第四十二話:生徒会の暗部






               ※※ 42 ※※




 ようやく追い付いて隣に並びかけた時。

 灼が引き戸のガラスを砕きかねない勢いで開け、その衝撃が鼓膜こまくつらぬく。たった今まで静謐せいひつだった生徒会室には、幸いにも会長しかいなかった。まさに嵐の如くけ込んだ灼を、会長は平常通りの表情で見つめる。


双月ふたつきさんを呼んだ覚えはないわ」

「勝手に来ただけよッ! あたしも呼ばれた覚えはないしッ」


 みつかんばかりの剣幕で、ズンズン進み、執務机にこぶしを置く。


「生徒会に手を貸そうって言ってんのよッ! 早く未決済書類を渡しなさいッ!」


 会長が小首をかしげ、灼と俺を見比べる。その視線、わずかな挙措きょそで、俺は助け舟に気付き補足した。


「いや……まあ、今朝のヘルプの件を話したのだが――」


 俺の発言で、意味もなく灼がふんぞり返る。


「ふ、ふんッ。よくも平良をだましてタダ働きさせてくれたわね? 『歴史研究部』は損害賠償そんがいばいしょう請求として、『部室整理令』の優遇ゆうぐうを主張するわ。

 とはいえ、せっかく生徒会に恩を売れるのだから、あたしも生徒会を手伝ってあげる。これは純粋な取引よッ!」


 灼の長い主張に、会長は同じくらい長く嘆息たんそくした。さっさと不適当な部分を指摘する。


「言葉の齟齬そごがあったのは認めるけど、私は『善処する』と言ったわ。現時点で詐欺さぎに問われるいわれもないし、ましてや谷君の手伝いについては事前に合意も取ってる。

 だから不法行為に基づく損害賠償は発生し得ない……でも、まあいいわ。双月さんが『歴史研究部』の代表として交渉するというのなら、生徒会としても異存いぞんはない。前向きに検討しましょう」


 この時点で、俺は当事者にも関わらず、完全に蚊帳かやの外だった。灼は強烈な意思を大きな栗色の瞳に宿やどらせ、抜身ぬきみやいばのように見据みすえる。


「つまり、交渉成立ということね」


 不敵に笑う灼を、会長は軽くなした。


「私は前向きに検討すると言ったのよ?」

「は、はァーん……ということは、あんたはつまり、平良との交渉を『善処する』前にコキ使ったということになるわ。これって不法行為にはならないのかしら?」


 ズイッと双眸そうぼうを光らせめ寄る灼。対して会長は全くひるまない。そして俺は実感した。女子を怒らせると、途轍とてつもなく怖ろしいのだ、と。

 やがて、会長が肩をすくめて立ち上がった。


「双月さん、あなたには負けたわ。交渉成立……優遇措置は約束する」


 と、なかあきらめた表情で苦笑しつつ、


「ただし、二人には生徒会の役員候補として働いてもらうわ」

「役員候補……って何だ?」


 怪訝けげんな顔をする俺と、わずかに口元を緊張させる灼。会長が意地悪く笑い、補足する。


「私が二人を次期生徒会役員に推薦すいせんするってことよ」


 受けて灼が眉根を寄せる。


「あたしの知る限りでは、文化祭後に行われる通常定例会で、各委員会やクラス委員、実績のある部からと思う人を生徒会が推薦すいせんするって話だけど?」

「そうなのか?」


 俺の質問に、灼は隠さず不満をらす。


「あんたって興味がないことに関しては、とことん無知ね」

「オヤジが公務員だからな。政治には関与しないんだ」


 的外まとはずれな抗弁こうべんあきれ顔の灼。会長は未決済書類を長机に並べながら、話のを取る。


興行こうぎょう利益132億2001万円……正直、一学校の校長は元より県の教育委員会でも、この案件を持て余してるのが現状よ。学生の本分を逸脱いつだつしてるという学校意見と、地域に絶大な貢献こうけんを果たしたと賛辞さんじを贈る地元企業と政治家たち。

 しかも贈賄ぞうわい容疑のある『歴史研究部』の部長が、完璧な貸借対照表と損益計算書を提出して、自主停学したもんだから余計に稚児ややこしくなってる。これに生徒会は中立な立場を取ってた」


 俺と灼が同時に愁眉しゅうびを見せたので、「クックックッ」と声を上げた。


「生徒会長である私が、貴方たち二人を生徒会役員に推薦すいせんする意味が分かるわよね?」

「生徒会に『歴史研究部』の部員を推薦することで、部と認め、『部室整理令』から優遇措置を取る。

 さらに生徒会が『歴史研究部』の擁護ようごに回るので、部長の嫌疑けんぎも晴れ、自主停学の必要も無くなるってわけか」


(そして、俺たちを利用して分裂しかけてる生徒会を立て直し、つ自分の息のかった後輩を後継者に仕立て上げる。恐ろしいことを思いつくもんだ。……でも、そう思い通りになるかな?)


 俺はうなり、会長を見据えた。灼は人差し指を小さな唇に当てている。こいつが思考をめぐらす時の癖だ。


「あんた」


 幼い顔立ちに静かな気迫きはく宿やどし、会長をにらむ。


「もし、あたしたちを手駒てごまにしようってなら無駄よ」

「クックックッ。そんなつもり毛頭もうとうないわ。いずれにしろ、定例会までに誰を推薦すいせんするか決めなければならない。私にとって同じことだわ」


 執務机に向かい、座り直した会長はメガネを掛け、ノートパソコンのキーボードをはじき始めた。俺と灼も無言でならい、会長の用意した未決済書類の前に座った。





 再び、静寂せいじゃくな空間へと戻った生徒会室に、プリントをめくる音とキーボードを叩く軽やかなプラスチック音のみが響く。

 時々、灼が立ち上がる椅子の音と、会長が給湯器で湯をかす音がじるが、それが小一時間ほど続いた頃。遠慮がちに戸が開き、二人の男子生徒が入ってきた。見知った顔ではないので、恐らく上級生だろう。二人の先輩は胡乱うろんな目で俺を見て、隣の灼が視界に入ると露骨ろこつ驚愕きょうがくしてみせた。


「何でここに一年の双月が?」

 

 包み隠せない小声の上級生たちが、憧憬しょうけいを込めた視線を灼に送っていた。しかし当の灼は、人が入室してきたことすら気付かないくらい、大量の領収書を食い入るように見ている。


藤川ふじかわ

「な、何かな?」


 会長のんだ声に呼ばれて、上級生の一人が恐恐きょうきょうと進み出た。そのうかがうような視線と質問に、鋭い瞳と冷たい表情で返す。


「貴方の総勘定元帳、13億4312万3002円合わないわ。転記ミスの可能性があるから確認して頂戴ちょうだい。定例会まで日がないわ。明日までに原因を追究すること、いいわね」


 藤川の顔が無残にゆがんだ。


「い、いや、これで三度目だぜ。転記ミスじゃなくて、仕訳しわけミスの可能性だってある」

高橋たかはし。仕訳したのは貴方だったわね。明日まで報告して頂戴」


 冷淡に容赦なく告げられた、もう一人の上級生、高橋はうらめしそうに藤川を見るが、それにまさる敵意で会長に向き直る。


「僕も何回も見直したッ! そもそもクレイジーな『歴史研究部』が途方もない収益を計上したばっかりに、余計な仕事増やしやがってッ」

 

 き捨てるようにののしる高橋を一瞬、灼は見上げるが、すぐに興味を失って仕事を再開する。俺も彼の言動に怒りを覚えたが、無視を決め込んだ。


「数字の大小関係なく、単なる足し算と引き算よ。貴方たちが文化祭決算報告書を作成できないというのなら、二年の雑務を手伝ってもらうわ」


 会長のげんはどこまでも冷ややかだ。二人の先輩は、俺を憤怒ふんぬ形相ぎょうそう一瞥いちべつした後、激しく戸を開け去っていった。

 その駆け去る足音が遠く消え行くのを聞きながら、俺は本日二度目の出来事に心のうち嘆息たんそくする。やはり会長は朝と同様、平然と業務にあたっていた。 

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