第五十二話:『動乱』の予感~検証⑬~





              ※※ 52 ※※




 すっかり日が落ち、宵闇よいやみいざなわれて俺と灼の姿は、


「ちょっと、夕飯の買い物があるからスーパーに寄るわ」

「おう……って、今日もウチで作るのか?」


 湖畔こはんからびる病院脇の急坂をのぼりきって、やや歩いたスーパーの外にあった。


「ごめん、今日はママが残してった冷凍海鮮を処理したいんだ」

「そう言えば、お前のおおふくろさん、親父おやじさんについてドイツ行ったんだよな」


 気の抜けた俺の問いに嘆息たんそくで答えて灼は中へ入っていった。その後に続く俺。

 買い物カゴをげた灼が、目の前の生鮮野菜を吟味ぎんみし始める。俺が手を伸ばすと、カゴを自然に手渡された。


「あ、レタスが安いッ。あんたンのレタスが切れてたから買っとこ。トマトも、まあこの値段だったら……」


 次々とカゴに入れていく灼。


八千代やちよ市村上駅前で『黒沢池くろさわいけのたたら祭』が開催されてる。ここで古代製鉄再現実験イベントがあるんだけど、三世紀頃に沖塚おきづか遺跡近辺で採掘されたのは湖沼鉄こしょうてつ、つまり『褐鉄鉱かってっこう』だわ。これを原料で製鉄がなされたのではと言われてる。

 実際、市井しせいの研究者によって公共放送番組で考古実験が放映されてるし、砂鉄より低温で製鉄できる『低温還元ていおんかんげん製鉄』の可能性があると言われてるわ」

「縄文時代は手賀沼てがぬま印旛沼いんばぬま利根とね川もつながってた。鉄分を含んだ火山灰の関東ローム層から流れて『泥状沼鉄でいじょうしょうてつ』が生成されたってわけか」


 カボチャを手に取り、灼は目線だけを横に流して、俺を見る。


「そう、あんたの言う通りだわ。そうやってつちってきた技術を基に、律令国家の税制下、『鉄』でおさめてたのだと思うわ。埼玉県秩父では和同開珎発行のきっかけとなった銅が採掘されてる」


 俺は確認するように頷く灼を見て、その言葉を受けた。


大宝たいほう二年<702>に施行せこうされた大宝令たいほうれいには『およそ山沢に、異宝いほう・異木・及び金・ぎょく・銀・彩色さいしき・雑物ありといふところ知らば、国用に供するにへば、皆太政官に申して奏聞そうもんせよ……』とあるからな。鉱物こうぶつ資源には積極的だったんだろう」


 灼は、今度は玉ねぎを数個たなから取り、カゴに入れながら「よしッ」と意気込んで、


「あんた、セロリー好き?」


 と、次の棚へ向かう。急に意欲的になった灼を俺はあやしげに見た。


「ま、まあ嫌いじゃないけど……どうしたんだよ? 急に」


 灼が胸を張り、かばんを持った手を腰に当て、気負きおい立って微笑ほほえむ。


「今日の晩御飯で『カッチュッコ』を作るわ。あんたも食べるでしょ?」

「そりゃー食べたいけど……いいのか? お前ンに行っても」


 灼は、棚からセロリーを買い物カゴに入れ、俺の言葉に意外な顔を見せた。


「あたしが、しょっちゅう、あんたンとこに行ってるのに、あんたが来ちゃダメって理由ないでしょ? それに、ママってばパパの駐在にドイツまで付いて行ったし、今あたし以外誰もいないし」


(いや、だからこそ余計にマズいだろ)


 俺は母親に灼の家で晩御飯を食べるむねをメールで送る。そして考えても意味のない馬鹿馬鹿ばかばかしい悩みを早々そうそうに打ち切った。期末試験も近いし、ご飯を食べたらすぐに自分の部屋へ戻るつもりだ。

 いつしか買い物カゴが一杯になって、俺と灼は会計の為にレジへ並ぶ。


「ところで、灼」

「なによ」


 灼が、じとっとした視線を俺に向ける。


「その『カッチュッコ』って、どんな料理なんだ?」


 灼は無表情で固まってしまうのだった。





 二人でスーパーを出た後も、ゆるゆると歩きつつ、イタリア・トスカーナ地方の伝統料理である海鮮スープであること、その発祥、そして歴史学者によると、かつてフィレンツェ共和国のリヴォルノでは魚のフライ料理が禁止されてたため公案された料理という説もあることなど、灼の講釈をなま返事で聞いていると「これも、あんたの好きな『歴史』でしょッ」とムッとされた頃、ようやく家に帰り着いた。

 灼は双月家ふたつきけの扉を開錠かいじょうし、間延まのびした声で開ける。


「どーぞぉー。入って」

「お、お邪魔します……」


 にんまり笑う灼にして俺の表情はかたく緊張さえしている。誰もいないとはいえ、久方ひさかた振りに玄関へ入った。先にがった灼は「着替えてくるね」と二階の自室へ階段をのぼる。その姿に一瞬目をやり、オドオドしながら靴をぐ。短い廊下ろうかの先にある暖簾のれんくぐった。

 俺はリビングのソファーに、心の安堵あんどを求めて、ドカリと身を沈める。と、灼がリビングに姿をあらわした。


「今から、ご飯作るから待てってね」


 落ち着いた色合いろあいのパーカー・トレーナーにデニム地のフロントボタンスカートというよそおい。その上にエプロンをけ、食材をキッチン台に手際てぎわよくならべ始めた。


「そうだッ、平良。エビのからくのを手伝ってよ」

「はいはい、と」


 言われて、ゆるゆる渋々しぶしぶと俺は立ち上がる。キッチンの奥に入り、冷凍されたエビを電子レンジへ入れた。解凍時間をセットし、スタートボタンを押す。レンジの中のエビを見ながら俺はおもむろに語り出した。


高望王たかもちおう三男さんなんである良将よしまさの子が将門まさかどだ。将門まさかどは十五歳ぐらいの時に京に上り、藤原忠平ただひらのもとで官位を得ようと頑張るようになる。

 しかし約十二年ほど在京するが、余り実が出なかったみたいだな」


 俺はレンジからエビを取り出し、一旦いったん冷水にひたす。程よく柔らかくなったところで、玉ねぎとニンニクをみじん切りにしていた灼が「頭と尻尾は取らないでね」と言い置いた。みじん切りを終えた灼はニンジンもみじん切りにし始める。


将門まさかどが乱を起こしたのは、京で検非違使けびいしの位を得ることが出来なかったからうらみに思って坂東ばんとうくだった……とも言われてるらしいわね」

「ああ。『日本外史がいし』や『神皇正統記じんのうしょうとうき』にはそう記述されてる。

 あるいは『将門略記しょうもんりゃくき』によると、延長えんちょう九年<931>『……いささか女論にりて……』とある。つまり叔父おじである良兼よしかねの娘を将門まさかどうばったため、内乱が起きたという説だ。

 しかし私見では『今昔こんじゃく物語』の将門説話――将門まさかどが在京中に父の良将よしまさが急死する。その不在の隙に叔父の国香くにか良兼よしかねが遺領をって乱に及んだというのが有力だと思う。だが……」 


 俺は、エビの背の殻をいてパットに移した。灼は温めた鍋にオリーブ油をそそぎ、みじん切りの野菜をいためる。


坂東ばんとうは律令制下より無法地帯の場所だわ。様々な説が並行して起きていても不思議じゃないわね。あ、今度はホタテとイカを解凍してもらえる?」

「あいよ」


 俺は再び電子レンジを操作する。しばらく待ちながら、


「とにかく平氏一族の内輪揉うちわもめが、承平じょうへい五年<935>野本の合戦によって、源まもるの子、たすく一党に将門まさかど急襲きゅうしゅうされるという形で勃発ぼっぱつするわけだ」


 灼は、しんなりといためた野菜の上に、赤ワインをドバドバと入れた。


「父親の訃報ふほうを聞き坂東ばんとうに戻ってみれば、叔父たちに遺産を奪われ、今度は叔父たちのしゅうと・源まもるの子供におそわれる……これは『鉄』をめぐってのいさかいと言ってもいいのかしら?」

「そうだな。資源強奪しげんごうだつ戦争と考えても良いかもな」


 言って俺はセロリの欠片かけらを口に放り込む。灼はあきれながら、伸ばされた手を叩いてまみ食いをとがめたのだった。 

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