1-2 グリム・リーパー(2)

「少年は今、かなり不安定な状態です。恐らく、質問にも答えられないでしょう」


 目の前にいる小柄な女性の。

 視線は柔和であるのに、放たれる言葉の不用意な重たさ。斉藤は思わず息を飲み込んだ。


 白い壁や廊下が厭に眩しい病院の一角。

 相談広報課・被害者支援室の臨床心理士である花井紗央里は、自分より遥かに大柄な斉藤と栗山を一瞥する。


「そこをなんとか! お願いしますよ、


 栗山はイケメンな顔に明るい笑顔を浮かべて、花井の肩に手をかけた。

 その様子に斉藤は「はぁ」とため息を吐く。

 病室の前に聳え立つ、花井という女性の小さく強固な壁。難攻不落な様相を呈す状態に、斉藤は「今日は何があっても無理だな」と思い始めていた。

 そんな中、空気すら読まずに。

 いつもの明るさと笑顔で調子良く花井に話しかける栗山に、ある意味感心してしまっていた。


「……ダメです」


 か弱く、呟くような花井の声。

 栗山はもう一押しと判断したのか、花井を病室の壁を一歩追い詰めて顔を近づける。


「しかしですよ、先生? 記憶の新しい内に、少しでも情報を……」

「あなた、人の話聞いてます?」

「え?」


 急にドスを効かせた花井の声に、面食らった栗山は身を半歩引いて後退った。


「今は無理です! なんと言ってもダメです!」

「そ、そこをなんとか……」

「特にあなた! 自分が人より華やかな容姿を過信していませんか?」

「え!?」

「〝皆が自分を好き〟みたいな態度ダダ漏れです!」

「ダダ漏れ……?」

「だいたい! あなたのようなそうな人には、絶対に会わせられません!」


 ズバリと。

 花井の口から澱みなく紡がれる言葉が、栗山の長所でもあり短所でもあるところを容赦なく撃ち抜く。

 有意識でも無意識でも、自分ので相手を誘導しようしていた栗山は、ぐうの音も出ないほどに押し切られてしまった。


(臨床心理士って、人を見抜く能力でもあるのかな)


 栗山のそういうところに、斉藤は良い印象を持っていなかったせいか。

 言い得て妙な花井の言葉に関心しつつ。

 目の前で繰り広げられる舌戦を半ば呆れ気味で眺めていた。

 しかし、次の瞬間。ほぼ反射的に、斉藤は栗山の肩を抑えるように掴んでいた。


「……この! 言わせておけば!」


 イケメンの面を紅潮する。激しく顔のパーツを歪ませた栗山は、華奢な花井に今にも殴りかからんとして詰め寄った。

 斉藤は慌てて二人の間に体を滑り込ませた。


「栗山係長! 落ち着いてください!」

「斉藤どけッ! コイツ……! 生意気ばかり言いやがって!」

「はぁ? 生意気? 私はあなたより年上だとおもうんですけど? それともなんですか? って、素晴らしく偉い立場なんでしょうか?」


 この人も、もう黙っていたらいいのに……。


 激昂する栗山を、冗談で煽っているのか。

 花井がすかさず追い討ちをかける。

 斉藤はうんざりして、さらに怒りを増幅させる栗山の腹に飛び込んだ。


「んだとォ!!」

「今日は無理です! 栗山係長、帰りましょう!」

「うっせぇ!! 離せ、斉藤!!」

「いや! 離しませんから!」

「斉藤ォッ!!」


 暴れる猛獣と化した栗山を抑えている間、斉藤は自分の顔が苦笑いになっているのを感じる。


「花井先生!! 安定したらご連絡いただけますか? その時、改めて伺います!」

「別に! 改めて来なくていいです!」


(うわぁ、めっちゃ怒ってるじゃん……)


 斉藤は思わず苦笑いをした。

 その苦笑いを悟られぬよう、不自然な笑顔を貼り付けて叫ぶ。


「……そこをなんとか。お願いします! 花井先生!」


 不機嫌な花井の言動と、自分の不自然な笑いに辟易しつつ。

 未だ怒りがおさまらない栗山を押し戻しながら、斉藤は花井に向かって頭を下げた。


『おーい。スカ(手ぶら)ってんじゃねぇよ』


 電話の向こう側にいる池井の声は、相当不機嫌そうだった。


「すみませんでした!」


 スマートフォンを手にしたまま、斉藤は目の前にいるはずもない池井に全力で最敬礼をする。

 こんなに頭を下げる日も珍しい、と。斉藤は、つい余計なことを考えてしまった。


(だめだ! ちゃんとしなきゃ!)


 池井の怒気を含んだ雷を予測しながら、斉藤は再び最敬礼をする。


『相談広報課からクレームも来てんぞ? なんで職員同士で喧嘩すっかな、マジで』

「……あ、いや。本当、すみませんでした」


 謝る仕事はの仕事じゃないのか? 

 何故、自分が階級が上である栗山の失態で方々に謝っているのか? 

 その原因である栗山は、不機嫌な顔で運転席に乗り込んだ。

 そして、不機嫌さを現すように、白い公用車のドアを勢いよく閉めた。


 バァン! と派手な音は、斉藤の声すらかき消さんばかりに病院の地下駐車場の中で反響する。

 多少なりとも、理不尽さを感じながら、斉藤はひたすら電話越しに頭を下げた。


『帰ったらそのまま、特従室に行け。グリム・リーパーの証拠品でも漁ってろ』


 はぁ、と。

 不機嫌を含ませた池井の声が、妙に斉藤の胸を抉る。多少なりとも落ち込む斉藤の返事を待たずに、池井は早々に通話を切ってしまった。

 斉藤は軽くため息をついて、スマートフォンを上着の内ポケットに仕舞う。


「栗山係長、一度本部に戻るよう池井補佐が……」

「……」


 車外にいる斉藤の声は、栗山には届いていたはずだ。

 目を合わさない栗山に、斉藤が少し躊躇ちゅうちょしたのが拙かった。


 --ブォン!


 車のエンジンがフル回転し、マフラーが火を吹いたような音を立てる。

 怪訝な表情を崩さないまま、栗山はアクセルを目一杯踏み込んだ。

 車体が斉藤の上着を掠め、タイヤが革靴の爪先に熱を帯びさせる。

 斉藤の背中から冷たい汗が吹き出た。


「栗山係長!?」


 動揺し身を引いた斉藤を残し、白い公用車は病院の地下駐車場を走り抜ける。

 斉藤が追いかける間もなく、あっという間に見えなくなってしまった。


「……えぇ? マジかよ」


 たまらず声が出た。

 病院の場所自体は、F県警察本部から然程遠くはない。

 遠くはない、といっても。

 それは車で移動した場合のことであって、車という交通手段が無くなると一気に距離感は長くなる。

 連日の残業に休日出勤。押し込め、無視してきた疲労感が、ドッと斉藤にのしかかった。


(仕方ないな。歩くか……)


 深くため息を吐いて、斉藤はエレベーターのある出入り口へと踵を返す。

 俯き、歩く。

 揺れる斉藤の視界に、いい感じに履き込まれた革靴が視界に入った。


「お困りのようですね」

「ッ!?」


 斉藤は、少し驚いて顔を上げる。

 斉藤とほぼ視線が変わらない背の高さの、無精髭を生やした男が立っていた。

 大きめのネルシャツ。

 たくし上げたその袖から骨ばった腕が、寝起きそのままだと推測できるボサボサの頭に添えられる。

 暗がりでも浮き出る血管が目視できるほど細い腕は、無精髭からは想像できない繊細な印象を受けた。

 言葉を失う斉藤に、男は目を細めてバツが悪そうに苦笑する。


「すみません。故意に見るつもりはなかったんですけど……」


 そう前置きをして、男はネルシャツの胸ポケットから名刺入れを取り出した。


『F日報新聞社 記者クラブ 榊大志さかき たいし


 名刺に書かれている肩書に、斉藤は咄嗟に身を引いてしまった。


(よりにもよって聞屋ぶんや(※新聞記者の略)かよ……)


「あ、いやいや! こんなこと記事になんてしませんから!」 


 思わず心の中で漏らした声が、聞こえてしまったのかと思ってしまうほど。

 ドンピシャで返す榊の返事に、斉藤はさらに言葉を失う。明らかに動揺を含む斉藤の反応に、榊は申し訳なさそうな顔をして続けた。


「警察の方に名刺見せると。決まって皆さん、そんな顔されるんですよね」

「……え?」

「〝ある捜査関係者〟にされるんじゃないかって、顔です」

 榊の含みのある言葉。斉藤は反射的に目頭に力を込めた。

「あぁ……まぁ、それって。うちのじゃ、普通の反応じゃないですか?」

「まぁ、そうですね」


 報道機関に対する警察の情報提供は、それぞれの警務部や各課等で広報の担当が決まっている。

 テレビや新聞でよく聞かれる〝ある捜査関係者の話では……〟は、正式な情報提供ではない。

 非公式による情報提供、裏話的なを指すのだ。

 がっつりと。

 歩きながらでも情報を得ようとする。

 記者には推しの強いイメージがあった斉藤は、間の抜けた感が否めない榊の言葉の緩さに少し面食らった。


(別に、何かを探る感じじゃなさそうだ……ま、演技じゃない話だけど)


 斉藤はため息と一緒に、言笑する。


「実は、少し……いや、かなり困ってて」

「ですよね」

「榊さん、お言葉に甘えてもいいですか?」

「え? えぇ……もちろん!! 困った時は、立場なんて関係ない! お互い様ですから!」


 十中八九、断られると踏んでいたのだろう。

 頭を掻いてバツが悪そうに笑う斉藤の言葉に、榊は子どものように興奮しながら笑顔を見せた。


「初めに言っておきますが、社用車じゃないんで狭いですよ?」


 榊の言葉にはつくづく嘘がないんだな、と。アシストグリップに手をかけた斉藤は、身を小さくして車に体を滑り込ませた。

 今や懐かしい車種コンパクトすぎる年代物の軽自動車--ホンダ・トゥデイ。

 腰を落とした瞬間、ギシギシとサスペンションの硬さが斉藤の背中に伝わる。

 初代モデルの丸いライトの可愛らしさを思い出し、斉藤はため息混じりに言った。


「初代トゥデイ、懐かしいですね」

「斉藤さん、知ってるんですか?」

「子どもの頃、このミニカー大好きでした」

「実は僕も持ってました」


 はにかみながら笑う榊がエンジンキーを回すと、独特のリズムで刻まれるエンジン音が、シートの広い範囲まで伝わった。


「大事に乗られてるんですね。すごく手入れされてる」

「えぇ、叔父から譲り受けたものなんです」

「へぇ、すごいなぁ」

「税金も車検も高いですが、なかなか手放す気になれなくて……」

「あー、でもわかります! 俺のバイクもそんな感じですから」

「へぇ! 斉藤さん、バイク乗られるんですか?」

「従兄弟が乗ってたニンジャっているミドルバイクなんですけど。まだまだちゃんと走ってますよ」

「それすごいですね! 今度見せてください!」


 結局、車中では。車とバイクの話に花を咲かせて、それしか話題にしないまま。

 丸いフォルムのトゥデイは、警察本部から少し離れた路上にゆっくりと停車した。


「榊さん、助かりました。ありがとうございます」

「いえいえ、とんでもないです」

「お礼は……」


 そう言いかけて、斉藤は息を飲み込み躊躇した。

 相手は報道記者。

 車中の会話ですっかり欠落していた榊の職業がぶり返す。


「気になさらず」


 そんな斉藤を察してか、榊は穏やかに言った。


「でも……!」

「実は、斉藤さんと久しぶりに楽しい会話ができて、とても楽しかったんです。それでチャラということで」

「え!?」

「では、お仕事頑張ってください」

「ちょ……! 榊さんっ!」


 お礼も満足に伝えられないまま。

 斉藤の声を掻き消し、ヴィンテージのトゥデイは独特のエンジン音を響かせた。

 そして、あっという間に車影を小さくしていった。


「どういう意味か、聞きたかったんだけどなぁ……」


と久しぶりに楽しい会話ができて、とても楽しかったんです』


 榊が発した最後の言葉が、妙に斉藤の胸をチクリと刺す。

 単純に会話が楽しかった、だけの意味なのか?

 それとも、、という意味なのか?

 斉藤はわしゃわしゃと頭を掻いて、警察本部へと踵を返して歩き出した。

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