第三十二話:淡い想い
※※ 32 ※※
「着いたァ!」
灼は北柏駅のホームに降りて、ひと伸びした。
眼下には手賀沼の
ゆるやかな坂道を並んで下りながら、灼は大きなバスケットを腹部の前で両手に持ち、終始にやけている。いや、
「……灼、おまえ随分ご機嫌だな?」
「そう? そう見える……かな? だって、あんたと二人でお出かけって久々じゃん」
灼は頬と
再びお互いの視線が重なると、照れ笑いを浮かべる灼。隠さず、明るく振る舞う灼の雰囲気に、俺は昨晩の出来事を思い出す。
確かトイレで階下に降りたときだった。リビングから灯りが漏れているのに気づき、おもむろに
「おまえ、こんな夜更けに何してる?」
灼は
「あんた、晩御飯の時、大好きな鶏唐揚、あんまし食べなかったじゃん? 何か失敗したのかなァって……」
薬味と調味料に浸した鶏肉を優しく、しかし手元に集中して手もみする灼の横顔を見て、俺は言葉が詰まった。母親の雑言や、結衣さんの虚言に振り回されていた俺を、確かに愉しみしていた灼の鶏唐揚を
「なあ、灼……」
「なによ?」
それとなく、でも少々不自然だったかもしれない。俺は頬を掻き、灼に言った。
「明日、二人で
灼に一瞬、沈黙が降りる。俺の
「じゃあ、この鶏唐揚を揚げて、お弁当つくらなきゃ、ね!」
俺は、それだけの笑顔で、何だか安堵と暖かさに満ちていた。
俺が回想に
「た、平良、あれ?」
バイクや、スポーツカーで乗り入れている男性に囲まれている中心に、モトクロスウェアを
「あ、平良君、待ってはったんやでェ~!」
突如、和服の超絶美少女が、手を大きく伸ばし、
「平良君とアッキーっス。お~い!」
二人を囲っていた男性諸君が一斉に俺を見た。視線に
「ああ、あんた……、あの二人も誘ったの?」
慌てて
「昨晩、リビングで話してはるのを、偶然に聞いてしまいよってん。早朝から灼ちゃん、お弁当作ってはったようやったし、これは間違いない思うたんや。なんでウチも誘ってくれへんかったの?」
ぱたぱたと
「結衣先輩と一緒にいたら、声掛けられまくりッス。待ってるだけで大変スよ」
「あら? ウチがここに着いたときには、オザキちゃんの周りには殿方が数人いてはりましたえ?」
バイクを押し、苦言を呈しながら俺と灼の前に辿り着く尾崎。まあ……しかし、
「オザキ、お前、公道走っていいのかよ」
俺の詰問に、「ジャ、ジャーンッ!」と言いながら、眼前に運転免許証を出した。
「いくらなんでも、偽造はよくないぞ?」
わざと大袈裟に
「偽造じゃないッス! ちゃんと教習所で取ったスよッ。一発合格ッス! 十六歳になったんで問題なしッス。ただ、一本橋で後輪走行したら、教官に怒られたッス」
そりゃ、激怒するだろうな。ともあれ、尾崎のテクニックは秀逸だ。一発合格も頷けた。
「そうか。まあ、おめでとう様。俺たちはこれで……」
俺は右手を挙げ、左手で灼の腰を押しつつ、離れようとする。が、結衣さんが俺の襟首を抑えた。
「なんで、ウチ置いて行きはるのん?」
「なんでって……。今日は灼と
結衣さんが、いきなり後襟ぐりを引いたため、俺の首が絞まり、奇妙な声が出た。
「平良君が、ウチのために、山科さんの
「平良ァ!」
と、今度は灼が胸元を掴む。俺が
「お、俺じゃないッ! 昨晩、会長が結衣さんに電話したって言ったはずだァ!」
そんなことは知っている、覚えている……はずなのに、受け入れがたい結衣さんの発言を、改めて本人の声で聞いた灼は、掣肘を加えることに
超絶的な美少女と、幼さを残す凛とした美少女の、僅かな心と心のぶつかり合いが弾けた状況に、尾崎が偽りのない穏やかな声で割って入ってくる。
「あたし、平良君のこと、好きッスよ」
「はァ?」
予想外の出来事に、過敏な反応を示す、灼と結衣さん。と、同時に爆発的な怒りを
「先輩なのに、全然年上の威厳ないから親しみやすいし、男子なのに、一緒にいても意識せずに愉しいし……。二人も『友達』として、同じ気持ちだったのが嬉しいッス」
込められた、その言葉に、二人の膨れ上がった衝動が一気に
途端に、結衣さんが
こういうセリフを受け取るのは富樫の専売特許だと思っていたのだが。
先程のまでの鋭敏な空気が、花が咲くように明るく穏やかになる。
(これは、しゃーなしか)
「結衣さんも、オザキも、同行するのは良いが、メシは自分で用意しろよ。後……結衣さん、すごく綺麗な衣装ですが、これから行くところは山です。とても難しいですよ」
俺が、結衣さんの衣装を見ると、「イケズやわァ」と
人知れず、小さな
(農作業でもありませんよ、結衣さん……)
機嫌が多少、治ったとは言え、憮然とした灼を隣にして、俺の前方を和服にモンペの結衣さん、モトクロスウェアの尾崎が並んで歩く。
「平良、あれ見て」
壁面に張り付けられている黄色い看板には、『道路面から↑80cm↓40cm』と表示されている。
「ああ、たぶん冠水表示だろうな、きっと。やっぱり、おまえの論文通り、古代は水運の主要地のひとつだったんだろうな」
俺の言葉に、赤面すること一瞬。灼は松ヶ崎城址を見つけた。
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