第9話

「はぁ!? 覚えてないだとォ!?」 


 焦土と形容するのがピッタリの、この不可解な大地に。小さなアマガエルの怒号が響く。

 何故か、その声が妙に反響しているみたいに聞こえて。

 俺は咄嗟に耳を塞いだ。


 ていうか、この小さな両生類…基い。

 カエル化したタミーのどこから、そんなでかい声がでるんだよ。


「……いや、そんなこと言われても」

があったんだぞ!? 覚えてない方がおかしいだろ!!」


 そんなこと言ったってさぁ。

 本当に覚えてないんだよ。


 言葉を濁してスルーしようとしても、なんだか不機嫌なタミーの口撃に。

 俺は大袈裟に体を震え上がらせた。


「だ……だって。覚えてないものは、覚えてないんだよ」

「ったく」

「な、なんだよ! 呆れたような目で見るなよ、タミー」

「呆れたくもなる! この状況の元凶は、大体ミワだろうが!」

「はぁ?」

「はぁ? じゃない!」

「ってか、知ってるんだったら! 教えてくれってば!」

 タミーはクリっとした目を細めて、ため息を吐くと。ゆっくりと口を開いた。



※ ※ ※



「今だ! 史門」


 あらゆる農機具が発する轟音の中。

 辛うじて、ミワの声が小さく、とても小さく聞こえた。

 儂は、剣平神社の敷地ギリギリで爪先立ちをして、轟音のする暗闇に目を凝らす。


 大丈夫だろうか……。


 ビビリなクセに、困った人をほっとけないというか。

 今にも無茶をしそうな、いや。

 氏子に農機具を借りたり、結構、無茶苦茶なことをしているけど。



 そんなミワが心配でならなかった。

 心配はそれだけじゃない。

 ミワに紹介された、あの史門とかいう男の。

 なんとも言えない雰囲気が、気になって仕方がなくて。


 儂は神様なのに。

 人の子のように、妙に心がドキドキして。

 変な胸騒ぎを覚えていたんだ。


 暗闇に目が慣れたせいか。

 ミワが農機具を操っているのが見える。

 勢いよくコンバインと呼ばれる農機具から黒い籾殻が噴出すると、史門が大きな羽がついた機械を動かした。


 大丈夫だろうか? 

 石になってしまった田の神達の姿が一瞬、脳裏をよぎる。


 儂はギュッと拳を握った。


「ミワ……」


 小さく、儂が声を発した瞬間。


 星一つ見えぬ暗闇の空がグニャリと動いた。


「!?」


 黒い籾殻の嵐が、空に浮かぶ〝輪郭〟を鮮明に形どる。


「大蛇!」


 体に纏わりつく籾殻が、この上なく厭なのか。

 大蛇は、大きな体を激しくくねらせた。


 これは……意外と、あれか? 

 ミワの計画が当たったってヤツか? 

 すごいな、神通力まで凌駕する。

 これが人間の叡智なのか。


 ミワを、そして農業以外にも役立つ、素晴らしい農機具を発明した人に。儂は深く感謝してしまった。


 その時、ジタバタと身を捩らす大蛇の目が、真っ赤に光る。


 あの時と同じだ!! 

 田の神達が石にされてしまったあの時と、同じ!!


 もう……何も、失いたくないのに!! 

 だめだ!! 拙い!! 逃げろ!!


「ミワ!! ミワ……!! 逃げろ!!」


 儂が声を張り上げたと同時に、大蛇が大きな口を開けた。 鋭く大きな牙。

 真っ赤な口。

 その奥から地中に眠る溶岩の如き、赤い炎が一気に噴出する。

 駆け寄りたい衝動が、儂の足を動かした。


 剣平神社から一歩。

 踏み出してしまった。


 瞬間、息ができないほどの炎と熱気が、一気に押し寄せた。

 集落を一気に燃やさんばかりの炎の勢いと熱さ。


「ミ、ワ……!」


 たまらず、熱波の先にいるはずのミワに、思いっきり手を伸ばした。


 儂は消えても良い! 

 ミワは……ミワだけは、助けなければ!! 

 助けたいのに……!! 

 体に纏わりつく炎が邪魔をする! 


「ミワ……ミワーッ!!」


 体に収まった力を爆発させるように、儂が叫んだその時。


---バリン!! 


と、硝子か何かが砕ける音が、頭の上から響いた。


 ハッとして空を見上げると。

 暗闇の空を割くように、大きな穴があいている。


「ッ!?」


 同時に、体が急に浮き上がった。

 空にできた大きな穴は、巨大台風の如き風を巻き起こしながら。

 あっという間に、炎も大蛇も何もかも吸い込んでいく。

 大地が眼下に遠ざかり、小さくなり。

 くるくる宙を舞う儂の視界は、ミワのあの笑顔を探していた。


「う、うわぁぁぁ!! ミワァァ!! ミワァァァ!!」



※ ※ ※



「で、目が覚めたら。このザマだ」


 アマガエルのタミーは、目を少し釣り上げて。

 怒ったように顔を背ける。


「いや、それ……俺のせい?」

「元はと言えば、おまえが人間の叡智を結集させたからだろ」

「いや、それは原因じゃ……」

「じゃ、何が原因なのだ!」

「つか、さ」

「なんだ、ミワ」

「史門は?」

「……」

「史門は、どこ行ったんだ?」

「知らん」

「そんなわけないだろ! 史門はどこ行ったんだよ!」

「知らんもんは知らん!」

「はぁ!? なんでそんな他人事なんだよ!」

「他人だから仕方ない!」

「なっ!? 随分と薄情な神様だな!!」

「うるさい! 今はカエルだから、僅かな神通力さえ使えないんだよ!!」

「それなら! 喋ってる神通力を、探索用神通力に回せよ!」

「それなら、自分で探せば良いではないか!!」

「……探す?」


 タミーに指摘されて、俺はハッとして周りを見渡した。 


 見渡す限りの焦土の大地。

 人の気配はもとより、生き物の気配すらない。


 こんな所で史門を見つけるなんて。

 針穴に糸を通すようなもんじゃないか!?


 目の前にある現実に、俺の膝からさらに力が抜けた。


「とりあえず。集落を目指して移動するぞ、ミワ」

「集落って、見渡す限りには……」

「だから探すんだろうが!」

「……いやだぁ」

「はぁ?」

「もう何もかもいやだぁ」

「ったく! なんなんだよ! こんなところで、いきなりヘタレるな!」

「だってもう、さぁ」

「とりあえず立て!」

「えー」


 もう、心底動きたくない。

 っていうか、史門のことも心配でたまらないし。

 もっというならさ。氏子さんから借りた農機具の数々が、どうなってしまったかとか。

 頭の痛いことまで蒸し返されてしまって。


 本当、もう。

 畳の上でなくとも、ずっとここにいてもいいなんて、思っていて。


 そんなどん底にマイナス思考の俺の肩に。

 アマガエルのタミーは、ぴょんと飛び乗ると小さな湿った前足で俺の頬をペタペタと触った。


「ひぃぃぃ!」

「なんだよ! 変な声だすなよ、ミワッ!」

「なんだよ! とはこっちのセリフだよ、タミー。気持ち悪いって」

「気持ち悪い!? 失礼なヤツだな!! 神聖な神の手のビンタが気持ち悪いというヤツがあるか!!」

「だってカエルだろ」

「うるさい! とにかく真っ直ぐ進め!」

「どっちに真っ直ぐだよ」

「……」

「どっちだよ、ダミー」

「と、とりあえず!! 正面に向かって真っ直ぐだ!!」

「本当に大丈夫か?」

「う、うるさい!! とにかく真っ直ぐ進め!」

「わかったよ」


 些か理不尽だと思いつつも。

 タミーの算段あってのことだろうし。

 俺は深くため息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。


 温い、厭な風が全身に纏わりつく。


 見渡す限り広がる、この世の終わりのような風景を見て。

 

 俺はまた、ため息を吐いた。

 そして、小さくなりすぎたタミーを方に乗せて歩き出したんだ。

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