聖女な勇者と賢者な魔王は幼なじみ

緋色

幼なじみの再会

「見えた。あれだな、魔王が住むという塔は」

 同行の一人の意気揚々な声を聞いて、リナディエーサは自分も前方に目をやった。

 深い森の奥、拓けた草原にそぐわない塔。

 空を穿つような、空へ駆け上る階段のような螺旋状の黒い塔は、ただ静かにそこにあった。

 塔に住むという魔王の討伐。それが、一行が森に踏み入った理由だった。

「さて、どのような異形が出てくるか。まあ、何だろうと、勇者リナディエーサには敵わないだろうがな!」

 そう声を上げて高笑いしたのは、先ほど塔を見出した、ガスマン王子である。

 さすが王子というだけあって、その装備は絢爛たるものであった。

 黄金で飾り立てた剣と鎧は、下に着込んだ絹の衣服と相まって、その端正な相貌を存分に引き立てていた。

 ただし、その表情はこれから得るであろう手柄を妄想し、鼻息が荒く欲望が透けて見えた。

 側にいるのが美しさ際立つリナディエーサとあれば、そこにますます拍車がかかる。

「そうであろう、聖女にして勇者、リナディエーサ!」

 芝居かがった動作でリナディエーサを振り向くものの、返答は淡白なものであった。

「油断しない方が良いかと。いつでも抜剣できるよう、準備を」

 ガスマン王子を一瞥してそう警戒するように言うと、リナディエーサは視線を塔に向けなおした。その様に、ガスマンは口元をひきつらせた。

(俺に視線も向けんとは、生意気な女め)

 次いで、視線がこちらを向いてないのをいいことに、ガスマンはリナディエーサを上から下まで舐めるように眺めやった。

 リナディエーサの、一房の三つ編みにまとめられた白く長い髪が、風に僅かに揺れる。

 塔に向ける赤い瞳は宝石の如くだが感情を映さず、その白皙も相まって、まるで人形のようだ、というのがガスマンの評であった。

 ガスマンを王族とするテトランザ王国では、白い髪と赤い瞳は不吉の象徴とされており、ガスマンも例に漏れず同じ考えであった。

 だが、その不吉を上回る、奇跡のような肢体が白銀の鎧の下にある事をガスマンは知っていた。いや、ガスマンだけではなく、リナディエーサの周りでそれを認識していないものはいない。

 そんな不埒な願望を押し留めているのは、神託を受けし聖女という身分であり、勇者と呼ばれるほどに秀でた剣術であった。

(だが、いずれ組み伏せて鳴かせてやるぞ。俺が権力を手に入れた暁にはな)

 下卑た想像に舌なめずりしたガスマンに、彼に付き従う魔術師が媚びるように声をかける。

「勇猛なるガスマン王子殿下とリナディエーサ殿ならば、どんな敵にも打ち勝てましょう!」

「まさしくその通り!」

「殿下、リナディエーサ殿、参りましょう参りましょう、いざ魔王の塔へ!」

 ガスマンに付き従うのは魔術師だけではない。近衛騎士たち、側仕えたち、総勢十名ほどがガスマンとリナディエーサを讃える。ガスマンを補佐するための精鋭である彼らの目に映るのは功名心や名誉であり、危機感は皆無であった。

 扇動する彼らと、それを心地よく受け止めるガスマンに、リナディエーサは僅かに眉を顰めた。

 潜んでいるとはいえ、魔獣が多くひしめく森、しかも魔王が住むと言われる塔を目前に軽挙が過ぎる。

 諌めようと口を開きかけたリナディエーサを、いや、彼女たち全員を、森が落とす影より黒い何かが覆う。

「空! 散って!」

 動けたのはリナディエーサだけだった。彼女は腰から聖剣グランディーバを抜き放つと、それを頭上に振るう。

 ガスマンたちの視界を白い閃光が埋め尽くした。

「うわああああっ!?」

 空からの攻撃と、リナディエーサの聖剣から放たれた魔力の斬撃がぶつかり合って、爆発を起こしたのだ。それに、ガスマンと従者たちは訳もわからず悲鳴を上げてうずくまるしかなかった。

 森を根こそぎにするかのような爆発の嵐に、ガスマンは頭を抱えながら頭上を仰ごうとする。

「な、なん……! ま、魔王の襲撃か……!? え、ええい、何をしている! 俺を守らんか!」

「ひ、ひいい、お助けえぇっ‥…!」

「あ、あれは、ド、ドラ、ドラゴン……!?」

「なにぃっ!?」

 従者たちの腰砕けの悲鳴に、まさか、とガスマンはようやく頭を動かし、その異形を目にした。

 視界を覆う黄金のドラゴン。その鱗は陽光に煌めき、ガスマンの纏うそれとは格の違う神秘と高貴さを感じさせた。

 どのような御業か、羽をはばたかせているわけでもないのに空中にとどまったままのドラゴンは、再び口腔から光の奔流を解き放つ。

 それに対し、リナディエーサも再度、今度は両手持ちにした剣を大上段に振るう。

 光の斬撃はドラゴンのブレスを切り裂きながら押し返し、ドラゴンに直撃したかに見えたが、その寸前で軌道が逸れ、空の彼方に消えた。

「斬撃回避の加護……?」

 リナディエーサは呟く。次いで、強い視線をドラゴンに投げかけたまま、後ろへ指示を飛ばす。

「魔術師、詠唱開始!」

「あわ、あわわわ……!」

「ええい、何をしておる! さっさと動かんか、馬鹿ども!」

 リナディエーサと違って具体的な指示を出さず喚くだけで剣を抜いてもいないガスマンと、剣を抜きはしたものの及び腰の近衛兵たち、口をぱくぱくさせるだけで戦力になりえない魔術師たち。戦う術を持たない傍仕えたちは、すでに逃げ散っている。

 リナディエーサは内心、早々に彼らを切り捨てて、視界を確保するために塔の方向へ駆け出した。

「ま、待て! どこへ行く! 俺を守れ!」

「わたしの役目は魔王の討伐。あなたのお守じゃない」

 そのリナディエーサの声は、ガスマンに届いたかどうか。それを確認せず、リナディエーサは矢のように森を抜けて陽光の下へとたどり着いた。

 改めて振り仰ぐと、金色のドラゴンは巨大だった。その体躯もさることながら、広げた翼がより大きく空の青を切り取っている。

 まさしく空の覇者、生物の頂点。

 そのドラゴンに、リナディエーサは臆さず剣を構える。

「あなたが魔王?」

「そうだ、きっとそうに違いない! リナディエーサ! 我が王国が下賜したその聖剣で、魔王を討伐するのだ!」

 リナディエーサの近くにいた方が安全と判断したのだろう。呼ばれてもいないのに、転がるように慌てながら、ガスマンが叫んで森から出てこようとしている。それは、従者たちも同じようだった。

 ガスマンの言通りに行けば、魔王討伐の功は王国の物となり、リナディエーサを率いていた自分の物となる。最初の意気揚々とした態度とは打って変わり、ドラゴンの巨体を目にしたガスマンはその功名心だけを頼りにこの場に立っていた。

 リナディエーサは、心を苛立たせるガスマンの発言には構わず、再度ドラゴンに問いかけた。

「あなたが魔王?」

『魔王が誰かを指すかは知らぬ。だが、それが我が主の事だとするならば、我程度を魔王と称するは、我が主に対しての不敬もいいところよ』

 空間に響き渡ったのは、ドラゴンの思念であった。それはこの場全てにいるものに重圧をかけながら伝わり、リナディエーサ以外の全員は、その身体を地面に押し付けられた。

「しゃべった……!?」

「知恵あるドラゴン……!」

「まさか、あのドラゴンは……!」

 ガスマンの従者たちが口々に言い募る。

 怒りを覗かせたドラゴンに、従者たちはすでに心を折られて這いつくばるしかなかった。

 従者のうち、筆頭の地位を賜る魔術師が地面を視界に入れながら、絶望の呻きをあげる。

「古代竜……! まさか、こんなのが、魔王の眷属にすぎないなんて……!」

 それは書物の中にしか存在しない伝説のはずだった。今まさに、それに蹂躙されようとしている。

 その現実を、ガスマンは分からない。

「はっ! たかが魔王の眷属であったか! ならば、その首を落として魔王を引きずり出すまで! やれ、リナディエーサ! 聖剣の力を見せるのだ!」

 さらに上がいるからと言って現状の脅威が減じるわけではない。だが、ガスマンは己のプライドにかけて、震える自身の膝を目に入れないようにしていた。

 その態度は、ドラゴンの機嫌を痛く損ねた。光ではなく炎が口腔に集まると、それをガスマンを中心として吹きかける。

「ぎゃああああっ!」

「うわ、うわあああ!」

「し、死ぬ! 焼け……!」

 そのブレスの前に、黄金の鎧をはじめ、魔術師たちが常時身にまとう魔力障壁は何の役にも立たなかった。

 炎は彼らの鎧、衣服、表皮を焼き――それだけで消失した。

「ひい、ひいい……!」

「ふ、ふぐうぅ……!」

「痛い、痛いぃ……!」

 ガスマンも従者も平等に、炎にあぶられて蹲っていた。

 ガスマンは、一人だけ炎から外れて無傷のリナディエーサに手を伸ばす。

「リ、ナ、ディエー、サ。治癒、治癒の魔法を……!」

 地面を這いずる力もないガスマンに、リナディエーサは冷ややかな声と視線を向けた。

「わたしはこれから魔王に向かう。余分な力の行使は控えなければならない」

「な、なん……!? お、俺を、なんと、こころ、える……!」

「役立たずの王子。安心して。聖剣は使ってあげる」

「きさま……! きさまああぁっ……!」

 その目を怒りに爛々と輝かせていたが、すぐさま火傷の痛みが襲ってきたのだろう。身体を丸めて呻くだけとなった。

『ふむ。お前はそこな者たちとは違うようだ』

「当たり前。一緒にされると不愉快」

 しばし様子を見ていたドラゴンの言葉に、リナディエーサは柳眉をわずかに逆立てた。

 本当に、リナディエーサとしては不愉快であった。

 勝手に幼い自分を聖女と見出して生まれた場所から、大切な幼なじみから引き離した教会も、聖女の恩恵に預かろうと勇者の称号と国宝の聖剣を与えた王国にも、不愉快と怒りしか感じていなかった。

 髪と瞳を気味悪がられ、容姿を物色するような視線を向けられ、教会に奉仕する日々。

 かと思えば今回、当たり前のように魔王討伐を命じられ、明らかに功名心塗れの者たちを同行させなければならない。

 言った通り、まったく、一緒にされるのは不愉快でしかなかった。

 思い返すと怒りがぶり返し、八つ当たり対象を見つけたとばかりに、聖剣を改めて構える。だが、ふとした疑問がリナディエーサに沸き起こり、それを訪ねてみせた。

「彼らを一思いに焼き殺さなかったのは、なぜ? わたしはそっちの方がよかったのに」

『主に禁止されている。迷い込むこともあろうし、手心を加えろ、とな。主への不敬が不愉快だったので、懲らしめる程度で留めた』

「不愉快は同感」

 リナディエーサは、聖剣グランディーバを、肩に抱えるように構えた。

「でも、魔王までは通らせてもらう。それがわたしの目的」

『本意ではなかろう? なぜ、それに従う?』

「達成すれば、願いを聞いてもらえるから」

『願いとはなんだ?』

「あなたにいう必要はない」

 そう、口にはしない。聖女や勇者という肩書きを捨てて、引き離された幼馴染を探しに行きたい、という大事な願いだ。正直、それを本当に叶えてもらえるかは疑問だが、その時は暴れてでも国を、教会を出ようと思っていた。

『主は読書の時間だ。それを邪魔させるわけにはいかぬな』

「勤勉なのね。……でも、中断させてもらうわ」

 リナディエーサは飛んだ。脚力での跳躍ではなく、魔力を身体に纏わせ推力を得ての飛行だ。

『人間が空を飛ぶか!』

「人間、努力すれば、大体何でもできるようになる」

 澄ました物言いを、巨大な鉤爪が迎え撃つ。

 それをすんでで掻い潜ったリナディエーサは、その手の剣をドラゴンの額に叩きつけた。

 その瞬間、儚い音と輝く破片を撒き散らして、グランディーバはその刃を砕け散らせた。

『あっけないものだな!』

「本当に。聖剣の名が泣くわ」

 至近距離で、これまた巨大な碧い瞳が光を増し、それがそのままリナディエーサを貫こうとする。

 リナディエーサはむしろ踏み込んでドラゴンの顔の横を駆け抜けて、致命の一撃を避けた。

 そうして、そのままの勢いで背中に周りこむと、

「せーの」

 と鱗に包まれた背中に、両足での強烈な蹴りを見舞った。

『ぬおっ!?』

 その一撃はドラゴンを地面に叩きつけた。

 叩きつけられた衝撃は辺り一帯に地震となって伝播し、森や塔を揺らす。

 それでも、ドラゴンには傷一つついてはいなかった。

 ドラゴンは一つ頭を振ると、どこか愉快な調子で降りてくるリナディエーサを見上げた。

『これほどとは! そなた、本当に人間か!? まるで主のようだ!』

「褒められてると判断するわ」

 一瞬後、リナディエーサの姿はドラゴンの腹部の近くにあった。

 そして放たれる拳。

「ふっ!」

 一発に見えたそれは実際には十発放たれ、再度、今度はドラゴンの身体を横に吹き飛ばした。

 それに対しての反応は二つに分かれた。

「硬い。次はどこを狙おう」

『いかん! 主の御座所に!』

 ドラゴンが吹き飛ぶ先は、魔王が住むという塔があった。そのままでは、ドラゴンの巨体が塔を粉砕してしまうかと思われた。

 それを悟ったドラゴンに、初めて焦りが生まれる。

 しかし次の瞬間、ドラゴンを動かしていた慣性は急激に減じ、その巨体は空中に縫い止められた。

 塔とドラゴンの間の空中に、いつの間にか現れていたローブの人物が口を開く。

「騒がしいなあ。読書の時間だって言ったよね?」

 遠くから響く声。

 それは、リナディエーサを激しく動揺させた。

「何してるのさ、ドライ」

『主! 面目ない、苦戦しておりました』

「それは分かってるよ。だから、わざわざ僕が出張って来たんじゃないか」

 リナディエーサから見えるのは、黒を基調としたローブに包まれ、銀の杖を手にした少年だった。

 その人物はドラゴンの主だろう。その主が、塔にぶつかりそうなドラゴンを止めたのだろう、とリナディエーサにも察しがついた。

 たが、リナディエーサの心はそこにはない。

 主は、水色の瞳だった。長く背中まで伸びた茶色の髪は無造作に一房にまとめられている。

(あれは。あれは……!)

 リナディエーサの内心が、波のようにうねる。懐かしい表情が、声が、想いが蘇る。

 呆れたような声音は、彼女がよく、彼に言わせていたそのままだった。

「さて、君を苦戦させていたのは、どんな」

 その水色の瞳が、リナディエーサを見た。

 主は、信じられない、と表情をこわばらせた。

「……まさか…………まさか、君は」

 彼の問いに、リナディエーサは答えず空を駆けた。

 一瞬で辿り着いたのにその時間さえもどかしく、ぶつかるように、リナディエーサは彼を抱きしめた。

「会いたかった、エイク!」

「リン……!」

 その呼び方が懐かしすぎて、リナディエーサの目に涙が浮かびそうになる。

 また、呼ばれた彼も、別の意味で涙目になっていた。

「イタタタタ! 痛い、リン! 鎧、鎧が刺さって痛い!」

「ごめん。でも、無理」

「痛くて無理だって!」

 感情が昂ってより強く抱きしめて距離を縮めようとするリナディエーサ。

 再会を喜ぶどころではないエイクと呼ばれた少年。

 その二人を眺めながら、ドライと呼ばれたドラゴンは、どうすべきか悩んだ。

 とりあえずドラゴンが行ったのは、激情と痛みのあまりに空中での制御が疎かになっている二人に手を添えて地上に下ろす事だった。

 そこでようやく、リナディエーサは彼を解放した。

 痛みでうずくまってしまった彼に、慌てながら治癒魔法をかけるリナディエーサ。

「ごめんなさい、はしゃぎすぎた」

 しょぼんとするリンことリナディエーサ。

「……いいよ、治してくれたし」

 嘘のように痛みが引いたことに驚きつつ、少年は痛んでいた場所を確かめるように摩っていた。

「ごめんね」

「いいって。リンが猪突猛進気味なのは、今に始まったことじゃないし」

 仕方ない、と言わんばかりの苦笑に、リナディエーサは抱きつきたくなったが、その衝動をかろうじて堪えた。

 その代わり、リナディエーサはそっと彼の手を取った。戸惑った表情が、それに答える。

「久しぶり。元気だった?」

「ああ。リンも元気だった? って、ドラゴン相手に大立ち回りだったみたいだし、そりゃ元気か」

 からかうような口調と変わらない笑顔に、リナディエーサの涙腺は唐突に決壊した。

「会いたかったよお……!」

 咽び泣くリナディエーサの頭を彼は撫でた。

「僕もだよ、リン。本当に、会いたかった。けどまさか、本当に会えるなんてなあ……!」

 少年は泣きそうになるのを必死で堪えた。今は、リナディエーサの涙を受け止めたかった。堪えながら、久しぶりにその美しい白い髪を撫でた。

 発端は九年前、教会に神託が下されたことだった。

 とある村に聖女あり、とされたのが当時八歳だったリナディエーサであった。

 白い髪に赤い瞳の忌み子として扱われていた彼女は、実の両親どころか村全体に疎まれていたこともあり、売られるかのように教会に引き取られた。

 反対の声を上げたのは、彼女と偏見なく仲良くしていた、当時七歳のエイクこと、エイグリッドだけであった。彼は早くに流行病で両親を亡くしていたこともあり、他にエイグリッド同様の声を上げるものはいなかった。

 それ以来、二人の交流は完全に断たれてしまっていた。

 リナディエーサは聖女として教会に閉じ込められ、その外見から滅多に表に出ることはなかった。

 そんな中、ささやかな自由として、エイグリッドとの剣士ごっこの延長として与えられた剣術の時間。それが、彼女に勇者としての力量と称号を与えてしまい、さらに彼女を縛る材料となってしまったのは、皮肉というしかなかった。

 エイグリットは明確にリナディエーサの味方をしたことで、村に居場所を完全に無くしてしまった。

 村に立ち寄った隊商の下働きとして村を出たエイグリッド。その最中、護衛として雇われた魔術師に「もう読まないから」と貰った魔術書が彼の道を決定づけた。

 魔法の才があったようで、護衛の間、その魔術師に教わった魔法を拙いながらも身につけていく。

 そうして、彼は隊商の下働きから、冒険者の魔術師として道を変えてゆく。

 その力量が目に留まり、宮廷魔術師として召し上げられようとするまでになっていた。

 お互いの今までをそこまで語ると、リナディエーサは泣きはらした目に尊敬の色をたたえてエイグリッドを見た。

「すごい、エイク」

「まあ結局、平民風情が何事か、と冤罪をふっかけられてこの森に追放されたんだけどね。あの追放は堪えたなあ。宮廷に入れれば、リンと会える機会もあると思ってたから、その目前だったし」

「……エイク。もしかして、わたしに会うために、そこまで?」

 それは、宮廷魔術師に招かれるほどの研鑽を積んだ、ということだ。自分はまだ曲がりなりにも大人の保護があったが、エイグリットにはそれはなかった。どれだけもがいたのだろうか? リナディエーサには想像がつかなかった。

「うん。どうしても会いたかったから。君は僕のことなんて忘れてるかも、って思いはあったけど」

 リナディエーサは、それ以上は言わせない、という意思を込めて、エイグリッドの手を強く握る。その瞳には、熱を込めた。

「忘れたことなんてなかった。毎日祈ってたよ。エイクが無事でありますように、幸運が訪れますようにって」

「そうか。なら、僕がここまで来れたのも、そのおかげかな」

「うん。だとしたら、嬉しいかな」

 ふわり、と微笑みを交わす二人。

 エイグリッドは視線を落とした。

「でもやっぱり、ちょっと折れちゃってね。しばらく一人になりたかったっていうのもあって、その追放は受け入れたんだ。そこがこの森。この塔は昔、魔術師か誰かが住んでいたものなんだろうね。今は誰もいないそうだし、本も沢山あるし、住まわせてもらってるんだよ。ドライ……ああ、このドラゴンのことだけど、ここへ来た時は、誰もいなかったそうだよ。ドラゴンの時間感覚は当てにならないけど、ざっと二百年前にいなくなったって」

「エイクは昔から本が好きだった。変わらないね」

「君は強くなったみたいだね。そして、とても綺麗になった」

 エイグリッドの真摯な眼差しに、リナディエーサの頬が淡く染まる。

「……嬉しい。エイクは変わらず可愛い」

「……まだ、そう言われるとはね」

 自分の童顔を撫でて、エイグリッドは悔しそうに呟く。一つ頭を振って、佇むドラゴンを見上げた。

「で、住み始めたら、ここは我の縄張りだー、って、ドラゴンが挑んで来て」

 リナディエーサもドラゴンことドライを見上げた。

 ドライは人間のように、所在なさげに頭をかいた。

『今回もそうだったが、それ以上に手も足も出ずに倒されてな。焼かれるは凍らされるは貫かれるは、よく死ななかったと我ながら思う』

「あの時はささくれてたし、問答無用で襲いかかって来たからね。ちょっと躾けてみた」

 悪びれないエイグリッドに、ドライは縮こまった。

「そうしたらなんか主とか呼ばれ出してさ。その前にも何体か同じように倒して主扱いされていて、またか、って。ドライがここら一帯のボスだったみたいだから、それ以降は平和になって何よりだったんだけど」

 そこで、エイグリッドはリナディエーサに視線を移した。

「リンはどうしてここに?」

「……わたしは」

 そのエイグリッドの眼差しに、リナディエーサは心苦しさを覚えた。

「王国の指示で、魔王討伐に来たの。多くの魔物を従える人物が、森の塔にいるからって」

「その通りだっ!」

 声を発したのは、倒れ伏していたはずのガスマンであった。

 申し訳程度の治療が施されているのは、従者の魔術師や治療師に自分を最優先に癒させたからだろう。

 炎で曲がった剣を支えに、衣服がかろうじてまとわりついているだけの立ち姿は敗残兵そのものだったが、その瞳だけはギラギラと欲望と憎しみで輝いている。

「何をしている、聖女にして勇者、リナディエーサ! そいつを、その魔王を討つのだ! そうすれば褒美は思うまま! この俺の妃に収まることも夢ではない! はは! 表に出せぬ、愛妾としてだがな! その栄誉を賜りたくば……ぶべっ!?」

 リナディエーサは、残っていた聖剣グランディーバの柄をガスマンの顔面に投げつけていた。後ろにひっくり返るガスマン。

「誰が。聖剣は使ってあげた。それを持って、逃げ帰りなさい」

 侮蔑を始めとした負の感情を露わにしたリナディエーサに、起き上がったガスマンは、貴様も敵、とばかりの視線を投げかける。

「貴様あっ! こ、この俺によくも! 貴様など、こ」

「聞くに耐えないな」

 エイグリッドが杖を振ると、ガスマンと従者たちの足元に魔法陣が現れた。

 次の瞬間、不快な言葉を撒き散らそうとしていた彼らは跡形もなく姿を消した。

「エイク?」

「王都に強制送還したよ。しかしまあ、念のいったことだ。多分、僕に冤罪を吹っかけた連中の意図も含まれてそうだね。追放だけでは気が済まなくて、魔王として討伐対象としたか。僕が大層、目障りみたいだね。ま、想像に過ぎないけど」

 エイグリッドは肩をすくめただけだったが、それを聞いたリナディエーサの顔から表情が消えた。

「滅ぼそう」

『滅ぼそう』

 同調するドライ。

「うーん、リンがその気なら止めるつもりはないけど」

 淡白なエイグリッドの反応に、心配そうに覗き込むリナディエーサ。

「悔しくないの、エイクは?」

「そりゃ、多少はあるさ。でも、そんなことに時間を割くくらいなら、もっとリンと話をしたいかな」

 言った後、自分が何を言ったか自覚して、顔を赤くして目をそらしてしまうエイグリッド。

 その様に、リナディエーサは笑みを深くした。

「そうだね。その方が、とっても有意義だよね」

『ふむ。主は寛容だな』

 鼻を鳴らすドライ。眷属としては、主の仇を討てないのは不満ではあった。

 それに構わず、エイグリッドはふと考えこむと、ぽん、と手を打った。

「いっそ、二人で逃げてしまおうか?」

「いいの、エイク?」

「元々、魔王だなんて言われているしね。ここで聖女……、いや、勇者? まあ、どっちでもいいか。一人攫うくらい、今更だよ。ああ、もちろん、リンがいやだって言うなら」

「言わない」

 語尾にかぶせる様に、リナディエーサは身を乗り出していった。

「攫って? 愛の逃避行、しよう」

「いや、あ、あの」

「ふふ。エイクは相変わらず照れ屋。変わらないね」

「……リンの方こそ、相変わらずだね。……嬉しいよ。変わらずにいてくれて」

 目を細めて微笑んだリナディエーサが、エイグリッドに顔を近づける。

『主! それには我も連れて行ってくれるのだろうな!?』

 ずしん、と言う地響きと頭上からの声がリナディエーサの動きを止めた。無表情の中に不機嫌さを見せたリナディエーサが巡らせた視線の先には、黄金の龍がいる。

 そのリナディエーサの視線を追って、エイグリッドも頭上を見上げた。

「君は元々、ここの住人でしょ? 連れて行く理由はないと思うけど」

『人間の主とは理が違うのは重々承知だが、我の縄張りは主の元と決まっているのだ。あの時、主に敗北したときに、我は主のすべてに従うと魂に刻んだ。重ねて願う。連れて行ってはくれまいか?』

「とは言ってもね。僕はリンと二人っきりの旅がいいし。とりあえず、魂に刻まれているなら、解除してあげるよ」

『あ、主になら可能と思うがご勘弁を! お、奥方もなんとかとりなしを頂けまいか!?』

 言葉だけではなく伏せて懇願するドライの言葉に、リナディエーサはきょとんとした。そして、リナディエーサは自分を指差した。

「わたし、奥方?」

『いかにも! 主の想い人なのだろう!?』

「ふふ。見込みあるね、君」

 リナディエーサは「奥方」という響きに、口元が緩むのを隠し切れない。それどころか、にまにま、とした笑みを浮かべていた。

 その笑顔のまま、リナディエーサはエイグリッドを見た。

「エイク。わたしは連れて行ってあげてもいいと思う。家庭にはペットが必要」

『ペッ……!』

 ドライはその言葉に二の句が告げない。

 対して、「奥方」や「家庭」など、顔が火照るような単語を聞かされたエイグリッドは、かろうじて苦笑をリナディエーサに向けた。

「優しいね、リンは。リンがそう言うなら、僕に否やはないよ。でも、分かってると思うけど、空気は読んでよね?」

 二人っきりになりたい時は邪魔するなよ。

 視線に込められた圧力に、何度も無言でうなずくドライだった。

 そんなエイグリッドの腕に、リナディエーサは愛おしくなって抱きついた。

「わっ。なに、リン?」

「好きだから抱きついたの」

「……あ、うん、そう……」

 エイグリッドは赤く染まる顔を背け、手で覆うしかなかった。けれど、その先を付け足すのは忘れなかった。

「僕も、その……。好きだよ、リン。ずっと、好きだ」

「嬉しい」

 エイグリッドの耳元で囁くリナディエーサ。ぐりぐりと顔をエイグリッドの首元に埋めてしまう。

(ああ、小さい頃もこうやってたなあ)

 目を細めて思い返すリナディエーサ。あの頃とは違い、二人とも大きくなってしまった。その過程を見られなかったことに一抹の寂しさを感じる。

 対して、エイグリッドは耳や首元まで真っ赤だった。

(リン、リン! 昔とは違うから! ああもう!)

 色々とまずさを感じ出したエイグリッドは、必死に意識を他に向けるために視線を巡らせる。その先にあるのは、エイグリッドの一時の住処の塔だった。

 その動きに気づいたリナディエーサは、僅かに彼から離れて同じように視線をやった。そこで、あることに気づいてエイグリッドに問いかけた。

「あ、でも、あの塔はどうするの? エイクの家なんでしょう?」

「……え。ああ」

 言われ、エイグリッドは表情を正すと、ローブの下から分厚い魔術書を取り出した。

 その真剣な表情に、リナディエーサは見入ってしまう。少し凛々しくなった幼なじみの表情に、内心どきどきした。

 エイグリッドは中空を、指でなぞった。それは、エイグリッドの視界に映る塔を、さながら額縁で囲うようであった。

 囲われた塔は、エイグリッドの指の先で景色ごと魔術書の一ページとなって、勝手に開いた魔術書の一部として挟み込まれた。

 魔術書に取り込まれた塔の姿は、忽然と消えていた。

「持っていくよ。まだ読んでいない本もあるしね」

「エイク、すごい。物語の中の、賢者みたい」

「賢者か」

 リナディエーサにきらきらとした瞳を向けられたが、エイグリッドは視線を遠くにやった。

「君が聖女と言われた時に僕が賢者だったなら、ずっとそばにいられたのかな」

 その言葉に、リナディエーサはふわりとほほ笑んで、エイグリッドの胸に顔を埋めた。

「ちゃんと、また会えたよ」

「……そうだね」

 エイグリッドはリナディエーサを抱きしめようと迷って……肩に手を置いた。

 リナディエーサは不満げに頬を膨らませ、エイグリッドを見上げた。

「どうして抱きしめてくれないの?」

「鎧が骨にあたって痛いんだよ」

「脱ぐ」

「やめなさい、はしたない!」

 魔王な賢者が、勇者な聖女を攫うのは、もうしばらく後になりそうであった。


 聖女を粗末に扱って見捨てられた教会が、天罰に見舞われるのは別の話である。

 実はこのあたりの地脈を制御していた塔が失われたことで、王国が天変地異に見舞われるのも、また別の話である。

 そんな事とは露知らず、失った時間を埋めるために二人は一緒に歩き出したのだった。

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