第五十七話:みんな『エース』を狙っている




               ※※ 57 ※※





「その勝負、あたしも加えてちょうだいッ」


 突如、灼が威風堂々いふうどうどうと登場した。

 パイピングが黄枯茶きがれちゃ色でこどこされ、綺麗にのり付けされたキャメルブラウンのセーラ・ボレロに、マドラスチェックのスカートが冷たい風でひるがえる。

 しかし足取りは軽やかに。乱れた細めのプリーツを押える仕草は少し恥ずかしに。背後から遅れて辿たどり着いた背の高い男子――諏訪野すわの君はレベルを肩でかつぎ、有元ありもとが肩を大きく上下に揺らしながら息をしていた。


「双月さん。あなた、状況が分かって言ってるのかしら。生徒会として決して受け入れられない事態ことだわ」


 灼は最初から無かったかのように会長の言葉を聞き流しつつ、新庄しんじょうの前に立つ。


「あんた」

「あ、あんたって……一年のくせにッ! どういうつもりでッ……」


 見た目は年齢よりもはるかに幼い顔立ちだが、凛々りりしさが見る者を圧倒させる。新庄しんじょうひるみの色を見せて言葉を失った。強烈な存在感を持った小柄な身体からだがズイッと前に出る。自然、新庄は後ずさりした。


「あんたにとってテニスはがあるのね?」

「そ、そうよ。あたしにとって高校生活の全てだわ」


 たじろぎつつも新庄しんじょうの力強い双眸そうぼうが灼を見る。にらみ合うこと一瞬、少し険しい顔になった灼が言う。


「わかったわ。あたしと、あんたと……庭球部の誰か。そっちはペアでいい。テニスで勝負しましょ」


 新庄は怒れるおもてを黙ったまま僅かに伏せた。やがて恥辱に耐える低い声で、

 

「……いつもいつも、いつもッ。そうやって……見下みくだしてッ」

 

 と、猛烈な怒気をつぶやき、憎体にくていを投げつけた。


「生徒会って何も分かってないッ!」

「あんたも生徒会でしょ」


 にべもなく斬って捨てた灼の言葉に、やり込まれた新庄しんじょうはこれ以上にない程の激昂げっこうを見せていた。


「双月。あんたって有名だわ。勉強も運動も料理も出来て、ちょっと可愛くて……にいつも引っ付いて。知ってる? あんた……女子の中では、かなり嫌われてるのよ?」 

「だから何?」


 灼の周りだけ急に冷え込んだ平静な声。ただしけば爆発しかねない、そうと分かる平静な声だった。

 幼さを隠す凛然りんぜんとした姿とあくまで無表情な整った容貌から新庄しんじょうは強豪選手ときそった時と同様、心底からの寒さに震えた。    

 灼はさらに歩を進める。微笑わらっていない、怒ってもいない……ただ薄蒼うすあおく光る大きな瞳を細め見上げている。


「あんたみたいにスポーツ推薦が貰えると思ってる人はたくさんいるわ。あんたの部長はそれが分かってたから『妖狐ようこ』なんかにあずけたんだろうけど」


 言いつつ灼は目線を会長に移し、再び新庄しんじょうに戻す。戻した時、すでに別段変わりない、見かけ通りの幼い少女の顔がそこにあった。新庄しんじょうは心中、安堵あんどした。


「……まあ、正直あたしも会長のやり方は気にわないし。あんたが納得できる方法ならば一番良いと思う。ただし……」


 新庄しんじょうは先程の安堵を激しく後悔した。灼の顔にあったのは憤慨ふんがいや敵意でない。感情の底に直隠ひたかくされた厳しさ。間違いを犯した者が本能的に恐れる叱咤しったの表情だった。灼の唇から痛撃つうげきの前置きがはなたれる。


「ただし、条件があるわ」


 新庄しんじょうは自身が不利な形勢にあることへの認識、次に続く灼の言葉に嫌な予感を覚えた。


「あたしが勝ったら、では好きにさせない、山科会長みたいに甘くはないわよ。我儘わがままは絶対に許さないわ」

「あ、ああ……たしが勝ったら?」


 受けた衝撃しょうげき新庄しんじょううなるような声をらした。灼はあっさりとした口調で言う。


「好きにすれば。もちろん生徒会はあんたのスポーツ推薦を教師サイドにしてあげる。合格するか不合格かはあんたの実力次第だけど」


 さらに灼は言葉をぐ。


「もし、あんたが全力でやり切ったら、あたしも平良もきっと全力で応援するわ。でしょ? 平良」


 蚊帳かやの外という単語が相応ふさわしい俺は、ようやくの溜息とともに口を開いた。


「あ……ああ。灼の言う通りだ。そうなるとは勝負ではなく特訓だな。生徒会の新庄を、同じく生徒会の灼が特訓するということで問題ないよな? 会長」


 会長が諦めというより呆れに近い嘆息をく。


「色々問題あるけど……まあ、いいわ。ところで根本的な質問だけど、双月さんはテニスが出来るの?」


 意味のない質問に、意味のない反応。しかし誰かが言わなければならない答え。多分、会長も全て分かった上で聞きたかったのだろう、灼の実力を確認するために。


「灼。おまえ、テニスは小学校以来だろう。誰かと組んでダブルスにしたほうが良くないか?」


 俺は婉曲えんきょく的な表現で遠慮がちに言う。だが全く予想外の一年グループの中から驚嘆きょうたんの声が上がった。


「そうよッ! 思い出したァ!! 双月灼ふたつきあきらァ! 全日本ジュニア選手権12歳以下女子シングルスの優勝者ァ!!」


 突然、テニス部員がざわめき始めた。「何?」あるいは「誰?」の疑問が「実力者?」「すごいの?」という怪訝けげんに取って代わる。その質問を代表して新庄が灼にく。


「どういうこと?」

「あたしがテニス経験者ってことよ。小学校低学年までドイツでテニス習ってたし、多少ブランクあるけど、あんたには負けないつもりよ」


 もはや言い返す気力もなく、新庄しんじょうは黙って灼を見る。そして静かに敵意が沸々ふつふつと湧いてきた。目の前の少女が急にわずらわしく見えた。自分が欲しているものを全て持っている……ともすれば、プロテニスプレイヤーへの道だって開かれていたというのに。

 ごく少数だがいるのだ。血のにじむ努力の末、辿たどり着いた先で得る勝利を、平然とかすめ取る奴が。『天才』と呼ばれる、それらの人種が。やっぱり新庄にとって灼は嫌悪の対象なのだ。


「双月。あたし、あんたをテニスでブッ潰さないと気が済まなくなったわ。早く始めましょ」


 きびすを返し、灼を見知っているであろう一年部員を呼ぶ。新庄の勢い込んで殺意すらもこぼれ出すほどの逆上に、会長は理解というより、感得に近しい気持ちで長い溜息を漏らした。


「双月さん。私も参加するわ。


 灼も同じことを思ったのだろう、異なる生き方や価値観が僅かに揺らぐ。心が痛かった。

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