1-1 グリム・リーパー(1)
『中央六から、警察本部。被害者少年を保護! 繰り返す。被害者少年を保護!』
ガサガサと雑音が混ざる、決して良好とは言えない無線回線。
小さな金属箱からもたらされる朗報に、
しかし、まだ安心はできない。
斉藤は、不明瞭な無線から引き続きもたらされる情報に耳を傾けた。
『警察本部より中央六、さらにどうぞ』
『被害者の着衣の乱れはあるが、
F県警察本部--人身安全・少年課。
耳障りな雑音を響かせ。執務室に響く無線の続報は、耳を傾けていた捜査員の表情を固くする。
無線に視線を投げていた斉藤は、手にしていたボールペンを思わず強く握りしめた。
幼い子どもが犯罪に巻き込まれる。
いつだって、そうだ。
一方的に被害を受けるのは、力が弱い者。
法律を整備したからといって、結局は、法律など無意味といえるほどのイタチごっこが繰り返される。
事実。子どもが標的となる虐待、性的目的による誘拐・暴行の検挙件数は、全国的に年々増加傾向にあるのだ。
しかし、それも氷山の一角。
どれほどの子どもが犯罪に巻き込まれているのか。
事が発覚・表面化しない限り、真実と現実は明るみになどならずに、深い闇へと葬られてしまう。
無線の向こう側にいる被害者である少年のことが。
さらには、その背後にある暗闇に葬られた無数の想いが。
斉藤の胸を苦しくさせた。
鷲掴みにされたような、鈍い痛みがぎゅっと体の内側を締め付ける。
「斉藤巡査部長」
警察官でありながら、自分は何もできない。
憤りを抱え、全身を強張らせていた斉藤は、名前を呼ばれてハッとて顔を上げた。
「あ……市川補佐」
皺一つない、濃紺のスーツ。
整った顔立ちを覆す、余裕のない神経質そうな眼光。
市川とよばれた男の視線は、動揺した斉藤を容赦なく射抜く。
「先日、サイバー犯罪対策課に依頼された解析の結果です」
「あ! ありがとうございます!」
斉藤は素早く立ち上がると、市川が差し出したファイルを手に深々と頭を下げた。
(いつ見ても、クールだなぁ……。でも、この人は)
華奢でスタイリッシュな雰囲気を纏う市川は、若くで警部に任命されるほど優秀な警察官だ。
しかし、彼は……。
〝警察官でありながらも。犯罪被害者である〟
かつて、F県警察を揺るがすほどの大事件に巻き込まれた当事者なのだ。
年月も経過し、世間では事件の概要等は、巷で囁かれ流事なく風化している。
しかし、斉藤はこの事件をまるで昨日のことのように、鮮明に記憶していた。
市川の関連する事件で、斉藤の同期も殉職している。
事件を思い出すたびに、当時の湿気を含んだ空気や、緊急通報をけたたましく鳴らす無線機の音までもがリアルに脳裏に浮かび上がる。
皆、多くは語らないが。
この事件だけは、斉藤だけでなく、同じ志を持った全てのF県警察官に、未だ深い闇と影を落としていた。
「わざわざすみません! ご連絡いただけたら、取りに伺ったのに……」
「いえ、他にも寄るところがあったので、気にしないでください」
「そう、なんですか……ありがとうございます」
市川は口角を少し上げて応える。
その表情に、斉藤は少しドキリとした。
柔和な表情であるはずなのに、鋭く刺さる視線だけは変わらない。
かちあう視線が、斉藤の心の奥底まで見透かされてしまいそうな。
斉藤は、居心地悪く視線を外した。
「犯人、逃げてしまったみたいですね」
「え!?」
「今の無線です」
一瞬、何の話を振られたのか。
斉藤は市川の言葉に思考が停止する。
その様子を汲み取った市川は、抑揚なく言った。
「あ、あぁ!! そうみたいですね。悔しいですが、一歩遅かったみたいです」
「被害者の少年が、早く安心できるようにしてあげられたらいいのだけど……」
「本当に……本当に。そうしなきゃ、ですね」
静かに、そして冷静であるはずなのに。
市川の放つ言葉は、まるで無線の向こう側いる少年が話しているのではないかと、錯覚するほど。
ずしりと斉藤の胸に重く響いた。
「
「「はい!」」
斉藤の返事が、隣席に座る男・
驚いて言葉を失う斉藤に、栗山はニヤリと笑って見下すような視線を投げる。
栗山は同じ人身安全・少年課に席を置く五つ年上の警部補だ。
若くで警部補に昇任するほど優秀、さらには明朗で物怖じしない性格。
背も高く華やかな容姿は、補導した少女でさえも、思わず見惚れてしまうほどだ。
斉藤の目から見ても、かなりモテるだろうと推測する。
拝命は高卒の斉藤の方が一期早いのだが。
社会人経験有りだからか、はたまた上官だからなのか。
栗山はやたらと斉藤に絡んでくる。
決して僻みが入っている訳ではないのだが。
正直なところ、栗山と行動を共にするのはかなり面倒くさいと感じていた。
不快な視線に、ワザと斉藤は視線を重ねる。
そして、何も言葉を交わさないまま、窓に背を向けて座る上席の机へと向かった。
「忙しいところわるいんだが。先ほどの少年に話を聞いて来てもらえないだろうか?」
人身安全係の指揮を担う
はぁ、と大きなため息を吐いた池井は、力の入った眉間を親指で押さえて言った。
「少年係が、担当ではないんですか?」
池井の言葉に、栗山が物怖じせずに聞き返す。
実は斉藤も、栗山と同じことを考えていた。
少年にかかる事件であり、その後のアフターケアは、それなりの訓練を受けた少年係の方が良いに決まっている。
しかし、池井の渋い表情からして。何か面倒なことになっていると、斉藤は推測した。
「実は、〝特従室〟《特別専従捜査室》が厄介な事を言い始めてなぁ……」
「厄介なこと、ですか?」
あくまでも快活に響く栗山の言葉に、池井は鋭い眼差しで二人を見上げる。
「過去に起こった少年誘拐事件に、今回の事件に類似性が有ると言ってきた」
「「類似性?」」
再び斉藤と栗山の声が重なる。
〝特別専従捜査室〟--。
いわゆる、未解決事件の特別捜査を引き受ける部署だ。
警察庁は未解決事件の捜査専従班を全国に設置する方針を決めた。
凶悪事件の公訴時効の廃止・延長に即したものだ。
起きたばかりの事件は、手がかりや証言、捜査も活発なホット=熱い状態であることに対比し、未解決事件はコールド=冷たいと表現される。
未解決事件がコールドケース--〝冷たい事案〟と呼ばれる所以だ。
大抵の場合、捜査段階で類似性を認めた事件を解決に導くべく、捜査官が特従室の重たい鉄扉を叩く。
余程な事件でなければ、特従室とてめったにコールドケースの中身をひっくり返すこともない。
(今回は、余程なことなんだろうな)
少年を巻き込んだ未解決事件。事件に優劣をつけてはいけない。
そう頭では理解していても、手にしたであろう未来すら、掴むことを阻まれた事件が斉藤の頭の中をぐるぐると回り出す。
斉藤は、下唇に少し歯を立てた。
「お前等〝グリム・リーパー〟って、覚えているか?」
徐に飛び出した池井の言葉に、斉藤と栗山は思わず顔を見合わせる。
記憶の網にも引っかからない、謎の言葉。
斉藤は返事の代わりに、眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「知らんだろうなぁ」
ため息をつきながら、池井は大きく体をのけぞらせ椅子に体重をかける。
(俺と一回りちょいくらいしか、かわらないくせに……)
ミシミシと椅子が上げる悲鳴。
その掠れた悲鳴が「これだから、最近の若い奴等は」と言っているようで、厭に斉藤の耳を刺激した。
知らない事にうんざりした、と言わんばかりに。
急に年寄り臭く振る舞う池井の言動が鼻につく。
斉藤は拳を握りしめて、靴墨の染みがついた床を睨むように俯いた。押し黙る斉藤と栗山を一瞥した池井は、頭の後ろに両手を当てて庁舎の白い天井を仰いだ。
「お前等の小さい頃って〝遊撃者〟のカードゲームとか流行ってなかったか?」
「あぁ! 自分が中学生の時ですね、それから流行っていたのは!」
「斉藤がドンピシャの年代だろ?」
栗山と池井の会話が、斉藤の暗く霞んでいた記憶を奮い起こす。
--あぁ、あれか!
斉藤は、思わず顔を上げた。
〝遊撃者〟は斉藤が小学生の頃に流行っていたテレビアニメだ。
気弱だった主人公がカードを手にして、現れる敵と一対一で向かい合い戦う。
強くなるにつれ、様々なカードを手入れた主人公は、それらを駆使して次々と強敵を倒していく
主人公の手にしたカードが、実際に玩具屋で売られ始めたこともあり。
当時の子ども達の間で爆発的な人気を博していたのだ。斯くいう斉藤も、主人公にすっかり感化され、毎日のように友達とカードゲームに興じていたクチだ。
同時に、祖母からうんざりするほど聞かされていた言葉を思い出した。
〝知らない人からカードを貰ったり、買ってもらったりしたらダメよ! そんなことしたら--〟
「〝誘拐されて、殺される〟」
祖母の言葉が、思わず斉藤の口から溢れる。
無意識下に、ついでた言葉。
斉藤はハッとして池井の顔を見た。
眉を顰めて。斉藤の不可解な言葉に、池井は不快な表情をしている。
「斉藤、お前……」
「あ、いや! その! 祖母が……いつも言っていたのを思い出して」
「いつも?」
池井の疑問形に、斉藤は下唇を一度強く噛み、そして重たそうに口を開いた。
「知らない人からカードを買ってやるって声をかけられても、絶対に行くなって。誘拐されて殺されるからって」
「……それだよ、斉藤」
「え?」
池井の視線が、より鋭くなる。
「遊撃者の激レアカードに
「は? 犯人がレアカードですか?」
重い空気を孕む池井の言葉に、栗山が含み笑いをして言った。
いつもの栗山らしい返し。
栗山自身、決して場の空気を茶化す訳でいったのではない。
斉藤もそう思っていた。
しかし、池井にはそれが不快に感じたのだろう。
栗山を強く睨むと苛立ちを押し殺すように、池井は長いため息を吐いた。
「カードゲームの好きな子どもが、夜になっても帰らない。行方不明の通報が警察に入るのが、概ね午後八時。でもな……親が焦り出すその時間は、すでにタイムオーバーなんだよ」
「タイムオーバー?」
「翌朝、必ずと言っていい程、F県内の山中に子どもの遺体が遺棄される。涙が拭われぬままの無言の遺体にはなぁ……性的暴行の痕が生々しく残されてな」
「……」
言葉を失った栗山は、バツが悪そうな顔をして池井から視線を逸らす。
斉藤は、記憶を辿るように語る池井から目が離せなくなった。
(恐らく、この人は。〝特従室〟の要望の裏に、自分の後悔を重ねている)
「そうそう昔の事件じゃないのに。何十もの子ども遺体からは、DNAすら検出されない。いくら鑑定を行っても、全てゼロ。まるで、役に立たない。そこに事件はあるのに、何一つ痕跡も証拠も見出せない。まるで死神が、子どもの命を吸い取ったみたいに、まるで皆無なんだ」
「だから〝グリム・リーパー=死神〟なんですね」
斉藤は、静かに口を開く。
深く感情の籠った斉藤のその声に、池井は鋭い眼差しのまま、首を縦に振った。
「絶対に捕まえなきゃならん。最悪な
湧き上がる、ささくれたガサガサした感情を鎮めるように。
池井は、パソコン画面に表示されたデータを操作しながら、いつになく強い口調で続けた。
「たとえ今日の犯人が〝グリム・リーパー〟じゃなかったとしても。事件を繰り返さないように、奴等を根刮ぎ捕まえなきゃならんのだよ。俺たちは」
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