第六十九話:谷家の食卓







            ※※ 69 ※※




「まあまあ、ね。やっぱり男の子は違うわ」


 およそ十五分前後。俺がひたすらね回した大きな団子を指先で突いた灼は弾力だんりょくと混ざり具合ぐあいを確かめて言った。


「拉麺还可以锻炼身体<麺打ちは身体を鍛えることに似ている>って言うぐらいハードな作業なのよ。あんたも少し鍛えた方が良いみたいね」


 軽く肩で息をしている俺を優しい目つきで叱責しっせきした。と、今度は別の方向、居間のソファーに座ってテレビを見ていた母親から素っ気なくも意地悪いじわるな同じ叱責しっせきが飛んできた。


「そうよ。部屋の中で歴史書ばかり読んでないで、前みたいにお父さんの警察署道場で

「あの地獄の特訓は勘弁してくれ」


 容赦ようしゃない鍛錬たんれんを重く暗い気持ちで思い出し、悲鳴の声を上げた。母親は、そんな俺を見て憐憫れんびんの吐息を漏らす。灼はふいに意識をコンロに掛かった鍋に移し、中の煮豚に串を差した。


「うん。よく煮えてる。今回、スープの方は簡単に済ませちゃうわ。さて、と」


 ボールから取り出した大きな団子をまな板の上に乗せ、手の先を油にひたす。


ず、指の腹で表面に油をりながら棒状にばしてく。この際、肩を交互に入れてひねりながら伸ばす。その後にばして等分に切るわ」


 俺の前で「よいしょ、よいしょ」とる灼の姿は、肩よりも、左右にれる上向きの小さなお尻が煽情的せんじょうてきで――しかし、それも束の間。


「なに、ボーっとしてるのよ。後であんたにも手伝ってもらうんだから、ちゃんと見てて」


 何となく俺の視線を気にしていた灼は、怒り半分、動揺どうよう半分の叱声しっせいを放った。俺もあからさまな動揺どうようを見せて、


「お……お、おう」


 と、棒状の麺の前に立つ。灼が見せたように手の先を油にひたし集中しようとする。


(灼を意識してしまったのは、きっと細くて綺麗きれいな足のせいだろう)


 が、思う前、再びハーフジャージからのぞかす、しなやかな肢体したいうかがっていた。


「平良ッ」


 目の前に構える少女の声で、俺は自身の手が止まっていたことに気が付いた。乳色ちちいろほおを赤らめ、声を微妙にすぼめて失態しったいを叱る。


「また、何を見て……馬鹿!」

「あ……えっと、ごめん」


 俺の不躾ぶしつけ躊躇ためらいがちにめ寄り、俺は詰め寄られた分だけけ反る。前のめりになった灼はバランスを崩して倒れ込んだ。


「いいわよねー、初々ういういしくき合って。あたしとお父さんの高校時代を見てるみたいだわ」


 いつの間にか、カウンターに座っていた母親が、灼を抱き止める姿に若き日の青春を重ね合わせて言った。


「俺がどうかしたのか?」


 突如、居間のドアが開き、父親の威厳いげんに満ちた声が低く部屋にひびいた。俺は慌てて灼から離れ、母親が柔らかな微笑みとともにしぶい顔の父親を手招きする。


「お父さん、お帰りなさい。実はねェ……今しがた愚息ぐそくと灼ちゃんが――」

「お……お義父さん、お帰りなさい。今日のごはんは中華よ」


 困った笑顔の灼が、母親の言葉をおおかぶせた。途端とたんに父親の背中から爆発でも炎上でもない、紅蓮ぐれんほのおき上がった。


「中華だとッ!? 平良……もしや今、母さんが言いかけたのは


 もはや中華料理は厄災やくさいでしかない父親は、元凶げんきょうであろう俺を禍々まがまがしい目つきでにらむ。殺意すら感じるその視線に、俺は狼藉ろうばいしながら弁明べんめいする。


「ちが……違う、違うッ。お袋と灼は関係ないッ! 何にもないッ!! 晩飯ばんめしはラーメンだッ」

「ラーメン……?」


 怪訝けげんな顔つきになる父親に、俺は緊張のもと何度も大きくうなずく。灼も少しだけ笑って頷いた。


「学校帰りに平良がラーメン食べたそうにしてたから……ラーメンだけでごめんね。その代わりめんは手打ちよ」


 父親の苦笑と安堵あんどぜたような吐息といきを、灼は遺憾いかんと誤解して言った。しかし父親は別の疑問がいたらしく、


「そう言えば、灼ちゃんが作るラーメンを食べるのは初めてだな」

「うん。中国ではよく作ったけど……、日本には性能の良い製麺機があるからね。機会がなかっただけだわ」


 言いつつ、ひねり棒状となった両端りょうたんを持って、大きく左右にばす。灼のバンザイで伸びたタネは、まな板の上で軽やかに当たって一旦いったん跳ねる。灼はねてばして、さらに三回ほど上下にらしてあざなっていくタネを再び伸ばして、それを繰り返す。


「もう、すぐに出来上がるけど先に食べる?」


 ようやく強張こわばりをいた父親は、


「そうしよう。その前に着替えてくる」


 灼の手慣てなれた動きを感嘆とともにながめて返した。




 


 両親が食卓に着いてくつろぎ始めた頃合いで、


「平良。あんたはお椀にオイスターソース小匙こさじ一杯に鶏油チーユ小匙一杯、ごま油を小匙半杯入れてくれる? あ、後は煮豚と一緒に煮たニンニクとショウガを微塵切みじんぎりしたのがあるから入れるのを忘れないで。あたしはこれから麺を打つわ」


 俺の不慣ふなれな手つきを、あきれとともに横目でうかがう灼は伸ばしためんのタネを等分とうぶんに切った。そして団子の一つを均等にばしていく。


「で、出来たぞ」


 俺の達成感に満ちた笑みと、四つ並んだわんの中身を交互こうごに見て、灼は満足げにうなずいた。


「じゃあ、他の五つも両腕の力を均等にして、てのひらで棒状に伸ばしてちょうだい」


 言い置くと、自分が先に伸ばした棒状を平たくし広げ、両手をいっぱいにして開く。麺は柔らかなもちのように細くなっていった。そして両端りょうたんを左手の人差し指と中指、中指と薬指の付け根に挟んで、ゆっくりと伸ばす。それを数度繰り返すと細いめんが何本も出来上がった。


「この麺を大体五分くらいかしらね。でて盛ったら完成だわ」


 熱湯に麺を放った灼は、なぜか勝ち誇った顔で得意とくいげに言った。その光景を見つめていた両親は手をたたいて喝采かっさいを送る。小柄な女子高生による麺打めんうちは、きっとパフォーマンスとしても目を引くのだろう。

 灼は先程俺が用意したお椀に煮豚の煮汁を入れお湯で少々うすめる。やがて茹で上がった麺を泳がせ、分厚く切った煮豚とモヤシ、さらにきざみネギをどっさりとり上げた。人数分が出来上がったところで谷家恒例の一斉に、


「いただきますッ」

「…………ッ!」


 俺と両親は口に広がる、今まで味わったことのない食感しょっかんに言葉を失った。


「……確かにラーメンだ。でも俺が今まで食べてきたラーメンと全然違う。この『モチモチ感』はうどんにも太麺ふとめんにもない」 


 父親が驚きの顔でうなった。そして厚切りの煮豚をかじり、ビールを一気にあおる。


「ホントに美味しいわ。灼ちゃん」


 母親が頬に手を当て、惜しみない称賛しょうさんを上げた。俺は自分で手掛てがけた――つもりでいるスープをすすった。


「たったあれだけの調味料で……。ちゃんと『醤油ラーメン』だ」

「あたしが本気で作ったら、こんなもんじゃないわ」


 満更まんざらでもない顔つきで鼻を鳴らす灼。俺は内心、末頼すえたのもしく思った。

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