第5話 図書館での再会

 肌寒い師走の空気を切り裂いて、俺はクロスバイクを漕いで行く。

 背中にはリュックサックを背負い、アスファルトの道を激走する。

 時刻は13時前後。

 俺は街にある大図書館へと向かっていた。

 理由は一つ。学生の本分である宿題をやる為だ。

 本当はやる気なんて全く無いし、やりたくもないが、やらなければならない為、いっそ外に出ようと思い、普段は行かない図書館に向かっている。


 赤信号で止まり、俺はポケットの中からスマホを取り出す。


「連絡は無し……何やってんだか……」


 トークアプリを開いて俺は溜息を吐く。

 昨日、再三連絡をしているのだが全く返ってこない。

 これじゃあ、別れ話をしたいのに出来ないじゃないか。

 あれから一日が経ち、ようやく色んな事が頭の中で整理できた。

 自分の中でも折り合いが付いてきたし、何よりも鷺ノ宮さんのおかげでメンタルは大幅に回復している。

 これも全て鷺ノ宮さんのおかげ、ではあるのだが……。

 俺は難波ミナミのトーク内容を見る。

 そう、俺はミナミとの別れ話が一向に出来ていないのだ。

 あんな事があって付き合うなんて事はもう出来ない。それをチャットで伝えるのも個人的には誠意が欠けているし、面と向かって伝えたいので会いたいのだが、全く繋がらない。

 繋がらないまま今日を迎え、音沙汰は全くなし。

 俺は友達欄をスクロールしていく。


 信号は青になる。


 けれど、俺は走り出さない。トークアプリに映し出される名前『鷺ノ宮 サクヤ』を見て、顎に手を当てる。

 昨日からずっと考えている事。

 どうデートに誘えばいいのか、どう話しかけていいのか、そのきっかけがなかなか掴めないで居た。一応、昨日のお礼に関する連絡はした。

 俺はスクロールし、過去のやり取りを見る。


『無事、家に着きました。本日はありがとうございました。また誘って下さい』

『分かりました。また必ず誘います』


 俺の業務的な一文で終わっている。

 一応、既読は付いているので読んでない、という事は無いと思う……思いたい。

 俺は信号が青になった事に気付き、走り出そうとした瞬間。

 パカパカと信号の色が変わろうとする。

 俺はすぐさま横断歩道を渡り、図書館へと向かう道を疾走する。


 しかし、本当にどう誘ったもんか。

 こういう時、恋愛経験の低さが露呈する。

 昔であれば、遊びに行こうぜー!! いいよー、くらいのガキのノリでいけた事もこうした年頃になると難しい。

 これはきっと、俺がそれだけ鷺ノ宮さんを女の人、として見ている事の現われだ。


「はぁ……悩ましいな……」


 図書館にたどり着き、俺はクロスバイクを止める。

 鍵を括り付け、考えながら足を進める。

 やはり、誘うとするのなら、取り繕わずに普通に誘うべきか。

 それに俺と鷺ノ宮さんは何より普通のデートを求めている。

 前の恋人はおかしな人たちだってせいで、その気持ちが強い事も知っている。


 図書館の自動ドアを抜け、暖かな空気に全身が包まれる。

 中は静寂に包まれ、学生たちや老人たちが本を読んだり、自習スペースで勉強していたり、と図書館らしい光景が映る。


「やっぱ、学生たちは宿題だよな」


 俺も高校生。

 きちんと勉強しないと後々大変な事になってしまう。

 俺は自習スペースが空いていないか、フラフラと歩く。

 ちょうど今まで見ていた方向とは真逆の方向へと視線を向けた時。

 真っ黒の艶のある髪をした紺色のストール巻き、黒のロングスカートを履いた低露出な女の子が必死に手を伸ばしていた。

 左手には三冊ほど積まれた本を持ち、右手を必死に伸ばして高い棚にある本を取ろうとしている。

 俺は近くを見た。台はあった。あったが、今、子供たちが本を読む椅子にしてしまっている。

 これはしょうがない。

 俺は出来るだけ静かに歩み寄る。


「ん~……取れない……台があれば……」


 ん? 何か聞き覚えのある優しい声だ。

 しかし、考えるよりも先に本棚の前にたどり着き、女の子の代わりに取る。

 多分、これだ。女の子が取ろうとしていたのは。

 本の背に書かれているのは『恋愛とは駆け引きである』

 この図書館、こんな変な本が置いてあるんだな。


「これですか?」

「あ、ありがとうございま……す……え?」

「……ん? あれ?」


 俺は本を取り、それを差し出した時、顔をようやく認識できた。

 顔の中で一番に目を惹く黒縁眼鏡。前髪は少しばかり目元に掛かっていて、文学少女のような出で立ち。けれど、その奥にある美貌は隠せていないし、その顔にはとてつもなく見覚えがあった。

 女の子――鷺ノ宮さんは顔を赤くし、ささっと後ずさる。


「うええ!? な、中田くん!?」

「さ、鷺ノ宮さん!?」


 一瞬、誰か分からなかった。本当に一瞬だけ。

 俺は昨日の服装を思い出す。昨日は確か、眼鏡は掛けてなかった。髪も綺麗に整えられていたし、目元に掛かる感じもなかった。

 若きOLというか、年上の雰囲気みたいなのを感じていたが……今は何というか同い年に見える。

 鷺ノ宮さんはあわあわ、と慌てた様子で本を持ったまま、たずねる。


「あ、あの……どうしてここに……」

「学校の宿題をやりに来たんです。鷺ノ宮さんは?」

「ここは私は毎日顔を出している場所なので……あ、あんまり顔は見ないで下さい。昨日はその、お化粧とかばっちりだったので、今日はその……」

「あ、すっぴん?」

「い、言わないで下さい!!」


 何だろう、昨日とちょっとキャラが違う気がする。

 昨日は大人の余裕っていうか、そういうのを感じたけど、今は何かオドオドしているというか、気弱そう。小動物的な可愛さがある。


「昨日とは雰囲気が違うので、びっくりですね」

「言ったじゃないですか、昨日はクリスマスの魔法って……も、もう、それは切れたので終わりです」

「あ、そうなんですか……けど、そっちの鷺ノ宮さんも良いですね」

「……やめてください」


 本で顔を隠しながら恥ずかしそうに言う鷺ノ宮さん。

 あれ? 滅茶苦茶可愛いぞ?

 しかし、これ以上からかうのも良くないので、俺は話を変える。


「けど、鷺ノ宮さんは勉強熱心なんですね」

「どういう事ですか?」

「だって、それ。全部、恋に関するものじゃないですか」

「……あ、ち、違います!! こ、これはその……別に中田くんとデートをする時にさ、参考にするとかそういうんじゃなくて……ちょ、ちょっとしたお勉強です」

「え? 俺のために?」


 その発言は俺のためって事じゃないのか?

 心の中で飛び上がる程喜んでいると、鷺ノ宮さんは顔を赤らめ、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりする。


「そ、それは……えっと……い、いじわるです……。クリスマスの魔法は終わったんですから、優しくして下さい」


 あ、やばい。

 滅茶苦茶可愛い。

 ちょっとむくれて、ふてくされて、本で半分顔を隠しながら言うの滅茶苦茶可愛い。

 やばい、好きになる。いや、もう好きになってる、マジで。


「鷺ノ宮さん……滅茶苦茶可愛い……」

「っ!? や、やめてください、もーっ!! 怒りますよ? ペットか何かと勘違いしてませんか?」

「してませんって……。昨日のしっかりしてた鷺ノ宮さんとは全然違うなって。そのギャップに萌えていただけです」

「中田くんがこんなにいじわるだなんて知りませんでした」


 ぷいっとそっぽを向く鷺ノ宮さん。

 けれど、足がそこから動く事は無い。

 鷺ノ宮さんは空気を変える為か、こほんと一つ咳払いをする。


「それで? 中田くんは宿題をやりに来たと言ってましたが、やっぱり学生だったんですね」

「はい、高校二年生です」

「え? 同い年じゃないですか」


 何? 俺は目を見開く。


「あ、そうなんですか。これはまた共通点が……高校は?」

「私は帝台高校です」

「あ、一緒……」

「え? ほ、本当ですか? あ、でも、あの高校はとても広いので会わなくても不思議じゃないですよね……」


 鷺ノ宮さんの言う通りだ。

 俺たちの通う帝台高校はこの辺りでも有名な高等学校だ。

 偏差値自体はそこまで高くは無いものの、とにかく学生数が多く、学部やら、コースやら滅茶苦茶あって、3年間通っていても、同い年で会わない人なんてざらにあると言われるほどのマンモス校。

 だから、俺と鷺ノ宮さんが会っていないというのは何も不思議な話ではない。

 

 しかし、しかしだ。

 これはつまり? 仲良くするチャンスが生まれたという事だ。


「鷺ノ宮さん。あの今って時間大丈夫ですか?」

「はい、全然大丈夫ですよ? 私は休日はいつもここで本を読んでるだけなので……」

「あの……つかぬ事をお聞きますが、勉強の方は……あ、私はオール2でございます」


 ここで一旦、自分のレベルを開示する。

 オール2。これが俺の成績だ。何故、こんなにも成績が低いのか。

 それはバイトばかりをしているからだ。全てはミナミのせい。

 しかし、目の前にいる鷺ノ宮さんは信じられない、と言わんばかりに目を見開く。


「中田くん……大丈夫ですか? その成績で……」

「……先生からはお前は頭が悪いから、愛嬌で生きていけって言われました」

「諦められてるじゃないですか……」


 額に手を当てる鷺ノ宮さん。

 そんなに失望しないで欲しい、俺はまだ舞える。

 鷺ノ宮さんは俺に湿った眼差しを向ける。


「それで、教えて欲しいって事ですか?」

「はい、そうです!! ぜひとも、鷺ノ宮様のお力を……」

「全く、しょうがないですね。私は少なくとも、中田くんよりは成績が良いので教えます」

「あの、因みにどのくらい……」

「オール4、または5と答えておきます」


 神、サギノミヤ・イズ・ゴッド!!

 これはまさかの主席クラス。そりゃそうだ、鷺ノ宮さんは雰囲気からして才気に溢れている淑女。

 これで頭が悪かったら、何か裏切りにあった気持ちになってしまう。

 鷺ノ宮さんはくるっと身体を回転させ、背中を向ける。


「それではいきましょう。時間は有限ですから」

「はい。いやぁ、頭の良い人がいると助かるな~。こんな近くにいて良かった良かった」

「……もう、調子が良いんですから」


 くすっと笑う鷺ノ宮さんの背中を追いかけ、俺は二人きりの勉強会を始めた――。

 

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