第五十五話:『異心』の行方






                ※※ 55 ※※




 県立東葛山とうかつやま高校の生徒も全国の高校生同様に等しく、『試験』という筆記による学力評価が定期的に実施される。文化祭も終わり年末が差し迫る頃。生徒は実質的な学年の総決算というべき『期末試験』に余念よねんがない。

 そんな昨日きのうの雨も上がった、嘘のように晴れた昼下がり。


「やべェーよッ! 今回、日本史の範囲が滅茶苦茶めちゃくちゃ広いじゃんッ」

「わたしなんか、中間テストで英語赤点だったのに……今回もキビシイかも」


 俺は、午前中に発表されたテスト範囲の件でつねにも増して騒がしい教室を出て、三階に位置する生徒会室へとのぼる。俺は扉に手を掛けた時、


「会長ッ! あんたは生徒の総意を無視してるということを分かってるのかッ」

「クックック。今や部室棟は無法地帯だわ。それを望むのが総意というなら、生徒会の存在は全くの無意味ということかしら?」

「……山科やましな会長。『部室整理令』に対し抗議が殺到してるのは知ってるか? 特に運動部の反発が激しい。厳しい課題を与えるのではなく、せめてには優遇措置ゆうぐうそちがあってもいいんじゃないか?」

「高橋。あんたのいう実績って何かしら? 運動部も文化部も、部室を単なるたまり場にしてることが実績? 私の課題をクリアできないほどの実績ならば、部活動とは見做みなせないわね」

「その考えが反発をまねいてるんだ。あんたは独裁者のつもりか? 『許田射鹿きょでんしゃろく』をして、人を試して何様だ?」


 室内でひびく会長の声の意外な強さに、俺は怪訝けげん面持おももちで扉を開けた。執務机に肘を付く会長と、その正面に立つ男子生徒が二人。


「谷君」


 会長は思いを切って、冷たい光彩いろを放つ大きな瞳を振りあおぎ、安堵と緊張を相半あいなかばする声で俺を見た。取り残された男子生徒二人は驚きと怒りの視線をしてくる。


「谷……お前」


 高橋は、持て余す激情げきじょうを吐き出し、藤川は舌を鳴らして顔をらした。動から静へ大きく振り幅が変わったやりとりに、高橋は急に関心を失い、藤川をうながす。


「……行こうぜ」 


 高橋は、未だ表情にけんを残す藤川の肩をたたき、二人は生徒会室を出た。





 放課後、校舎全体がにわかなあわただしさに包まれた。俺と会長は『部室整理令』で立ち退く部を監督するため裏庭を歩く。他生徒の姿はなく、会長が安堵の溜息をいた。


「さっきは感謝するわ、谷君」

「さっき? ああ、単に俺が勝手に入って、話の腰を折っただけだ。礼を言われることじゃない」


 俺は、なぜ感謝されたのか分からず、キョトンとなったが、高橋と藤川の剣幕けんまくを思い出したのか、会長の手が僅かにふるえているのを見て合点がてんがいった。


妖狐ようこと呼ばれてるあんたでも、怖いことがあるんだな」

「谷君、君ねェ……。私だって女子だもの、男子二人に言いめられたら恐怖は感じるわよ」


 失礼千万極まりない俺の感想に会長はあきれた顔を見せる。が、すぐに冷静な姿に立ち直って、さりげなく問う。


「……まあ、いいわ。それにしても高橋が言ってた。あいつが知ってて私が知らない四字熟語が存在してたなんて衝撃しょうげきだわ。まだまだ勉強不足ということかしらね。ちなみに谷君は知ってる?」


 いまいち実感できていない敗北感を語る会長の微妙な横顔をながめながら、俺は『四字熟語』だったら何と答えるだろう、と思わず感慨にふけった。


(そういえば最近、部長にも四字熟語にも会ってないな)


 大規模商業施設であるアトリウムモールで出会い、幾日いくにちてないはずなのにほのかな懐かしさを覚えて、そうした気持ちを整理して、俺はその質問にできるだけ簡潔に答えた。


「『許田射鹿きょでんしゃろく』は四字熟語ではないかな……。中国の明代に書かれた『三国志演義えんぎ』の巻之四、『曹孟徳そうもうとく許田射鹿』の内容を京劇きょうげきにしたタイトルが『許田射鹿きょでんしゃろく』だ」 


 会長は、俺の言葉から薄ぼんやりと、その意味を把握はあくしようとする。


曹操そうそうが朝廷内の不穏ふおんな動きを感じて、献帝けんていと諸将百官を招いて鹿狩りをするのよね。で、ワザと横柄に献帝けんていの弓矢を奪い、鹿を射て「帝ではなく俺が射殺した」と喧伝けんでんしたけど、実はその行為が味方と敵を判別するための策だった……と、いう内容だったわよね」


 そして核心を得ようと必死に考える仕草を見せた。やがて思い至ったのか「クックック」と笑い出す。


「『部室整理令』が鹿で、私が出した課題が鹿ということかしら。裏切者の高橋にしては技巧ぎこうらした意趣返いしゅがえしだわ。

 つまり高橋と藤川は面子メンツと意地で『部室整理令』に反対する部や愛好会を糾合きゅうごうして私に対抗する腹積はらづもりね。……クックック。誰が『曹操そうそう』を演じ、誰が『献帝けんてい』にあまんじるのか……面白くなりそうだわ」


 会長の、水底みなそこ知れぬ漆黒しっこくの泉のような瞳が冷たく光り、薄い笑みを浮かべた。


(裏切者を叫んだ富樫とがしに裏切者扱いの高橋先輩か。それにしても会長、が根っから好きなんだな)


 内心を隠す表情のまま、俺は数秒ほど異なる思索しさくて、異なる比喩で論評する。

 

「『国香くにか』『良兼よしかね』兄弟と『良将よしまさ』――あるいは『平貞盛さだもり』と『将門まさかど』の関係……当時もお互いに裏切者とののしり合って救いようのない不毛ふもうな戦をいられた。高橋先輩は単なる腹いせで言ってるだけかもだぞ。『策士、策におぼれる』とならない様に、もう少し相手の出方をさぐったらどうだ?」


 ぞんざいにたしなめる俺の口調くちょうから興味がせた会長は「それはそうと」と話題を変えた。


「送ってくれた『歴史遊戯ゲーム』の続き、読ませてもらったわ。坂東平氏についての歴史観は大変興味深かった。課題を出した私が言うのも変だけど谷君って本当に真面目ね」

「ま、まあ……灼を退学にしたくないし、俺もだし、な」


 短く不機嫌に返し無表情で答えた。会長は真面目と評した俺の、奇をてらわない回答から動揺どうようを感じ取って、悋気りんきを交えて言う。


「谷君と双月さんは入り込むすきもないくらい相思相愛だわ。彼氏がいない私にはまぶし過ぎるわね」

「なッ!?」


 抜け抜けと言う会長の言葉に俺はき出した。もはや話の内容よりも、からかうことを楽しんでいる会長は腰で腕を組み、輝くような笑顔を見せた。


(普通に美人だと思うがな)


 性格の屈折くっせつが後天的に人付き合いを難しくしているのか、そもそも対人関係にうとくて性格がゆがんでしまったのか、あらぬ方向に思考が飛んでいた自分に気づいて、ふと直感が働く。


「以前、結衣ゆい先輩が出してくれた写真を懐かしそうに見てたけど、『玉の緒よ』の相手は、まさか茂木もぎセンセ……」

「かへりぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほたちばな……」


 俺の言葉に歌を重ねて、かなしく瞳を細める会長。ただ無言で俺を見上げた。本当の意味に近づくことへの拒絶きょぜつ、想いをげることへの恐怖……れてはいけない現実。会長の強く引き結んだ唇が僅かにふるえている。


(――いまはもう帰ってはこない昔の事を、枕辺まくらべにおたちばなが夢の中で思いさせてくれる)


 「……式子内親王だな」


 俺は含みを持たせて溜息ためいきいた。会長は前だけを見て歩き出す。


「懐かしい写真が『夢』のように昔のことを思いさせてくれたわ。あの頃の私は純真じゅんしん盲目もうもくだった。でも『今』もあの頃の時間が返ってきたらと思う時がある……。必ずめる夢なのに、ね」


 会長はたずねるでもなく言い、あきれた微苦笑びくしょうを見せた。

 その声が歌とつらなり、俺の心でたおやかにれた。

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