第13話 離れる者と繋がる者
「ケント……」
目の前にミナミが居る。
雰囲気はいつもと変わらない。変わらないはずなのに、何だろうか、この違和感は。
前までは色んなブランド品を買わされて、彼女はいつもそれを身に付けていた。
そうか、そこで気付く。
今のミナミは派手すぎるんだ。
ネイルも、ネックレスも、指輪も、髪も、手に持っているカバンも。全部が俺が一緒に居た時よりもグレードアップしている。
ミナミは俺を視界に入れてから、大きな溜息を吐く。
「はぁ~あ……メンドくさいな~」
「面倒くさい?」
「だって、あたしはもうケントに会うつもりなかったし」
当たり前のように言い、心底面倒くさそうにミナミは言う。
顔は嫌悪感を露にし、まるでお前とは暮らす世界は違うと言わんばかりに俺を見下す。
「だって、今はケントよりもムチューになれる人が現れたからさ。この際、会ったから言うけど、別れてくんない?」
「おお、良いぞ」
「あれ? あんたの事だから意外と縋るかと思ったけど……ああ、そゆ事……」
ミナミはサクヤさんを見てから何かを察したのか、ふんふんと頷いている。
すると、ミナミは適当に手を振りながら言う。
「んじゃね、ケント。もう会う事は無いと思うけど」
「ああ、だろうな……ああ、一つ、言わせてくれないか? 最後に彼氏として」
「あ? 何?」
去ろうとするミナミを呼び止めると、眉間に皺を寄せ、面倒くさそうな顔をする。
俺は一つ息を吐き、口を開いた。
「そんな事、いつまで続けるつもりだ?」
「何が?」
「貢いでもらう事だよ。お前、それも全部買ってもらったんだろ?」
「え? そうだけど……当たり前じゃん。だって、あの人はあたしの事が好きで買ってくれるんだから、それはケントだって一緒だったじゃん」
そうだ。昔まではそうだった。
ミナミの事が好きで、彼女だからという枕言葉を付けて、彼女を喜ばせたくて色んなものを買っていた。それは間違いない事実だ。
でも、それが間違っている事だとサクヤさんが教えてくれた。
お金はおっかねぇ、と。
だからこそ、彼氏として最後に。届かなくても、言っておきたい事があった。
「俺はまだ良い。でも、相手が本当に信頼できる人なのか、お前の事を本当に大事に見てくれる人なのか、それをしっかりと見極めて欲しい。そうじゃないと、お前自身の身が破滅するぞ」
「何それ、んな訳ないじゃん。そもそもさ、もう彼氏でも何でもないんだから、そういうの辞めてくれない? 目障りなんだよね」
「……そうか。それはすまなかったな」
「……貴女、何様ですか?」
「は?」
俺が素直に引き下がると、隣に居たサクヤさんが一歩前に出る。
それにミナミが首を傾げる。
「アンタ、誰?」
「貴女が手を出した男の彼女だった人です、ヒロカズという男性です」
「ヒロカズ……ああ、あのヘボキッカーか。あいつも人生終わってるっしょ? だって、住所も、学校も、全部バレて、学校にも呼び出し食らったって言ってたし、女にも相手にされてないらしいよ? でも、それはアイツがバカなだけ。あたしは違う」
ミナミは自信満々といった様子で言う。
「あたしはあんた等やヒロカズみたいなバカとは違うの。ちゃんと引き際も分かってるし。何よりもそういうのは慣れてるから、そういう忠告もいらないから、迷惑なんで。あ、優等生さんにはそーいうの分かんないか。そうだよね、金持ちの世界の話だもんね」
「貴女は……」
「もう良いよ、サクヤさん」
俺はサクヤさんを止める。
もう、ダメだ。相当、良い金持ちを捕まえたのか変な自信に満ち溢れている。
こういう奴には何を言った所で意味はないし、必ずどこかで手痛いしっぺ返しを食らう。
「でも、せっかくケントくんが……」
サクヤさんは俺の顔を悲しそうな顔で言うけれど、俺は首を横に振る。
「今のミナミは何を言っても無駄なんだ。もう、俺たちとは住む世界が違うんだから」
「お? 良く分かってるね、流石はあたしの、も・と・カ・レ」
「だから、ミナミ。俺たちは金輪際、お前とは関わらない。だから、お前も金輪際、俺たちと関わろうとするなよ、分かったな」
「勿論。言われなくてもそうするって。連絡先ももう消してるし。んじゃね、ケントとつまんない優等生さん」
そんな言葉を残し、上機嫌でミナミは去っていく。
その背中を見つめ、俺はとてつもない恐怖心が襲い掛かる。
あいつは今、自分がどれだけ恐ろしい事をしているのか分かっていない、その事実が。
あの車だって、相当の高級車だった。相当の金持ちを相手にしてて、それが本当に安全だと言う保障はあるのか?
俺たちのような学生から撒き上げるのならまだしも、本当にヤバイ奴らを相手にした時……。
俺がそんな事を考えていると、ぎゅっと俺の右手が優しく握られる。
「サクヤさん?」
「……ケントくんはこれで良かったんですか? あんな適当なお別れで」
「良いと思いますよ。それにもう気持ちなんてないですから。ただ……」
「ただ?」
「万が一、ミナミが誤った道に進んだ時、俺たちじゃもう手助けできないのが少し残念って事ですかね。……おかねはおっかねぇ、ですから」
「そう、ですね……」
それでもサクヤさんはぎゅっと俺の手を握ってくれる。
多分、サクヤさん自身はヒロカズに言いたい事を言ったけれど、俺は言えていない、そう思っているのかな。
俺はサクヤさんが握ってくれた手を左手で包み込む。
「大丈夫です。そんな心配そうな顔をしなくても、俺はもうミナミにしてやれる事はない。後はあいつの人生、どうなるかはあいつ次第です。そこに俺たちはもう関係ありません」
「……ヒロカズもですか?」
「うん、そうだと思う。だって、もう、俺たちにはあの二人は関係ないんですもん。だったら、もう何も我慢する必要なんて無いと思います」
そう、我慢する必要は無い。
我慢をする必要は。俺にはもうない。
その時、俺は既に身体が動いていた。ぎゅっと強くサクヤさんを抱きしめていた。
自分でも思考するよりも前に身体が動いていて、驚くけれど。
多分、今なら言えそうな気がした。
「け、ケントくん……?」
「あの、俺ってもうミナミと別れてフリー……なんですよね。その、えっと……さ、最低かもしれないんですけど……その……」
「……はい。私も、そのヒロカズとは別れているので、その……ふ、フリーです……」
あえて自分自身がフリーである事を強調するサクヤさん。
これはつまり、そういう事で良いのだろうか。俺がぎゅっとサクヤさんを強く抱きしめると、サクヤさんもゆったりとした動作で俺の背中に腕を回す。
サクヤさんの温もりを強く感じ、俺は自然と口から気持ちがあふれ出す。
「好きです、サクヤさん。その……お付き合い、してもらえませんか?」
「……はい。勿論です。でも、良いんですか? 貴方はさっき別れたばかりで……気持ち、切り替えられますか?」
「そんなの最初から切り替わってます。ミナミがヒロカズに寝取られて、貴方と出会ってからずっと。だからその……もしかしたら、俺も同じ穴の狢、だったのかもしれないですね」
いつ好きになったのかは分からない。
分からないけれど、ミナミへの気持ちが薄れると同時にサクヤさんへの気持ちがどんどん膨れ上がっていった自覚はある。
だから、形だけを見れば俺はミナミとの関係を続けたまま、サクヤさんに靡きつつあった、アイツ等と同じ人間なのかもしれない。
けれど、サクヤさんはぎゅっと俺を抱きしめ、言う。
「そんな訳ないです。ケントくんはずっと誠実で真っ直ぐ私と向き合ってくれました。何より、貴方が私をヒロカズから守ってくれて……あの時、私はこの人が好きなんだなって思ったんです。貴方にいつまでも守られたい、守ってあげたい、そして、ずっと傍に居たい。そう思ったんです。
だから、良いんです。私はそんな貴方が大好きですから」
俺の胸に顔を預けるサクヤさん。
こんな俺を受け入れてくれる事が嬉しい。
あのクリスマスの日、俺が絶望のどん底に落とされた中で出会った人。
彼女だって真面目で思慮深くて、俺には無い頭の良さがあって、教養もあるし、何より顔だって綺麗なのに、可愛くて。
ミナミと話をした後だって、俺の為に怒ってくれた。
そんな鷺ノ宮サクヤを好きにならない要素なんて何処にもない。
俺は強く強くサクヤさんを抱きしめる。
「んっ……ちょっと苦しいです、ケントくん」
「あ、ごめんなさい。ちょっと絞めすぎましたか。でも、許して下さい、それだけサクヤさんの事が好きなんですから」
「ちょっと、もぅ……ここ、人の往来が多い所ってわ、分かってるんですか?」
「え? あ……」
サクヤさんに言われて思い出す。
そういえば、ここは車の通りも多い道だ。俺がふと周りを見ると、おばさんたちが若いわねぇ、と言わんばかりにニコニコしているし、小さい子たちは何で抱き合っているんだろう、という純粋かつ、疑念の孕んだ眼差しで俺たちを見ている。
これは下手な注目を集めてしまったらしい。と、とにかく、この場所を離れよう。
俺はサクヤさんを離す。
「あ……」
何でちょっと残念そうな顔をするんですか。
俺はサクヤさんの手を引き、裏路地に足を進める。
あまり人通りも無く、ここなら。ゆっくりとした時間が過ごせそう。
サクヤさんもゆっくりと俺に近づき、ぎゅっと抱きつく。
「ここなら、少しくらい……良いですよね」
「……その為に連れて来たんですから」
「……もぅ」
そう言ってから、俺は優しくサクヤさんを抱きしめる。
遠くから聞こえる人々の喧騒が何だか少しずつ遠くなっていく感覚を覚える。
そう、まるで二人だけの世界に入り込んだような、そんな感覚。
俺はぎゅっと強くサクヤさんを抱きしめたまま、呟く。
「好きです、サクヤさん」
「私も、好きです。ケントくん」
それからどちらからと言わず離れ、互いに見つめ合う。
トクン、トクンと心臓が高鳴るのを感じ、何だか顔が熱くなってくるのを感じる。
それはサクヤさんも同じなのか、顔を真っ赤にしている。
「あ、あの……ケントくん。その、わ、私、は、初めてで……」
「じ、実は俺も、そ、そうなんですよ……あはは……」
残念なのか、僥倖なのか、俺はミナミと恋人らしい事、というのをした事が無い。
つまり、ファーストキスがまだなのだ。それはサクヤさんも同じようで、ずっとモジモジしている。
しかし、雰囲気がしろと言っているし、何よりも今、俺がサクヤさんにキスしたい。
俺はサクヤさんの頬に手を添える。
「あ……」
サクヤさんがされる事を理解したのか、ゆっくりと目を閉じ、顔を少しだけ上げる。
それから俺はゆっくりと顔を近づけ、サクヤさんの唇にキスをした。
サクヤさんの唇はとても柔らかくて、優しくて、暖かくて。
俺の心はとてつもない幸福感でいっぱいになった。
こうして、俺はサクヤさんと恋人関係になった――。
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