第六十四話:『将門』の義侠と限界~検証⑲~






              ※※ 64 ※※





 唐突に始まった夕食会が終わって数時間後、新庄が洋式の豪奢ごうしゃな壁掛け時計を密かに横目で見つつ、急に立ち上がる。


「あたし、もう帰らなきゃッ。両親遅くて弟たちが待ってるし、残業続きの兄貴に夜食もつくらなきゃだしッ。今日は本当にごちそう様。双月に谷、さそってくれてありがとう」


 と早口で一気にまくし立てて、食後に飲んだティーカップを台所に持ち運ぼうとする。灼は横合いから「そのままでいいわ」と柔らかに動きをせいした。会長もわずかに遅れて立ち上がり、返事と表情、両方で短く返す。


「新庄さん、とても美味おいしかったわ。あと……双月さん、今日は誘ってくれてありがとう。さすがプロ顔向けの腕前ね」


 何気ない貫禄かんろくと、そこはかとない余裕の声に微笑ほほえむ力があった。


「ふ、ふ……ふんッ。大したもてなしも出来なかったし、気にしないでいいわ」


 灼は物怖ものおじなく言う。会長は大きくうなずき、安堵と温かさに満ちた笑顔を俺に向ける。


「明日も学校で。私、谷君のこと頼りにしてるから」

「あ、ああ……。また生徒会で」


 俺は決まりきった答えで返した。だが、灼の顔がいきなり緊張きんちょう強張こわばる。


(ま、まさか……会長。結衣ゆい先輩みたいに平良のことを)


 その言葉を聞いて下世話げせわ勘繰かんぐりをしてから灼は思わず溜息を、あくまで心中が吐露とろしないようにらす。その可能性を心底しんてい嘲笑ちょうしょうしながら。


「あたしも平良と生徒会へ行くわ。あんたの『部室整理令』を終わらせましょ」


 戸惑いをかくすため、より表情を固めて灼は改めて会長に返す。それを覚悟と見たか、挑戦と感じたか、気迫と対抗心たいこうしんめた視線で、


「あなたが言うと心強いわ。とにかく頑張りましょう」


 会長は先に玄関へ向かった新庄を追うようにリビングを出ていった。





 灼の部屋からそのまま続くせまいベランダ、その大枠おおわくに俺と灼は並んでもたれていた。


「……どうして、会長はあんなこと言ったのかしら?」


 灼が急に気の抜けた声をらした。俺は不分明ふぶんめいな問いに、あれこれ悩ましながら思考をめぐらす。


「あんなことって……自分から押し付けた『歴史検証ゲーム』を手伝いたいって言ったことか?」


 俺の一言に、灼は胸に鋭い痛みを覚えた。しかし表面上は抵抗を感じる様子もなく続ける。


「まあ、それもあるけど……『歴史研究部』に対するペナルティーというより、どちらかというとあたしと平良に対しての課題だったじゃん?」

「確かに、『歴史検証ゲーム』がつまんなかったら退学させるって明言してたしな」


 俺は小さな違和感とともに、放課後に起きた生徒会室での事件を思い出していた。高橋たかはし先輩と藤川ふじかわ先輩の罵声ばせいに、顔を正面に向けて唇を強く引き結んで、その端からつらさをわずかににじませて。それを必死に隠して、力強く誇り高く。そのくせ、いまいちピントがズレている敗北を真剣に悩む会長。


「そうよッ。あいつ『世の中に……』の歌と『散ればこそ……』の返歌であたし達を嘲笑あざわらったってのに、ちょっと平良が生徒会の手伝いをしただけで手のひら返してッ」


 灼は、被害妄想もうそうに近い嫉妬しっとと今までめ込んだ鬱憤うっぷんを晴らすように怒りと呆れをあらわにした。


「しかも、あいつは――」


 口が止まらない灼の小さな頭に、俺は手を添え優しくでた。隣にいて、しかし顔を合わせられない灼はうつむいて、ややの沈黙を置いてつぶやく。


「……平良は


 俺は前を見たまま、


「灼は『許田射鹿きょでんしゃろく』って知ってるか?」


 意味が分からないまま、灼は隣に目を向けた。俺は答えを待たずに自分の言葉を続ける。


「放課後、『部室整理令』で立ち退く部を監督するために生徒会室へ行った時だ。高橋先輩と藤川先輩が会長に抗議をしてた。『運動部の反発が激しい。部も愛好会も等しく厳しい課題を与えるのではなく、せめて実績がある部には優遇措置ゆうぐうそちがあってもいいんじゃないか』とな」


 俺は気配を感じつつ、一旦言葉を切る。隣に視線を向けると見つめられた少女は羞恥しゅうち自粛じしゅくの念を大きな瞳に浮かべて、素早く頭の上の手を払う。


「『許田射鹿きょでんしゃろく』って三国志でしょ。曹操そうそう献帝けんていの弓矢を取って威勢を示すやつ。で、それと会長が何なの?」


 灼は真っ赤な顔で口答えするが、反発の色はない。ただ気負きおう口調で俺をかした。


「会長は先輩たちに対してこう言った。『私の課題をクリアできないほどの実績ならば、部活動とは見做みなせない』と。それで先輩たちが言ったんだ――人を試して独裁者のつもりかってな」

「なるほど。『許田射鹿きょでんしゃろく』ってそういう意味ね。つまり会長は誰が味方で、誰が敵となるか……反発する部に課題を出して見極みきわめてたわけね」


 灼はおおむ納得なっとくした様子で感想を述べる。

 

(そして今や、敵と味方の旗色がはっきりしたため、あたしたちに突き付けた課題のペナルティーも必要無くなった)


 会長の体面たいめんおもんばかってみたものの、いまいち釈然しゃくぜんとしない灼だった。自然と人差し指が唇にえられる。


(常に詭計きけいあんじる会長が素直に人を信じる? ま、まさか本当に平良の事がッ!?)


 灼は考え、思いを巡らし、思いごし以上の真偽しんぎ戸惑とまどいつつ頬を朱にめた。会長と平良がわした言葉から灼の感情はぜになって、つい考えてしまう。


「ま……まあ、次期生徒会長にすくらいだから、あんたをみたいだし。少なくともあんたは味方だと思ってるのよ」


 灼は嫉心しっしんを含めて皮肉のジャブを俺に繰り出した。しかし鈍感な俺は全く気付くことなく、首をひねる。


「どうだろうな? なんせ『鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐん』と生徒会長の信任投票を重ねて話すくらいだ。会長の制御下から俺たちが離れないように警戒してる程度の信頼だろうよ」


 そして困惑こんわくした顔で笑って言う俺の態度を見て、何の手応てごたえもなく徒労とろうに終わったことに、灼は少し鼻白はなじろんだ。


「そう言えば『鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐん』がどうのとか……。なんでそんな話になったの?」


 灼の嘆息たんそくじりな問いに、俺は会長から告げられた言葉が脳裏のうりよみがえる。


――『将門まさかどはもっと真剣に『鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐん』の位を求めるべきだった。そうすれば、この後に『鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐん』になった藤原秀郷ひでさとにも『清和源氏の祖』である源経基つねもとの子孫にも坂東ばんとうが荒らされることはなかったかもしれないわ。……高橋たかはし藤川ふじかわも『源氏』のように定例会の信任投票で必ず圧力をかけてくる。だから谷君。あなたは絶対に『生徒会長』を目指しなさい』


 俺は灼に伝えるべきことを考え、出来るだけ言葉をけずる。


「自分たちが正しいと思い込んでる反骨精神旺盛おうせいな生徒をおさえ込むためには『生徒会』という権力をにぎれって話さ。つまり例えで将門まさかどは『鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐん』を目指さなかったから『源氏』を抑え込めなかったという会長からの諫言かんげんだな」

「でも、将門まさかどは『新皇しんのう』に即位したのよね。それで坂東をまとめたのでしょ? 最終的に藤原秀郷ひでさとと平貞盛さだもりの連合軍に敗死したけど」


 灼は不思議そうな顔をする。俺は少しのまどいを込めて笑った。


「毎度のことだが、俺の私見は……将門まさかどの『新皇しんのう』即位は『将門記しょうもんき』のフィクションじゃないかと考える。つまり将門まさかど信奉者シンパであった坂東の国人がでっち上げたものだろう。

 しかし国人ごときでは中央の律令りつりょう有職故実ゆうそくこじつなど知りようがない。良かれと思って書いたことが長年を経て『国賊』になってしまったのだろうと思う」

「まあ、可能性としてあり得るわね」


 灼は呆れの溜息ためいきついでに答える。俺はうなずき返して続けた。


天慶てんぎょう二年<939>三月二十八日に届いた『御教書ごきょうじょ』を読んだ将門まさかどは五月二日に常陸ひたち下総しもうさ下野しもつけ武蔵むさし上野こうずけ解文げぶみと共に謀反無罪むほんむざいの言上をしてる。それを知った忠平ただひらは諸国の善状により功課こうかあるべきよしを宮中にて合議した」

将門まさかどは朝廷に認められたということね」


 言葉の安堵あんどとは逆に、口調は不審ふしんあらわにしていた。破滅はめつへと向かう未来がここから始まる、というかんかせて俺に詰め寄った。


「ああ。将門記には、

――幸沐恩澤於海内、須滿威勢於外國。  さいはひに恩澤おんたく海内かいだいみて、すべからく威勢を外國げこく滿たすべし

 

 つまり朝廷に認められた将門まさかどは、坂東ばんとうの国人たちに利益や幸いをもたらした。その威勢は坂東以外にでもとどろいているといった感じだな。だが、ここで気付いてほしい。将門まさかどは今だ『無官』だということだ。これが将来、不幸を呼ぶ」

「さっき平良が言った、将門まさかど信奉者シンパであった坂東の国人たちが問題なのね」


 少なからずの危惧きぐを声ににじませる灼。俺は大きくうなずいた。


将門まさかどはあくまで坂東のリーダー的『国人こくじん』であって、他の国人たちの上司ではない。血筋がよいというだけでしたわれてるだけだ。

 そして坂東が平定されると、今度は安心して国人たちは乱行らんぎょうを始めた。

――将門記には、

 常陸國居住藤原玄明等、       常陸國に居住せる藤原玄明はるあきらは  

 素為國之亂人、為民之毒害也。    もとよりくに亂人らんじんたり、民の毒害どくがいなり。

 望農節則貪町滿之歩數、       農節のうせつに望みては則ち、町滿ちょうまん歩數ほすうむさぼり、       

 至官物則無束把之弁濟。       官物に至りては則ち、束把そくは弁濟べんさい無し。 

 ……

 長官藤原維幾朝臣、         長官<常陸介ひたちのすけ>藤原維幾これちよ朝臣、

 為令弁濟官物、雖送度々移牒、    官物を弁濟せしむる為に、度々とどを移してちょうを送るといへども、

 對捍為宗、敢不府向。        對捍たいかんを宗とし、敢えて府に向かず。



 将門に与した藤原玄明はるあきらは重い年貢を課し、朝廷に収める税も横領し、常陸介である藤原維幾これちよが度々勧告しても完全に無視してたという内容だ。

 朝廷から六月上旬、将門まさかど功課こうかされたと同時に、国人たちは次々と暴利をむさぼり始めた。

 天慶二年<九三九>六月七日、『貞信公記抄ていしんこうきしょう』によれば、経基つねもとと同じ清和せいわ源氏の源兼忠かねただを呼び、左大臣藤原仲平なかひらのもとで問密告使もみくしの派遣が決定される。問密告使もみくしとは民苦みんく巡問じゅんもんし、貧病、飢寒を救済するために派遣される役職――」


 突然割って入って灼は憮然ぶぜんと付け加える。


「それは、つまり経基つねもと告訴こくそが正式に太政官で取り上げられたということよね。かなり早すぎる気がするけど予定調和よていちょうわだったってことかしら。どうして忠平ただひら将門まさかどに官位を与えなかったの?」


 俺は当惑と感嘆を交えて、表情に重さを加えた。


忠平ただひらは正直迷ってたんだと思う。実際に彼は若き将門を数年間、そばで見ていて『官人となれば、それなりに優秀だろう。しかし義侠ぎきょうや私情に流されやすい』と評している。結局、忠平ただひら将門まさかどを『検非違使けびいし』に推挙すいきょしないのだが……坂東を平定した将門まさかどに対しても、やはり忠平は迷った。『官位』を与えて良いのかを」


 俺は嘆息ともかない声を漏らした。


忠平ただひらの決断よりも早く、当たり前だが坂東の惨状さんじょうが報告される。

 しかし天慶てんぎょう二年<939>六月二十八日、『貞信公記抄』では源相職すけもとによって経基つねもと誣告ぶこくが明らかになったものの、結局天慶てんぎょう三年<940>正月九日に経基つねもとの密告が正当なものだったと評価されて許された……」

「それって……」

 

 灼の言いたいことは分かっていた。だから俺はもっともらしくうなずいて見せた。


「その後、将門まさかどはやりたい放題な国人たちを制御できないままにかばい続け、最後は『謀反人むほんにん』としてたれる」


灼は悔やんでも仕方ない、埋火うずみびのような感情とともに大きく嘆息した。

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