節穴の心眼 第九話

 一通り説明し終わると、氏家はに落ちたような表情になった。

「なるほどな。お主の元カノが、甘粕に相談しようとして送ったスクショが岸崎に渡り、それがお主のところに巡ってきた。これがLINE流出のカラクリか」

「そういうことだ」

 これが、あのトーク履歴がの《・》ものであった原因である。音緒から岸崎さんに直接流れたのではなく、その間に甘粕が介在していたことで、知らない者同士の間でトーク履歴が流出したということである。残念ながら僕は甘粕や岸崎さんと直接会ったことがなく、この二人の関係を理解できていないところがあるが、それこそ同じクラスになったことがあったり、同じ部活で活動したり、同じ委員会に所属したりしていれば、LINEを交換する機会はいくらでもあるだろう。二人がどういう関係性だったのか気にならないことはないが、既に僕が最も気になっていた流出の経緯を知った今、わざわざ深く調べる必要もないだろう。

「それがしはてっきり、岸崎が武夫とあの女の浮気を最初から知っており、友達を頼るなどあらゆる伝手つてを使ってあの女のLINEアカウントを入手し、トーク履歴を見せるようあの女を脅したのかと思っておった」

「いや、それなら武夫を脅すので良くないか? わざわざ知らない人である音緒を探し出す必要もないだろう」

「確かにそうかもしれぬ。しかし、例の浮気の証拠のトーク履歴を見る限り、武夫は『消しのプロ』か何かを名乗っておるように、証拠の流出には非常に神経質で、それを防ぐためにトーク履歴を頻繁に削除しておったと見た。そうなると、武夫のトーク履歴に浮気の証拠となるものは残っておらず、それで岸崎が武夫を調べてもらちが明かないと気付いて、あの女の方に狙いを変えた、という見方もできる」

 確かに一理ある。逆に音緒の場合、俺のことをなめていたのか、「あの子鈍感だから」などと高をくくって、トーク履歴の流出の対策をしていなかった可能性が高い。そうなると、浮気の証拠がしっかり残っていることになり、わざわざ武夫ではなく音緒のトーク履歴を狙う意味があると言える。

「まあ、さすがのそれがしでも、ここに甘粕が絡んでくるとは正直思っていなかったがな」

 口には出さなかったが、僕の方こそ、これほどまでに氏家が深く考察していたとは、正直思っていなかった。単に僕の話を聞いて、僕をからかいたいだけなのかと思っていたが、どうやら僕の杞憂きゆうだったようだ。本当に何を考えているのかは音緒くらい、いや、それ以上に分からないが、少なくとも氏家は僕と一緒に深く考え、僕に共感してくれている。そう考えると、僕は嬉しくなった。やはり持つべきものは友達である。

「ん? どうした順大? 何やら嬉しそうであるな。鼻の穴が広がっておるぞ」

「いや、お前がちゃんと僕の話を聞いて、考察していることが純粋に嬉しかった」

「そうか。お主が嬉しくなると、それがしも嬉しい。お主の喜びはそれがしの喜びだ。これからも喜びを共有し合おうではないか」

 何かと癖の強い氏家ではあるが、これでも友達の一人である。大切にしなければいけないだろう。

「で、だ。結局あの女との電話はどうなったのだ?」

 再び現実に戻される。そうだった。まだ結末を話していない。僕がこの一件で最も嫌な気分になった、音緒との電話の着地点のことを。

「……知りたいか?」

「そりゃあここまで来れば最後まで聞きたいとも」

 どうやら逃げるわけにはいかないようだ。

「……分かった。じゃあ話すよ。最悪の終わり方を」


 ***


 音緒の過去を聞き終わった僕は、一つ話を聞いていた中で不満に思ったことを尋ねてみた。

「……事情は分かった。だが、お前は武夫から本格的にアプローチを受け始めた時、何故僕に相談せず、甘粕を頼ったんだ? 僕に言ってくれれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに」

 当然、浮気という事実そのものにも不満はある。だがそれ以上に、僕という彼氏がいたにも関わらず、もはや部外者とも言えるような甘粕に助けを求めたという事実が最も許せなかった。

「前にも言ったけど、元カレはクズなのよ。でも、クズだからこそ、私の負の一面をさらけ出すことに抵抗がなかったの。順大のように善良な人に、私が腐っていることを知られるのは嫌だったけど、元カレみたいにクズな奴には、どう思われても構わなかったからね」

 思わずうなってしまった。分かるようで分からない。クズな奴だからこそ信頼できない、という発想には至らなかったのか。

「それに、あんた告白の時に何と言ったか覚えていないの?」

 急に話題が飛ぶ。音緒が何を言おうとしているのか、僕には分からなかった。

「悪い、覚えていない。その時はすごく緊張していたから、その日の記憶が全くないんだ」

 これは事実である。電話で話したから、LINEのトーク履歴にも残っていないし、思い出すための伝手は何一つ残っていなかった。ただ一つ、僕の告白を受けた音緒を除いては。

「私なんか、あれだけ長かったくせに覚えているのよ。言ってあげようか?」

 甘粕や武夫のような他の男がいたにも関わらず、良くもまあ僕の告白の言葉を覚えていられるものである。半ば感心し、半ば呆れた。とは言え普通に気になっていた僕は、ああ、とだけつぶやいた。

「『別に僕は筋田さんのことを世界で一番好きだとは言いません。世界で一番あなたのことを好きなのはあなたのご家族に決まっているので、僕がそこに割って入るつもりはありません。ですが、僕は世界で一番筋田さんのことを尊敬しています。これは自信を持って言えます。こんなに僕のことを認めて受け入れてくれた人は、あなたが初めてです。その優しさと心の広さを、僕は心から尊敬しているのです。僕はもっとあなたから学びたい。僕と付き合ってください』……みたいな感じだったかしら」

 聞きながら滅茶苦茶めちやくちや恥ずかしくなった。シンプルな告白にするべきだろうと思いながらも、結局だいぶひねったような言葉になったという記憶だけは残っていた。だが、こんなにも理屈じみたことを言っていたとは思わなかった。

「私はね、これを聞いて困惑したよ。別に私なんか尊敬されるような人間でもないし。でも、元カレや武夫にはないものをあんたから感じ取った。順大ならば、あの二人のようにはならないだろうってね。で、付き合うことにしたのよ。

 でも、私はあんたが思っているほどすごい人間ではない。それなのにあんなことを言われてしまったら、せめて順大の前だけでも人格者のふりをしなきゃいけないわけじゃん。でも、本物の人格者が浮気をするなんてあり得ないでしょ。だから、あんたには私が浮気をしているなんて、口が裂けても言えなかった。そんなことを白状してしまえば、あんたに軽蔑けいべつされるに決まっている。私はそれを恐れたのよ。だから、武夫についての相談もしたくなかった。要は、あんたが変な告白さえしなければ、私に変なプレッシャーがかかることもなかったでしょうし、武夫についての相談だってできたはずなのよ」

 ん?

「……おい、今何て言った?」

「だから、私があんたに相談しなかったのは、あんたのせいだっていうことよ。自業自得ってやつね」

 信じられない。この女、まだ自分のやった過ちを反省していない。それどころか、僕に責任転嫁しようとしている。

「あのさ」

 貧乏揺すりせずにはいられなかった。

「僕が悪いって言うの?」

「当たり前でしょ。だって、あんたが告白さえしなければ、私たちは今頃付き合っていないし、私がこんな目に遭うことなんてなかったんだから」

 ……許せない。自分のしたことを全く反省しようとしない態度は、到底許容できるものではなかった。

「一つ、言って良いか?」

 僕はこんな奴に、れていたのか。

「お前は何か勘違いをしているようだな。言っておくが、お前は加害者であって、被害者ではない」

「……何を言っているの。私は完全な被害者よ。元カレにもてあそばれ、武夫につきまとわれ、あんたに誤解された。全部男どもが悪いのよ。私は何も悪くないわ」

「お前、それを本気で言っているのか?」

「当たり前でしょ? 私のどこが悪いと言うのよ。私に何の落ち度があったと言うのよ」

「簡単な話だ。お前が断れば良かっただけのこと。甘粕も武夫も僕も、嫌なら皆断れば良かった」

「そうやって口では簡単そうに言うけどね、私がどれだけ苦しんだのか分かっているの? 一番苦しんだ私が一番正しいに決まっている」

「違う、お前は……」

「違うことなんてない! 私は正しい! 間違っているのはあんたよ! あんたさえいなければ……」

「一度、黙れ!」

 一喝した。この剣幕に、さすがの音緒も話すのをやめた。

 しかし、黙らせたからと言って、僕が話すことはもはやなかった。今の音緒には、何を言っても通じなかった。いつまでも話の通用しない人間の相手をするのも時間の無駄である。

「……お前がどうしても、自分が間違っていないと言うのなら、僕はもう反対しない。だが、僕にはそんなお前と議論する気はない。本当に救いようのない馬鹿だ。二度と僕の前にその面を出さないでくれ」

 そう吐き捨てると、電話越しにフフッと笑われたのが分かった。

「これであんたも分かったでしょ……私が尊敬されるべき人ではないって言った意味が」

 今までの僕なら、咄嗟とつさに「そんなことないよ」と否定できたはずだ。しかし、音緒の真の人格を知ってしまった今、僕にはそれができなかった。する必要もなかった。

「それにしても、あんたが怒るところ初めて見たけど、正直言ってそんなに怖くないわね。本当に私をしかりたければ、もっと強く怒ることね」

 嘘吐け、さっきから僕が大声を出す度にひるんでいるくせに。だが、もう僕は音緒と議論しないと決めた。言葉を選んで慎重に発言する。

「僕は、お前に対して怒っているのではない。ただ……」

 ここで一呼吸置いた。「音緒に対して怒っていない」は嘘である。この時音緒に対する怒りはピークに達しようとしていた。でも、音緒以外への怒りがあったことも確かである。落ち着いて呼吸を整えてから、再び口を開いた。

「……ただ、お前という人間の人格を見抜けなかった自分の見る目のなさに失望して腹が立っているんだ」

 どうしてこんな女を好きになってしまったのだろう。僕が唯一悔やんでいるのはその点である。

「全くよ。おかげで私はこんな目に遭っているんだから。本当に良い加減にしてほしいものだわ」

 駄目だ。この女、やはり反省の欠片かけらも見当たらない。どう頑張っても自分が悪いという思考には至らないようである。そしてこのまま一生、彼女は被害者面をし続けるのだろう。そう考えると、どうしようもなさすぎて、哀れみすら感じてきた。もうこの女を正しい道に進ませることは、誰もできないだろう。

「でも、これで良かったのよ。私にはただの苦い思い出にしかならないけど、少なくともあんたにとっては、将来どんな人間が信頼できるかを見極めるための良い経験になったんじゃない? まあ、私はあんたに経験を積ませるだけの人形に過ぎなかったんだろうね。ああ、私の人生って悲しいな」

 この女は自分のことを悲劇のプリンセスか何かだとでも思っているのだろうか。この期に及んで自分に酔っているようである。あまりに考え方が自己中心的すぎて反吐へどが出そうである。

「仕方ない、きっと私はこうなる運命だったのね……これが避けられない天命ってやつかしら。こればかりはどうしようもないのね……」

 どうしようもないのはお前の頭だ。もうこれ以上は気持ち悪くて聞いていられなかった。スマホを耳から離し、電話を切った。これであいつと話すことは二度とないだろう。

 こうして話してみたが、この女のことがやっぱり分からない。分かったのはただ一つ、この女が信用ならないことだけである。まさかここまでひどい女だとは思っていなかった。当然、付き合っていた当時に抱いていた尊敬など彼方へ吹き飛んでしまった。もはや、僕が尊敬していた音緒は見る影もない。あの時の音緒が帰ってくることは、もう二度とないだろう……

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