第五十一話:止まらない『平氏』~検証⑫~






               ※※ 51 ※※




 重たい雲はそのかげりを薄め、切れ間の彼方かなたに沈みつつある夕日が周囲の景色を赤で囲む。俺と灼はジョギングコースとなっている堤防ていぼう上の道を、湖畔こはんに向けて歩いていた。灼の気まぐれである。


富樫とがしの話が本当なら、あたしたちは今回も『歌』の件で会長に一本取られたってことになるわね」


 会長の権謀術数けんぼうじゅっすう習癖しゅうへきになりつつあるのか、灼はさっぱりした顔で言い切った。


「そうだな。俺たちでも、なかなか太刀打ち出来ないんだ。飯塚いいづか先輩や富樫とがしでは役者の格が違い過ぎるだろうな」


 俺は、ぶっきらぼうに答えつつ遅れず付いて行く。時間帯によるのか堤防に沿って走る人も少なく、やがて俺と灼は大きな河川敷かせんじきに出た。けたその先に光景が広がる。


「すごぉーく、綺麗きれいッ!」


 思わず両手を広げたくなるほどの大きな空があった。深くんだあおの奥にあるあか。淡い寂寥せきりょうを見せる日差しが、手賀沼てがぬま水面みなもを輝かせ、対岸の小山をあざやかに映し出している。その景色にまれるように立ちくす俺に、いつの間にか歩調を速め、先にいる灼が大きく手を振って声をかけた。

 

「平良ァー! 向こう側の小山、あれって根戸城址ねどじょうしだよねェ?」

「ああ、ちなみにふもとには旧武者小路むしゃのこうじ実篤さねあつ邸があるぞ」

「へぇー、今度二人で行ってみようよ」


 無邪気にはしゃいで、聞いてうなずいて。柔らかに微笑ほほえんで答えて。ふわりと少しくせのあるツインテールがひるがえり、清々すがすがしい満面の笑みで、大きな栗色の瞳を輝かせる。


(ああ、本当に綺麗だ)


 と、思う。


「当時の手賀沼てがぬまの水位から考えて、湖岸こがん松ヶ崎まつがさき城、根戸ねど城、少し南に増尾ますお城がある。下総しもうさは東に武蔵むさしに通じ、北は上野こうずけ、西は常陸ひたちだ。まさに交通の要所だな。この城砦じょうさいの多さは頷ける」


 俺は穏やかな気持ちで灼のかたわらに立った。灼も河川敷から広がる光景に瞳を細め、き渡る風を頬に感じて言った。


親王任国しんのうにんこくはさまれて存在感がうすいけど、下総しもうさは坂東への玄関口だわ。

 特に上野こうずけは銅、常陸ひたち上総かずさは砂鉄等、鉱物資源が豊富な国よ。そして、それらが集まる場所。朝廷としても信任厚い官僚でないと務まらないわね」

「それらを運搬する水運・陸運を支配してたのが『平氏』であり『平将門まさかど』だったということか」


 俺の言葉に、押しの効いた凛々りりしい顔で頷く灼。


「そうね。手賀沼てがぬまのすぐ南には印旛沼いんばぬまがある。そしてその一帯を治めたのが将門まさかどの父親である良将よしまさで東国最古の製鉄工場を有してたわ。今は遺跡になってる」

「俺も聞いたことがあるが、場所は何処どこだったっけ?」


 灼は真剣そのもの、それから大いに満足顔で雄弁ゆうべんに語り出す。考古は灼の専門だ。その笑顔が本当にまぶしくて、全身全霊ぜんしんぜいれいで楽しんでいる灼を見て、付き合う方は悪い気はしない。俺は神妙に拝聴はいちょうした。


「千葉県八千代やちよ市村上という場所に『沖塚おきづか遺跡』が発掘されて、三世紀頃の製鉄炉跡が出土してる。

 また近辺の花見川流域の『萱田遺跡群かやだいせきぐん』からも多数の鉄製品が出土してるわ。つまり律令国家以前からも製鉄技術がすでに存在したってことよね」

「弥生中期で鉄を生産してたってことは、日本最古という可能性もありか?」


 俺の疑問に、にこやかに答える灼。


潮見浩しおみひろし先生によると、考古学上の鉄器時代は三段階に分かれるわ。最初は、完成された鉄器を輸入して使用するだけの時代。二段階は、鉄そのものを輸入して、自身で加工する時代。最後は、砂鉄等で製鉄から作成する時代。

 西日本で確実と思われる製鉄遺跡は六世紀前なかば頃と言われてるけど、広島県庄原しょうばら市の『大成おおなり遺跡』が五世紀半ば頃とも言われてるから、まあ、可能性としてはありだわね。

 とは言え、広島県三原みはら市八幡町の『小丸遺跡こまるいせき』等で発見された製鉄址せいてつあとは、弥生時代から古墳時代頃ではないかと推定されてるし、分かんないわ」


 灼は、投げりに近い態度で肩をすくめて言った。そして、丁度見晴らしの良い場所にあるベンチへと向かう。

 その木板をつなぎ合わせたベンチの上には、乾いた落ち葉が散りかれ、灼はそれを雑に払い、小さなお尻をストンと落とした。


「と、……とにかく、昭和五十三年に茨城県結城ゆうき郡八千代町の『尾崎前山おさきまえまや遺跡』で、竪穴たてあな住居跡とともに九世紀頃の製鉄炉跡や木炭・粘土等の材料置場などの施設跡が発掘された。遺跡は将門まさかどの領地と重なる。『平氏』が資源獲得のために勢力を伸ばしてた証拠よね」

「そうだな。もっとも坂東が乱れていく原因を作るのも『平氏』だが……」

 

 俺は灼の隣に座り大きく腕を伸ばして一息つき、背もたれに身体をあずける。見上げる空が広い。


上総かずさ下向げこうし、国衙こくが名田みょうでんを直接支配してきた高望王たかもちおう上総介かずさのすけの任期がせまる。

 やがて昌泰しょうたい四年<901>任期が満了すると、高望王たかもちおう太宰府だざいふへ向かう。この年は菅原道真みちなが太宰員外帥だざいいんがいのそちとして左遷させんされた年だ。

 広大な名田みょうでんと各地の製鉄工房を支配に置く息子たちは帰京せず、田堵たとであり有力国人である源まもるの婿となる。だが、ここで兄弟にわずかな温度差が出来る」


 途端に灼が驚きを見せたが、何かを納得した顔で何度も頷き、


「その温度差が将門まさかどの乱につながるのね」 


 と、俺を見る。軽くいたつもりなのだろうが灼の声に力がこもっていた。


「まあ、これは俺の私見だ。長兄・国香くにかと次兄・良兼よしかねは源まもるの娘を妻にするが、三男の良将よしまさ県犬養春枝あがたのいぬかいのはるえの娘をめとる。

 なぜ兄弟の不仲を生むかというと、源まもるには同族の嵯峨さが源氏である武蔵権介の源あつるがいる。この祖父源のぼるの娘婿が藤原時平ときひらだ」


 灼が険悪この上ない顔でく。


国香くにか良兼よしかねは実利を取り、良将よしまさは義理を通したわけね。まるで飯塚いいづか先輩と富樫とがしの関係だわ」


 俺は再び空に視線を泳がせ、言葉をにごらせる。


「うーん……まあ、取り敢えず父親の高望王たかもちおうにとって嬉しくはないだろうな。実際、結城ゆうき郡や印旛いんば郡といった平氏にとって重要な財源である製鉄工房を良将よしまさに継がせてる。桓武かんむ平氏の実質的な祖と言われ、鎮守府ちんじゅふ将軍に叙されてるからな」


 静かで穏やかな風景が夕に沈む。橋を越えた水面みなもの向こう側、東の手賀沼てがぬまは、ただ大きく黒く横たわり、街明かりが反射して広がりながら万華鏡のように輝いていた。


「こんな眺めもあるのね……」


 灼は立ち上がり、ふと、心のこぼれ出るように。



 先のあこがれと今の気持ちを素直に口にした。



 それをみしめるように俺は押し黙る。灼は頬を上気させ、大きな瞳を震わせながら真摯しんしな眼差しで俺を見上げた。

 

「うん」


 同じ求め。

 灼は目を細め、そして俺は満足した。

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