第12話 ムッツリ

「あのケントくん。少し良いですか?」

「何でしょうか? サクヤさん」


 新年を迎え、もうすぐ学校の始まる始業式を迎えたとある日。

 いつも通りと言わんばかりに図書館内にあるカフェテリアでお茶をしていたサクヤさんが唐突に口を開く。


「いつもここに来てばかりなんですけど……ミナミさんの方は……」

「返事なし!! 電話も出ない!! 家にも帰ってない!!! そうですよ」

「完全に手詰まりですね……」


 あれからミナミとケジメを付ける為に連絡をしたり、ご両親にも話をしたりしているが、どうやら最近は外出ばかりしていて、両親としても心配しているという話を聞いた。

 何とか接触を試みようとはしているのだが、どうにも上手く行かない。

 俺はふぅ、と一つ息を吐く。


「こんなんじゃケジメを付ける事も出来やしない……はぁ、実質詰みですね」

「そうですか……」


 何だか少しだけしょんぼりするサクヤさん。

 しかし、すぐにハっとなり、こほんと一つ咳払いをした。


「いえ、何でもありません。でしたら、ここでじっとしているのもしょうがないですし、ケントくんの行きたい所に行きませんか?」

「俺の行きたい所ですか?」


 俺が首を傾げると、サクヤさんは小さく頷き、ふわっと優しく笑う。


「はい。いつも私の行きたい所ばかりでしたので。今回は是非ともケントくんの行きたい所に行こうかなと思いまして」

「なるほど……」


 確かにサクヤさんの言う事には一理あるかもしれない。

 これまでデートと言えば、サクヤさんの行きたい場所がメインだった。

 サクヤさんはぽっと、頬を赤らめながら本で顔を半分隠しながら言う。


「そ、それに……ケントくんの事、もっと知りたいので……」

「そ、そうですか。それは嬉しいですね。では、行きましょうか」

「はい!!」


 そうして、俺がサクヤさんを連れて向かった場所。それは――。


 カシャン、カシャンとトレーニング器具の音が響き渡り、人々が汗を流し、己の肉体を鍛え上げる場所。そう、トレーニングジムである。

 俺はトレーニングウェアに着替え、待っていると、サクヤさんも姿を見せる。


「あ、あの……こ、こんな感じで良いんですか?」

「お? 良いですね。そんな感じです」


 俺はサクヤさんのトレーニングウェア姿を見て、大きく頷く。

 普段、サクヤさんは厚着だ。ストールをいつも巻いているし、ロングスカート。

 しかし、今はどうだろう。

 トレーニングウェアとは薄着だ。つまり、サクヤさんのボディラインがしっかりと見える。


 ……俺の視線は思わず胸に吸い込まれていく。


 え? でっか……。


 普段、ゆとりのある服で隠れていたから分からなかったけれど、これは推定F……いや、G? 胸に関しては良く分からないが、グラビアアイドル並にある。

 サクヤさんは普段掛けている黒縁眼鏡も外し、恥ずかしそうにモジモジとしている。


「あ、あの……こんな薄着でやるんですか?」

「一応、ジャージは着てるじゃないですか」

「足元が不安なんです」

「スパッツみたいなもんですよ? 大丈夫ですって、着こなしはばっちりですから」

「そ、そうですけど……な、何か周りの視線が……」


 と、そこで気付く。

 周りの男共がチラッチラっとサクヤさんの胸をチラ見している事に。

 は? 何見てんだよ……。

 俺はそんな事をしている不届き者共に殺意の込めた眼差しを送る。決してサクヤさんには感づかれないように。

 身体のラインが出てるからって見てんじゃねぇよ……。このおっぱいはな、俺のもんだ。

 

「これで大丈夫です」

「え? 何かしたんですか?」

「何もしてませんよ? さあ、早速始めましょう。まずは……簡単なものから。ランニングマシーン!!」


 俺はサクヤさんの手を引き、ランニングマシーンの前に到着する。

 サクヤさんは動物園での出来事から運動不足だという事は分かっている。

 まず、何よりも必要なのはサクヤさんには走る所からだ。


「さあ、サクヤさん。乗ってみましょう。まずは歩くところから」

「は、はい!!」

「行きますよ~」


 俺はランニングマシーンを操作してサクヤさんが歩けるくらいの速度にする。

 ウイーン、という駆動音を響かせながら、ランニングマシーンが動き始め、サクヤさんも歩き出す。


「こ、これくらいなら大丈夫です」

「じゃあ、ジョギングくらいにしますね」

「は、はい!!」


 少しばかり速度を上げ、ジョギングにする。

 すると、サクヤさんもジョギングくらいのペースで走るんだが――。


 ぽよん、ぽよん。

 ぽよん、ぽよん。


 ……エロくね?

 いや、本当に待って欲しい。エロすぎる。

 サクヤさんの胸がぽよぽよ、揺れているんだ。

 暴れん坊なんだ、サクヤさんのおっぱいが。


「ふっ……はぁ……はぁ……す、すとっぷです……」

「あ、わ、分かりましたって……あの、サクヤさん?」


 あれ? 今、どれくらい経った?

 俺はランニングマシーンに付いている駆動時間を見る。

 その間、僅かに30秒。既にサクヤさんは息絶え絶えで、膝に手を付いている。


「ちょ、ちょっと、待って……下さいね……はぁ……はぁ……」

「サクヤさん? 体育の成績は?」

「……5です」

「嘘ですね。正直に言って下さい。体育の成績は?」

「……3です」

「嘘ですね、まだ、嘘吐いてます」

「う、嘘じゃないですよ!!」


 いんや、絶対に嘘だ!!

 その運動神経で3だったら、それはもう保健体育が滅茶苦茶優れてる……。

 保健体育、だと? 俺の脳みそ小学生が、頭の中で変な変換が行われる。

 運動神経が悪くて体育が低い。けれど、保健体育でそれをカバーする。


 つまりは、エロって事だ。


「……なるほど、サクヤさんは保健体育で稼いでいたんですね」

「そうです……運動はダメですけど……そっちで、何とか……」


 呼吸を整えながら言うが、俺はすぐさまキラーパスを投げ飛ばす。


「つまり、サクヤさんはえっちって事ですね」

「へ!? っ!? な、何でそういう事になるんですか!!」

「え? だって、そうじゃありません? 保健体育が詳しい女の子って何かムッツリっていうか……」

「そ、そういう頭をしてるケントくんがムッツリなんじゃないですか!!」

「は? 男子は皆、スケベなんだが?」

「あ、開き直りましたね……」


 しかし、これは真理だ。

 男子たるものスケベであれ、と言われるくらいには男子というのはスケベである。

 エロと男子は切っては切れない親友みたいなものだ。

 サクヤさんは呼吸がようやく落ち着いてきたのか、一つ息を吐き、ぷいっと俺から視線を外す。


「私は普通です。出来ない所を出来る所でカバーしただけです。べ、別にえっちでも、ムッツリでもありませんから!! 失礼です、ケントくんは」


 どうやら、サクヤさんのへそを曲げてしまったらしい。

 俺は素直に謝罪する。


「ごめんなさい、ちょっと言いすぎましたね」

「本当です。私じゃなかったら、セクハラですよ? セクハラ。気を付けて下さい」

「は~い。じゃあ、サクヤさんは少し休んでて下さい。俺はちょっとバーベルでもやるんで」

「あ、見たいです。バーベル」

「分かりました」


 俺はサクヤさんを連れて、バーベルのある場所へと向かう。

 そこでいつも使っている重りに変えてから、声を掛ける。


「じゃあ、サクヤさん。危ないので、少し離れて見ていて下さい」

「は、はい!!」


 じーっとサクヤさんは興味深く俺の様子を見ている。

 俺はいつも通り、寝転がって両手でしっかりとバーベルの棒を握り締める。

 それから気合を入れ、何度も上下させる。腕の力と背中の力を上手く利用しながら、何度も何度も、上下運動をさせていく。


「ふっ……ふっ……」


 しっかりと呼吸をしながら、上下運動を続けていくのだが、サクヤさんの声が聞こえてくる。


「け、ケントくん……き、筋肉が……ゴクリ……」

「う、うわあ……こ、この前抱きしめてもらったけど、あの肉体で包まれたんだよね……」

「……すごいなぁ……ああいうの、私の好みなのかな……全然、目が離せない……ゴクッ……」


 何か凄いブツブツとした独り言が聞こえてくる。

 しかも、時々生唾飲み込んでるし。俺は一旦、バーベルを置いて、サクヤさんを見る。


「サクヤさん? 大丈夫ですか?」

「へ!? あ、え!? な、何でもないですよ!?」

「…………」


 そう言いながらも、サクヤさんの目線はチラチラと俺の筋肉に向かっている。

 今、ちょうど利用したからか筋肉も張っているし、俺は尋ねる。


「触ってみますか? 筋肉」

「え? い、良いんですか……」

「はい。どうぞ」


 俺は腕で力こぶを作る。すると、サクヤさんはゆっくりと俺に近づき、上腕二頭筋に触れる。


「わっ……か、カチカチ……」

「でしょう? これも日々、鍛え上げた成果……」

「……これがケントくんの筋肉。凄く……硬くて……おっきい……」


 それはエロの言い方なのよ。

 やっぱり、サクヤさんはムッツリじゃないか。

 ペタペタ、モミモミ、サクヤさんは一心不乱に俺の筋肉を触り続ける。

 その目は何だか据わっていて、少し怖い。


「これがケントくんの……これで……まれたら……どうなっちゃうんだろ……」

「さ、サクヤさぁ~ん、大丈夫ですか?」

「ふえ!? え? あ、だ、大丈夫です、はい。ご、ごめんなさい……」

「筋肉、好きなんですか?」


 俺が尋ねると、サクヤさんは目を見開き、しどろもどろになる。


「え、えっと、あの……き、筋肉が好きなんじゃなくて……君の筋肉が好きっていうか……えっと、その……」

「ムッツリですね」

「む、むむむ、ムッツリじゃないです!! ち、違いますからね!! 絶対、絶対に違いますからね!!」


 俺にぐいぐいっと顔を近づけて、絶対に違うと言い続ける鷺ノ宮さん。

 その顔は真っ赤で、耳まで赤くなっていた。

 何だかそれがとても可愛らしくて、俺は思わず笑ってしまう。


「はいはい、分かりましたから。大丈夫ですよ、俺もサクヤさんのおっぱい、好きですから」

「そ、そういう事じゃありませんから!! むっつり!!」








「どうでしたか? サクヤさん」

「……明日は筋肉痛だと思います」

「それはやっぱり日々の運動不足ですね。これからは運動しましょう。俺と一緒に」

「善処します……」


 とぼとぼと疲れ切った様子で歩くサクヤさん。

 あれから、サクヤさんも自分なりに出来る事をやりたいという事で、俺はずっとトレーニングのサポートをしていた。

 サクヤさんは確かに体力は皆無だし、運動神経という神経は無いに等しい。

 けれど、そのひたむきさで努力を続けてくれた。こういう人だとやっぱり、応援したくなる。

 

「俺、嬉しいです。サクヤさんが苦手な事に挑戦してくれて」

「当たり前じゃないですか。だって、ケントくんの事なんですから。私はケントくんの事、ちゃんと知りたいんです。性格の事は色々と知ってきたので、今度は趣味とかそういうので、共有できたら、楽しいじゃないですか」

「確かに。サクヤさんの運動不足解消にもなりますしね」

「そ、それは……そうですね」


 サクヤさんが戸惑いがちに答えると、ちょうど俺とサクヤさんが歩く道の目の前に車が止まる。

 その後部座席が開き、一人の女性が姿を見せた。


「ありがとうございます。また、誘ってくださ~い☆」

「あれは……ケントくん」

「ああ、ようやく見つけたぜ。ミナミ!!」


 俺が声を掛けた時、車が走り去って行く。

 俺の声に気が付いたのか、ミナミはん? とこっちに顔を向け、ゲっ、みたいな険しい顔をする。


「ケント……」


 そう、車から出てきたのは俺の彼女――難波ミナミだった。

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