダンボールの置かれた机に向かって歩き出した。
『--被害者不詳。F県K市及び周辺地域における未成年連続誘拐殺人事件類推事案』
ダンボールの側面に、油性マジックで力強く書かれた文字。
「……どういうことだ?」
コールドケースにもならない、事案?
斉藤の中に燻る得体の知れない不安を助長させるには十分だった。
中には五センチ幅のファイルと、目視できるほどのわずかな証拠品。
斉藤は慎重にダンボールの中身を取り出し、鈍色の机の上に並べる。
チャック式のビニール袋には、数枚のカード。
〝遊撃者〟のカードだ。
つい、口元が緩む。
暖色のライトに照らされたカードは、経過した年月を感じさせないほどに輝いていた。
「レアカードだよな、これ。懐かしいなぁ」
斉藤は机の端にカードを並べると、調書が綴られている割には薄いファイルの捲った。
『六月七日午後六時頃。K警察署Y交番においてY小学校三年の児童・永井浩史による来所通報。児童は、『お手伝いをしてくれたら〝遊撃者〟レアカードをあげる』という男性に、空き家に連れて行かれ、そこに怪我をした児童が二名倒れていると主張。交番に待機中だったK署Y交番勤務警部補・田島晃平、同勤務巡査・池井貴文が児童の言うY小学校から徒歩十分の空き家に臨場した』
--あぁ、だから。池井補佐はあんな顔していたのか。
斉藤は、池井の鋭い視線を思い出していた。
状況から察するに、グリム・リーパーと呼ばれる連続誘拐の犯人が関わっているのは明白だ。
証拠も何も残さない、と言っていた割には。
この類推事案には、いくつかの証拠品がある。
斉藤は疑問に思いながら、さらに調書を捲った。
『空き家に臨場するも、永井が主張した児童二名の姿はなく、周辺検索を続行。対象となる児童等を発見には至らなかった。室内は経年劣化により大分荒廃していたが、奥の四畳半の部屋にカードゲーム用の遊具が数枚散乱しているのを発見。永井が主張したカードゲームのレアカードと合致したことから、池井巡査は、同日午後六時四十五分頃、県下全域に緊急配備を要請。同時に、F県K市及び周辺地域における、未成年連続誘拐殺人事件に類推する旨を、通信司令室に報告している。同日午後七時、県警本部機動鑑識による鑑識作業が開始。カードゲームの他に、僅かな血痕と崩壊した足跡痕を採取。カードや室内からは指紋等は検出されず、残留血痕からのDNA及び足跡痕から特定はできなかった。なお、足跡痕の形状から、おおよそ十八センチから二十二センチであると推測。永井の足跡痕とも合致せず。永井が主張する被害者二名のものであると推測する』
証拠品があっても、全く意味をなさない。
解決に繋がりもしない。
斉藤が警察官として拝命を受け、真っ先にぶつかった理不尽さが、これだ。
靴底をすり減らし情報を収集する地取り捜査(※ 警察の犯罪捜査のうち、捜査対象地域を決めて近隣住民に聞き込みを行う捜査のこと)も、最新の科学捜査も。
何一つ、解決できないことがある。
目の前で泣く被害者やその家族の傷口を、余計に広げてしまう結果。
その度に、斉藤は自身の警察官としての適性を疑ってしまっていた。
何も解決できないまま、忘れ去られて風化する。
それに携わっていたはずなのに、自分は無力で。
結局、前に進まざるを得ない。
ダンボールに眠っていた、この不可解な事件もそうだ。
勇気を振り絞って交番に駆け込んだ、永井という少年すら救えていない。斉藤は大きくため息を吐いた。
(捜査部門は、やっぱり向かないのかもしれない)
斉藤は胸の奥に芽生えた気持ち悪さを飲み込んで、調書をパラリと捲る。
『六月八日午前十時三十分。通報者である児童・永井浩史に事情を聴取。永井に声をかけた男は、黒いパーカーに黒いワークパンツ。パーカーのフードを目深に被り、マスクをしていた。頭髪や耳鼻、目等は見ていない。身長はおおよそ一八〇センチメートル、体型は痩せ型であると証言した。「遊撃者のカードゲームを他の子たちとしている。君も来たら、レアカードをあげる」と言われ、はじめは断ったものの、男は永井の腕を掴み強引に当該空き家へと連れていった。その際の痣が永井の左上腕に十五センチにわたり紫斑として残っていることを、池井巡査が確認している。空き家には二人の児童がおり、一人は仰向けに倒伏。もう一人は体育座りをして蹲っていたと永井は記憶している。永井は怖くなり、男突き飛ばし、手を振り払って逃げた。その時背後で男が叫ぶ声と、児童が「わっくん、逃げろ」と叫ぶ声が聞こえたと証言した』
--「わっくん、逃げろ」
その言葉が、斉藤の頭を殴りつけるような強い衝撃を与える。
何度も脳内でこだまする、言葉。
言葉が頭の奥にぶつかった。それに反応して頭の中がガンガンと激しい痛みを伴って締め付けられる。
斉藤は咄嗟に頭を押さえた。
「ッ……痛ってぇ……」
耐え難い頭の痛み。
加えて呼吸まで浅く、速くなる。
体を支える力がなくなり、体が鈍色の机にぶつかった。
ガタンと、机が派手な音を立てる。
グラグラと回る視界に、斉藤は堪らず床に膝をついてしまった。
(やばい、倒れる……)
いきなり朦朧としだした意識。斉藤はそれに抗うことすらできなかった。
崩れるように、冷たい床へ倒伏する。
「斉藤部長、どうした!?」
狭まる視界の片隅に見える、開いた鉄扉。冷たい印象のあった稲本の声が、大分慌てているように聞こえた。
(大丈夫です)
声を出して答えたいのに、斉藤の口から声は出ない。体を起こそうにも力が入らない。
「……ッ」
「斉藤部長ッ! しっかりしろッ!」
「……」
稲本の必死な表情と言葉は、斉藤の耳にしっかりと届いていた。届いていたのに。
得体の知れない痛みと、こだまする「逃げろ」という声が。
斉藤を縛りつけ、応えることをできなくしていた。
「斉藤! 大丈夫か!?」
斉藤がしっかりと目を開けるより先に、聞きなれた上司の慌てた声が耳に突き刺さる。
その声に刺激されてか。
未だ燻る頭痛が、斉藤の開けかけた目を再び強く瞑させた。
斉藤は、堪らず頭を押さえる。同時に強い吐き気が体の中を走り、咄嗟に体を丸く縮み込ませた。
「ッ……!」
「大丈夫か? 今、救急を呼んだから。もうちょっと我慢しろよ」
小刻みに震える斉藤の背中を摩りながら、池井はゆっくりと声をかける。
「大丈夫、です。救急なんて……いりません」
「でも、お前」
「しばらくしたら、治ります。もう、大丈夫ですから」
「大丈夫には全く見えねぇよ、斉藤」
「……」
池井の心底心配げな表情を目の当たりにし、斉藤はそれ以上、反論することができなかった。
「なぁ、斉藤」
「はい」
「悩んでること、あるのか?」
「いえ、ないです」
「……じゃあ、思い出したことは?」
(思い出したこと?)
池井の不可解な言葉に、斉藤は池井の顔を見た。
眉を顰めた池井の表情を、思わず凝視する。
「どういう、意味ですか? 池井補佐」
「〝わっくん〟って、おまえじゃないのか?」
「違う! 違い、ます!」
斉藤は反射的に否定した。
何故、池井がそんなことをいうのか。
まるで、自分が。犯人に係る重要な何かを隠しているのではないか。
もしくは、犯人なのではないか。
そんな池井の口ぶりに、斉藤は無性に腹が立った。
怒りの支配が増幅するのと比例して、斉藤の頭に燻る痛みが再び大きくなる。
斉藤は肩に添えられた池井の手を、乱暴に振り解いた。
「どういう意味ですか!? 俺は何も知らないし、何も思い出してませんッ!!」
「おい、斉藤!」
「〝わっくん〟なんて知りませんッ!! 俺じゃないッ!!」
「斉藤、落ち着けッ!!」
「何も知らないッ! 分からないッ!!」
ぶり返す強い頭痛と、胸を圧迫する吐き気。
斉藤が叫べは叫ぶほど、苦しさや気持ち悪さが体を蝕むように侵食していく。
「うぅッ」
再び力が、意識が。小さく呻き声を上げた斉藤から、離れいく感覚。
動かない手足を、斉藤は必死に動かした。
「斉藤ッ!!」
(違う……!! 俺じゃ、ないッ!!)
倒伏する斉藤の体を、池井が支えているはずなのに。
池井の声は、視界の遮られた斉藤には、非常に遠くに聞こえていた。
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