第五十話:『通説』と『異説』





                ※※ 50 ※※



 

 これは俺の私見だが、歴史にも『作用反作用の法則』に近似きんじした因果性いんがせいがあると思う。

 この国では例えば、672年の壬申じんしんの乱、1582年の本能寺ほんのうじの変……同種の史実は枚挙にいとまがなく、端的に言うと『想像しがたい未知で新しい、不安で恐ろしい』が起きると、同じくらい『古来より連綿と続く伝統的で古式にのっとった、平穏で安堵できる』を求める、ということだ。

 様々な当事者の思惑や利益が交錯こうさくして起きた事件に対し、後世こうせいの研究者たちの異なる視点によって諸説が生まれる。支持が多ければ『通説』となり、少数派、あるいは斬新ざんしんであれば『異説』となる。


「別の場所ってどこだよ?」


大勢たいせいは、二人にとって不名誉かもしれないが、痴情ちじょうの誤解による喧嘩沙汰。こいつの話が『異説』となり得るか、単なる自己弁護で終わるのか)


 富樫とがしの言葉を無視して、俺は階段を上がり始めた。続く富樫は怪訝けげんな表情で押しだまる。県立東葛山とうかつやま高校は一階が一年、二階が二年ときっちり区分けされており、一年はおろか二年も、三年生クラスがある三階にほとんど上がらない。用事と言えば、同階にある生徒会室くらいだろう。

 実際、俺は灼と昼休みに生徒会へ行く約束をしていたのだ。急なスケジュール変更でを決めかねていたが、足の向くまま三階も通りぎて、そのまま上へ行く。


「まあ、ここら辺でいいだろう」


 俺は肩に力を入れて鉄扉てっぴを開き、四方何もないコンクリートの平面に出た。古い金網のフェンスに囲まれ、所々僅かな水溜みずたまりの跡で湿っている。

 だが、景色は良い。僅かに残った空のかげりも薄らぎ、日差しによって輝きの色が変わりつつあった。県立東葛山とうかつやま高校は関東ローム層で出来た下総しもうさ台地と手賀沼てがぬま周辺の沖積層ちゅうせきそうが重なる、やや小高い緩慢かんまんな斜面にある。周囲は住宅地で高層建築物は存在しないので、空は大きく遠くまで見渡せた。


「で、話って何だ?」


 腰を下ろし、弁当を広げようとした時、ひん曲がりそうなほどの音を響かせて鉄扉てっぴが開く。


「探したわよッ、平良ァ!」


 そう叫びながら、猛烈な怒りをき出す小柄な少女が立ち現れたのだった。





 突然の出現……しかし、出てみれば必然の登場に諦観ていかんした俺は、灼と富樫とがしという奇妙な取り合わせと共に弁当を食べた。食べ終わった灼はさり気なく、しかし激烈げきれつな一撃を富樫とがしり出した。


「そういえば富樫とがし。あんた恩赦おんしゃを受けたのに、まだ引きってるの? 次期会長の平良に話したとこで無駄よ」

「えっ!? ……えっと、双月ちゃん?」


 いきなり飛んで核心を突かれて、富樫とがしはこれからの会話に全く意味をなさない、という彼女の言を理解した。そのことに動揺して、反駁はんばくを許さない小柄な少女に気圧けおされて、言葉をつむぐことが出来ない。

 もっとも灼の胸の内に、平良との時間を邪魔されたという憤慨ふんがいもあったが。

 俺は何となく富樫とがしに視線を移す。座ったまま微動びどうだにしない、泣きそうな友人の顔を見て大きく嘆息する。


(まあ、見捨てられないな)


「俺たちは生徒会役員じゃないし、ましてや裁判官さいばんかんでもない。歴史に『異説』は付きものだろ? 話は聞いてやるさ」

「え、えーと……うん」


 後悔が声となってしおれる灼。俺は小さな頭に軽く手を乗せると、落胆の色が喜色に変わる。


富樫とがし飯塚いいづか先輩が俺たちを生徒会に売った『裏切者』と言ったが、根拠はあるのか?」


 瞬間、手の中で灼の頭が挙動きょどうを示したが、大人おとなしくしずまる。富樫とがしはどう答えていいのか分からないまま、うつむき加減で言葉を細く切りながらき出した。


「あ、あの日……飯塚いいづか先輩が俺にこう言ったんだ。『俺は生徒会に言ったんだ。古代考古学研究部を廃部にしてくれ』ってな。思わず熱くなっちまった、俺は『今まで頑張ってきたのに、なんでここでッ!?』と、め寄った。そしたら……『歴史研究部の部長は自宅謹慎きんしん。四字熟語……五十嵐いがらしも手を引いた。文化祭決算定例会が終わると実質三年生は卒業だ。後は受験に全力をくすだけだが、俺は部活の存続で内申書を悪くしたくない。大学の推薦すいせんに響くからな』なんて言いやがった」

「真っ当な意見だわ」


 富樫とがし独白どくはくを灼が切る。富樫は苦笑で顔をゆがめ、哀訴あいそを含めて告解こっかいする。


「俺だって、それくらいは理解できる。先輩にも悪かったと思ってる。でも……」


 苦しみと悲しみと悔しさを混ぜて、涙として。コンクリートの上に、とめどなく落ちる。


「たかが……たかが、部室の存続って言いやがったッ! 確かに取るに足らない出来事なのかも知れない……だが、俺にとって……お前たちとの『文化祭』や『考古研修』だって……『ツーリング愛好会』だってッ……」


 富樫が不意に、ぐっと、あごを上げる。


んだッ!」


(こいつがこんなに熱血だったなんて、な)


 ただ聞く俺のかたわら狼狽ろうばいする灼が「わ、わかったから、泣かないでッ」と、慌ててポケットティッシュを出していた。


(しかし)


富樫とがし。確かに飯塚いいづか先輩は自身で『』と言ったんだな?」


 俺はえて山科会長の名前は出さなかった。そもそも『部室整理令』と富樫とがしたちが起こした事件は別件だからだ。しかし事件の発端ほったんは、やはり『部室整理令』なので切って考えることが出来ない。全く面倒なことをしてくれたものだ。


(やっと『部室整理令』から解放されたと思ってたんだけど、な)


「ああ、間違いない……と思う。俺も興奮こうふんしてたから、一字一句その通りとは言えないがおおむね、そのような意味だった」


 富樫は灼からもらったティッシュで目じりをきながら断言した。そんな富樫を灼は、疑問と怪訝、あるいはとがめている目つきで見ている。


「おまえ、山科やましな会長から『歌』をもらっただろう? これについてはどう思った?」


 微妙に剣呑けんのんな雰囲気の中、冷静に計算して、俺はもう一つの真相について詰問きつもんした。瞬間、意味不明な表情を作る富樫とがしに、灼は不愉快をあらわにした。


「あんたが貰った『玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする』よッ」

「……俺は山科やましな会長からは何ももらってない。それが何だってんだ?」


 富樫とがしがキョトンとした顔をする。俺と灼は、全てが考慮の外側にある事柄じへいだった、ということを理解してしばし固まる。が、それも瞬時であり、同時にはじけ、しかし同時に異なる言葉を発した。


「お前、山科やましな会長のこと好きだったんじゃないのかッ!?」

「だって、会長が歌を見たあんたのことを『ピンク脳』とか言ってたわよッ!?」


 思考にけ、ややななめ上を見ていた富樫とがしが「ああ……」と大きくうなずく。


「俺、いちおう『百人一首部』に入ってるからな。部活動で短歌とか作るわけよ。それで部長……山科やましな会長に添削てんさくしてもらって……そういえば、その時に『歌』をもらったかな? 

 しかし安心しろ。あんなドSな妖狐ようこに頼まれても告白しないぜ」


 明朗めいろうに笑う現金な富樫とがしを見て、頬を引きつらせる灼。俺は素っ気なく立ち上がり、


「お前からじかに話が聞けて良かった。サンキューな。それと……」


 乾燥した笑みをこぼして、


富樫とがし。お前の恩赦おんしゃ、取り消すよう会長に伝えとくよ。当分、学校に来るな」

「ちょ、ちょっと、それどういう……」

 

 呆然ぼうぜんとした富樫とがしを屋上に取り残し、足早に出て行く。灼も後ろから追ってきて、鉄扉てっぴが「お、おーいッ」と叫ぶ声とともに閉まる音を背中で聞いた。




 

 俺と灼は、そのまま飯塚いいづか先輩のクラスへ直行する。しかし、いぶかる先輩女子は身もふたもなく簡潔に答えた。


飯塚いいづかなら、まだ学校に来てないわよ」


 俺はかたわらの灼と顔を見合わせ、本日、何度目かの嘆息をらした。

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