第三十六話:藤原『兄弟』~検証⑤~





               ※※ 36 ※※




 

 駅前東口より定期的に運行されているバスに乗り、俺と灼は郊外のアトリウムモールに到着した。

 アトリウムモールとは大規模商業施設であり、その名の通り、光を通すアクリルパネル材質の屋根で覆われた大規模な内部公開庭園アトリウムを中心に、多くのテナントショップやレストラン、カフェが吹き抜けの上層部に向かってのきを連ねている。

 そして、その中庭――通称<アリスガーデン>の中央部に向かって歩いている俺と灼は、ここに来た者の誰もがそうするように、その構造美と景観に感嘆の声をらした。


「やっぱり、何度来ても圧倒されるわね」

「うん……。壮大で綺麗だ」


 大きな噴水の周囲を最下層にして、最上階へとガラス張りの螺旋らせん階段が伸びている。昇りながら、降り注ぐ陽光が噴水に屈折し、七色に輝く演出を楽しむ仕組みとなっていた。

 また、建物全体を見下ろすことが出来る解放感が、長い階段を昇る疲労も忘れさせてくれるのだ。そして昇り切った最上階は、美術展示場として様々な催し物が行われている。

 その入り口でもある螺旋階段の最下層の端には、この場の空間を損ねないよう、返って陳腐ちんぷになるだけの装飾のたぐいは完全に排除され、『絢爛けんらんたる王朝絵巻~小倉百人一首色紙展~』と簡素に書かれた看板と受付カウンターがあるだけだった。


「高校生、二枚」


 俺は、入館チケットを購入して、灼と一緒にゆっくりと昇る。


「平良、お金は?」

「ん? いいよ。今日の目的は気分を変えて歴史検証ゲームする為だが、それとは別に、お前に元気になってもらいたくもあったからな」

 

 かたわらを共に下から上へとり歩く灼が、少し足をはずませ先に進む。ボックスプリーツ・ミニスカートの端が、ふわりと流れて、振り返った。


「あんたに心配されなくても、あたしは毎日二十四時間、元気よッ」

 

 ちょっと、こそばゆい感情を隠すように、不機嫌を装う顔が僅かに赤い。大きな栗色の瞳と、俺の視線が重なる半秒も経たないうちに、灼は鼻を鳴らして、ぎこちなくそっぽを向いた。 

 向いた先で言う。

 小さな朱唇の中だけで、ありがとう、と。


「何か言ったか?」

「別にッ!」


 ことさら素っ気ない態度をとる灼。その微細な変化に気が付かず、ただ辟易へきえきとして、再び隣に並んで歩く俺。

 

(要らぬ心配が返って……。余計な事、だったかな) 


 俺は、昨日灼の流した涙を思い出す。

 俺と『一緒』に食事をたのしむ為に、丹念たんねんに食材を仕込み、誘われたデートを『一緒』に楽しもうと満面の笑顔で語りかけてくれた。

 きっかけは歴史検証ゲームでも、灼は理由も理屈もなく、『一緒』にいて『一緒』に歩いて、『一緒』に見て『一緒』に考えて……。精一杯『一緒』に楽しもうと頑張ってくれた。

 灼の熱心な姿に、俺も感化されて、『一緒』に楽しもうと決めた。だからこそ、あの涙は今までの中で一番胸に応えた。

 『一緒』という、心地よさを無自覚なまま過ごしてきた俺が、灼以上に考えなければならない問題だと思った。思って、父親の『責任』という言葉が重く圧し掛かった。

 俺はきっと近い将来、灼や結衣さんに対し、真摯しんしな答えを出す『責任』があるのだと思う。

 今は見つからないけれど、何かを探すために、もう一度確かめたい。

 かつて小学生の俺と灼が初めて『一緒』を感じた原点。

 この場所へ来た、俺だけの、もうひとつの目的だった。

 俺は、暗雲が低迷したまま無言でいると、今度は灼が、躊躇ためらいがちに声をかけてきた。


「……平良。ごめん」

「ん」


 自然と即答していた。なんとなく、そう言う気がして。

 俺は灼の声を待っていたのかもしれない。謝罪の意味ではない、その言葉を。

 だから、分かってくれていると思う。俺の言葉に、拒絶の意味はないことも。

 俺と灼は、しばらく無言で螺旋らせん階段を昇る。

 降り注ぐ陽光に、輝く噴水。開放感ある空間との共存。それらを本当に見て言っているのか、大きな瞳を泳がして、


「き……綺麗だ、ね」


 と、ぎこちなく妙なアクセントを付ける灼。


「ああ、そうだな」


 俺は思わず、くすりと笑う。灼はその反応に、乳色の頬を「むうッ」と膨らました。突如、上部からくだってきた女子大生風の二人組とすれ違いざま、


「なんかすごいお似合いの兄妹ね」

「高校生と小学生くらいかな……可愛いねえ」


 と、会話が聞こえてきた。ますます不機嫌になる灼。


「……兄妹って言われた」

「可愛いって言われたから、よかったじゃないか」

 

 俺の返答に、灼は無愛想にうつむき、


「……可愛くないもん。兄妹って呼ばれたのもイヤ。もし、結衣先輩だったら……」


 苛立いらだちと悲しみが、嵐のようにこみ上げてきて、小さな唇を強く引き結ぶ灼が、ふいに俺を見上げる。

 灼には、ただの一秒が途方もなく長く感じた。

 

「おまえは十分可愛いよ」


 小さな頭をでる。灼の大きな栗色の瞳に宿る、鬱々うつうつとした光彩いろ歓喜かんきに変わった。


「ふ……ふ、ふんッ。あんたに言われても全然嬉しくないわ」


 灼が微笑ほほえむ。俺は安堵あんどに似た喜びを感じた。感じて、羞恥しゅうちとともにむずがゆくなった俺は、打ち消すように話題を変えた。


「兄弟と言えば、藤原時平ときひらには弟がいた」

「藤原忠平ただひらね。兄弟仲は最悪だったらしいけど……」


 俺は大きく頷き、


「『古事談こじだん』という鎌倉期の説話集がある。編者は源顕兼あきかねだ。奈良時代から平安時代まで462の説話を収めてる。今から見に行く『小倉百人一首』の編者でもある藤原定家ていかとも交友があったらしいな。

 その中の説話に、こんな話がある。


――醍醐だいご天皇の頃、人相占い師が宮中に召されたらしい。寛明ゆたあきら太子、つまり後の朱雀天皇だな。彼を見て「容貌かたち美に過ぎたり」と評した。時平ときひらを見て「知恵が多すぎる」と評し、菅原道真みちざねを見て「才能が高すぎる」と評し、皆全幅ぜんぷくの者はなかったという。

 ところが、下座しもざにあった忠平ただひらを見て、人相占い師は「神識才貌しんしきさいぼう、全てが良い。長く朝廷に仕えて、栄貴を保つのはこの人であろう」と絶賛した。これを聞いた宇多うだ法皇は以前より忠平ただひらを好んでいたが、ますますおもんじ、皇女である源順子のぶこ降嫁こうかさせたという」

「へえ、あの道真より有能だったんだ」


 灼は驚きを隠さず、大きな瞳をさらに大きくする。


「ちなみに、皇女の源順子のぶこについて諸説あるが、『大和やまと物語』の中で『菅原の君』と呼ばれてる。前、道真の娘衍子えんしは宇多天皇の女御にょうごだったという話をしたと思うが、順子はその娘という説もある」

「ひええッ。ここにも菅原家のやみがあったのね。そりゃ、兄の時平ときひらは弟に嫉妬しっとするはずよね」


 灼は、感嘆にきるという顔だ。


 「その縁で道真みちざね忠平ただひらは交友があった。大宰府に左遷された後も、ちょくちょく文を送ってる。これは俺の私見だが、罪人同様の道真みちざねに文はおろか荷物が届くことはまずないだろう。恐らく京に残した家族からの文や荷物は忠平ただひらが骨を折ってたに違いないと思う。

 『歴史検証ゲーム』の先である平氏の話のときに再度言うと思うが、将門まさかどは京に在住中は忠平ただひらの世話になってる」

「あんた、まさか遠方の関東より太宰府にやって来た高望王たかもちおう道真みちざね危難きなんを知らせたのは……」


 灼の質問に、俺は肯定する。


道真みちざねの縁者に、恐らく京の内情を伝達してたのは忠平ただひら本人だろう」


 ついに俺と灼は螺旋らせん階段を昇り切り、目の前には展示会場の入り口が見えた。

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