二人はなんでもないことを噛みしめる

 と、歩き出そうとしたのだが、実のところ一歩も動けてはいなかった。

「んー、ぎゅー」

「あの、リン」

「うん、うん」

「いや、あの」

「うん。ぎゅーっ」

 エイグリッドは現在、ただただリナディエーサに抱き着かれていた。

 彼女の鎧はすでに外されている。

 鎧を脱ぐ、と言いだした時は「はしたない」と反射的に止めてしまったが、そもそも鎧の下にはきちんと衣服を着ているので、特に問題はなかったのだ。

 それに気づいて、窮屈だろうと好きにさせたエイグリッドだったが、次の幼なじみの行動に戸惑う事となった。

 障害がなくなって遠慮なく抱きついてきた彼女に、ただただ赤面させられていた。

 彼女は遠慮なく首筋に顔を埋めたり身体を撫でまわしてくるが、彼は柔らかさやら暖かさやら、いい匂いやらにクラクラしてきていた。

 それでも、そっと彼女の身体に手を回していたのは、無意識のうちに求め、離れがたかったからだ。

「……うーん」

「あ、エイク?」

 が、とうとう頭に血が上り過ぎたエイグリッドは、ふらついて地面に尻もちをついた。ふらついたことに気づいたリナディエーサが身体を支えたから特に痛みはなかったが。

「エイク、大丈夫?」

 火照る顔を覗き込まれ、落ち着く暇がないエイグリッド。それでも、かろうじて熱いため息とともに視線を逸らす。

「……好きな女の子に抱き着かれて、大丈夫なわけないよ……」

「……そっかあ。うん、そうだね。分かるよ。わたしも大丈夫じゃないもん」

 リナディエーサの瞳は熱で潤み、とろけそうになっていた。内心で、言われたことを何度も噛みしめる。

(ああ、好きだなあ)

 と、彼女は何度も思う。

 再会まで不安だったのだ。

 好きな男の子をずっと好きでい続けられるだろうか。

 あの子はわたしの事を好きでいてくれるだろうか。

 あの約束を、お互い覚えていられるだろうか。

 彼女がそれを尋ねようとした時。

「……リン、あの約束さ」

 まだ顔を赤らめたまま、エイグリッドは、ちらり、とを見た。どきり、とリナディエーサの心が跳ねる。

「大人になったら一緒に村を出よう。世界を旅してまわろう。……そして」

「……そして、ずっと一緒にいよう」

 震える唇でリナディエーサが続ける。それに、エイグリッドは目を見張る。

 二人の手が繋がれた。

 それは幼いころの拙い誓い。

「覚えてるよ、エイク」

「まだ有効かな、リン」

 とうとう、リナディエーサはこらえきれなくなった。彼女の小さな唇が、彼のそれを捕まえる。

 触れるだけのそれが彼女の答えだった。それだけでは足りないと、彼女は茫然とする幼なじみに告げた。

「離れてなんて、あげないよ」

「そんなの、僕も同じだよ」

 今度はエイグリッドからリナディエーサを引き寄せて抱きしめた。

 彼の胸に抱かれ、彼女は嬉しそうに笑った。

「えへへ。両思いだね、わたし達」

「そうだね」

 良かった、と思うエイグリッド。

 いつまた会えるだろう。

 もう会えないかもしれない。

 もう忘れられていたら?

 それが杞憂でしかなかった結果がここにある。

 彼は必死に涙をこらえた。

『主』

 と、そこに入る無粋な声。

「なに、ドライ」

 涙も引っ込んで冷ややかになったエイグリッドの声と視線が、眷属である古代龍ドライを貫く。

 リナディエーサも、幼なじみの胸に顔を埋めてはいるものの、唇を尖らせて不服そうにドライを見上げていた。

 それらの責める態度に、ドライはその巨大な図体を後ずさりさせた。

『いや、その、我とて邪魔はしたくなかったのだが、得体のしれない一団が迫っているのだ。それを教えようと』

「……あー、後続隊かも。定時連絡が途絶えたからかな?」

 二度寝でまどろむかのような表情で、リナディエーサが思いついたことを言きつつ、「なーんだ」とばかりにエイグリットの胸に顔を埋め直す。

「面倒な事になる前に、とりあえずここを離れようか」

「うーん、そうだね、行こう」

 リナディエーサの声が不満そうに聞こえるのは、無理やり起こされるような流れだからである。

『ならば我に乗るがいい。如何なる追随も許さぬ故』

「おおー」

 活躍の時を得た、と胸を張り大きな翼を広げるドライに、リナディエーサは感心の声を上げた。

「エイク、ドラゴンに乗れるよ。物語みたいだねっ」

「ごめん、僕はもう乗ったことがある」

「えっ、そうなんだ」

 少し残念そうになったものの、次の瞬間には興味津々で前のめりになるリナディエーサ。

「どんなだった?」

 問われ、申し訳なさそうにしつつエイグリットは正直に感想を述べた。

「あんまり乗り心地よくなかったかな。しっかり捕まっていないと飛ばされるし、風圧も振動もすごいし寒いし。自分で飛んで行った方が楽かなあ」

 それにしゅんとするドライ。それを気の毒に思ったわけではないが、リナディエーサはまだ興味津々であった。

「そうなんだ。でも、わたしは一度は乗ってみたいかな。エイクと一緒に」

 リナディエーサは長く幼なじみと引き離されてきた経験からか表情が乏しい。

 そのうえで見せた、きらきらした瞳を向けられ、エイグリッドは苦笑を浮かべた。ドライも期待に満ちた表情で見下ろしてくる。

「分かったよ。それじゃあドライにお願いしようか」

「やったあ。よかったね、ドライ」

『うむ! 感謝するぞ、奥方!』

 乗りやすいようにと伏せたドライだが、それでもその背は小山ほどの高さにある。

 それをリナディエーサは軽い身のこなしで駆け上がり、エイグリットは浮遊魔法でその背に移動した。

 彼女はドライの背中に丁度よいスペースと掴む場所を見つけると、幼なじみを手招きした。

「この辺がいいかな。エイク、掴まってね」

 そう彼女が指し示したのは自分の腰であった。自分は角に掴まり、エイグリットを自分に掴まらせる気であった。

 その光景を想像して、彼女の側まで近寄っていたエイグリットは赤面した。

「え、と。リンに掴まるの?」

「うん。わたし、後ろにエイクを乗せて馬に乗るのが夢だったの。今回はドライだけど」

 表情はあまり動いていないものの、うきうきした感情が伝わってくる。これを断る術を、エイクは持たなかった。

「……じゃあ、失礼して」

「うん。……もっとくっついて?」

「えっと、こう?」

「うん。で、ぎゅっと」

「わ、分かった」

「わ、くすぐったい。違うよ、もっとこう、腕を回すの」

「う、うん……」

「あ、そうそう。あったかいね」

「そ、そうだね……」

 背中で発生するそんな会話を、ドライは淡々と聞き続けた。

 その間も、ドライの超感覚は得体の知れない一団の接近を感知し続けていたが、ここでまた邪魔をすると背中で何をされるか分からないので、何も言わずにおいた。

「これで大丈夫かな?」

「いいと思うよ……」

 最終的に、エイグリットはリナディエーサの後ろから、肩に顎を置くほど密着して抱きつく事になった。彼の手は腰に回されている。手や腕が上に行っても下に行ってもまずい部分に触れそうになるので、彼としては気が気ではなく絶対にここから動かすまいと気合を入れている。加えて色々なものが密着しているので、先ほどから彼の心拍数は上がりっぱなしだった。

「じゃあドライ、お願い」

『心得た』

 リナディエーサの指示に従い、舞い上がるドライ。

 丁度そこに、森から現れた一団があった。彼らが見たのは、黄金の龍が遠ざかる姿だった。

 リナディエーサの言った通り、彼らはガスマン王子の後続隊であった。

 彼らが見たのはドラゴンが飛び去る姿の他は、聖女にして勇者リナディエーサがつけていた鎧と聖剣の鞘、焼かれた森、陥没した地面、消失した塔であった。

 ドラゴンがかの魔王であり、勇者は敗れた。だが魔王も手傷を負い、それを癒すために居城を移した。

 そう彼らが考えるのも無理はなかったが、報告を持ち帰ったら王都に帰還させられた王子からの話とはまるで食い違い、勇者と魔王は結託して逃亡を図ったのだと知れた。

 勇者を失い討伐も失敗して面目丸つぶれとなって混乱したテトランザ王国であったが、そんなことはエイグリットとリナディエーサは知る由もなく、

「たかーい」

 とのんびり感嘆する始末である。彼女は自分でも同じような高度に達することは出来るのだが、他の手を借りてと言うのはまた違う。しかも幼なじみを背に物語の主人公のようとあっては、興奮を抑えきれない。

「すごいね、エイク」

「……うん、そうだね、リン」

 経験を踏まえ、風圧無効、振動緩和、冷気遮断など色々と魔法をかけて対策をしているので、それなりに快適ではある。

 それとリナディエーサからもたらされる色々な感触に、頭に血が昇りっぱなしでやや夢見心地のエイグリット。自然、反応も鈍くなる。

「エイク? 眠くなっちゃった?」

 振り向こうとしたリナディエーサの頬がエイグリットの頬に触れる。しっとりとした冷たさに意識を戻すと、彼はやや慌てた。

「ああ、ごめん。えっと、行く先を決めなきゃね。ドライ、北西に向かってくれる?」

『承知した』

 進路を変えるドライ。

 それはドライに任せて、リナディエーサは自分の頬を猫のようにエイグリットに擦り付ける。

「エイク、そっちに何があるの?」

「……えっと、とりあえずテトランザからは出ようと思ってね。隣の王国、ラナカンディアのブロスの街に。……その国はテトランザと違ってリンの容姿に偏見はないから、過ごしやすいと思うよ」

「……ん。ありがとう、エイク」

 幼なじみの心遣いに、じんと来るリナディエーサ。感謝を頬に唇を落とすことで表すと、真近の肌が真っ赤に染まった。その反応が可愛いくて、リナディエーサは唇を綻ばせて、彼の耳元に唇を寄せた。

「ふふっ。好きー」

 かかる吐息に、エイグリットは、びくり、と身体全体を震わせる。

「も、もう。あんまりからかわないでよ」

 ぶい、と顔を背けながらも、少しも離れないエイグリット。

『……お二人とも、度々申し訳ないのだが』

 ドライは掴まれている角に圧力が加わるのを感じた。冷や汗を自覚しながら、慌てて弁明する。

『ま、街が見えて来たのだ。あまり近くで降りるとよろしくないのではないか?』

 遠くに見える街に近づきすぎないように、ドライは高度を下げて空中に静止していた。

 幼なじみの肩越しに、エイグリットはその街を見やる。

「ありがとう。ブロスはあそこだね。この辺で一旦降りようか」

『承知した』

 テトランザ王国とラナカンディア王国を隔てるように広大な森が広がっていて、その森のテトランザ側にエイグリットが住んでいた塔はあったのだ。

 そうして今度はラナカンディア側の森の拓けた場所に、ドライは静かに着地した。

 ドライの背から降りようと、リナディエーサの腰に回していた腕を離そうとするエイグリット。それを手を添えて阻む彼女。

「……リン?」

 不思議そうな声に応えたのは、もたれかかって来た身体であった。

「……もうちょっとだけ」

「……うん」

 小鳥のさえずりが時折聞こえてくる以外、静かに時が過ぎる。

『……主たちよ。本当に申し訳ないのだが』

「……ああ、うん。ね、リン」

「……分かったあ」

 苦笑するエイグリット、不満そうなリナディエーサ。

 彼は腕を解くと、寂しそうにする彼女の頭を撫でた。今度は、彼が耳元でささやく。

「また、いくらでもするよ」

「……ん」

 くすぐったそうにして、リナディエーサは頷いた。

 大地に降りる二人。

 ドライは彼らに顔を近づける。

「ありがとう、ドライ。また乗せてくれる?」

 ドライの顎下を撫でながらリナディエーサが言う。体格差は歴然だが、その様はドライが自覚しているかしていないのか、ペットに対するものに見えた。

『お安い御用だ』

 その触れ合いを見て、エイグリットはふと思う。

(こうなると、ドライがいてくれたのは運がいいことだったかも知れないな)

 もちろん自分はリナディエーサを大切にしたいし幸せにするつもりだが、一人では目が届かないところもあるし、なにより自分以外との交流もして欲しいと、強く思う。聖女としての扱いは雑だったと聞くし、周囲によい環境があって欲しい。その第一歩としてドライの存在はありがたい。

(だとしても、邪魔されるのは気に食わないけど)

 難しい、と頭を振るエイグリット。

 その間にも、リナディエーサとドライの交流は進んでいる。

『それでは、我は一旦姿を消そう。また何かあれば呼ぶとよい』

「ありがとう。またね」

「うん。それじゃあね」

『うむ。ではな、奥方、主』

 ドライは光の粒子となると姿を消した。

「すごいね、どういう仕組みなんだろ」

「精霊化して、自然に溶け込んだのかな? だとすると、存在階位を変えたってことか。そうするとその速度が早過ぎる……いや、元から精霊に属しているのか……っと」

 分析を始めたエイグリットはリナディエーサの視線に気がついてそれをやめた。気になることがあると色々なことそっちのけで思案に耽ってしまうのは、自覚がある悪い癖だった。

「ごめん、気になって」

「ううん、考え事するエイクの横顔、格好良かったよ?」

「……それはどうも」

 褒め言葉に、エイグリットは照れて手のひらで顔を隠した。

 リナディエーサはくすりと笑う。

「ちょっと楽しみかな。どんな街か知ってる?」

「結構賑やかだね。僕は買い出しで何度か来たことがあるんだ」

「そうなんだ……っと、何か来たね」

「そうだね。虫系の魔物かな?」

「うーん、虫系はちょっと苦手かな。広めの結界を張るね」

「任せるよ」

 国同士を隔てるこの森は「深淵の森」と呼ばれている。

 そう呼ばれる理由は記憶の彼方であるが、はっきりしているのは素材の宝庫であり、それらを糧としているのか多種多様な生き物がいるという事である。

 その中には人の脅威となる魔物も含まれていて、この森では接する機会が多いという事だった。

 リナディエーサは両手を祈りの形に組み合わせた。目をつぶると、無色透明の膜が彼女を中心にドーム状に広がっていく。街の一区画の大きさほどまで広がったそれは、害意がある者の侵入を防ぐ、彼女の加護の一部だった。

「魔力の壁……? ちょっと性質が違うな。神の恩恵か……うむむ」

 あたりに満ちる微かな気配に異質さを感じ、エイグリッドが首を傾げた。

「うん、これで大丈夫かな。行こう、エイク」

「あ、うん」

 手を繋がれてエイグリッドは照れた。そのまま歩き出す二人。結界はリナディエーサを中心として移動する。

 彼は念のために周囲を感知魔法で覆っていたが、感知された気配がドームをよけるのを確認して、少々驚いていた。

「すごいな。きちんと敵意を判別しているみたいだ。どういう仕組みなの?」

「さあ。わたしは穏やかに散歩したいって祈っただけだから、なにがどうなっているかはよく分かんない」

「なるほどね」

 エイグリッドは苦笑しつつ頷いた。彼もこの森の危険性は重々承知していて、ドライから降りた後は魔物との遭遇を警戒していたものだった。

 なのに、この驚異の森を散歩道に変えるとは、なるほど、聖女とは特別な力を持っているようだった。

 彼の反応をどうとったのか、リナディエーサは歩みを重くした。俯き、幼なじみから視線をそらした。

「……わたし、変かな」

「何が?」

 本当に何のことか分からず、エイグリッドはリナディエーサの態度に少々慌てながら聞く。それでも、彼女が顔を上げることはなかった。

「聖女、って言われてるけど、この力が何なのか分かってないし、すごく強いんだって。今まで選ばれたどの聖女より、強いんだって」

 リナディエーサの内心を、黒いさざ波が覆っていく。

 慣れ親しんだ力を安易に使って見せたことが、幼なじみの隔意を呼ばないか。

 ――教会や王国で向けられた恐れの視線を、幼なじみに向けられないか。

 それを彼女はなにより恐怖する。

 つないだ手で引き寄せられ、ふわり、と身体が抱きしめられた。

 ぽんぽん、と頭を撫でられ、優しくささやかれる。

「よく頑張ったね。力なんてどうでもいいよ。こうしてリンが傍にいてくれることが一番大事だからね」

「……ありがとう、エイク」

「どういたしまして」

 遠慮がちに、それでも優しく抱きしめてくれる幼なじみの言葉がリナディエーサの心を満たす。さっきまでの黒いさざ波は、涙となって静かに押し出されていった。

 ややあって彼女が泣き止んだのを確認して離れようとするエイグリッド。

 離すまいとする彼女。

 彼は苦笑しつつ、背中を軽くたたいた。

「リン。日が暮れちゃうよ」

「うー。エイクはいつも理性的」

 少し身体を離して、赤い瞳を非難がましくするリナディエーサ。

 一瞬、宝石のような瞳に見惚れたエイグリッドだったが、つい、と顔を赤らめて視線をそらした。

「……ここじゃ、ゆっくりできないし」

「ん、そうだね。街でのんびりがいいね。でも」

 不意打ち気味にそっと重ねられる唇。

「……これくらいはいいよね」

 目を細めて、リナディエーサはエイグリッドから離れた。

 あっという間に上昇した血圧に翻弄されながら、彼は口元を手で覆う。幼なじみを直視できない。

「……かなわないな、リンには」

「それは、わたしの方がお姉さんだもの」

 実際にリナディエーサの方が一歳年上で、身長もわずかではあるが負けている。言われ、エイグリッドは不満げだ。

「それは今はいいでしょ。行くよ」

「ふふ、そうだね」

 二人は再び手をつないで歩きだした。その歩みはどこか軽く、静かな森も合わさってまさしく散歩のようである。

 歩いている間、二人は色々な話をした。

「そう言えば、エイクの杖ってどこにいったの?」

「魔法で異空間にしまってる」

「わ、便利だね。なんでも入るの?」

「なんでも、ではないかな。容量は限られてるからあんまり大きなものは入らないかな」

 と、ささやかな疑問や、

「街に着いたら、まずはリンの服を買いたいかな」

「あ、でも、どうしよう。わたし、お金持ってない」

「僕が出すから大丈夫だよ」

「え、そんなの悪いよ」

「今まで祝えなかった誕生日の分だと思って受け取ってほしいな」

「うう、そう言われると嬉しくなっちゃうな。ありがとう」

「どういたしまして」

 現実的な話題だったり、

「エイクの髪、長くて綺麗。女の子みたい」

「……切ろうかな」

「えー、もったいないよ」

「切るのが面倒くさかっただけだし、女の子扱いされるのはちょっとね……」

「もうちょっと伸ばしてわたしとお揃いにしようよ」

「リンとお揃いは嬉しいけど……」

 と苦笑交じりだったり。

 二人とも多弁な方ではない。それでも、次から次へと話したいことがあふれ出す。ずっと離れていたことが嘘みたいだった。

 やがて、森を抜けて小さな街にたどり着いた二人。

「ここがブロスの街だけど……なんだか騒がしいね」

 門が開け放たれているのはいつものことだが、衛兵や冒険者たちがせわしなく行き来していたのだ。

 街の外に出ようとしていた冒険者の一団が、門をくぐるエイグリッドとリナディエーサに気づいて、慌てて立ち止まると声をかけてくる。

「あんたたち、森から来たのか!?」

「はい、そうですけど」

 代表してエイグリッドが応える。なんとなく嫌な予感がしたので、その背にリナディエーサを庇いながらだ。

「森に空飛ぶでかい魔物が出たらしいんだが、あんたら、大丈夫だったか?」

「いえ、見かけませんでした」

「そうかい、ならよかった。何が起こるか分からないから、長居はお勧めしないぜ。それじゃあな」

 そう言い、冒険者の一団はエイグリッドたちの横を駆け抜けていった。

「美人さんだったねー」

「両方ともな」

 というやりとりを置き去りにして。

 リナディエーサはエイグリッドの横に並ぶと小首を傾げた。

「ドライのことかな?」

「そうだろうね。言うとややこしくなるから知らんぷりがいいかなって。ちょっと申し訳ないけど」

「うーん、そうだね」

「とりあえず服屋を見てみる? それか、お腹空いてたりする?」

「お腹は大丈夫かな。でも、服、本当にいいの?」

「いいの。どうしてもって言うなら、そのうち何かで返してもらうっていうことで」

「うん、それなら気が楽かな。案内、お任せしていい?」

「了解。とは言っても、女性の服を売っている場所かあ……」

 なんとなく見当はつくが、縁遠い場所なので確かではない。

 エイグリッドは道行く人に尋ねながら、リナディエーサを連れて街中を歩く。

 リナディエーサは目につくものすべてが珍しいようで、きょろきょろしながらだった。エイグリッドと手をつないでいなかったらすぐ迷子になっていだろう、と思わせた。

 彼はそんな彼女を微笑ましく思いながらも、周囲の視線を確認していた。

 道行く人の視線がリナディエーサに向くことがあるが、それはとびきりの美少女に対する感嘆や賞賛、おのぼりさんに向ける穏やかなもので、それをエイグリッドは確認したかったのだ。せっかく、白い髪と赤い瞳に偏見のあるテトランザ王国から遠ざかったのに、またもや同じ視線を大切な幼なじみに向けられるなどエイグリッドは耐え難かったから、内心でほっとしていた。

 そうして辿り着いたのは、冒険者の女性も立ち寄る、防具屋も兼ねた女性服店であった。

 リナディエーサとしては、彼女曰く愛の逃避行の資金をすべてエイグリッドに頼る気は毛頭なく、剣の技で稼ぐつもりであった。そのため軽鎧も調達したかったし、かつ、普段着としての服も欲しいというリナディエーサの要望に応えた店となったのだった。

 エイグリッドにとっての誤算は、当然ながら客は女性ばかりで、華やかな雰囲気だったことである。男性の自分は入りづらい、と二の足を踏んでしまう。

「わあ」

 だが、乏しい表情ながらわくわくした雰囲気で小さく歓声を上げるリナディエーサに何も言えるはずもなく、エイグリッドは女性の園に一歩を踏みだした。

「いらっしゃいませー。……あら」

 応対に出た女性店員は、幼なじみ二人の組み合わせに素早く視線を走らせるとすべてを了解したようである。にこやかな笑みを浮かべたのだった。

「……ええと」

 妙に気圧されて二の句が告げないエイグリッドと違い、リナディエーサはまず店内に配置された各種の鎧に視線を巡らせていた。

 それを汲み取り、女性店員は鎧のコーナーにリナディエーサを招いた。一人置いて行かれると気まずいので、エイグリッドもそれに続く。

 その中から、リナディエーサは要所要所を守る革製の部分鎧を選んだ。

(これでいつでもエイクに抱きつける)

 リナディエーサは甲冑ではそれが出来ない、とまず考えたのだった。甲冑だと蒸れたりして大変なので、という理由もあったが。

 そこまではすぐに終わったのだが、そこからがエイグリッドにとっては羞恥と忍耐の時間だった。

 彼は完全に失念していたが、幼なじみは着の身着のままでの逃避行となったため、下着なども所持していない。

 彼女はそれを分かっていたので、

「次は下着かなあ」

 と当然のように呟いたのだがそれを聞いて初めて、エイグリッドは自分がとても危うい状況にいると気づいたのだった。

「ええと、僕は……!」

 それはさすがに、と逃げ腰になったエイグリッドに飛ぶ、リナディエーサの寂しそうな視線と、女性店員の「彼女を一人にするのかよ」という鋭い視線。いや、女性店員は何も言っていないが、彼はそう解釈させられた。

「……了解です」

 と、エイグリッドは初めて戦いに挑む新兵のような面持ちで了承するしかなかった。

 それからエイグリッドは、服、下着問わず、どんなのが好きか逐一聞かれて応える羽目になった。

 服はまだいい。

「どっちがいい?」

 と聞かれても答えられる。

「こっちはリンの髪の色との組み合わせがとてもいいし、こっちは空色がとても綺麗だ。どっちも着て欲しいからどっちも買おう」

 この答えに女性店員は大変満足し、同時にリナディエーサの内心に戦慄してしまう。

(全部の服に彼の瞳の色入ってる! 彼も彼女も気づいてないっぽいけど! 彼女、どんだけ独占されたいの!?)

 女性店員は表情を保つのに力を入れなければならなかった。

 下着となると、

「どっちがいい?」

 と聞かれてもエイグリッドにはなんて答えていいのか分からない。聞くリナディエーサは特に恥ずかしがることもなく淡々としていて、彼の方がただただ赤くなるばかりだ。

「……こっちの方が寒くないと思う」

 と答えるのが精いっぱいであった。その答えに、女性店員は内心で健闘をたたえつつ、リナディエーサの無邪気さに内心をひきつらせた。

(彼女、もしかしなくてもそういうことに免疫というか、羞恥がないんだ! ただ一緒の買い物が楽しくて仕方ないんだ……!)

 女性店員は表情を保つのに力を入れなければならなかった。

 エイグリッドに出来たのは、なるべく早く買い物を済ませることだけであった。それでも質問には熟考し、おざなりには返さなかった。その姿勢に女性店員は内心、拍手を送り続けていた。

 代金を払って買ったものすべてを異空間に収納する時には、のぼせ上ったエイグリッドと、彼と買い物を出来て無邪気に喜ぶリナディエーサが仲良く並んでいた。

「今後ともごひいきに~」

「はい、また来ますね」

 最後まで表情を崩さなかった店員の挨拶に、朗らかに返すリナディエーサ。くたくたのエイグリッドは何も言えない。

「エイク、大丈夫? ごめんね、時間かかっちゃった」

「い、いや、大丈夫だよ、うん。と、とりあえず宿を探そうか。リンも今日は色々と疲れたでしょ?」

 自分の方がよっぽど疲れているのだが、申し訳なさそうなリナディエーサにそうとは言えず、なんとか返事をひねり出す。

「……うん、そうだね」

 エイグリッドとの触れ合いが幸せすぎて忘れていたが、今日、幼なじみと再会するまでは、ストレスのかかる環境にいたのだった。その事を思い出し、僅かに疲労感を感じるリナディエーサ。

 彼は頷くと、街の大通りに足を向けた。

「僕がよく泊る宿屋があるんだ。今日はひとまず、そこで落ち着こう」

「うん」

 どちらからともなく、二人の手が再び繋がれる。視線が交わり、それが微笑みに変わると、夕日に赤く染まりかけた街並みを歩く。

 やがて見えてきたのは「歌う小鳥亭」という中規模の宿屋だった。

 玄関をくぐると、エイグリッドの顔なじみの主人が目を丸くした。今まで一人でしか来たことがない彼が連れを、しかも相当親しそうな女の子を連れていたからだ。

「おや、いらっしゃい、エイグリッド。お連れは彼女さんかい?」

「はいっ」

 エイグリッドが何か言う前にリナディエーサが前のめりに答える。彼は苦笑しつつ、照れつつ頷いた。

「こりゃたまげた。あの堅物がこんな美人さんと、とはねえ」

 顎を撫でながらの宿の主人の感想に、リナディエーサは確認するかのようにエイグリッドに視線を向ける。

「わたし、美人さんだって。エイクもそう思う?」

「リンが美人じゃないなら、この世に美人という表現はなくなるよ」

 いまさら何を、と言った風のエイグリッドの感想に、リナディエーサははにかむしかない。

 その幼なじみの態度に、自分が何を言ったか振り返って照れるエイグリッド。

 そんな二人を見て、宿の主人はおかしそうに笑った。

「新婚さん一組ご案内、ってな。どの部屋にする?」

 少し考えたエイグリッドは二部屋を取り、しばらく滞在するために余分にお金を支払う。

 それを見て、やや気落ちするリナディエーサ。

「ううん、やっぱり申し訳ないなあ」

 払ってもらってばかりで気まずい気持ちもわかるので、エイグリッドは苦笑で答える。

「今日はゆっくりするとして、明日は剣とかも買いに行こうか。そこから徐々に、ね」

「うん、頑張るね」

 むん、と拳を握りしめるリナディエーサ。

 なんとなく事情を察して宿の主人は微笑ましそうにしているが、その握り拳がドラゴンをも吹き飛ばすとは想像もついていないだろう。

「毎度あり。部屋は番号振ってあるから分かるな?」

「はい。しばらくお世話になりますね」

 宿の主人に答えるエイグリッドの横で頭を下げるリナディエーサ。

 部屋に入った彼女は気分一新とばかりに買った服に着替えようとしたわけだが、そこで一悶着あった。

「お願いだから、自分の部屋で着替えて!?」

「いて欲しいの、お願い」

 と、瞳を潤ませるリナディエーサに、エイグリットは呻きながらもそれ以上強く言うことは出来ない。

 同じ気持ちだからだ。

 目を離して、いなくなったらどうしよう。

 再会は夢で、本当はまだ出会えていなかった。

 もし――幼なじみとまた離れ離れになったら?

 正気でいられる自信がない。

 それを想像し、エイグリットは喉を鳴らした。

「……後ろを向いてるから」

「うん、ありがとう」

 心底からの安堵を尻目に、エイグリットは後ろを向いた。窓ガラスにリナディエーサが映っているのに気づき、慌てて目を逸らす。次いで背後で生じる衣擦れの音。それより自分の心臓の鼓動が大きく聞こえるようで、彼は気が気でない。

 当のリナディエーサは、そんな彼の態度に、くすり、と笑みをこぼすと、今日買って貰ったばかりの服に袖を通していく。

 代金がエイグリット持ちで少し申し訳ない気持ちはあるものの、プレゼントしてもらったという嬉しさが上回る。

 思えば、彼の前で着飾るなんて初めてのことだった。

 幼い頃は両親に疎まれていたこともあって、粗末に扱われていた。可愛らしい服などあてがってもらえず、姉妹とあからさまに差をつけられる。その現実をいつしか受け入れていた彼女だったが、彼の前ではそれをとても恥ずかしく思っていたものだった。

 それが今、鏡の中のリナディエーサは、清楚さを感じさせる綺麗な服に身を包み、柔らかい笑みを浮かべている。

 ――エイグリットに並んでも恥ずかしくない格好をしている。

 ようやく、彼に愛を囁くに相応しい自分になれた気がした。

 その思いを止められず、リナディエーサは顔を赤くしているエイグリットに後ろから抱きついた。

「わっ」

「お待たせ、エイク」

 驚くエイグリットの頬に、何度も唇を落とすリナディエーサ。

「リ、リンっ」

「好き、エイク。愛してる」

 ぎゅうっと抱きしめてくるリナディエーサの身体と声に、エイグリットの頭が沸騰する。

「急にごめんね。でも、言いたかったの」

「……謝らないでよ」

 エイグリットはふと冷静になって、抱擁の中、リナディエーサに向き直った。彼の瞳に映るのは、涙に濡れた赤い瞳だ。それは衝動を持て余して忙しなく揺れている。

 彼は涙がこぼれない様に、彼女の目元に唇を這わせた。その動作にほんの少しの背伸びが必要なことに情けなさを感じる。

 彼からの接触に、リナディエーサの頬に朱が走る。

「愛してる、リン。側にいるよ。だから、怖がらなくていいんだ」

「……ん」

 彼の背中にしがみつくような彼女から、だんだんと力が抜けていく。確信を得て、自分でも気づかなかった緊張がリナディエーサから抜けていく。

 だから、彼女の胃が空腹を訴えたのは、至極当然のことだった。

 その音に熱が霧散すると、彼は苦笑を、彼女は気まずそうな表情を浮かべた。

 エイグリットは提案した。

「ご飯にしようか」

「……そうだね」

 いい雰囲気を邪魔した自分のお腹を抱えながら、渋々頷くリナディエーサ。

 そんな彼女を眺めやり、エイグリットは言い忘れていた一言を添えた。

「似合ってるよ、リン」

「……ん。ありがとう。嬉しい」



 気持ちが満たされた二人は宿の食堂でお腹も満たし、やがて床に着く時間となった。

「……えっと」

「ダメ?」

 寝巻きに着替えた二人。

 エイグリットは当然、各自の部屋で眠るつもりだった。が、リナディエーサは申し訳なさそうにしつつも、エイグリットの部屋から動こうとしない。

 流石に彼も、年頃の男女が一つのベッドを共にすることが、何を意味するか知っている。だから彼はそれを想像し、頭が沸騰するかのように真っ赤になってしまう。

「……ダメ?」

 再び寂しそうに確認してくるリナディエーサに、エイグリットはやはり頷くしかなかった。

「やったあっ」

 対して、リナディエーサは色っぽい雰囲気もなく無邪気にはしゃいだ。そうして、彼女は灯りを消すと、幼なじみの手を引いて一緒にベッドに潜り込んだ。

 向かい合わせに横になった二人。方や嬉しそうに、方や緊張で頭が真っ白になっていた。

「えへへ。昔に戻ったみたいだね」

 リナディエーサの言葉に、微笑みに、エイグリットの熱が穏やかなものに落ち着いていく。

 反応しない幼なじみに、リナディエーサは不思議そうだ。

「エイク?」

「……うん、そうだね、リン」

 エイグリットの言葉に、リナディエーサは微笑みで返した。

 小さい頃、よくこうやって寄り添って眠ったものだった。彼女は疎まれていたから家を追い出されることが多くあり、その度に村の牛舎で眠るのだ。そこには、牛の世話を任されていた彼がいて、付き添うように一緒に眠ってくれた。

「家には誰もいないしね」

 そう言って、二人は寄り添い話し、いつしか眠りについたものだった。

 辛く苦しい環境のリナディエーサの唯一の味方。それがエイグリットだったのだ。

 九年前、その彼から引き離された時は、心も剥がされたようだった。幼なじみとの触れ合いの記憶を、いつか再会できることを希望に生きていた。

 その結果が、今、目の前にある。

 リナディエーサはその奇跡を噛み締める。嬉しさに涙が滲んだ。

「夢じゃないんだよね」

「僕も同じことを思ってた」

 幼い頃のリナディエーサはその過酷な環境にも関わらず、人を慈しむことができる少女だった。エイグリットは孤独だったが、その優しさに何度も救われた。彼女の外見に偏見がなかった彼は、その神秘的な髪と瞳を美しく思っていた。それらが明確に好意となるのに時間はかからなかった。

 自然、二人の手が繋がれる。

「あんまり眠くないね」

「ふふっ。したよね、眠る前のおしゃべり」

「そうだね。聞いてほしいこと、たくさんあるんだ」

「どんなの? 聞かせて」

「そうだね、何から話そうか……」

 エイグリットは思いを馳せる。

 リナディエーサはわくわくして胸を高鳴らせる。

 二人は離れていた時間を埋めるように夜遅くまで語り合い……そうして、いつしか穏やかな眠りについた。

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