第五十四話:菅原家の『回収係』~検証⑮~





              ※※ 54 ※※




 洋式の豪奢ごうしゃな壁掛け時計がカチコチ、と時を刻む。やがて俺と灼は、どちらからともなく視線をはずした。


(そろそろ、かな)


 俺は時計をながめる。その挙措きょその意味をさとった灼は、押しとどめようと早口で言った。


「あんた、将門まさかどが平真樹まさきに加担した理由に『菅原家』が関わること、まだ説明してないわ」

「あ……、ああ。そうだったな」


 俺は熱い紅茶が満たされたカップを静かに置いた。


道真みちざねの三男である菅原景行かげゆきは、父親が太宰府へ向かった延喜えんぎ元年<901>に駿河権介するがごんのすけとして左遷される。嫡男の高視たかみも同年に土佐介とさのすけとして左遷されてるが、延喜えんぎ六年<906>にゆるされて帰京してるので、景行かげゆきも同じ頃に帰京したと思う。そして下総守しもうさのかみとして下向する」


 今日、何度目か分からないあきれの溜息ためいきらし、


「やっぱり坂東なのね。さっきも言ったけど下総しもうさは坂東への玄関だわ。そこに菅原家がからんでくるわけね」

「ああ。お前の言う通り、関東への玄関で交通の要所でもある。その下総しもうさ延喜えんぎ九年<909>に騒乱が勃発する」


 あっさりと、さばさばしすぎる態度で、灼は笑って言う。


「朝廷……と、いうより藤原忠平ただひらと言うべきね。坂東の火消し係を下命したってことかしら?」

「いや、私見だが……多分『菅原家』が困ってる忠平ただひらに対し立候補したんだと思う。この時期に国司として下向するのは自殺行為だ。

 しかし『菅原家』にとって、『菅家廊下』の遺産を坂東まで回収しに行かねばならない。同時に恩赦おんしゃの義理を果たすことが出来るのなら一挙両得というわけだ」

「まあね。それで菅原景行かげゆきってことなのね」


 その笑顔で、少し不満そうに切り捨てて言う灼。解答は分かり切っているのに何度も同じ課題が問われる、あからさまに不承不承ふしょうぶしょうな様子だが抗弁こうべんする気はないらしい。

 俺は淡白たんぱく口調くちょうで流す。


「菅原景行かげゆきは軍略家だ。きっと『菅原家』でも白羽の矢が立ったのだと思う。実際『日本紀略にほんきりゃく』によると、下総守しもうさのかみとして公式な過書かしょを朝廷に進上しんじょうしてる」

「えっと……過書かしょって、所謂いわゆる通行許可証だよね? これを朝廷に差し出したってことは、追捕使ついぶしがいつ来ても大丈夫にしたってこと?」


 俺は、灼がいだいた疑問をいったん置いて、言葉を進める。


「律令制下、国司こくしを定めるのは太政官だいじょうかんだ。しかし、郡司ぐんじの任命権は式部省しきぶしょう委任いにんされてる。つまり、『式部大輔しきぶたいふ』が全国の国人に対し、式部省の試験で合格した者を採用することになってる。その式部省を葛原親王かずらわらしんのうから引き継いだ菅原氏長者うじのちょうじゃである『式部大輔しきぶたいふ』の影響力は絶大であり、疑わしい国人には擬郡司ぎぐんじとして詮議せんぎすることが出来た」


 俺は、カップを取り、紅茶を啜った。


「菅原景行かげゆきは、朝廷に正式な通行許可証を提出すると同時に、自称する『じょう』や『郡司ぐんじ』が乱発する過書かしょ牽制けんせいすると、国人たちを下総国内で孤立させ、各個撃破していったんだと思う」


 しかし、灼は少しばかりの躊躇しゅうちょて、


「『将門記しょうもんき』では、将門まさかどは『菅原道真みちざね』の神通力じんつうりきによって戦に勝ち続けたとも言われてる。まさか……?」


 俺は大きく頷く。


「そう。伝承では将門まさかどの幼年期、父の良将よしまさ景行かげゆきに兵書・史書・農耕・技能の家庭教師を依頼する。なかなか厳しかったらしく……国営放送の長編大河時代劇に厳格げんかくな家庭教師として出演してるし、とにかく将門まさかどと菅原家は浅からぬ縁があったということだ」


 突然、灼がくすくす笑い出した。


「あんたって、小学生の頃から、的な時代劇とか大好きだったよね」

「そうだったかな?」


 俺は声だけで笑い、幼少の頃も同時に思い出す。俺と灼……何時いつでも何処どこでも二人でひとつだった。少し肩をすくめて 掩蔽えんぺいされた旧悪きゅうあくさらす。


「そういう灼だって。お前が小学五年の時、一人で古墳こふん探しに行って、迷って窪地くぼちに落ちて……。さがすの大変だったんだぞ」


 灼が頬を赤らめ、唇をとがらせる。そこにあるものなのか、ないものなのかを見上げて言った。


「あ、あれは……。そう、もともと目星を付けてた窪地に登れなくなっただけだわッ」


 灼は、そのままの姿勢で俺を見る。しかし灼は大きな栗色の瞳を細めた。俺が隠しようもなく笑っていたからである。

 俺は再びカップを持ち上げ、紅茶をすすった。


「短期間で下総しもうさを制圧した景行かげゆき一旦いったん京に呼び戻されるが、すぐに常陸介ひたちのすけに任じられて坂東へ戻ってくる。

 そして茨城県常総市じょうそうしにある『大生郷おおのごう天満宮』の伝承によると、真壁まかべ羽鳥はとりに高望王の次男良兼よしかねと源まもる等と共に『菅原神社』を建立する。その後、延長七年<929>菅原景行かげゆき兼茂かねもち景茂かげもちによって、現在の『大生郷おおのごう天満宮』にうつしたとあるが――」


 俺は、ひと呼吸入れて、


 「これは、あくまで私見だ。将門まさかどの在京中、父である良将よしまさが死ぬ。この時期の前後で平良兼よしかねと源まもるが『菅原道真』の影響力を――『菅家廊下』の遺産を、自領地の筑波山西麓(常総じょうそう市周辺)に移築した。

 もともと『鉄』の採掘権を持ち、官営製鉄所を任されてる真壁まかべの平真樹さまきは不利となると考え、不満を唱える」


 保証も正確もないので、ただ言うにとどめる。灼の眉が僅かに強張こわばりの動きを見せた。細い人差し指をそっと小さな朱唇しゅしんの上に置く。灼が思考にふけるときの癖だ。


「『菅原家の知識』の象徴である『神社』を私欲で動かしたと判断した将門まさかどは、平真樹まさきに加担したというわけね」

「まあ、それだけだったということはないと思うがな。平真樹まさきにも打算ださんはあっただろう。一見、俺の私見は正当性を主張してたかのようだが、大義名分はどちらにあったかは分からない」


 俺はカップをかたむけようとしたが、空っぽになっていたことに気づいた。


「あ、紅茶をれるね」

「もう十分だ。ご飯で腹一杯なのに、これ以上は入らない」


 耐熱ポットを持って立ち上がる灼は、悲しいほどに残念な表情を見せる。俺は苦笑で好意を断り、重い腰を上げた。


「もう遅いし……今度こそおいとまするよ。美味うまいメシ、いつもサンキューな」

「……うん」


 灼の力無い返事に後ろ髪を引かれながら、俺は玄関に向かった。靴をき、挨拶のため振り向こうとした時、俺の背中にポスンと小さな重みを感じた。


「平良ァ……」


 立ちくす俺の背中に頭をめ、灼は思わず唇を引きめる。


「あんた、『部室整理令』に関わってるといっても……会長や結衣ゆい先輩にお人好しすぎだわ」


 灼は小さな声で俺を責めた。灼自身が平良を待っていること、期待していること、はっきりと痛いほど自覚している。そして自分の元へ来てくれることも。


(平良は、いつもあたしの傍にいてくれる)


 俺は振り向き、灼の頭に手をく。


「そんなことないさ。確かに生徒会とか面倒事が増えてしまったが、んだ。問題ないと思うぜ」

「……うん」


 灼は声を押え、短く答えた。まるで壊れることを恐れるように。

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