第三十三話:道真の『逃亡』~検証④~





                 ※※ 32 ※※




 常磐線じょうばんせんの高架線を越えたところで、左手側に小山が現れた。しかし、灼の「松ヶ崎城」という発言に、結衣さんがいぶかしさを見せる。

 

 確かに看板が存在し、そこには『松ヶ崎城址』と記されているため、灼が誤認したということは決してない。

 ないが、結衣さんの確答を得た瞳に偽りの光彩いろはなく、俺の予想を越えたものと容易に察することができた。そして、結衣さんが綺麗な挙措きょそで丘を指差し、声を紡ぐ。


「あれは、間違いなく人工的に構築された『盛土もりど』でおます。

 築城技術の中にもある、山林を削る技術、つまり『切土きりど』も見受けはるけど……まあ、実際に見てみんと分からへんけど、はっきり言って、元々『古墳』やったんやろな」

「『盛土』というのは、あたしも理解できた。土砂崩れ防止のコンクリート土留も存在するし、水害区域に指定されてる看板も見たしね。でも、そこが何で『古墳』ってことになるのよ?」


 俺の隣を歩いていた灼が、激しく歩幅を広げ、結衣さんに詰め寄る。灼の劫火のような態度に、結衣さんは十分な冷静さで対峙した。


「それは、灼ちゃんの論文にもあったことやんか、中世の水運拠点であると。

 わざわざ『盛土』してまで地盤を高くして、防止しなければ、あかん水害区域だったゆうことやろけど、『切土』して崩した場所もありますねん。

 ということは可能性として、古代のどこかで何らかの土木事業があったとみるべきやと思うたんやけど……。灼ちゃんはそれに気付きはらんかったん?」


 冷や水を浴びせられ、瞬時に鎮火された灼は言葉を失った。二の句が継げない様子を見かねてたが、俺自身、助勢のつもりはなく、純粋な疑問を結衣さんに投げかけた。


「えっと、松ヶ崎城って……もともと『墳墓』だった? 確かに戦国時代で、松永久秀や三好長慶のように古墳を改良して築城したという逸話があるが、すでに中世でお墓を壊して築城? 例えば現代で、そのなんだ、『切土』して崩したということは?」


 俺たちはすでに山の麓まで来ていていた。俺は、隣接する住宅団地のむき出しになった土を指差し、問う。なぜか灼が即答した。


「あんた、ばか? あっちの住宅地の地層と城跡の地層が一部分まで一致するけど、上部の土の色だけ明らかに違う。あれは住宅団地を作るためだけに、地均じならししたものよ。

 ということは、城跡地は近年人の手が入ってないということだわ。あと、戦のために築く『城塞』と、土木事業による『古墳』、そして、その事業の成果としての『墳墓』を、全部まぜこぜにしないでッ」


 結衣さんに当て付けられたと思ったのだろうか、屈辱を隠さず、俺を揶揄やゆする。

 灼の態度は、ただの反発にしか過ぎなかったのかもしれない。しかし、少なからず俺は、苛立ちに近い感覚を覚えた。

 文献と考古がぶつかった時、俺と灼が同じ事案で交差した時、俺の中で、設楽原での出来事を彷彿させた。

 しかし、結衣さんの一言で、勃発しかけた俺たちの衝突が消滅する。


「あかんで、そんなに平良君を苛めたら。そりゃ、確かに二人のデートを壊してしもうたんや、腹も立ちはるやろうけど、ウチかて城跡で『考古』について語りたかったんや。灼ちゃんと、な」


 灼は、確実に、はっきりと、不愉快とも怒りとも似た光彩を大きな栗色の瞳に乗せ、結衣さんと向き合う。そんな緊迫した空気を、尾崎が間延びな声で、ポキリと折った。


「あの坂道から、城跡へ登れるみたいッス。上に行ったら、とりあえず昼ごはんにするッスよォ」





 

 坂道を登り、左手に見えた広場へ向かうと、視界が開ける。そこからは手賀沼を眼下に、柏から我孫子まで大きく見渡すことが出来た。


「絶景ッスねぇ!」

「あらあら、ほんま素敵やわぁ!」


 はしゃぐ二人の姿を見て、灼は大きく嘆息する。


「城跡の検証は後回しにして、お昼にしましょ。それにあんたと『道真』の検証が先だわ」


 灼は、おもむろにバスケットからレジャーシートを出し、広げようとする。俺も手を貸した。

 灼のお弁当は三段重で、見事に豪華で、美味そうだった。

 結衣さんと尾崎は、自身で購入したコンビニのサンドイッチやおにぎりは忘れて、ひたすら灼の弁当を無言で覗き込んでいる。


「……いいわ、先輩も尾崎も。二人分にしては多い量だし、召しあがれ」

 

 二人の表情が、雨上がりの太陽のように、明るく輝く。それぞれが、お手拭を出す人、お皿とお箸を配膳する人、お茶を人数分注ぐ人等に分かれ、準備は整った。


「いただきまァ~すッ」


 全員の声が重なり、皆満面の笑みで、箸を伸ばした。俺は当然、鶏唐揚げを最初に手をつけた。

 口に運ぶと、サクッと軽やかな音ともに、中からジワリと油があふれ出す。ニンニクの風味と沁み込んだ醤油が絶妙で、頬が自然と緩む。


「アッキー、すげェ! 何これ!? 卵焼きがふわふわァ!」


 食レポ尾崎が、最初に言葉を発した。結衣さんも緩みきった頬に手を当て、肉団子を食している。


「灼ちゃんのご飯、ほんまに美味しいェ。お嫁に欲しいなァ……。平良君、ウチに灼ちゃんを譲っておくれやす」


 俺は、せ返り、お茶を一気に飲み干した。代わりに、真っ赤になった灼が中腰になって抗議する。


「ああ、あんたッ! 急に変な事言わないでくれる? あたしは非売品……よ」


 言って、俺を上目遣いで見ること一瞬。咳き込んで、灼に気づく余裕のない、俺の背中を思いっきり叩いた。

 

「!? 何すんだよォ」


 不愉快な振りの、素っ気ない振りの、険しい表情と大袈裟な仕草で、そっぽを向く灼。ちょっと癖毛のツインテールが流れたとき、熱く火照った耳たぶを優しく撫でた。


「あんたが苦しそうだから、助けてあげたのよッ! 感謝しなさいッ! それはそうと……」


 大きな栗色の瞳に羞恥を残しながら、俺に鋭い視線を移す。


「さっさと『道真』の検証を始めなさいッ!」

「お……、おう」





 俺はお茶をもう一杯飲んで、心と体を落ち着かせ、語り始める。


「道真は大宰員外帥いんがいのそちとして罪人同様に流され、道中でも刺客に襲われながら旅をした、という話は覚えてるよな?」

「覚えてるわ」


 灼は大きく頷く。


「大宰府に着いた後も、廃屋のような小屋に二人の子供と押し込められ、常に刺客が周囲を徘徊はいかいしてたらしい。

 そして、姉の紅姫べにひめ、弟の隈麿くろまろ、二人の子供のうち弟が最初に殺害される。その十日後に道真が死ぬ。ところで道真は何処どこで死んだと思う?」


 結衣さんが小首を傾げ、言う。


「まあ、大宰府にいはったし、大宰府と違いますか?」

「これは伝承だが、大宰府には道真の墓はない。鹿児島県に菅原神社が現在もあるが、そこが道真の墓と伝わってる」


 灼が怪訝な顔で、人差し指を小さな唇の上に乗せた。こいつが思考するときの癖だ。


「これは、かなり大雑把な推論だけど、息子が刺客に襲われて命を落とす。身の危険を感じた道真は逃亡を試みるが、追いつかれて殺された……と、いう感じ?」


 俺は灼の頭を撫でて笑う。が、灼はムッとした顔で俺を睨んだ。


「いい推論だ。おおむね合ってると思う。ところで、菅原家と高望王の関係を覚えてるか?」

「平氏誕生に助力した可能性があるという話ね」


 言って、灼が俺の手を払いのける。


「延喜三<900>年に道真は薨去こうきょするが、その一年前、延喜二<899>年に平高望となった高望王が、突然に僧籍に入りたいと言って関東から大宰府に姿を現す。

 俺はきっと何か良からぬ情報を入手して道真の元へと来たのではと推測する。そうすることで、道真の逃亡も信憑性を増す」

「高望王は、わざわざ道真を逃がすために関東からやってきたということね。でも、ちょっと出来過ぎてない?」


 俺は大きく伸びをした。


「まあ、確かに都合よくピースを合わせた感は拭えないな。後に藤原家の話もするが、その検証と合わせれば、少しは文献学の理論として成立するかな、と思うが、とにかく後の話だ。

 道真と娘、そして一人の家人……。この家人は女性で、道真が7歳の時、神社の境内けいだいで赤ん坊を拾って育て、家人にしたという記録がある。

 三人は、高望王の手助けによって、大宰府から抜け出すことに成功するが、このとき娘の紅姫べにひめだけが別行動を取る」


 尾崎がちびっとお茶を啜り、


「なんで、お父さんと一緒に行かなかったッスか?」

「うん、福岡県糟屋郡かすやぐん篠栗町ささぐりまち紅姫べにひめ稲荷神社という場所がある。

 ここは道真と共に大宰府まで行った娘を祀った神社だ。ここの伝承によれば、紅姫は道真の密書を持って、同じく土佐介として左遷させられた長兄菅原高視たかみのもとへ向かう。が、追手に阻まれ、この地で非業ひごうの最期をげたとある」


 結衣さんが口元に袖を当て、愁眉を見せた。


「切ないなァ……。子思いの親に、親思いの子やわなァ」

「これは、俺の私見だが、この密書は菅原高視たかみのもとに届いたのだと思う。方法は分からないが――俺の個人的な妄想で言うならば、女家人が紅姫のおとりとなって、本物の紅姫は土佐に辿り着いたと考える。

 全く証拠はないが、菅原家の行動がに落ちない……というか、届いたとみる方が合点がいく」


 俺もお茶を啜った。空になったコップに、灼がお茶を注いでくれた。


「各地に流された道真の子供たちが、一斉に道真を御神体とした神社を建て始める。また、道真の遺品と言われる太刀を、高視が所有してた事実がある。現在、その太刀は高知県の潮江うしおえ天満宮に祀られてる」


 灼が固まり、凍てつく笑顔で呟く。


「当時、神仏を本気で信じてた時代だったわ。朝廷側……いや、藤原時平にとって自分を呪おうと画策してると信じても仕方ない事ね」


 俺は、晴れやかな、雲一つない青空を見上げ、思いをせる。


「これも、後ほど平氏について話をするとき、詳しく話すつもりだが……。

 平将門が乱を起こしたとき、当時、常陸介だった道真の八男、菅原兼茂かねもちは将門の参謀的存在だった。『将門記』にあるように、新皇しんのう即位の際、八幡大菩薩の意志を、道真の霊が伝えに来たと巫女にいて言ったという記述がある。これは明らかに兼茂の策謀であり、菅原家と平氏の繋がりが深い証拠だろう」


 俺は、結衣さんに視線を移す。


「山科会長から貰った歌、覚えてます?」

「覚えてますェ。『東風こち吹かば匂いおこせよ梅の花あるじ無しとて春な忘れそ』でっしゃろ?』


 今度は灼を見て言う。


「文章博士三善朝臣清行の道真への手紙の中で、『二月はの月、卯は|

かんとう。必ずその方角から戦が起きます』という内容を覚えているか?」


 聞いて頷くと、同時にハッとした顔になる灼。


「仁徳天皇の歌を話した時、『梅』は子孫を表し、『春』は繁栄を意味すると言ったと思うが、道真の歌、改めてどう思う?」


 灼が感慨深く嘆息する。


 「――関東から風<戦>が京都に向かって吹いたならば、あるじ<道真>はすでにこの世にはいないけれども梅<子孫たち>よ、春<菅原家の繁栄>を忘れないでくれ。

 これこそ、うらみに等しい歌ね。武力集団としての菅原家である『平氏』の反乱……かくも先の事を見据みすえてたのね、道真は」 

「仮に、この歌の裏の意味に時平ときひらが気づいてたとしたら、恐ろしくて仕方なかっただろうな」


 俺はコップを盃のようにして、天を仰ぐ。

 何か良くわからないが、何かに祈りたかった。

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