第六十話:さらなる向こうへ







               ※※ 60 ※※




 陽も傾きぎ行く風の中。校舎裏を新庄は当てもなく歩いていた。

 テニスの試合はかなりきわどい点差で新庄しんじょう達が勝ちを得た。あれだけ自信満々だった灼が悔恨かいこんの念にられ無念がると思いきや、


「あんたの勝ちだわ。約束通り好きにしてちょうだい」


 清々すがすがしいほどにあっさり身を引いた。一年の誰かからラケットとボールを借りてコートから消えていく灼の後ろ姿を見ながら、新庄は勝利の喜びよりも、怒りとも悲しみともつかない気持ちがどこか引っかかって、チクチクと痛みのようなものを感じた。


(勝利の虚しさ。いや違う、双月も会長も真剣だった)


 新庄しんじょうははっきりと不機嫌だった。それは痛みなんかではない、自分が勝手に敵対し嫌悪をむき出しにして勝負にこだわっていた――試合が終わった後だから分かる猛烈もうれつな自己嫌悪。そう思わせる何かが灼の見事な引きぎわから感じ取れた。そして、それは多分自分にとって、とても嫌なこと。

 新庄しんじょうは明らかに灼を探していた。探してどうする、その正体を灼に会って問いただすのか、何も思いつかないが、しかし灼を探していた。

 やがて校舎裏のしば、日当たりが悪く数日前の雨で未だに湿しめっている場所を進むと、壁に向かってボールを打ち続ける灼の姿があった。他の生徒は見かけない。新庄は焦燥感しょうそうかん陰鬱いんうつな気持ちを胸に歩を速めて進む。二人の距離が数歩を置いたとき、


「何か用? ラケットとボールは、明日きちんと返す約束をしてるわ」


 灼は校舎の壁にかれた小さな円に目線をしっかり見据みすえて、正確にボールを繰り出しながら問う。その問いには答えず、僅か数十センチの輪の中心を射抜き続けるボールを新庄は無言で見つめる。


「双月。あんたって何でもできるのね」

「何でもできないわ」


 重い口を開け、淡々たんたんとした口調くちょうの新庄に灼はきっぱりと言った。言葉の意味とは反対に灼の顔には秘める強い意志があり、気後きおくれのようなものは微塵みじんもない。彼女からは試合前と変わらない気圧けおされる存在感を感じ、灼に初めて興味をもった瞬間を思い出す。


越智おちからあんたの小学校時代の話を聞いたわ。テニス、独自で練習してたのね」


 と、同時に越智おちが語った不躾ぶしつけ放談ほうだんよみがえり、不快な思いを隠して続ける。


「あんた……。の?」


 灼が壁打ちを止め、大きな栗色の瞳にしっかりと意思の光を宿らせて、真っ直ぐに新庄を見た。決意で硬くいさめた表情の灼はいどむように告げた。


「平良がいるから。平良のそばにいて一緒に歩いていきたいから」


 惚気のろけ色情しきじょうも感じない、意思と覚悟にし潰されるような、とんでもない力がその言葉にはあった。それが間違いなく自分をおびやかす力なんだと、今こそ理解した。


(何がどうということわけではない。あたしは双月の強い意志と覚悟からくる自信にしてただけなんだわ)


 新庄は深い溜息ためいきで灼を認めた。畏怖いふや嫌悪、劣等感以外の感情を覚え、自分でも意外なほど素直な気持ちで微笑んだ。


「あたし、生徒会や会長にのはめにするわ。双月とならテニスと生徒会、両方とも頑張れそうだから。改めて宜しくお願いできる?」


 新庄が言い、手を差し伸べる。


「うん。こちらこそ」


 灼は声に出して答えて、その手を取った。静かに強固な思いで新庄は頷く。


「あんたのストローク、強烈だった。あたしのライバルだわ」

「次は負けない」


 灼は自分の気持ちを視線に込めて、見つめ返した。





 

 げ物やグリルの匂いとマニュアル通りの接客挨拶、音も声も交錯する、とある街中のファーストフード店。

 そんな繁忙はんぼうな中で、うまくきテーブルを見つけた俺はトレイを置いた。後ろに続く少女、新庄しんじょうも俺の向かいにトレイを置いて座った。

 

「谷……と話をするのは初めて、かな」


 まだレジ前の行列に並んでいる灼を待つことなく、ストローでアイスコーヒーをすする。


「まあ、同級生だけど同じクラスになったことないし……初対面に近いかな」


 曖昧あいまいな問いに曖昧な答えで返す俺に、新庄しんじょうは柔らかな微苦笑びくしょうを見せた。


「二年七組、新庄めぐみ。テニス部の次期部長よ。現在、生徒会の雑務をおおせつかってるわ」

「俺は……」

「知ってる。二年三組、谷平良。『歴史学研究部』で次期生徒会長。現在、双月灼と

「俺と灼が恋愛!? な、なな何故にそうなるッ」


 その不意な回答に、俺は完全に狼狽うろたえて言葉を継ぐ。新庄は逆に俺の持つ無自覚な言葉の意味がよく分かっていた。分かって声がやや重くなる。


絶賛ぜっさん『ラノベ・ハーレム主人公』の谷君。あたしはテニスに命をけるスポーツ馬鹿よ。谷はどこまで気付いてるのか知らないけど、双月とボールを交わして、あいつの覚悟を感じた。

 だからにいる。に興味があるから」


 一旦、声を切って核心を突く。


「谷。あんたには、そこまで捧げようとする双月を受け止める覚悟はあるの?」


 気圧けおされた俺は言葉を失った。新庄の真っ直ぐな瞳には親切心や好奇心ではない、女子と女子の間に生まれた義侠ぎきょう心のような強い使命感。

 互いに無言で見合みあうこと数秒、


「二人とも深刻な顔で何してるのよ?」


 ようやくレジの行列から解放された灼が、人ごみでふらふらになってトレイを手にやって来た。彼女の目の前にいる二人の空気を敏感に察し、少々不機嫌な態度で俺の隣に座る。尋ねつつ、見つつ、


「平良ッ! あんたバーガーを二つも買ったのッ」

「わ、悪いかよ? 校庭でお前を待ってる間、おなかいたんだよ」


 灼がむっと少し頬をふくらませて、困り果てた表情を作った。


「今日の晩御飯、ハンバーグだったのに……」

「俺は問題ないぞ」


 その傍らで野次馬やじうま視線の新庄がキラリと瞳を輝かせた。


「……あんた達、毎日そんな夫婦ごっこみたいなことしてるの? カレシがいない女子高生には目に毒だわ」


 俺は大いに乾いた笑顔で返し、灼は慌てて手を振る。


「ま、毎日じゃないわ。たまによ、ね? 平良」

「……あ、ああ。そうだな、たまにかな?」


 その様を、やはり瞳をキラリと輝かせて新庄は平良と灼を眺める。


「ふうん……そうなんだ」


 答えて、頬杖ほおづえをついて、新庄は適当に頷いた。

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