疑心

 その日、芦原は足利未来研究所へ赴いた日の夢を見た。紫煙の匂いが香る受付人に自らの名義を伝えると、硬い表情で狭い職場通路に案内される。周りには男の開発者ばかりがコンピュータに向き合っていた。男女比率が偏っている会社だなと芦原は歩きながら感じていた。


 「こちらです」と受付役に言われてから、個室の丸椅子に腰かける。ソファーではなく、丸椅子なのだなと思っていると、一人の男が入ってきた。その男は座っている芦原と同じぐらいの背丈しかない八十代の男だった。


 男は席に座るや否や一枚の紙をコートの内側から取り出した。その紙は、手書きで書かれた胡散臭さ漂う契約書だった。なぜ手書きなのだろうか。そんな疑問が芦原の脳裏によぎる。しかし、断るという選択肢はなかった。なぜなら、五十万円がかかっているからだ。手取り二か月分がこれだけで入るのだから、断る理由はなかった。


 そこで、目が覚めた。

 

 伸びをしながら頭をかく。爪を見ると、皮脂がたまっていた。機能風呂に入らなかった弊害だ。それを認識した芦原はため息をつきながら風呂場へ向かうことにした。

 生ぬるいお湯で体の汚れを落としていく。


 その度に、芦原の脳内に嫌な考えがよぎってしまう。


 もし、ずっとこのまま生きていくとしたらどうなるのだろうか?


 芦原にとって嫌な考えは脳内を侵食し始める。疑心が生み出す悩みは理性をむしばんでいく。何とか平静を保とうとしても、やはり心はぶれてしまう。


 なぜ引き受けてしまったのだろうか。

 

 そんなやりどころのない後悔が、男の心身をむしばんでいく。

 

 パンをむさぼり、部屋の周りを確認し、歯磨きをし、さらに部屋の隅々まで確認する。何か変化が起きていないかと願いながら、ゆっくり頭を動かしていく。


 しかし、変化を見つけることはできなかった。

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