第六十五話:再会の場所





                ※※ 65 ※※




 薄墨うすずみを流したようなスッキリしない曇天どんてんのもと。十一月も下旬に入ると、日を追うごとに痛いほどの寒気が身体に染み込んでくる。

 俺と灼は冷たい上にも冷たくなった空気が吹き抜ける部室棟を渡り『歴史研究部』の扉を開けた。


「うー……寒寒さむさむ。久しぶりの部室はさすがにこたえるわね」


 灼は小さくてのひら吐息といきをかけて小走りでストーブの前に立つ。俺は扉の前で強張こわばった手をこすり合わせた後、生徒会から持ってきた灯油ポリタンクを蹌踉よろめきつつストーブまで運んだ。

 

「ねえ、やっぱり会議は生徒会室の方が良かったんじゃない? あっちの方が暖かいし、広いし」


 灯油用ポンプを準備する俺の背後で、寒気にえ切れない灼は丸くちぢこまる。


「昨晩も言っただろ。高橋たかはし先輩・藤川ふじかわ先輩連合軍と敵対してるって。正式に生徒会の人間ではないし、目立つ行動はひかえたい。まあ、ここは俺たちの古巣ふるすだし、落ち着いて話し合えるさ」


 俺は給油し終えたストーブに点火する。その上に載っているやかんが湯気を上げる頃には、温かな空気が室内に広がっていた。俺は二つのコップにティーバッグを入れ熱々の湯を注ぎ、一つを灼に手渡した。


「とにもかくにも、声をかけた部がどれだけ『新生生徒会』に集まるか、信任投票までにどれだけ浮動票を集めることが出来るか、その両方にかかってるが……それも今日次第だな」

「なに気楽きらくな事を言ってるの。まあ最初は『歴史研究部』の存続を条件に次期生徒会の役員候補を引き受けたけど、あたしたちのマニュフェストは何一つ決めてないわ。まあ、あたしはあんたがやるって決めた以上、何処までもついてくけど」


 ずぼらな俺の言葉に対して、万事キッチリした灼の返事は少々苛立いらだち気味だ。俺の言う間に灼の声に熱を帯び、誰に対するものでもない不満ふまんをガンガンき出していく。


「そもそも『部室整理令』ってルール守らない部や愛好会が悪いんでしょ。会長が科したペナルティーも結構厳しいけど……自分勝手に言いたい放題。それを次期生徒会長に信任投票される平良が事後処理しなければならないだなんてッ! いっそ老朽化した部室棟も一緒いっしょに無くしてしまえばいいんだわ」


 寒さもあって機嫌がなかなか直らない灼は舌鋒ぜっぽう鋭く言い続ける。俺は内心ないしん辟易へきえきしていると、幸いにもノックの音がして救いの神がやってきた。


「よォー、相変わらずお前ら夫婦は仲が良いな」

双宿双飛そうしゅくそうひ。二人でワンセット」


 扉が開かれ、二人の姿を取って入ってきたのは三年の先輩である。懐かしの『歴史研究部』部長と四字熟語。

 約一か月前に開催された文化祭で我ら『歴史研究部』は設楽原したらがはらの実験考古として、俺が『織田軍鉄砲隊』灼が『武田軍騎馬隊』として検証した。当時の俺は灼の気持ちに気付いていなかった。だから灼との『歴検検証』に少々うとましさがあった。部長はそれを痴話喧嘩ちわげんか勘違かんちがい(?)して俺たちを戦わせたのだ。俺たちはまあ……収まるところに収まったのだが、部長の所業しょぎょうは収まらなかった。

 地元の議員や建設会社を巻き込んで原寸大の『設楽原したらがはら』のレプリカを21億3432万円で作成し、しかも興行利益132億2001万円を全額学校に納入した。文化祭施行規則せこうきそくには文化祭の利益は生徒会に納入する旨が記載きさいされているが、金額面においてだったのだ。学校や地元商工会議所、地方議会と教育委員会が喧々囂々けんけんごうごうした挙句、自粛した部長の処分は先延ばしだったらしいが、ここにいるということは決着したということだろうか。


「数週間ぶりなのに、ずいぶんってない気がするな。部長は……その、もう大丈夫なのか?」


 部長はてらいのない笑顔で答える。


「気にするな。とにかく『歴史研究部』が存続そんぞくできたのはお前たちのおかげだ。ありがとう」

飲水思源いんすいしげん。二人の部に対する気持ちに感謝」


 相変わらず直截ちょくさいな二人の言葉に、


「部長も四字熟語もかしこまらないで。まあ『部室整理令』で生徒会に組み込まれちゃったけど……あたしと平良がいれば問題ないわ」


 なにより大きな存在感をもって、灼は不敵な笑みで二人に向き合った。部長は全く素直に頷き返し、四字熟語は知ってか知らずか軽く扉を見る。


 「おやまあ、部長さんに四字熟語さん。お久しぶりにお二人さんのお顔を見ましたなぁ。お元気どしたか?」

 「……平良。結衣ゆい先輩も呼んだの?」

 「そ、そりゃ……『古代考古学研究部』も俺たちのメンバーだろ」


 あわてて答える俺を、灼はうらみがましい視線で射た。結衣さんの方は平然と、わざとらしく明朗に笑う。


「ほほほ。呼んでくれはったんや。頑張りますえ」


 優雅ゆうがしなを作り、大振りで起伏きふくのある胸のラインを誇示こじする結衣さんが、突如「にゃッ」と踏まれた猫のような声を出す。後から現れた飯島いいじま先輩が、結衣さんの頭頂部に落とした手を爽やかな笑顔で上げた。


「みんな、お久しぶり」

 

 と、ストーブの奥にいる俺と灼に目を留めた。近くまで歩を進め、丁寧ていねんなお辞儀を示す。


富樫とがしとの件は谷と双月のおかげ放免ほうめんになった。二人にありがとう」

「大したことはしてないさ。なあ、灼」


 水を向けられた灼は表情をかくすように俺のブレザーを背にして、その陰から、


「べ……別に、会長があんたたちに渡した『歌』で『歴史検証ゲーム』してただけだわ。お礼を言われることじゃない」


 口調自体はぶっきら棒で躊躇ためらいがちであったものの、飯島先輩の好意はしっかりと伝わったようで言葉をぐ。


「あんたがいない間に『古代考古学研究部』を併合してしまって……その、あやまるわ」


 灼の実直で飾らない言葉に飯島先輩は笑顔で返す。


「そこはまあ、双月がも引き継いでくれたということで問題ないさ」


 困った灼は曖昧あいまいに頷きかけて、


「ふ・た・つ・き、ちゃん!」

「――ッ、ひゃわァ!!」


 いつの間にか背後に回った結衣さんに、とても描写できない指使いでささやかな二つの起伏をさえまれて灼は頓狂とんきょうな悲鳴を上げた。次の瞬間、


「にゃァァァーッ!」


 全ての語句に傍点ぼうてんが付きそうな声を上げた時には俺と灼と飯島先輩と、まさかの四字熟語の手刀が、結衣さんの頭部をらんばかりに振り下ろされていたのだった。

 灼は細い肩で何度も荒い息を吸って、半泣きの結衣さんに罵声ばせいびせる。


「あんたって、本当にだわねッ!」

「……感謝や賞賛しょうさんれてへん双月ちゃんが緊張きんちょうしてはるやも思うて、なごませたろっと気を使ったんやでェ」


 言いながら、頭頂部をでる結衣さんをすさまじい殺気とともににらみつける灼だった。

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