節穴の心眼 第三話

「出た。あの女との『必要最小限のやり取り』のうちの一つであるか」

ここで氏家が口を挟んできた。

「いや、音緒がそう言っているだけで、僕はそんなことないと思うんだけどな」

そう言いながらも、僕は音緒とのLINEのトークを思い出す。確かに、毎日挨拶していたわけでもないし、デートに誘ったり待ち合わせをしたり頼みごとをしたりする時くらいにしかLINEを使っていなかったので、そういう意味では「必要最小限」だったのかもしれない。

「それならば見せてみろ。本当に必要最小限ではないのかどうか」

僕が過去を振り返っているのをよそに、氏家はまた命令口調になる。相変わらず、人にものを頼む態度ではない。

「嫌だよ。そんなプライベートなやり取り、お前のようなよそ者に見せたくないよ」

「そんな冷たいこと言わずに。な? それがしは単なる友人を超えた親しい仲ではないか」

そういう問題ではない。この男にはプライバシーという考え方がないのか。それに、氏家は何か勘違いをしているのかもしれないが、僕と氏家はただの友達であって、それ以上のつながりはない。

「見せないよ。別に説明する上で見せる必要もないだろ?」

「いや。それがしには気になっておることがある。お主とあの女の馴れ初めのことだ」

「ん、お前に言っていなかったっけ、その話」

「聞いたことないぞ。そもそもお主、それがしが尋ねるまで、付き合っておったことすら隠しておったではないか」

そんなこともあったような。確かに付き合いたての頃は恥ずかしかったので、たとえ友達であっても恋人ができたということを隠していた。だが、一連の出来事を説明するためには、馴れ初めのことも話す必要がありそうである。

「じゃあ話すか。僕と音緒の馴れ初めを」


***


音緒との最初のトーク履歴に残っていたのは、今から九か月前、僕たちがまだ二年生だった去年の七月のやり取りであった。

この年、僕は初めて音緒と同じクラスになった。だが、進級したばかりの頃はお互い何の接点もなく、関わることもほとんどなかった。四月にクラスで自己紹介会をやった時も、音緒がどんな自己紹介をしていたのか覚えていないから、音緒の初対面の印象も特にない。この頃の僕にとっての音緒は、四十人いるクラスメートのうちの一人でしかなかった。

しかし、一学期が終わり、夏休みが始まってから数日後、僕が宿題から逃げてスマホをいじっていたら、それまで一回も話したことのなかった音緒から突然LINEが来たのである。

「急に追加してごめんね!」「四賀君って確か図書委員だったよね?」「夏休み中に図書室に行きたいんだけど、いつ開いているかって分かったりするかな?」

彼女が言った通り、当時の僕は、仕事内容が楽に見えたからという理由で図書委員になっていた。実際に仕事をしてみると、一か月に一度くらいの頻度で昼休みや放課後に図書室のカウンターに座り、本の貸出や返却を担当するだけという、当初の予想通り非常に負担の少ない活動だったので、怠け者の僕にとっては非常にありがたい役職だった。しかし、図書委員であることがきっかけでクラスメートに友だち追加されるとは、誰が予想できただろうか。

とは言え、音緒がこう尋ねてきたのも無理はない。うちの高校の図書室は、確かに夏休みも開いてはいるのだが、その日程や時間がまちまちなのである。基本的にはカウンターで本の貸出や返却の当番をする図書委員の都合に合わせて図書室が開くので、ある時は一日中開いているし、ある時は三十分しか開いていないということもあるのだ《そうなるぐらいなら、いっそのことその日は図書室を開けなければ良いのに、と思ってしまう》。そして馬鹿げたことに、こうした複雑なスケジュールであるにも関わらず、図書室の先生はこの日程を一般の生徒には公表しようとしないのである。その理由は、「図書委員の中にも忙しい人がいるため、当番をする予定日に、急に都合が悪くなって来られなくなってしまうことがある。そうなった場合、夏休みなので他の生徒が登校する機会も少なく、当番の代理を立てることが困難である。もし代わりの当番が見つからなければ、その日は図書室を開けられなくなってしまう。この時、仮に開室する日時を一般の生徒に公表していたら、スケジュール表を見て『この日に行こう』と事前に決める子が現れる。しかし、その日がよりによって、当番が急に休んで図書室を開けられない日だったら、折角せつかくその日に来てくれた生徒を図書室に入れることができず可哀そうだから」ということらしいが、あまりに馬鹿馬鹿しい。もし図書委員が来られなくなったら、その旨を図書室の入り口に示して、一言すみませんでしたと謝れば済む話である。開室予定日に図書室が開いていなくて怒るような生徒など、聞いたことがない。と言うか、そもそも夏休みの予定が分からない生徒が、どうやって図書室に行けると思っているのか。「スケジュールが配られたものの、図書委員の都合で閉室になることで困る生徒」と、「そもそもスケジュールが配られず、開室日時が分からなくて困る生徒」、どちらが多いですかと問われれば、明らかに後者の方が多いはずである。図書室の先生はそんなことも考えられないのか。そして僕はいつもそんな頭の悪い先生の指図を受けているのである。どうしてこの僕があの馬鹿の言うことを聞かねばならんのだ。そう考えると、無性に腹が立ってきた。

しかし、これは図書室の先生が悪いのであって、音緒に非はない。図書室の先生に対する怒りを音緒に八つ当たりするわけにもいかないのである。そういうわけで、色んな感情を押し殺し、僕は音緒に開室日時を伝えた。とは言え、図書委員の僕にすら夏休みの図書室のスケジュールを伝えられていなかったので、このように言う外なかった。

「実は僕も細かいスケジュールは知らされていなくて、自分が当番をする日しか分からないんだけど、その日であれば確実に開いています」「もしこの日時で都合が悪かったらごめんなさい」「多分他の図書委員に聞けば、僕とは別の日時を教えてくれると思います」「一応僕も、友達で図書委員をやっている人に当番の日時を確認してみます」

こんなことを言っておきながら、実は図書委員の友達なんていなかった。もし音緒が、僕が当番の日に図書室に行けないと言ったら、「僕の友達が一向に既読してくれない」とか「あいつ大会があるらしくて、夏休みの当番全部できなくなったらしい」などと適当に誤魔化し、「悪いけど自分で日時を調べてほしい」と返すつもりだった。音緒に献身的になった今では考えられないほど雑な応対をしようとしていたのである。そもそも一学期には音緒とまともに話したこともなく、おまけに夏休みになって会うことすらなくなったことで、顔もすっかり忘れかけていた。そんな人に対して、いちいち細かくサポートするほど僕は優しくはなかった。

とは言え、そのような冷たい対応をすることが良くないというのは分かっていた。一度でもそんな態度をとってしまえば、ただでさえ僕のことをよく分かっている友人が少ないから、音緒が僕に対する誤った認識を広めて、「四賀は冷たい奴だ」などと後ろ指をさすようになるかもしれない。それはそれで面倒である。できればそのような展開には持ち込みたくなかった。

しかし、その心配は杞憂きゆうだった。これを打ってから三十分ほど経った時に音緒から返信が来た。

「あ、その日なら私も行けそうです!」「わざわざありがとう!」

僕は胸をで下ろした。これで恐れていた最悪の展開になる心配はなくなったのである。そして、それと同時に、僕が当番の時に来てくれる音緒に対して興味を持った。普通、夏休みの図書室に人が来ることはまれなのだが、そんな中わざわざ図書室に来ると言った音緒とは一体どんな人だろう、という気持ちが芽生えたのである。

それから数日経って、僕が図書室の当番を担当する日になった。指定された時間通りに図書室を開室し、カウンターで待機し始めたら、開室から五分ぐらい経った頃に、果たしてドアの開く音がした。顔を上げると、サラサラな髪を後ろで一つ結びにした音緒と目が合った。

「あ、四賀君!」先に声を上げたのは音緒だった。「この前はありがとう!」

いえいえ、と手を振り、僕は気になっていたことを聞いてみた。

「ところで、どうして今日は図書室へ?」

すると音緒は目を逸らし、若干声を落とした。

「ちょっとまあ、本を借りに……ね」

何故か不自然な反応を見せる音緒。気にはなったが、もう少し他のことも聞いてみたかったので、尋ねてみた。

「本がお好きなのですか?」

そうしたら、また音緒は言葉を濁した。

「んー、まあ読まないことはないけどね……」

さすがに僕は尋ねるのをやめることにした。何か事情がありそうである。これ以上詮索するのは良くないと判断した。それに、本を借りるのであれば、必ずカウンターの僕のところにその本を持ってきて、貸出の手続きをしなければならない。その時に彼女の借りる本を見れば、彼女の目的も分かるだろう。だから敢えてここで探る必要もないのだ。

「まあごゆっくりどうぞ。今日は後二時間ほど開けておくつもりなので」

そう僕が言うと、音緒は少しほっとしたような表情で「ありがとう、四賀君」と言って、足早に本棚の方へ向かっていった。やはりこれ以上探られるのを恐れていたのだろう。

その後、僕は持参した夏休みの数学の宿題を解きながら音緒が戻ってくるのを待った。この時の図書室には僕と音緒しかいなかったので、音緒が帰ろうとしたらすぐに分かるのである。そして二十分ほど経った頃、音緒がカウンターの僕のもとにやってきた。

「これ借りたいんだけど……」

相変わらずどこか躊躇ためらった様子で僕に本を差し出した。僕はその本をなるべく見ないようにしながら受け取った。何の本を借りたのかは気にしていないよ、ということをアピールするためである。それでも手続きをする時にはどうしても本のタイトルを見なければならない。僕は平然とした態度でそのタイトルを見た。

『頼みごとを断れない人に贈る 断り方のコツ』

顔には出さなかったが、心の中では少し拍子抜けした。人に知られたくない本のたぐいと言えば、もっとエロ系またはグロ系のものとかを想像していたのだが、そのあたりからは随分かけ離れている。むしろ健全すぎるとも言える本ではないか。何故これを人に見せたがらないのだろうか、僕には合点がいかなかった。

でも、僕が手続きしている間ずっと不安そうな顔で僕の顔色をうかがっている音緒を見て、やはりそこに踏み込むべきではないのだろうと察した。そこで、手続きをしながら別の話題を切り出すことにした。

「そういえば、全然関係ないですけど、今年の夏休みの数学の宿題って多すぎると思いませんか?」

すると、それまで黙り込んでいた音緒が急に明るい顔になった。

「うん! 私も思っていたよ! あの先生ひどいよね!」

僕は少し安心して、その話題を続けることにした。

「あれって、一日一問ずつやっても多分終わらないですよね?マジで一生終わる気がしないです」

「やっぱりそうだよね! しかも一問一問がやたら難しいし、結局解けないもん!」

「よく数学の先生って、時間をかければ解ける的なことを言うけど、あれは無理ですよね」

「無理無理! だから私、多分答えを丸写しして提出しちゃうよ!」

「まあ、これだけ難しかったらしょうがないですよね」

「そうだよ! 私が答えを丸写しするのは、先生が解けない問題を出すのが悪いんだからね!」

そのように話しているうちに、手続きが完了した。僕は返却日時を言いながらその本を返した。その際に、本の表紙を下に向けるのを忘れなかった。

「ありがとう、四賀君! お話しできて楽しかったよ!」

「こちらこそ、来てくれてありがとうございました」

これが僕と音緒のファーストコンタクトであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る