第2話

「あぁ、言ってなかったっけ? タミーは神様かんさぁなんだよ」


 言ってねぇし、聞いてねぇよ?

 しかも〝田の神様〟ってなんなんだよ?

 情報少なすぎるけど、多すぎるんだよ!


 俺は、深くため息をついた。


 呆れて、と。安堵、と。


 タミーから剣平神社を追い出されて三日後、親父の意識が戻った。

 複雑な思いをのせたため息は、の異様な暑さと面妖なガキ、改〝田の神・タミー〟の悲しげな顔を思いださせる。


 田の神とは、田を守り稲作の豊穣をもたらす神のことだ。


 田の神の伝承は全国各地で見ることができるが、南九州地方だけは特有の〝田の神〟が存在する。

 例としては、田んぼ付近に設置された石像の田の神があげられる。

 田の畦や田を見渡せる丘に立って水田を見守るものタイプの田の神と。

 責任者である座元から座元へ移される、持ち回りできるタイプの田の神に分けられるそうだ。


 どちらも「タノカンサァ」という名で親しまれていて。だから親父は、タミーのことを神様かんさぁと言ったのだろう。


 脱力する俺を尻目に。

 親父は穏やかに笑って茶を啜っている。

 死にかけてたクセに、何もなかったかのようにしちゃってさー。


 名代職務はもちろん、想定外のタミーのこととか。

 白髪が増えてしまうほどに、散々だったと認識している。

 いや、マジで。

 本当に。正直、ここ最近で、俺は一気に老けたんじゃないかと思う。 


 俺は硬い丸椅子に腰を下ろすと、窓の向こうに米粒くらいに小さく見える山の輪郭を視線でなぞった。


 あの時、祠の中で。

 泣き喚く面妖なガキを目の前に、だな。

 不覚にもどうする事もできず立ち尽くしてしまったんだ、俺は。

 だって子ども苦手だし、扱い方なんて知らないし。

 しばらくして、だいぶガキも落ち着いてきた。

 それでも、さめざめ泣くガキは喉をヒックヒックと鳴らして俺を見上げ、いたって何にも役に立たない俺をひと睨みした。


「……大丈夫だ」


 ガキは静かに言葉を発した。


「何がだよ」

「ミチは……三日後には、目を覚ます」

「は?」


 なんだ? またコイツは、面妖な事を言いだしたな。


「大丈夫だ、安心しろ」

「……」

「分かったら、とっとと帰れ」

「はぁ!? 何言ってんだ!?」

「五月蝿いッ! 早く帰れッ!!」

「うわぁッ!?」


 ドワッ--!!


 ガキの体から、信じられない位強い覇気が出たのを感じた。


 瞬間、空気の圧が鼓膜を押しつぶす。

 

 狭まる俺の視界からガキが、物凄い勢いで遠ざかった。

 まるで落ち葉が風に攫われるみたいに。

 台風みたいな突風が、俺の体を最も簡単に祠の外へと放り出す。

 胸が、腹が。圧迫されて、声すら出せない。


 このままだと、敷地内の御神木にぶつかる!!  

 ぶつかったら!! 

 俺も御神木も、ただじゃすまないだろ!? 


 拙い!! 拙いッ!! 


 俺は固く目を閉じた、その時。


「なっ!?」


 急に突風が止まった、と思った。

 鼓膜の圧がじんわりと緩くなる。

 風によって急速移動していた体が、パタッと勢いを無くした。


 え!? あれ!? 

 これ、そのまま落ちるパターンじゃね!? 


 そう考えるほどの時間はあった、と思う。

 同時に、俺の体が地面に叩きつけられた。

 ゴロゴロと無様に転がり、一張羅のスーツが一気に砂埃で真っ白になる。

 本当、何が起こったのか。

 一瞬、分からなかった。次第に、状況が頭の中で整理できて、地面に張り付いた俺は祠を見上げる。


 面妖なガキと目が合った--!! 


「帰れ」


 ガキの微かな声と。

 泣き腫らした目が悲しげに揺れた、一息の間。 


 バタン--!! 

 祠の扉が勢いよく閉まった。


「……クソッ! あのガキ!! ふざけやがって!!」


 ギシギシ痛む体を無理矢理動かして、俺は閉まった扉に向かって走り出す。

 しがみつくように、取手に手をかけた。

 引いても押しても。挙げ句の果てには蹴ったりしても。固く閉ざされた扉は、ビクともしない。


「こらぁ! 開けろ、クソガキィ!!」


 日没寸前の寂れた神社にこだまする、俺の怒号。

 思い返せば、祠を蹴るなんて。完全に罰当たりなことをしていて。

 今更ながら、親父には絶対に言えないし。

 おそらく、この時の俺は。

 神主以前に、暴言を吐いて神社を荒らす不審者といっても過言ではなく。

 運良く警察に通報されなかったのは、近隣に民家がなかったからだと思う。


 色々助かった、マジで……。


 文字どおり。身も心もボロボロになって、剣平神社から帰ってきてから、三日。


 面妖なガキ……改、田の神・タミーの言ったとおり、親父は意識を取り戻したんだ。


「つか、何で田の神様が、御祭神代行なんてしてんだよ」

「それは、直接タミーに聞いておいで」

「はぁ?」

「大丈夫。ちゃんと教えてくれるから」

「いや、俺。拒否られたし」


 そう、不貞腐れて言った俺を。

 親父は実に楽しげに笑いながら見ていた、んだが。


 今ならわかる。

 その意味ありげな、笑いの意味が。

 分かるぞ、親父!!


「ミワ、ちゃんと掃除しろ!! そこ!! まだ落ち葉が残ってる!!」


 境内を竹箒ほうきで掃く俺に、小生意気なガキのげきが飛ぶ。

 この田の神・タミーは、人使いならぬ、神主ひと使いが無茶苦茶荒い!!


「いくら小さくても、手を抜いたところから邪気が籠るんだよ!! ちゃんとしろって!!」


 タミーの持つ、異様にしな凶器はたきが、ブンブンと嫌な音を立てる。

 その極限までしな凶器はたきに、俺は些かムカついていた。


「うっせぇ!! じゃあ、お前がしろよ!!」

「はぁ!?」

「お前、腐っても神様なんだろ!? 神通力でもなんでも使って、ちゃっちゃと終わらせろよ!!」

「それを言うなら、お前だって腐っても神主だろ!! あぁ! あれか? ヒヨッコすぎて、掃除すらまともにできないってヤツか?」

「んだと!? もう一遍言ってみろ!!」

「ヒヨッコ! ヒヨッコ! ヒヨッコーッ!!」

「何回も言うな!! このクソ神様ぁぁ!!」

「神様にむかってクソとはなんだ! クソとは!!」

「だいたい本当に神様なのかよ? ちっこいし、頼りないし」

「えぇい!! ミワ!! そこになおれ!! お前の性根、儂の力で叩き直してくれるッ!!」

「やれるもんなら、やってみろ!!」


 側から見たら。大の大人が竹箒を片手に、はたきを振り回す小学生と大喧嘩している風に見えてしまってるんだろう。


 なんなんだ、この状況。

 剣平神社に名代として赴任してから、タミーとはずっとこんな感じ。


 たまに……。いや、だいたいだな。


 タミーが〝神様〟であるという認識を、完全に忘却している自分がいる。

 親父が意識を取り戻して、一週間。

 俺は剣平神社の神主として、なんとか業務に邁進していた。

 他の神社も掛け持ちしているし、剣平神社なんて週三日しか行かないのだけど。行くたびに、タミーによって課せられる濃い業務内容に、行った日は極度の疲労に苛まれる。

 ま、誰もいない神社で、黙々と業務をするよりはマシな気がする、なんて。

 そう思うくらいには、俺は大分タミーに感化されてしまっていた。


 いいのか、悪いのか。


「なぁ、タミー。そろそろ昼飯にするか?」

「あぁ!! 昼飯!! 昼飯にする!!」


 俺は竹箒を倉庫にしまうと、手を清めて鞄の中から一つの包み〝御供え物〟を取り出した。

 親父の時からの習慣らしいんだけど。

 タミーと仲良くやれてない俺を勘付いているのか、些か気はなるが。

 俺が剣平神社に行く時、母親は必ずと言っていいほど、毎回おむすびを持たせる。

 シンプルな、それはそれはシンプルな塩むすびなんだけどさ。

 タミーにそれを御供えると、満面の笑みを浮かべて頬張るんだ。さっきまでの喧嘩なんか忘れたみたいに、無邪気に笑ってさ。


 たとえそれが古米こまいでも、古々米ここまいでも。

 しっかり手を合わせて「いただきます」って言ってから、米粒一つ残さず平らげる。

 そして食べ終わったらまた、きちんと手を合わせて「ご馳走様でした」と言うんだ。


 へぇ、神様も飯食うんだな。


 なんて、考えながら。

 予想外に人間っぽい神様に、俺は勝手に親近感を抱いていた。


「なぁ、タミー」


 俺は風がよく通る祠の入り口に座る。

 水筒の中の冷たいお茶を口に含み、タミーに話しかけた。


「何だ、ミワ。急に改まって」


 タミーは俺をミワという。これは、親父を美智ミチと呼んでいた名残りなんだそうだ。

 曲がりなりとも、神様をタミーと呼び始めた親父も親父だけどな。


「お前さ、田の神様なんだろ?」

「うん」


 タミーはおむすびを頬張りながら、モゴモゴ答えた。


「なんで、こんなとこにいるんだ?」

「え?」

「いや、だから。田の神ってさ、田んぼの近くにある石碑にいるもんだろ? なんで神社の御祭神代行なんかやってんだよ」

「なんで……って」

「神様が神様の代行してんのも、なんか変だろ?」


 タミーはおむすびを包みのそっと上に置くと、少し寂しそうに笑った。


「儂の依代よりしろは、壊されてしまったからな」

「え?」

「ミワ。あそこに、大きな四角い建物があるだろ?」

「あぁ、あのでっかいマンション?」


 タミーは、境内から僅かに見える真新しいマンションを指差した。


 ああ、あれ。


 田んぼのど真ん中に建つマンションは、住居型介護施設なんだそうだ。

 まぁ、田舎に建つデカい建物といったら、そういうのが多いし、そういうのばっかりなんだろうけど。

 若い人が都会に出てしまうと、田舎にはもう帰ってこなくなる。

 すると当然、田んぼを引き継ぐ者がいなくなる。

 高い税金や管理費を払ってまで、田んぼを維持することもないから。

 田舎の風景は緩やかに、そして急激に変わっていく。


「儂の依代は、あそこにあったんだ」

「え?」

「一瞬だったなぁ……」


 タミーは、眩しそうに目を細める。


「田んぼから〝稲の馬(※ 天日干し用の稲架(ハザ))〟が消えた次の日だった。大きな黄色い車が、儂の依代を真っ二つに割ったんだ」

「……」

「儂は依代が無いと消えてしまう。用無しになってしまうからな」

「用無しって、そんな……」

「儂はまだ田の神だったし、どうすることもできなくて。途方に暮れて。田んぼの畦道あぜみちに座り込むしかなかった」


 タミーは、おむすびを再び手に取ると。

 ポツリ、ポツリと言葉を落とし始めた。

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