第7話 鷺ノ宮 サクヤ

「ちょっと早めに着いちゃったか」


 俺はスマホの画面に映る時計を見つめる。

 待ち合わせ時刻よりも10分ほど早い。

 今日は昨日話していた鷺ノ宮さんとのデートだ。

 昨日は楽しみでほとんど眠る事が出来なかった。初めての経験だった。

 俺にとってデートというのは財布がやせ細ってしまう悲しきイベント、という認識だったから、こんなデートが楽しみで眠れなくなるなんて経験は初めてだった。


「あ、中田くん。もう来ていたんですか?」

「鷺ノ宮さん、おはようございます」

「おはようございます」


 一分も待たない間に鷺ノ宮さんが姿を見せる。

 鷺ノ宮さんの服装はまた少し変わっていた。黒縁眼鏡は変わらないが、目元や口元には化粧をしているのか、前に見たクリスマスの時と似た雰囲気を感じる。

 服装もパンツスタイルなカシュアルな感じであり、昨日のロングスカートと違って、動きやすい格好だ。それに手には少しばかり大きめな鞄を持っている。

 ん~、その出で立ちから推測するに、何処かレジャー施設にでも行くのだろうか。

 しかし、そんな事の前に俺は鷺ノ宮さんに手を差し伸べる。


「荷物、持ちましょうか?」

「……え? いいですよ。大丈夫です」

「ダメです。荷物は男が持ちますから。それにちょっと重そうですよ?」


 さっきから鷺ノ宮さんの腕がプルプルと震えているように見える。

 鷺ノ宮さんはあはは、と乾いた笑みを浮かべる。


「えっと……だ、大丈夫ですよ」

「でも、腕震えてますよ? そんなに重いんですか?」

「あ、いえ……一般的にはそういう訳ではないと思います。その……私の運動不足で……」

「だったら、尚の事、持ちますよ。こう見えても、腕力には自信ありますから」


 俺は両腕を上に上げ、力こぶを見せるように力を入れる。

 まぁ、上着を着ているせいで良くは見えないだろうけど……。

 しかし、腕力に自信があるのは事実だ。俺はこう見えても、日々トレーニングを欠かしていない。そうじゃなければ、いざ、という時に女性を守れないから。

 鷺ノ宮さんは申し訳なさそうに笑みを浮かべてから、鞄を差し出す。


「で、では、お言葉に甘えてもいいですか?」

「はい。任せて下さい!!」


 俺は鷺ノ宮さんから鞄を受け取る。

 ん~……全く重くない……。むしろ、普通の女性ならば当たり前のように持つくらい……。

 もしかして、鷺ノ宮さんは虚弱体質なのだろうか。

 俺は鷺ノ宮さんを見ると、鷺ノ宮さんは俺から視線を逸らす。


「……少し、運動した方がいいかもしれません」

「ぜ、善処はします……んんっ!! そ、そうではなくて!! ほ、ほら、行きますよ!!」

「あ、鷺ノ宮さん。先に行こうとしないで下さい。それ、悪い癖ですよ」


 鷺ノ宮さんが逃げようとしたのを俺は声で止める。

 それは前まであのヒロカズという男と付き合っている時にやろうとしていた事じゃないか。

 それに気付いたのか、鷺ノ宮さんは振り返り、俺の隣に立つ。


「……ごめんなさい。つい」

「大丈夫です。それで? 何処に行くんですか?」

「はい。それはですね――」



 と、言いながら、俺が鷺ノ宮さんに連れて行かれた場所。それは――。




「見て下さい!! 中田くん!! ライオンさんです!!」

「……寝てますね」


 動物園だった。

 それもこの辺りで一番大きな動物園。

 ここには俺も来た事があった。でも、それは幼稚園くらいの記憶。

 鷺ノ宮さんはその動物園に入るや否や、子供のように目輝かせ、動物たちを見て回る。

 因みに今は百獣の王ライオンを前に鷺ノ宮さんがキラキラと羨望の眼差しで見つめている。


「はぁ……良いですよね、百獣の王……貫禄があります……」

「百獣の王、分かります。俺も強さにはあこがれますから」

「因みにライオンさんはそこまで強くないです」

「え!? そうなの!?」


 何……だと……。

 百獣の王なんだから、最強に決まってるじゃないか。

 お、俺は認めん……認めんぞ……!!


「百獣の王なんだから、最強だろ!! 俺は認めないぞ……」

「詳しい起源は分かりませんが……オス一頭で群れのメスたちを率いるその姿が国を守る王のイメージと重なって見えた事が要因だと考えられているんです。ライオンさんは普通にカバさんやサイさんに負ける事もありますから」

「……ただのハーレムじゃないか!! おかしいだろ!! 見損なったぞ!! 百獣の王!!」


 百獣の王が嫌いな男の子は居ないのに!!

 幻想が今、破壊された!! 俺はライオンに向けて怨嗟の眼差しを向けるが、動物園に居るライオンは暢気に欠伸をし、くたびれた様子で寝ている。

 これが……百獣の王の姿か?


「昔のイメージはもっと強そうだったのに……くっ!! 王よ、どうされてしまったのですか!! 貴方はメスをはべらせて、それで満足なのですか……!! 王よ!!」

「中田くんは臣下か何かなんですか? ……忠犬ケント……忠ケント……ふふ……」

「……今、滅茶苦茶くだらない事、考えてませんか?」

「か、考えて無いですよ? ほら、次!! 次行きましょう!!」


 俺は鷺ノ宮さんに連れられるがままに動物たちを見て行く。

 鷺ノ宮さん、ずっと楽しそうだった。時々、動物に関するうんちくを言いながら、場所も全部把握しているのか、スムーズに案内してくれる。

 昔、幼稚園の頃は動物かっけー!! くらいの感覚で見ていたが、今は何だか勉強になるし。何より、鷺ノ宮さんが可愛い。


「見て下さい、中田くん!! レッサーパンダさんです。うはぁ……か、かわいい……」


 連れて行かれたレッサーパンダの所で鷺ノ宮さんの顔はとろけている。

 因みにレッサーパンダの可愛さにやられているのは何も鷺ノ宮さんだけではない。

 周りに居る人々もレッサーパンダに釘付けだ。

 

「はぁ……撫でたい、触りたい……もふりたい……」


 確かに。毛がもふもふしていそうで、触ったら心地よさそう。

 すると、一匹のレッサーパンダが他のレッサーパンダに向けて立ち上がる。

 その瞬間、鷺ノ宮さんの身体が震える。


「はぁあああああッ!? かわいい!! 写真を撮らなくちゃ!!」


 スマホのカメラ機能で連写する鷺ノ宮さん。

 その顔は完全にレッサーパンダのかわいさにやられ、蕩けている。

 なので、俺はカメラを鷺ノ宮さんに向けて、撮影する。

 こんな鷺ノ宮さん、初めて見た。ウケル、撮っとこう。

 

 カシャカシャカシャカシャ!!


 音で気付いたのか、鷺ノ宮さんがこっちを向いた。ちょうどカメラ目線になる。


「……あの、中田くん?」

「はい?」

「誰を撮ってるんですか?」

「レッサーパンダに蕩け切ってる鷺ノ宮さん(17)」

「け、消して下さい!! 今すぐに!!」

「え? 何でですか? ほら、かわいいですよ」


 俺はさっき撮影した鷺ノ宮さんの写真を見せる。

 いつもは涼しげで清楚な顔立ちがレッサーパンダの魔力でトロトロに蕩けている鷺ノ宮さん。

 それを見た瞬間、鷺ノ宮さんは顔を真っ赤にし、叫ぶ。


「け、消して下さい!! だ、ダメです!! その顔はぁ!!」

「ダメって、滅茶苦茶可愛いですよ? これ」

「か、可愛くないです!! け、消してくださああああい!!」


 なんて事がありながらも、動物園を巡り。お昼ごろ。

 俺と鷺ノ宮さんは動物園内にある休憩スペースに居た。

 鷺ノ宮さんはぷくーっと頬を膨らまし、俺を恨めしげに見つめる。


「盗撮は犯罪です」

「くっ……一枚くらい残したかった……」

「……ふ、ふん!! い、良いんですか? そんな事を言って!!」

「? どういう事ですか?」


 俺が首を傾げると、鷺ノ宮さんがずっと俺が持っていた鞄の中から大きめの箱を二つ程取り出す。それを見て、俺は気付く。

 ま、まさか……これは……。


「せ、せっかく、な、中田くんの為にお昼ご飯作ってきたのに。あ~あ、そんないじわるな人にはあげません。私が全部、食べちゃいます」

「ちょ、ちょっと待って下さい!! それは話が違います。え? お弁当作ってきたんですか!?」


 な、何だと!? その嬉しいイベントは!?

 

「そ、そうですけど。中田くんがいじわるなのであげません」

「ちょ、ホント、すいませんでした。写真の事は忘れるので、お弁当食べさせて下さい、お願いします」

「……お手」

「わん。って、なにやらすんですか!!」


 あ、つい……。

 俺は恥ずかしくなって声を荒げると、鷺ノ宮さんは口元を抑え、くすくすと笑う。


「ごめんなさい、つい……分かりました。ちゃんと食べて下さい」

「食べます!! うはあ……楽しみだなぁ~」


 女の子にお弁当を作ってもらったのなんて始めてだ。

 俺がウキウキ気分で待っていると、鷺ノ宮さんはそんな俺の様子を見て、くすくす笑う。


「ふふふ、本当にイヌさんみたい……」


 そんな事を言っていたが、もうこの際鷺ノ宮さんの犬になろうと良い。

 目の前にある鷺ノ宮さんが作ってくれたお弁当を食べられるのなら!!

 鷺ノ宮さんは二つの重箱を開ける。そこには色とりどりのおかずたちとご飯が所狭しと並んでいた。しかも、おかずの種類がとても多い。

 俺はそれを見て、思わず目を輝かせる。


「も、もしかして、鷺ノ宮さんって料理上手なんですか?」

「ま、まぁ……母から教えてもらってるので。お口に合えば良いんですけど……」

「い、良いですか!?」

「はい、どうぞ」


 俺は鷺ノ宮さんから箸を受け取り、卵焼きを取り、口に運ぶ。

 口いっぱいに卵の美味しさと甘みが広がると同時にふんわりとした柔らかな食感を感じる。

 味も鷺ノ宮さんを現すかのように優しくて……滅茶苦茶旨い。


「お、美味しい!! 鷺ノ宮さん、俺、滅茶苦茶好みです!!」

「そ、それは良かったです」


 ほっと胸を撫で下ろす鷺ノ宮さん。

 俺は鷺ノ宮さんが作ってくれたお弁当を食べられるだけ、腹に詰め込む。

 こんな機会は無い!! 何だよ、彼氏の奴!! こんな素敵な料理を食べられないなんて!!

 

「中田くん、いっぱい食べるんですね」

「んっ!? そ、そうですよ!! 俺は人より食べるって時々言われるんです。でも、鷺ノ宮さんの料理が滅茶苦茶美味しいからですよ!!」

「……わ、私はいっぱい食べてくれる人が好きなので、う、嬉しいです」

「そうですか!! じゃあ、また作って下さい!! うはー、毎日くいてぇ!!」


 思った事がそのまま口から出てしまう。

 それくらいにご飯が美味しい!! 鷺ノ宮さんもゆっくりとだが、二人で穏やかな昼食を過ごす。

 


 それから少し休んでの午後。

 俺と鷺ノ宮さんは『ふれあい広場』と呼ばれる場所に足を運んでいた。

 ここはウサギや馬など、温厚な動物たちとのふれあいを楽しめる場所。

 俺はそこで――一匹の馬と対峙していた。


「こうやってあげればいいんですよ、中田くん」


 そう言いながら、意図もたやすく馬ににんじんをあげる鷺ノ宮さん。

 俺も飼育員の方からにんじんは貰っている。

 でも、馬に大きな問題があるのだ。

 馬は鷺ノ宮さんにべったりで離れようともしない。今だって、鷺ノ宮さんの頬をベロベロ舐め回している。尚、鷺ノ宮さんは全く動じていない。強者の風格だ。

 飼育員さんも『コンスタントに来るから顔を覚えちゃったのかな~』なんて暢気な事を言っているのだが、この馬。


 俺を見るや否や、滅茶苦茶、耳を絞る。

 

 まるで、俺の女に近づくな、と言わんばかりに。威嚇してくるのだ。

 俺はふと、馬の紹介を見る。牡馬だ。つまりはオス。


「中田くん、大丈夫ですよ。あはは、くすぐったいです」

「あの……飼育員さん、本当に大丈夫ですか?」

「もしかしたら、男の人を連れてきて嫉妬しちゃってるのかもしれませんね。あげるのはやめたほうがいいと思います」

「ですよね……」


 流石に安全面を考慮してあげない方が良いという結論になった。

 因みに俺の餌は今、鷺ノ宮さんがあげている。


「よしよし。おいしいですか~?」


 旨い、旨い、と言わんばかりににんじんをほおばり、こっちを見つめてくる馬。

 そして、フン、と鼻を鳴らし、鷺ノ宮さんを見る。

 な、何だ……この敗北感は……。


「ふ、ふん!! 良いもんね、俺は鷺ノ宮さんの手料理食べたもん!!」

「……何処で馬と張り合ってるんですか? 中田くん」

「こ、これでか、勝ったと思うなよー!!」

「時々、中田くんって演劇派になりますよね」


 何故だかとてつもない馬に敗北感を与えられたが、俺は動物と戯れる鷺ノ宮さんを見る。

 ずっと楽しそうだった。

 図書館で見ていた鷺ノ宮さんとは全然違う。動物たちと戯れて、笑顔を見せる鷺ノ宮さん。

 あ、と思い、俺はスマホを取り出す。それからシャッター音とフラッシュを切り、馬にひたすら舐められて、楽しげに笑っている鷺ノ宮さんを一枚の写真に収める。


 俺はその写真を見て、思う。

 笑顔がとても素敵な人だなって。いつまでも笑っていて欲しいなって。

 それと同時にもう一つの感情が湧き上がってくる。

 こんな人を泣かせるなんて許せないなって。


「はぁ……満足しました。中田くん? どうしたんですか?」

「いえ。笑顔の鷺ノ宮さんが可愛いなって」

「……さ、さっきから可愛い、可愛い、言いすぎです!!」

「だって、事実ですから」

「……もぅ!!」



 楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので、俺たちは日が沈みかけた頃、すでに動物園を出ていた。

 鷺ノ宮さんはん~っと背筋を伸ばし、口を開く。


「今日はすっごく癒されたし、楽しかったです!! 中田くんはどうでしたか?」

「俺も凄い楽しかったです。いつもと違う視点で動物たちを見れたし、何より鷺ノ宮さんが可愛かった!!」

「も、もー、だから、可愛いは禁止です!! は、恥ずかしいから……」

「そうですか? 事実なのに」

「じ、事実じゃありません!! もぅ……いじわるです」


 ふいっと、鷺ノ宮さんはそっぽを向く。

 それでも俺と鷺ノ宮さんの歩調はピタリと合って乱れない。

 

「でも、本当に楽しかったです。色んな鷺ノ宮さんを見れて。可愛いものに目が無かったり、動物について自慢げに話してたり、動物を愛している姿だったり、どれも新鮮でなんか嬉しかったです」

「私も。中田くんが意外とその、嫉妬深かったり、お茶目だったり、いじわるだったり、やっぱり、イヌっぽかったり、色んな一面が見れて嬉しいですよ?」

「いぬっぽいですか?」

「はい。忠犬って感じです」


 そんな事を言いながら、楽しげに笑う鷺ノ宮さん。

 何というか、鷺ノ宮さんが喜んでくれるのならそれで良いか。

 そんな事を思いながら歩いていた時だった。鷺ノ宮さんの足がピタリと止まる。


「……え?」

「……あれ? サクヤ。こんなところで何してんの?」


 男の声が聞こえた。

 それと同時に俺の脳内にフラッシュバックする。それはクリスマスの夜の光景。

 一瞬、息が詰まる。けれど、すぐに前を向く。


「……ヒロカズ、さん」


 そう、俺と鷺ノ宮さんの目の前に鷺ノ宮さんの彼氏――ヒロカズが居た――。

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