第四十八話:『不良』は最初から『不良』ではない~検証⑪~






               ※※ 48 ※※




 寿司を全部平らげ、その至福を目と舌で堪能たんのうした俺と灼は、余韻よいんひたりながらお茶をすすった。


将門まさかどの乱や維良これよしの乱、忠常ただつねの乱みたいな大規模な反乱を含め、小さな争いが絶えない国人が『菅原家』の赴任中は大人しくしてたということね。

 でも平氏だって元は皇族でしょ? そんなにばかりしてていいの?」


 何気なく言った灼に、俺は肩をすくめて、


「うーん、手厳しいな。平氏のを語る前に、『坂東』……つまり関東地方が『あずま』と呼ばれ、今の東海・甲信越までにされてた頃までさかのぼるべきだろうな」


 と、あごでて言った。灼は思索にふける。


「律令制下の時代までさかのぼるってわけね。確かに畿内への調庸の運搬方法として馬が通説だわ。まあ、同じくらい舟運も盛んだったというのは、あたしの意見だけど、陸路が一般的ね。そして当然のように荷駄を襲う盗賊がいる。つまり平氏がくだる以前から関東は大荒れだった?」


 俺は明るく大きくうなずく。


「うん。おまえの言う通り、畿内への調庸の運搬をになったのは郡司ぐんじや裕福な土豪たちだが、実際に荷の運搬と安全をけ負う『僦馬しゅうめ』と呼ばれる集団があった。この僦馬しゅうめについては諸説あるけど、律令によって定められた徴兵によるものだったと思う。

 兵士は『軍団』に編成され、京の衛士府えじふ衛門府えもんふに配属されるが、特に東国から徴兵された男子は『防人さきもり』として九州へ送られ、あるいは『鎮兵ちんぺい』として東北地方の鎮守府ちんじゅふに配属された。それとは別に郡単位で編成された地方部隊もいた。この地方部隊の一部が『僦馬しゅうめ』だったと思う」


 お茶をすすり、ひと呼吸分の間を置いて、俺は続けた。


「しかし、兵役と過酷な税の取り立てで疲弊ひへいした民衆は次々と逃散ちょうさんし、班給はんきゅうした口分田くぶんでんも維持できなくなる。その過程で軍団制も事実上機能しなくなり、正規軍である『国造軍くにのみやつこぐん』が解体されると、ますます治安の悪化を辿たどることになった。

 よう調ちょうの取り立てに反抗し、逃散ちょうさんした民衆による盗賊の横行。僦馬しゅうめは、これらに対抗するため武装するが、やがて僦馬しゅうめ自身も他の僦馬しゅうめおそい、互いに荷や馬を強奪するようになる」


 灼が苦悩に満ちた面持ちで、深く嘆息をく。


「完全に無法地帯だわ。そんな中に新人ルーキー高望王たかもちおう上総かずさ下向げこうしたわけね。道真みちざねが国司としての経営は勿論もちろん、『武士』としてのたしなみをレクチャーしたのも分かる気がするわ」

高望王たかもちおうとその息子たち、長男国香くにか・次男良兼よしかね・三男良将よしまさがまず始めたことは、僦馬しゅうめや盗賊の横行を鎮圧ちんあつすることだ。

 この頃になると完全に律令制度は崩れ、口分田くぶんでんによる人民一人ひとりの収取体制から、荘園しょうえんの前身とも言える『名田みょうでん』が租税収取の中心となる。

 そして国司の代わりに徴税ちょうぜいけ負う郡司ぐんじや富裕土豪たちを『田堵たと』と言うが、やがて高望王たかもちおうとその息子たちも直接『名田みょうでん』を支配することで力を付けることとなる」


 灼が、自分の湯飲みと俺の湯飲みをのぞき、なんということもなく立ち上がった。


「お茶、飲むでしょ。お湯をかすね」


 僅かに張り詰めていた場の空気が、灼の一言でけていく。ふと壁掛け時計を見れば、就寝しても良い時間だ。しかも両親が帰ってくる気配すらない。


「灼、おまえの両親はもう帰ってきたのか?」


 ポットを火にかけた灼は、俺の言葉でポケットからスマホを取り出す。画面に視線を落とした灼は「げッ」と短く放つ。そして気が抜けたような声で、


「うちのパパとママ、あんたの両親と二次会だって。ホテルの部屋までとって、ラウンジで飲み明かすみたいよ」


 と、画面を突き出した。いわく言いがたい事実の発覚で、俺は苦虫をつぶしたような顔になる。そこに丁度俺のスマホにもメッセージが届いた。内容は灼のそれとほぼ同じだが、父親から『灼ちゃんを一人にさせるのは危険だから、ウチに泊まらせるように』と追伸があった。


「……不良中年どもめ。しかも警察官のオヤジが風紀を乱してどうするんだよ? まあ、空き部屋はおまえの部屋みたいなもんだからな。明日も学校で早いし、泊まっていけよ」


 俺は洗面台へ行こうと立ち上がる。ピー、とお湯が沸いたことをしらせるポットを持ち上げようとした、そのとき。軽く言い置いた俺の言葉に、灼の身体が一瞬ねて硬直した。


「熱ッ!」 

「大丈夫か? 火傷やけどしたか?」


 灼はポットに触れた指先をめて、「ヘーキヘーキ」と苦笑する。俺は急に不自然になった灼の態度に不安を残しつつ、


「俺、風呂入れてくるから休んでろよ」


 と、呑気のんきにリビングの戸を開いた。背後の灼は湯沸ゆわかしポットを持ったまま、反対の手でドキドキが鳴り止まない胸を押さえる。真っ赤な頬に熱い耳……自身が沸騰ふっとうしていることに気づいて、涙目なみだめの顔をうつむけた。



 

 

 灼は気恥ずかしさと共にいささか立腹していた。その矛先は自分に対してなのか、平良に対してなのか、それとも両方に対してなのか……とにかく不機嫌な灼は、脱衣所に入ると、ポンポンと子供のように衣服を脱ぎ捨て、ツインテールのひもほどく。広がる栗色の髪を後ろでゆるやかにまとめた。


(今晩はあたしと平良、二人だけなのよッ! どうして無神経でいられるのかしらッ)


 やや乱暴に浴室のとびらを開けて中に入る。蛇口をひねり、お湯が出てくるまでしばらく待った。

 今まで何度も平良のウチに泊まったことはある。でも、しかし……その時はお義母かあさんがいて、お義父とうさんもいた。二人だけの夜は初めてなのだ。


(それをよくもまあ、呑気のんきにッ!)


 さらに灼は熱くなる。洗面器からあふれるお湯にタオルをひたし、ボディーソープをたっぷりと落として、腹立ちまぎれに小柄な体躯たいくを乱暴にり始める。

 ふと鏡に映った自分を見た。起伏がなだらかな未熟で細い体型をどうしても意識する。特に結衣先輩という障害ライバルが現れて、ふくよかな部分と全体の構成比の均整と調和がとれた体型に対し、劣等れっとう感をいだくようになった。それに気付かされた時、平良が世の男性がこのむように、大きく成長した結衣先輩の局部に目をうばわれていることを知った。


(やっぱり、あたしの身体には興味がないのかな?)


 そう思うと、息がまるほど重く胸が苦しくなる。身体をることにきた灼は、お湯で泡を流してバスタブに入った。あごまでお湯にかってひざく。ブクブクと泡立つ透明な水面みなもながめ、陰鬱いんうつな気分にひたる。

 無神経に言いはなつ平良の言葉にい上がって、勝手に期待して、身も心もゆだねようとして、そんなことを考えてしまう自分が恥ずかしくて、こんな貧弱な身体の自分が許せなくて……。

 灼は顔を上げ、足をばして、湯気ゆげかして天井をながめる。いったい対して怒っていたのだろう。


(あたしだってッ!)


 突如、かぶりり、強くまぶたじたまま、パシャパシャと頬をお湯でたたいた。これからの成長次第で、その差をめることはできる。今までだって、平良の横に立っていたいから色々と努力してきた。あたしは頑張る子、できる子なのだ。

 灼は勢い良く立ち上がり、浴室から出た。柔らかなバスタオルで丁寧にしずくき取り、下着を手に取る。あたしのセカンドルームと化している空き部屋にお義母さんが用意してあるもの――その全てが可愛らしいフリルがほどこされていて、あるいは煽情せんじょう的で。

 灼は逆上のぼせたわけでもないのに、桜色にまったほほのまま、その場にうずくまった。

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