第三十四話:今回は『遠足』なので勝手に掘らないでください






             ※※ 34 ※※ 





  寂しさと悔恨かいこんが空気をきざみ、深い切なさを大きな瞳に残す灼の姿。『道真』の検証は、やはりと言うべき結末を終えた。

 だが、会長に挑まれた歴史遊戯ゲームという名の検証は、もうひとつの終わりへとつないでいかなければならない。

 俺は胸の中にある苦さを感じつつ、いつか何処どこかで聞いたクラスメートの雑談……デートの楽しさは一緒に行く相手次第という言葉を思い出した。

 こういう時は、気の利いたセリフでも言うべきなのだろうが、俺は何も思いつかない自分の弱さを恥じた。


「……灼。昼メシ食べ終わったら、城跡見物でもするか?」


 精一杯の俺の気持ち。結局、デートは破茶滅茶はちゃめちゃになってしまったけど、コイツはたのしんでくれているのだろうか。楽しい、はずむ会話が出来ない俺が言えることではないが。

 灼が俺の顔を見て、急に栗色の瞳の光彩いろを変える。少し幼い、見かけ通りの愛嬌あいきょうで笑いかけてきた。


「当たり前じゃない。結衣先輩に主導権取られっぱなしだもん。ぎゃふんッって言わせてやるわ」


 隠さず強く笑う、いつも通りの灼。貰った灼の優しさに、俺は心の中で、感謝と安堵が広がっていくのを感じた。


「ぎゃふんッ!」


 突如、結衣さんが吠えた子犬のように叫び、へらりと笑う。


「よく、アニメや漫画にあるように『ぎゃふんッと言わせてやる』とか、激昂げっこうを込めて言いはりますけど、ほんまに『ぎゃふんッ』って言いはる人いませんなァ思いやして、ウチ言ってみたのどす」


 隣に座る尾崎が、心底呆れた顔をしている。俺は人差し指と中指を揃えて、眉間を抑えながら、首を振る。灼は小柄な身体を氷のように固めた。


「……先輩って、やっぱり『ザンネン』ッス」


 言って、尾崎が嘆息した。俺も、灼も。


「まあ、結衣さんは『ザンネン』だからな……」

「そうね、相変わらず『ザンネン』ね」


 結衣さんにとって、不本意な反応に、乳色の綺麗な頬を膨らませ、両手を天に突き上げた。 

「に、にゃッ!! ウチは『ザンネン』ではおまへんッ」


 笑って、騒いで。俺たちは明るい空気を取り戻した。




 空っぽになった重箱を、灼がバスケットに収め、俺はレジャーシートを畳む。尾崎と結衣さんは、再び絶壁に立って景色を眺めていた。

 俺は片付けが終わると、改めて周囲を見回す。何の変哲もない、ただの公園。しかも、遊具の類は一切なく、ただの小山であり、草も刈り取られた空地へと続いている。

 植樹の予定でもあるのだろうか、木の苗が階段のように連なる細い空き地に、等間隔に植えられていた。


「この辺りは腰曲輪こしくるわでっしゃろな。ただウチらがおる、この広い坂道は『切土』して広げたんやろな」


 いつの間にか、結衣さんが隣で何度も頷きつつ、解説してくれる。すると、灼はコンビニでもらったプラスプーンを持って壁に駆けて行った。


「ここの壁は地滑りを起こしてるわ。やっぱり『切土』して腰曲輪こしくるわを築いたのね」


 灼が、おもむろにプラスプーンで土をこそぎ出す。瞬間、俺は驚愕な態度で、声を発した。


「ここ、こらァ! 勝手に掘るんじゃないッ! ここは文化遺産だぞッ」


 灼も不機嫌な声で、大きく強く返してくる。


「何よォ! ちょっと地層を見るだけじゃないッ」

「あらあら……」


 結衣さんは見守るように、朗らかに笑う。俺は、その平然とした態度に戸惑いながら、口を尖らした。


「結衣さんも、灼に言ってやってくれッ。全くアイツ何を考えてるんだ?」


 俺は肩を怒らして、灼を連れ戻そうと、駆けて行く。小柄な、やたら強気の少女は、手を引かれながら、「平良のバァーカ、バァーカッ」となじっていた。 

 納得できない、といった風に頬を膨らます灼を連れ戻した俺は、気持ちを切り替えるように言う。


「と……、とにかく、上のほうへ登ってみようぜ」


 俺たち四人は、腰曲輪から坂を登り、開けた空き地へ出た。ただ広いだけの何もない更地さらちである。

 

「わーッ! でこぼこがいっぱいッス。ここでバイク走らせたいッス」


 尾崎にとって、歴史遺産も、単なるフィールドか……。確かに登った先に見えた連なる盛土は、恐らく土塁だろう。土塁の真下には窪地くぼちがあり、これはきっと空堀からぼりだったに違いない。

 そして土塁の手前にある小山が三つ並んで見えるが……と、俺が思索している間に、灼がその小山のひとつに走り寄る。そして不機嫌な顔で俺を手招きする。


「何だよ? って……『古墳址』!?」

「色ボケ先輩に、まんまとやられたわ」


 気の強そうな容貌を、さらに険しく、痛惜つうせきの念を大きな瞳に宿らせる。

 俺は肩をすくめ、振り向く。はたで同じく、看板を眺めていた結衣さんと眼が合った。そして、にんまりと笑い、

 

「やっぱり、ここは『古墳群』どしたなァ」

「むぅッ」


 灼は、幼さが残る整った顔をしかめ、強烈な対抗意識を結衣さんに向けて燃やしていた。俺は、この二人の間で起きている闘争を恐々と見守っていると、


「平良君ッ! ここにも看板あるけど、どういう意味?」


 一番端の大きな小山の上に乗り、尾崎が手を振りながら俺を呼ぶ。不可視の薄壁のような、近寄り難い空気をまとう二人から逃げるように、俺はそっと離れた。

 尾崎の立つ横の看板までたどり着いた俺は、


「なになに? 『物見櫓ものみやぐら址』かァ」


 言って、周囲を見渡す。確かに見晴しが良い。ここに建てるには最適な場所だろう。

 

「……って、何スか?」


 尾崎の無邪気な質問に、俺はかつて、荘園の形成について説明した時のことを思い出し、心の隅で嘆息した。


「ここはお城だっただろ? 敵がいたら攻めてくるかもしれない」

「そ、そうッスね」


 尾崎が急に青い顔になる。俺は少々からかってみたくなった。


「例えば、寝てるときに突然、ナイフをもった強盗が、お前のベッドの横に立ってたら?」

「ふぇぇぇ……。い、嫌ッス、怖いッス」


 スレンダーな身体をよじらせ、丸い瞳にひるみの光彩いろを浮かべて狼狽うろたえる。


「そうならないように、ここに高い塔を建て、その上から見張ってたのさ。分かったか?」


 俺の説明を汲み取り、腕を組んで考えること数秒後。尾崎が拳を握り、強い意志を宿して俺を見る。


「よく分かったッス! ウチの庭にも、強盗が来ないように『物見櫓ものみやぐら』を建てるッス」

「い、いや……そういうことではないが。とにかく用途を理解したということで良しとするか。まあ……オザキだし」


 軽い疲労を感じた俺は、何となく灼と結衣さんへ視線を向ける。と、二人の口論真っ最中の姿が映った。まあ、口論とは言え、一方的に怒声を上げているのは灼だが、結衣さんも負けじという姿勢だ。

 俺と尾崎が足早に近づくと、灼は大きな栗色の瞳をさらに広げて、俺に気づく。そして顔を隠すように、全速力で逃げて行った。でも、俺は見てしまった。灼の泣き崩れる寸前の顔を。


「結衣さんッ 一体何があった? 『古墳』の有無で、ここまで言い争うか?」


 言って、俺は小学校時代の『古墳』騒動のトラウマを思い出した。だが、さっきの灼はそんな感じではなかった。

 結衣さんは、真剣な眼差しで灼の去っていった方角を見つめていたが、すぐにへらりと笑い、掌をひらひらと顔の前で振る。


「ちゃいますねん。『古墳』とは別件どす。まあ……ウチが本気で灼ちゃんに宣戦布告したのどす」

「は?」


 意味がわからない。困惑する俺に、結衣さんは花が咲くように微笑し、


「ウチはもう、行きますよって、また明日学校で、な」


 結衣さんが歩き出すと、尾崎も追っていく。


「先輩ッ、あたしも一緒に行くッス。じゃあ平良君、アッキーによろしく」


 尾崎は手を振り、そして二人は坂を下りていった。

 俺は、普段にない、必死な姿で、灼を探す。走り出したところで、すぐに見つかった。

 空堀の中で、しゃがみ込んでいる灼の小さな背中が、寂寥感を醸し出していた。俺は何故だかそれすらも愛らしく思えた。


「灼、一体どうし……」

「好きだっていわれたの」


 俺の言葉に、灼の言葉が重なる。驚愕きょうがくし、思考も止まったことに自覚できるほど、時間が長く感じた。灼は、しゃがんだまま、プラスプーンで、黙々と空堀の端を削っている。 

 しかし、ほんの数秒、固まってしまった俺は、無理矢理に唇を動かす。


「……結衣さんが、お前に好き? 告白……?」

「違うッ!」


 灼は、怒りとも悲しみともつかない表情で、振り返る。俺を見る大きな瞳が僅かにうるんだ。そして再びうつむく。少し癖のあるツインテールが頬を隠し、前髪が伏せた瞳に影を差す。


「先輩は……あんたが」


 胸の奥で、チクリと刺す痛みをこらえながら、淡々とした口調で言う灼。


「先輩が、あんたのことが……好きだって、あたしに言ったの」

 

 俺は、灼にその意味を問いただしたくなった衝動を抑え、しかし、具体的に何を、どうすればいいのか分からないまま狼狽うろたえた。言葉の先が見つからない。


「あたしは、思わず……あんたには渡さないッって言ったわ。でも……」


 肩を震わし、必死に嗚咽おえつが漏れるのを耐える灼を、俺はただ見つめることしか出来ない。


「でも、先輩は……あたしのは『恋』や『愛』じゃないんだって言った。ただ、傍にいた時間が長かっただけの『幼馴染』。そんなので平良を縛っちゃダメだって言われた」


 ひたすら、土を削っていたプラスプーンが折れた。灼はすっくと立ち上がり、俺をまっすぐに見た。

 悔しさと、怒りと、悲しみと。灼はそれら見えない痛みにうめき、あまりに大きすぎる衝撃に、幼い容貌が、幼すぎるほどに歪み、大粒の涙をぼろぼろと零した。


「先輩が、あんたのことが好きって言ったとき、すごく嫌だった。あたしは単なる幼馴染だと言われたとき、すごく悔しかった。

 でも……でもね、何も言い返せなかったの。わかんなかったの……。自分の気持ちがわかんなかったのッ。あんたが他の女の子といると、心が苦しい……時々痛い。でも、わかんないのッ! あたし、どうすればいい!? 先輩はそれが『恋』だと言った。言って、平良を自分のものにすると突き付けてきた」


 俺は、灼を包み込むように肩を抱く。灼はうめきながら、俺の胸を拳で叩く。


「平良は、いつもあたしのそばにいたのッ! これからもそうなのッ! でも、先輩の言葉が、覚悟のような強い言葉が、何も言い返せない自分が情けなくて、辛くて……不安になって。そうじゃないかもって思った途端、あんたの顔を見れなくなって……」


 後は俺の胸の中で、灼は泣きじゃくった。

 夕日というにはまだ陽が高いが。しかし、西の赤い空を眺め、灼に視線を移す。


 「……帰るか」


 俺はポケットからハンカチを取り出し、灼の涙を拭いてやる。


 「うん……」


 羞恥と悔悟で頬を染めながら、僅かに頷く灼だった。 

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