第四十一話:夢の『歌』





        

            ※※ 41 ※※




 やたら長い、桜並木の坂道を登り切ったところに県立東葛山高校の校門がある。

 普段の俺ではありえないくらい早朝に、開いたばかりの校門をくぐり、生徒会室を目指す。鍵はいていたので、勝手に中へ入った。


「なんだ? 誰もいないじゃん。何だよ、朝から呼び出しといて……」


 俺は、会議室によくあるキャスター付きの長机をけて、適当なイスに座った。まだ明けらぬ東の雲間から照らす、弱々しい日差しが入って来て、寒々さぶざむとした室内を僅かに温める。俺は大きな欠伸あくびをしながら、目をこすった。


「――『あかつきのゆふつけ鳥ぞあはれなる長きねぶりを思ふ枕に』みたいな気分だな」

「クックックッ。懊悩おうのうと人の世のむなしさを詠った歌も、谷君がそらんじれば単なる朝寝坊あさねぼう願望ね。式子しきし内親王もガッカリだわ」


 言って、給湯室から出て来る女子がいる。生徒会長の山科花桜梨かおりだ。会長は、俺にミルクティーを渡して、自分はコーヒーをすする。紙コップに浮かぶティーバッグを指でつつき、一啜ひとすすりした。

 

「昨晩、急にお願いして悪かったわ。朝礼までにプリントを仕分けして、冊子さっしを作るわよ」


 会長はテキパキとプリントを仕分けして、長机に並べる。そして、端から一枚ずつ拾い上げ、二つ折りにしてホッチキスで止める。その作業の中ほどで、


「プリントに折り目を入れる時、定規でなぞると効率的よ」


 会長が楽にできる方法を示してくれる。初めての手伝いで、要領を得ない俺には有り難かった。

 と、俺はホッチキスで冊子さっしを止めながら、口を開く。


「会長」

「何かしら?」

「昨日、電話で言ってた通り、生徒会の手伝いをすれば『歴史研究部』の存続を優遇する話、間違いないよな?」


 会長が小首をかしげ、何もないちゅうを見上げた。


「……善処ぜんしょするわ」


 それも束の間、会長は再び作業を再開する。俺はいきなり意外なことを聞かされ、嫌悪な表情で問いただす。


「おいッ! 俺は、昨晩あんたがだくと言ったから、朝早くからここにいるんだぜ? 話が違うのなら……」


 言いかけた時、勢い強く扉が開かれる。


「やばいッ、やばいッてェ! ……あれ、会長?」


 見識のない女子が一人、室内におどり込む。周囲を見回して、長机の作業現場で目を止めた。


「わあ、ありがとうございますッ! 実は部活の朝練があるんですが、ギリで起きちゃって」


 その女子と目が合い、俺は軽く会釈えしゃくをする。不気味なものと憐憫れんびんなものを、足して二で割った視線に、不快感をつのらせた。

 

「何だか作業も大体終わってるみたいだし……あたし、朝練に行きますので失礼します」


 女子は、会長に大きくお辞儀じきをしてきびすを返す。

 

「待ちなさい」


 足早に出て行こうとする女子を、会長が呼び止めた。


「あなた、三日前『今朝までに終わらせる』って言ってたわよね。頼んでた雑務を放棄ほうきしたのは、これで二回目なのだけど、どう改善するつもりなのかしら?」


 会長の双眸そうぼうが青白く光り、冷たく女子をつらぬく。一瞬、ひるみの色を見せたが、負けじと反論した。


「そ、それは大会が近くて朝練が厳しいし……『部室整理令』の対象になってるから、頑張って実績作らないといけないし、わざとじゃないです」

「と、同時にあなたは生徒会役員でもあるのよ。それを忘れないで頂戴ちょうだい。で、どう改善するのかしら?」


 顔を強張こわばらせた女子は、もはや会長の鋭い眼光からのがれることが出来なかった。


「さ、きっきも言ったとおり、早めに朝来て作業します……」

「まあ、いいわ。三度目はないわよ」


 答えを聞いて視線を作業の手に落とす会長。憮然ぶぜんとした女子は無言で出て行った。扉と閉めた途端に、廊下であからさまに非難する声が響く。


「何なのよッ! あの陰湿いんけんな言い方」


 恐らく廊下で待機していた他の女子部員たちだろう、口々にののしり始めた。


「また、あの会長? ちょっと出来るからって、いつも上から目線なのよねェ」

「そう言えば、チラッと見えたけど、生徒会でない男子が一人いたような」

「ああ……どうせ、弱みか何かにぎられたんじゃない?」

「カワイソーッ」


 静寂せいじゃくな生徒会室の隅々すみずみまで渡り切った後、山彦やまびこのように反響して消えていった。

 黙々もくもくと作業する内に、登校してきた生徒たちによって、辺りがさわがしくなる。すっかり日が昇っていた。


「谷君のおかげで作業が終わったわ。ありがとう」


 およそ3:7の割合で冊子さっしの山が積まれていた。少ない方は当然俺だが、感謝されるほど戦力にはなっていない気がして、


「大したこと、してないさ」


 と、謙遜けんそんつつしみもなく、素直にそう答えた。


「ねぇ、谷君」


 会長は長机の書類を整理し、自らの荷物を取りに行きがてら、窓から空を眺める。


「貴方の歴史検証、読んだわ。とってもユニークで有意義だった」

「そりゃ、どうも……」


 頭をきながら苦笑する俺。振り向きぎわれた会長の髪が赤銅しゃくどう色に輝き、大きな栗色の瞳には朝日が差して優しい光彩いろを放っていた。


(美人だけど、人を寄せ付けないオーラがあるんだよなァ)


 特に毒舌どくぜつというわけでも、誰かを冒涜ぼうとくするわけでもなく、何故か心証が悪い会長。本人も感づいているようだが、全く気にしていない。

 だが鈍感どんかんではなく、むしろ人の気持ちを斟酌しんしゃくできる方だ。では、ワザとなのか? 遊び心で人を揶揄からかうことはあるが、基本的に真面目だ。


(不器用なんだな)


 不器用といえば、世渡よわたりが下手へた式子しきし内親王もそうだ。更に言えば二人とも頭の回転が良い。


「会長と式子内親王は似てるな」


 俺の言葉に、会長は口を開けてほうけけた顔を見せた。が、次の瞬間、「クックックッ」と笑い出す。


「私が式子内親王に似てるって初めて言われたわ。せっかくめてくれて嬉しいけど、『部室整理令』のポイントかせぎにはならないわよ」


 笑いながら「でも……」と、続ける。


式子しきし内親王の歌には『はかなさ』がある。知ってる? 『人』の『夢』と書いて儚い……だから、女子は夢の歌にあこがれるの。……そうね、『めたる恋』という部分は似てるかもしれないわね」


 微笑ほほえみを乗せて、凛然りんぜんと言う会長に、戦慄せんりつが走る俺だった。





 味をめたのかどうかは不明だが、放課後、再び生徒会室で手伝う羽目はめになった。今度は校内放送で呼ばれたため、不承不承ふしょうぶしょう出頭しゅっとうしようとする俺の前に、あわててけ付けたのであろう、肩を上下させ、ありったけの空気をっている灼が現れた。

 状況の説明を要求された俺は、元々隠すつもりもなかったので、出来事の全てを語った。


「何て狡賢ずるがしこい会長なのッ。小間使こまづかいにして! もう勘弁かんべんならないわッ」


 聞くやいなや、灼は足音荒く生徒会室へ向かう。


「おい、ちょ待ッ!?」


 その後姿うしろすがたを、俺はあわてて追いかけた。

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