第五十三話:結局『ダレトク』だったんだ?~検証⑭~





               ※※ 53 ※※





 ぐつぐつと煮立にだった赤ワインの芳醇ほうじゅんなダシ汁が出来ると灼は缶詰のホールトマトをしていく。さらに熱が加わったところで、あさり、ホタテ、イカを丁寧に並べ、白身魚、エビといった具合に隙間すきまめるように満遍まんべんなくめていった。ローリエの葉をえながら、


「オリーブの実は少し指でつぶして入れると、風味ふうみが増すわ。後はふたをして待つだけね」


 と、任務を完遂した指揮官コマンダーのような顔で両手を腰に当てる。俺はそんな彼女の行為にあいらしさを覚えて微笑ほほえんだ。


「『部室整理令』や『歴史検証ゲーム』で会長や富樫とがしに振り回されてきたけど、もうすぐ期末試験だ。こっちの準備もしたいので今日は晩飯ばんめし食べたら部屋に戻るよ」


 灼はおおいに残念がるが、俺に隔意かくいが無いことも分かっているので無理にすすめなかった。


「……そうね。あんた、パンにする? お米?」


 その灼が、キッチン越しに別の案件を持ち掛けてくる。


「せっかくだから、パンにするかな」


 俺は軽く答えて、二人分まとめてった生野菜サラダの大皿をテーブルの上に置く。そして取り分け皿に、俺の黒い箸、灼の赤い箸を並べる。最後にスプーンとフォークを用意して完了だ。


「ありがとう」


 言いつつ、灼がキッチンから鍋を持って出てきた。鍋敷なべしきに鍋を置きふたを取ると、きざんだ生パセリに黒コショウ、エキストラバージン・オリーブオイルを少量ほど降り掛ける。鼻腔びこう心和なごませ、おなかが鳴る贅沢な瞬間が広がった。

 俺は自分のはしの前に座り、灼も『カッチュコ』を取り分けて着席した。二人の待ちびたはずむ声が重なる。


「いただきますッ」


 初めて見る、しょくす料理だが、確かにイメージはイタリア料理である。灼は海鮮スープといったが見た目は煮込にこみに近い。俺はフォークでエビを差し、口に運んだ。


「!」


 言葉に出来ないうまさが身体中にみ渡っていく。大袈裟おおげさ過ぎる俺の反応に、灼はテーブルに頬杖ほおづえいて、充実の笑みを浮かべる。


美味おいしい?」


 幸せを一杯、胸に詰めてく灼に俺は無言で何度も大きく頷いた。






 食後の満腹感、という安らぎを堪能たんのうしている俺は、ポフンッとソファーに身を沈めた。


「パパがお土産でセイロンの茶葉を買ってきたの。英国 フォートナム&メイソンのブロークン・オレンジペコよ」


 灼の横で湯沸ゆわかしポットがピィーと、沸騰ふっとうしたことを報せた。慌てて熱湯を少しだけ耐熱ポットに注いで温める。湯気ゆげでガラスが曇ったところでお湯を捨て、スプーンで適量の茶葉を入れた。


「あたしもだけど、あんたって紅茶をよく飲むじゃない? 気に入ると思うわ」

「俺の場合は、コーヒーが飲めないだけだ。ちなみに『お抹茶まっちゃ』も割と好きだぞ」


 俺はお茶碗を持って、茶筅ちゃせんを回す真似まねをすると、


「へえ……。お正月でお着物を着た時とか、どこかで機会があったらお茶を立ててあげるわ」


 妙に勝ち誇ったような顔で自慢する灼。再び耐熱ポットにお湯が注がれ、高価な茶葉が見事にジャンピングする様子をながめながら俺は話題を変える。


「源まもるの子、たすく一党は茨城県筑西ちくせい赤浜あかはま付近――野本で待ち伏せて奇襲するが将門まさがど逆撃ぎゃくげきされる。

 そして、そのままの勢いで源たすく、源たかし、源しげる三兄弟全て討ち取られ、まもるの本拠地である真壁まかべも焼き払われた。その時その場にいた叔父の国香くにかも一緒に焼死したとされる」


 灼は、紅茶をカップに注ぎながら言う。


「『将門記しょうもんき』では、承平天慶じょうへいてんぎょうの乱のきっかけになったという最初の合戦よね。源まもる親子も『鉄』を狙ってたというということなのかしら?」

「俺もそう思う。『将門記しょうもんき』には国香くにかまもるの屋敷に居合わせて殺されたかのように書かれてるが、実際は連携してたんじゃないかと思う。

 また、後に引用された『扶桑略記ふそうりゃくき』にある当時の合戦状、その後、南北朝時代に書かれた『皇代暦こうだいれき』にある将門まさかど合戦状、『吾妻鑑あづまかがみ』の平将門まさかど合戦状。

 いづれも平真樹まさきと源まもるの土地争いに将門まさかど真樹まきに加担したからだと記されてる」


 俺は、カップを手に取り、鼻腔びこうくすぐかぐわしい香りを楽しみながら一口すすった。


「平真樹まさきたいら姓を名乗ってるが出自は不明だ。常陸ひたち新治郡にいはりぐんの国人で、真壁まかべ新治にいはり筑波つくばの広い範囲に領地を保有してたらしい。

 かつて新治郡にいはりぐんの中心地とされる桜川さくらがわ西茨城郡にしいばらきぐん岩瀬いわせ町の『金谷遺跡かなやいせき』から官営工房かんえいこうぼうと思われる製鉄跡が発掘されてる」

「つまり、平真樹まさきと源まもるは『褐鉄鉱かってこう』の採掘権をめぐってああそってたと考えられるわけね。

 でも、なぜ将門まさかどは平真樹まさきに加担するの?」


 俺はカップを置き、にやりと意地悪な笑みを浮かべた。


「それについては、後で詳しく話す。『菅原家』が関わるからな」


 灼は大きな嘆息を一つ。


「わかったわ、まずは平氏の内乱ね。とにかく悪巧わるだくみの片棒かたぼうかついだ国香くにかが殺されたと知ると、京で左馬允さまのじょうの位にあった、国香くにかの子である貞盛さだもりが坂東に下向げこうする。でも将門まさかどとは話し合いをもうけてるわ」

「そうだな。この頃になると国郡という行政単位は解体され、田堵たと負名ふみょうの台頭や郡の細分化にともない境界線が曖昧あいまいになってる。

 国香くにかの領地も常陸ひたち真壁郡まかべぐん東石田を本拠地としていて、源まもると平真樹まさきが入り乱れてたわけだが……貞盛さだもりもその当たりの事情は熟知してたんだと思う」


 灼が俺のカップに紅茶をそそいだ。


国香くにかと源まもるに対して、将門まさかどと平真樹まきという構図が出来ていて貞盛さだもりはそれを仲裁ちゅうさいしようとする。

 だが漁夫ぎょふの利を得ようと事態をややこしくする人間が現れた」

「へえ、誰よ」


 笑って言い、答えを待っている、という仕草で紅茶に口をつける灼。


高望王たかもちおうの次男、良兼よしかねだ。本拠地の武射郡むさぐん肥沃ひよくな土地と太平洋の豊富な海産物があるが、武器の生産に必要な『鉄』はない。そこで良兼よしかねは弟の良正よしまさを焚き付けて混乱にじょうじ、『鉄』を手中に収めようとする」


 紅茶をすする俺は、カップ越しに灼を見る。その瞳に詰問きつもんの色がないことを確かめると、さらに話を続けた。 

 

良正よしまさ良兼よしかねの言葉をどこまで信じたのかは分からない。ただ『将門記しょうもんき』には『……彼ノ常陸前掾源護ノ因縁ナリ』としるされており、外縁の源氏の為にわざわざ兵を集めてる。しかし将門まさかどによって新治郡にいはりぐん川曲かわまがり村にて返り討ちにされた」


 聞いた灼は、少し失笑気味に言う。


「最終的に将門まさかどの武力介入の口実こうじつを与えただけだったのね。とんだ計算違いだわ。確かこの後も良兼よしかね良正よしまさ貞盛さだもり連合軍は将門まさかどに敗れるのよね」

「ああ……。単なる平氏の私闘で終わるはずだったのが、万事休すの良兼よしかねと源まもるは外聞もはばかることなく朝廷に泣きつく。これが国家を揺るがす大乱へと拡大する元凶となる」


 灼は飲み終えたカップを置いて両手を伸ばし、ソファーに深く腰かけ直す。


 「『鉄』を奪い合って平氏同士で共倒れ。最後まで頑張った将門まさかども朝廷の追討軍によって討ち取られ……。いったい『ダレトク』だったのかしらね」


 灼のむなしい言葉だけが寂しく響いた。

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