第五十八話:始めるために






               ※※ 58 ※※




 アレイコートからやや離れたベンチで、新庄はシューズのひもを結びながら、


越智おち。あなた、双月ふたつきのこと良く知ってるの?」


 と、同じくアキレス腱を伸ばし準備運動をしていた一年部員にく。怪訝けげんと遠慮が意味の理解を鈍らせ、心やましさが明確な答えをとがめる。一年の越智おちと呼ばれた少女はぎこちない笑みを作った。


「え……っと。小学校から中学、双月は友達を作らない……というか、皆が相手にしてないというか、いつも一人でいる変な子でした。確か小学三年生の時、あたし同じクラスだったんですけど、外国から引っ越してきたんですが……こう、なんかトゲトゲしい感じで誰も話しかけませんでしたね」

「何? あいつ、いじめられてたの?」


 新庄は越智おちの後ろめたさを的確にとらえ、横目でにらんだ。きっと深い意図があって言っているわけではない、おびえる後輩を見ながらきたいことだけを訊く。


「双月は、どこかのテニスクラブに所属してたの?」


 越智おち新庄しんじょうのぶっきらぼうな物言いに、かえって安堵あんどしたのか少し饒舌じょうぜつになった。


「あたしは聞いたことないです。試合もクラブ名ではなく、個人名でしたし。

 ただ、休み時間に……くさりでタイヤを何本もってる遊具を見たことあります? そのタイヤの隙間を使って壁打ちをしてました」

「へえ……面白いじゃん」


 新庄は初めて灼に興味を持った。その見る先で灼と会長が何か談合をしている。そしてもう一人知らない一年女子の姿が加わった。


「でも、小学五年のときに双月……もともと変な奴でしたが古墳こふんが近所にあるって言い始めて。ますます皆が馬鹿にして相手しなかったんです。ほら? あそこにいる谷先輩、あの人が関わり始めてから本当に古墳こふん見つけて大騒ぎになったりで、そこから急に双月の態度が変わってきたんですよ」


 もはや新庄の耳には届いていなかった。






 新庄しんじょう達から見て反対側にあるベンチで、尾崎が不平を鳴らしていた。


「いきなり電話があったかと思ったら、オフロード・レーサーパンツを二着持って来いとか、人使い荒いッスよ」

「仕方ないじゃん。今日、体育の授業なくて体操着持ってないし。それにバイク乗った時思ったんだけど、これって穿き心地抜群だし、動きやすいし、通気性良いし。とにかくありがと、オザキ」


 灼がスカートしに半ズボンタイプのレーサーパンツを穿く。会長も同じように真似てスカートを脱いだ。

 

「確かに、これは良い感じだわ」


 会長のヒップラインを直している仕草に俺は微妙に戸惑とまどっていると、


「平良君。これから何が始まるんッスか?」


 尾崎がジト目でうかがうような視線と質問を浴びせてくる。赤い顔の俺は誤魔化ごまかすように無理やりき込んだ。


「……ッ、ん。今から『特訓』という名の、テニス部と生徒会の対抗試合が始まるんだよ」

「わァ、おおッ! あたしもやりたいッスよ、テニス!!」


 大きな瞳に無邪気っぽい輝きを見せて騒ぎ出す。灼ですら、そうそう入らない間合まあいで顔を近付けられたことに俺は思わず背中をらして、僅かな距離を取った。


「お、オザキ……おまえ、テニスできるのか?」

「できないけど、やってみたいッスよォ!」


 息苦しいほどの満ちあふれたエネルギーをさらに深くしてめ寄る。その異様な迫力をさえぎり俺は会長に声をかけた。


「会長は経験者なのか?」


 答えるより先に、灼が何事でもなく率直に言う。


「別にどっちでも構わないわ。最初から一人でやるつもりだったし。でも参加することでが付くのなら、そうするべきよ」 

「ちょっとしゃくだけど双月さんの言うとおりね。ちなみに私は体育の授業でやった程度の素人よ。勝算はあるのかしら?」


 会長が静かに笑い、少し困ったふうよそおって尋ねた。灼は人差し指を小さな朱唇にえて目を伏せる。沈思ちんしの間を数秒ほど置いて、すぐにすっぱりと決断する。


「あたしの私見だけど、テニスは空間と時間の支配をきそい合うスポーツなの。瞬間的な陣取りゲームね。会長は囲碁や将棋はやったことある?」


 会長は思いをめぐらせながら、


「囲碁はないけど、将棋やリバーシ、バックギャモンはそれなりに。チェスは得意かしらね」


 と、微笑とともに告白する。灼は大きく頷き、地面にテニスコートをいた。


「だったら話は早いわ。今回はダブルスだから『ばん』の大きさは外側のサイドラインね。サーブは必ずサービスコート内に入れなくちゃいけないけど、後はボールを駒に見立てて相互に打ち合い、隙をうかがって相手の陣地に落とす。相手が返し伝えられなかったらポイント取得だわ」


 いつの間にか、俺と尾崎も円陣に加わって灼の作戦を聞いていた。灼がいたテニスコートに真ん中を挟んで二つずつ小石を並べる。


「ここからが大事だわ。基本テニスの陣形は『雁行陣がんこうじん』もしくは『平行陣』で試合をするけど、『平行陣』は膠着こうちゃくした戦況を切り崩す時、攻勢に転じる時。

 反対に切り崩され時、防御に回った時もそうだけど、あたしたちはあくまで『雁行陣』で布陣する」

「それは、どうしてだ?」


 思わず俺は質問した。灼は、俺をチラリと見て続ける。


「背丈よ。あたしは140センチくらいだし、会長は……」

「145.3センチ。残念だけど小学生で止まったわ」


 会長が諦めを含んだ溜息を吐いた。ゆっくりと首を振って。灼がさらに言う。


「バレーボールやバドミントンもそうだけど、サーブの打点が高いほど叩きつける力が大きくなる。しかも揺さぶりをかけられて『平行陣』に誘い込まれたとき、高いロブを打たれたら対処できない」


 灼が四つの小石を動かして説明すると、全員が一様に大きく頷く。それを待っていたかのように、灼は凛とした視線で見定めた。


「会長は前衛、あたしが後衛でいくわ。そして会長は常に相手の射線の外側になる場所でポジションを取って頂戴。無理にラケットに当てなくていい」


 灼はテニスコートのイラストに射線を中心にふたつの三角形をえがいた。そして相手の後衛が位置取る左右の点から対称の三角形を描く。


「あたしはストロークで、この三角形が重なる地点を狙う。ここは前衛と後衛が受けにくいコースだわ。と同時に会長が射角の外側にいることで相手の前衛も牽制けんせいできる」


 その砂上にえがかれたテニスコートの上で小石を動かして確認するように、会長は何度も陣形を変形させる。


「つまり、私は相手の後衛に身体を向けつつ、相手の打ったボールの外側へ移動し続ける、ということでよいのかしら?」


 ようやく灼の言葉が、理解として追いついた。そして、追いついた先にある僅かな希望を抱く。


「それが基本方針だけど詳細はゲームの流れで臨機応変に決める。絶対に勝てるわ」


 灼は自然な微笑で返し、会長に視線をそそぐ。凛々しいと表現できる、強い意志によって引き締められた顔を見て、


「そうね。双月さん」


 口調だけは静かな、その勇躍ゆうやくして試合にのぞむ声で会長は笑いとともに軽く頷いた。

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