第8話 ヒロカズの失策

「……ヒロカズ、さん」

「ちょっと、ちょっと、サクヤ。これ、どういう事?」


 俺は目の前に居る金髪の男――ヒロカズが鷺ノ宮さんに近づくのを見つめる。

 こいつが、鷺ノ宮さんの彼氏。

 俺はそっと隣に居る鷺ノ宮さんを見て、驚く。

 鷺ノ宮さんは目を見開き、何処か顔を引きつらせている。


 え? どういう事だ?


 何で恐怖の感情を浮かべてる?

 ヒロカズは鷺ノ宮さんの前に立ち、じっと強く睨み付ける。


「何で、ほかの男と居る訳? 答えてくれる?」

「……貴方が最初に賽を投げたのでしょう? クリスマスの日、貴方は違う女性に手を出していた、違いますか?」


 毅然とした態度で鷺ノ宮さんはヒロカズを真っ直ぐ見据える。

 でも、足が震えているように見えた。

 それはこんな事をしている負い目か、それともヒロカズという男に対する恐怖心か。

 俺にはそれが分からないけれど、今は静観するしかない。

 こればかりは鷺ノ宮さんとヒロカズの問題だ。


 もしも、万が一――。


 それが起きた時。俺が全力で鷺ノ宮さんを守ればいい。

 今はまだ――我慢の時だ。

 ヒロカズはチラっと俺を見て、口を開く。


「そんな事、する訳ないだろ? 俺はサクヤ一筋だぜ? な? だからよ、何で浮気なんかしてんだ?」

「浮気? 先にしたのはそちらでしょう? 難波ミナミ。貴方が引っ掛けた女性ですよね?」

「……あの女、喋ったか? チッ、めんどくせぇな……」


 ヒロカズは舌打ちをして、露骨に態度が悪くなり、俺を睨み付ける。


「なぁ、兄ちゃん。アンタ、何、人の女に手を出してんだ?」

「……アンタが話すのは俺じゃない。そっちだ」

「あ?」

「もう一度、言う。アンタが話すのは俺じゃない。鷺ノ宮さんだ」

「めんどくせぇな……おい、サクヤ。とっとと行くぞ」


 そう言いながら、ヒロカズが歩き出そうとするが、鷺ノ宮さんは一歩も動かない。

 その違和感に気付いたのか、ヒロカズは怪訝な顔で鷺ノ宮さんを見た。


「おい、何してるんだ? 俺の相手、してくれよ」

「ふざけた事を言わないで下さい。私は貴方とお付き合いを継続するつもりなんてありませんから」

「……どういう事だ?」

「簡単な話です。難波ミナミと浮気するような人とお付き合いする事は出来ません。二度と、私に連絡してこないで下さい。二度と、私の前に姿を現さないで下さい。目障りです」


 あの……鷺ノ宮さん。

 キャラ、違いすぎませんか?

 でも、俺は分かってしまった。鷺ノ宮さんの声が震えている事に。手も足も震えてる。

 それでも必死に鷺ノ宮さんはケジメを付けようとしている。

 自分なりに恋愛で終わりを迎えようとしている。


 けれど、ヒロカズは眉間に皺を寄せる。


「おいおい、何言ってんだよ、サクヤ……浮気をしたって証拠はあるのかよ? ていうかさ、お前、いつからそんなに偉くなった訳?」


 ヒロカズの雰囲気が一変した。

 ほの暗い物を感じる、これは万が一かもしれない。

 ヒロカズがかつかつ、と足音を響かせながら、鷺ノ宮さんに近づき、手を伸ばす。

 その手に、とてつもない嫌な予感を俺は覚える。これは――良くない。

 そんな魔の手で鷺ノ宮さんに触れようとした瞬間。


 俺は手を伸ばし、ヒロカズの腕を掴む。


「あ? 何、お前」

「今、何しようとした?」

「おいおい……浮気した男が何、間に入ってこないで貰える? こっちの話なんだけど?」

「それは殴ろうとした奴に言われたくないな。色男」

「……あ?」


 俺の挑発するような物言いに苛立ちを隠さないヒロカズ。

 良し良し、それで良い。

 出来るだけヘイトをこっちに向けろ。鷺ノ宮さんは言いたい事をちゃんと言ったんだ。

 だったら、後は出来るだけ怖い思いをさせない事だ。


「今の手の動きは完全に殴ろうとしてたよな? 鷺ノ宮さんをさ。それはダメだ。やっちゃいけない。世の中、男は女を殴っちゃいけないって相場が決まってるんだよ。だから、やめろ」

「……何? 人の女取っといて説教? は? うざいな、お前」

「それを君が言う? 面白い冗談だ。でも、鷺ノ宮さんはずっと君を信じてたよ? 君がホテルばかりに行くような男じゃないって。女を性処理か何かの道具じゃないって。それを裏切ってたのは君じゃないのかな?」

「は? 意味分からん。お前、何言ってんの? お前だって同じ目的だろ?」


 ヒロカズの言葉に俺は疑問を浮かべる?

 同じ目的? そんな訳――。


「そんな訳、ない……。そんな訳ない!! 中田くんは貴方とは違うの!! 貴方みたいな人間とは全然……違う!! その人を馬鹿にしないで!!」

「……あ~あ、ホント腹立つな。お前」


 ヒロカズは俺の手を振り払おうとするのを俺はぎゅっと強く握る。

 決して動かせないように。


「離せ」

「離さない。今、この手を離せば、お前は鷺ノ宮さんに手を出すだろ? そういう雰囲気だ」

「……離せ」


 苛立ちを全く隠す事無く、ヒロカズは俺を睨み付ける。

 でも、俺は全く怯まない。どうしてか? こんな奴にビビる方がおかしいからだ。


「離さないって言ってるだろ? だったら、振り払えよ。男ならそのくらいできるだろ?」

「あ……」


 ヒロカズは腕を動かそうとするが、全く動かない。

 当たり前だ。俺の腕力をなめないでほしい。


「離せ」

「離さないって言ってるだろ? 同じ事、何回も言わせるな」


 俺はヒロカズの手を掴んだまま、睨み付ける。

 こいつを動かしたら、間違いなく鷺ノ宮さんに危害が加わる。

 俺はヒロカズを睨んだまま口を開く。


「鷺ノ宮さんは君と別れる事を望んでる。君と関わる事も拒絶しているそうだ。一人の男ならそれを堂々と受け入れたらどうだ? 君はそれだけ、彼女を傷つけたんだ」

「傷つけた? ふざけんじゃねぇよ、何の証拠があってそんな事を言ってんだ? そもそも、てめぇこそクズじゃねぇか。俺の女に手ぇ出して、誑かしてよぉ!!」

「そっちこそふざけた事を言うな。君が鷺ノ宮さんと向き合わなかった事が原因だろ? 鷺ノ宮さんは君を信じて、寄り添おうとしていたのを、君が全部振り払ったんだろ? 不義理って形で」


 鷺ノ宮さんは言った。

 私は彼を信じたかったと。ホテルにばかり行く彼じゃなくて、彼の良心を信じたいと。

 でも、それを裏切ったのは間違いなく彼だ。

 それは――鷺ノ宮さんのほんの僅かに残された心を踏みにじる行為に他ならない。


「だから、君が鷺ノ宮さんと関係を戻す事はありえないし、君が鷺ノ宮さんと関係を取り戻す事も無い。これ以上、君が鷺ノ宮さんに手を出すなら、俺は君を警察に突き出す」

「あ……? はは、おもしれぇこと言うなぁ!! だったら、やってみろよ!!」


 そんな声と同時にヒロカズは俺の右足めがけて、思い切り蹴りを放つ。

 俺の右足に鋭い痛みが走るが、俺は立ったまま。腹立たしげにヒロカズは何度も俺の脚を蹴る。


「離せって言ってんだろ!!」

「や、やめて!!」

「おい!! さっさと離せって言ってんだろ!!」


 ヒロカズは何度も何度も俺の脚を蹴るが、俺はビクともしない。

 ビリビリ、と足は痛むが、それでもまだ立てない程じゃない。

 俺は痛みを吐き出すように一つ息を吐き、口を開く。


「離さないって言ってるだろ? 離して欲しかったら、今すぐここで鷺ノ宮さんに言え。金輪際、二度と関わらないって。それが鷺ノ宮さんの望みだ」

「てめぇ……」


 俺は思いきりヒロカズの掴んでいる手に力を込める。

 すると、ヒロカズが眉間に皺を寄せる。

 それから俺は気付く。周りに人が集まってきている事に。

 そりゃそうか。

 こんな道の往来で揉め事を起こせば、皆の注目を集める。

 そして、そうなると起こるのは。カメラをこっちに向けてくる行為。

 多分、さっき、俺を蹴っていた映像も撮ってるだろう。

 俺はヒロカズの耳元で囁く。


「このネット社会、さっきの映像が何処かで撮られてるかもしれない。それが拡散されたら色々とまずいのは君だと思うよ? 俺はただ君から鷺ノ宮さんを守っただけ。でも、君は俺の足を何回も蹴り付けたよね? 世の中は基本的に殴った奴が悪だ。どんな理由があれ、暴力は悪になる」

「てめ……」

「だから、今すぐ鷺ノ宮さんの連絡先を消して、彼女と金輪際関わるな」


 俺の言葉にヒロカズが舌打ちをしながらもスマホを操作し、俺の目の前で鷺ノ宮さんの連絡先を消す。それから俺が手を離すと、一つ唾を吐いてから、去っていく。

 やっと終わったか。僕が安堵の息を漏らすと、鷺ノ宮さんが近づいてくる。


「な、中田くん!? あ、足は大丈夫!?」

「だ、大丈夫、大丈夫。ちょっと蹴られたくらいだから」


 俺はそう言いながら、さっきカメラを向けていた人を見る。

 その人は何やら熱心にスマホを操作している。思い切り、拡散するつもりじゃないか。

 俺はすぐにスマホを確認する。SNSに上げられてるか?

 最新の欄からSNSを確認すると、やはり、動画は撮られていたらしいが――。


 これはこれで、アリか?


 その投稿主、恐らくはさっきの人だろうが、俺と鷺ノ宮さんの顔には滅茶苦茶濃いモザイクが入れられているし、声も編集している。もしかして、動画を作ってる人か?

 俺の行動を賞賛するコメントが書かれている。


 『彼女を暴漢から守る』だってさ。


 こういうのは本来褒められる行為ではないし、咎めるべきではあるが……。

 俺は一つ息を吐く。どうでもいいか。とりあえずの目的は達成したんだし。


「鷺ノ宮さん、ここを少し離れましょう」

「あ、は、はい!!」


 俺と鷺ノ宮さんは一旦ここから離れ、わき道に逸れた場所に身を隠す。

 すると、鷺ノ宮さんが涙目でこっちを見つめる。


「中田くん、足、本当に……」

「大丈夫ですから。でも、良かったです。鷺ノ宮さんに何ともなくて。あいつ、本気で鷺ノ宮さん、殴ろうとしてたから」

「……本当にありがとう」

「本音を言うとですね、ぶっ飛ばしてやりたかったですよ。あんな酷い事を言う奴なんて!! 鷺ノ宮さんの気持ちだって踏みにじって!! でも、そんな事をしたら、鷺ノ宮さんに嫌われるかなって」

「中田くん……」

「どんな理由があれ暴力はダメですから」


 本音を言うのなら、俺はぶっ飛ばしてやりたかった。

 あんな女に手を上げようとするクズ男を。思いきり、グーで。

 でも、そんな事をしたら。鷺ノ宮さんは一つ鼻を啜る。

 それからぎゅっと、俺に抱きついた。


 え? な、何!?


 俺が困惑していると、ぎゅっと強く鷺ノ宮さんが抱きしめてくる。

 全身に暖かなぬくもりを感じる。


「中田くんは立派です。それに私をちゃんと守ってもくれました。こんなに嬉しい事はありません」

「……だって、鷺ノ宮さん凄く怖がってたから。絶対に何が何でも守らないとって……アハハ、その、力になれたら良かったです」

「私は中田くんが隣に居たから、力が出たんです。中田くんが居たから……でも……本当に良かった……」

「ごめんなさい、怖い思いをさせてしまって」

「……良いんです。でも、もう少しこのままで居させて下さい。怖いので」

「……分かりました」


 その後、俺はしばしの間、鷺ノ宮さんの温もりを堪能していた。


 

 その裏で――。


 この時、投稿されていた動画がゆっくりとゆっくりとバズり始めていたのを俺はまだ知らない――。

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