きさらぎ駅【序】

「俺は、幼い頃に姉を亡くしました」


分かっていた事だがやはり空気が凍りつく。


「それは、デリケートな事を…すまない」

「いえ、気にしないでください…それに亡くしたと言っても…死んだかどうか分からないんです」

「…詳しく聞いても?」

「はい、あれはーー」


ーあれはいつだったろう…

もう詳しい年齢さえ覚えていない。

俺が幼かった頃には確かに姉がいた…少し年の離れた姉だ。

怖がりだった俺といつも一緒にいてくれた心優しい姉。

ある日、俺の住む町にサーカスがやってくるって話が舞い降りる。

娯楽の少ない町だ、皆それを心待ちにしていた。

場所は、俺の住むところからわずかに電車で3〜4駅程度の所だった。

けれどその日は両親が仕事で行けないらしい、俺は当然駄々をこね、見かねた姉が助け舟を出してくれる。

「開演は夕方だし、場所もそんなに遠くない、周りもきっと知った顔ばかり!二人だけで行っても大丈夫よ!」

俺は小学生になるかならないかくらいだが、姉は小学生高学年だったんじゃないかな。

しっかりしていたし子供たちの楽しみを奪うのもと、両親も承諾してしまう。

大好きな姉とのお出かけ、しかもサーカスだ、ワクワクしていたよ。

当日、二人で目的地に向かう…

揺れる電車内で姉から「知ってる?サーカスの人達はお酢を飲んでいるから身体が柔らかいのよ」とか「サーカスを見に行った子供たちは攫われて売られちゃうのよ」なんて話も聞かされたな。


ふと気付くとえらく長い間揺られている気がする。


隣を見ると姉もそれに気付いていたのか不安そうな顔をしている。

たった数駅だ、こんなに時間がかかるだろうか?

そういえばまだ1つ目の駅にすら到着していないんじゃないか?

俺の住んでいた場所は確かに田舎だが…車窓から見える景色はここまで辺鄙(へんぴ)な光景だったろうか…

それに乗客がいない…サーカスへ向かう電車にも関わらず、ここまで誰も乗っていないなんて事があるだろうか?

姉の俺の手を握る力が強くなるのを覚えている。

「そうだ、運転手さん…」姉がそう言ったところでゆっくりと電車の速度が落ちていき…やがて駅に停車した。

「降りてみよう…」そう言ってその駅で下車する。

仮に乗る電車を間違えていただけなら降りるのは早いほうがいい。


【きさらぎ】


看板にはそうあった。

聞いたこともない駅名だ、それに閑散としていて、どうやら無人駅のようだった。

「お姉ちゃんの手を離しちゃ駄目だよ」姉も何やら不穏なものを感じているようで震えている。

駅の外を眺めると、ポツポツとまばらに民家があるものの、人の気配は全くと言っていいほどに感じられなかった。

ここはよくない、幼いながらに俺も、姉もそう感じていた。

「戻ろう!」その言葉に、一も二もなく賛成する。


「発車しまーす」


そんなアナウンスが聞こえた気がした。

俺と姉は全速力で電車に駆け戻る。

電車にさえ戻れば運転手がいる!その人なら何か分かるはずだ!

走った、走った、走った。

いつの間にか繋いでいた姉の手が離れていた事にすら気付かぬ程に。

ドアの閉まる直前にギリギリ電車に駆け込む事ができた………俺だけは。

「景ちゃん!!」転んでしまったであろう姉の声が無人駅に響き渡る。

「お姉ちゃん!!!」気付いた時にはもう遅い、無常にもそのドアは閉まり、俺と姉をドア一枚隔てただけの遥か彼方へと引き裂く。

「待ってるから!ここで!」姉がそう叫んだのはハッキリ覚えているが、そこからの記憶は酷く曖昧だ。

覚えているのは両親に怒られている俺。

「一人でどこに行っていたんだ!心配かけて!」なんて言葉が印象に残っている。


姉はその日を境に消えた。


姿だけではない、痕跡も、過去も、思い出も、姉がいたという事実がこの世から消え失せてしまったのだ。

姉の部屋は物置になっており、友人はおろか両親さえも姉の存在を覚えていない。

俺だけが姉の存在を覚えている人間であり、姉の存在は当然戸籍にもありはしない。

俺がおかしくなったのかと心配した両親に病院にも連れていかれたが異常は見られない。

幼少期特有のイマジナリーフレンドだなんだと診断されたな。



「それから姉の事は誰にも話した事はありません」


話し終わると少々心が軽くなる。

恐らく誰も信用しないような荒唐無稽な話だ。


「ちなみに…」

「はい?」


精神科等は受診したのだろうか?なんて質問が来るものかと思っていた。


「君の住んでいた町は…どの辺に?」

「どの辺…?九州の方ですが…?」

「なるほど、やはり突入条件に場所は関係なかったか…となると条件は何だ?女性…時間帯は…夕方…いや、始祖は夜中か…」


ブツブツと何か考え事を始めてしまう。


「辛い事を思い出させてしまい、申し訳ありません、部長に代わり謝罪を」

「いや!大丈夫です!むしろ聞いてもらえて楽になった気がします…」

「都市伝説、きさらぎ駅の事は?」

「ええ、調べました、その時に色んな都市伝説の事も少し…」

「そうでしたか…」



ーきさらぎ駅。

インターネット上に投稿され、その特異性から一気に広がった都市伝説である。

ある日、仕事帰りの女性が新浜松駅からの電車に乗り込む。

そこで彼女は違和感に気付く、かなりの時間が過ぎているのに目的地に到着していない。

いつまでも目的地に着かない電車を不審に思っていると、普段は決して見ることのない謎の無人駅に到着する。

そこがきさらぎ駅、民家もなく人気もない見覚えすらない場所。

携帯電話は使えるものの全く解決の糸口が見えないままその付近を探索する。

しばらく辺りを彷徨ううちに近隣住民であるという人間と出会い、そのまま車で送ってもらえる事になる。

そして彼女の消息は途絶えた。



「こんな内容ですよね、姉の件とほぼ同じです」

「はい、その後も全国各地での体験談が続きます」

「はい…煙をたけば戻ってこられるとか…向こうの車掌に戻してもらったとか…」

「その通りです、そこからの体験談では無事に生還した話がグンと増え、まるで浪漫体験のように描かれる事が多くなります」

「そうですね…」

「創作が殆どでしょう、そして皆もそれをわかった上で楽しむようになってしまった」

「……けれど姉は……」

「ええ…」


暫しの沈黙。


「でもこうして…笑わず聞いて貰えて嬉しかったです…吹っ切る事ができそうな…」

「何を言っている」

「え?」


部長が俺の言葉を遮るように言葉を重ねる。


「お姉さんは「待ってるから!ここで!」と言ったんだろう?」

「え、ええ…」

「なら今も待ってる、早く迎えに行ってやらねばな」

「!!」


言葉が詰まる。


「でも…都市伝説は…所詮は創作だって…」

「我々二人は元々、都市伝説は実在すると信じたいのだよ、けれど体験をしたことがない」

「はぁ…」

「体験をした事がないのに偉そうに実在します!とは言えんだろう?実際、面白半分の創作が殆どなのは認めなければならないしな…」

「まぁ…」

「けれど今!我々は三人になった!そして我々の中に都市伝説の体現者がいる!!これは良いだろう!声高に都市伝説の実在を叫んでも良いだろう!!」

「そういうもんですか?」

「そして、仲間が困っているならば!全力で助ける!!至極当然だ!!」

「私も異論ありません」


涙腺が緩むのをグッと我慢する。


「まだ情報が足りない、けれど必ずお姉さんを連れ戻そう!」


我慢しきれずにポロリと溢れてしまう。


「お願いします……!」


嗚咽を漏らす俺の背中を、千影さんが優しく撫でてくれていた。

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