第三十話:『菅原家』三代録〜検証②〜






              ※※ 30 ※※



 

 俺は机の時計を見た。ほぼ二十一時五分だ。扉にノックが二回響き、反対側から母親の声が響いた。


「お風呂、湧いたわよ。誰か入りなさい。あ、愚息と灼ちゃんは一緒でもいいわよォ」


 母親は「グフフッ」と変態的な笑いと一緒に、階段を降りていく足音を残していった。驚きと戸惑いを隠さず、俺と灼を交互に見る結衣さんの仕草に、


「い、いや……今のは、オフクロの冗談だから。しかし、あんな母親で面目ない」


 俺のバツの悪い弁明に、結衣さんは明るく答えた。


「優しくて明朗で、愉しいお母様でおますなァ。さて……」


 結衣さんが立ち上がる。


「ほな、お先に頂きます。お二人は後でごゆっくり入りなはれ」


 結衣さんまでもが、へらりと笑って出て行く。俺と灼、気まずい思いで取り残され、二人とも何もない空間に目を泳がせていた。


「……ええと、道真は恨みを持って死んだので、鬼になって京で天変地異を起こした、というのはよく聞く話だけど、左遷されただけで、そんなに恨みを持つもんなの?」


 灼の言葉に、我に返った。

 ここは、きちんと話すべきだ。


「これから、菅原家と、それにまつわる話をする……が、灼、改めてお前に取って菅原道真ってどういうイメージだ?」

 

 灼は、小さな朱唇に細い人差し指を添えて思考する。


「家族思いの真面目な人っていうのはわかったよ。でも、私塾も開いてたし、やっぱり『学問の神様』なのかなァ……」


 灼の感想を聞きながら、少し思った。世間によって創造されたイメージ、それも数百年間に及ぶ偶像は簡単には払拭されないということを。

 そして、俺はおもむろに続ける。


「ここから、少し俺の私見が入るが……」

「ちょっと待ってッ。だったら結衣先輩が戻ってからの方が良くない?」


 灼の制する声に、俺はかぶりを振る。


「結衣さんは、会長のスパイである可能性がある」

「それって……どういう」


 訝しげに問う灼に、俺は答えた。


「今日、会長から電話があったらしい。俺が、結衣さんのために無謀なゲームを引き受けたってな。だから、俺たちが帰宅したとき、結衣さんがいたんだろうけど……。お前がいなかったら、ちょっと危なかったな」

「何? 危ないって?」


 大きな栗色の瞳を、まんまるにさせて、詮索する灼。多分、言葉の意味を解していない、その無邪気な表情を、俺は、まともに見ることが出来ないまま、羞恥心をこそぎ落とすかのように、袖で頬をこすった。


「ま、まあ……色々だ。とにかく、俺の私見だが……。少し脱線する。

 道真の爺さん、つまり祖父にあたる『菅原清公きよきみ』は儒家である父、古人ふるひとの四男で、かなり貧乏だったらしい。

 延暦八<789>年、二十歳で苦学の末に試験で合格した後、文章生となり、更に優等生である文章得業生に推挙される。そして同時期に、もう一人重要人物がいる。『葛原親王かずらわらしんのう』だ。

 桓武天皇の第三皇子で、延暦十七<798>年に元服。延暦二十二年<803>年四品しほん治部じぶ卿に叙任される。この二人は、まるで異なる経歴を持っているが、共通点がある」


 灼は途方もない表情を隠さず、無言で頷き、俺の言葉を促す。


「まず、年齢が近い。官位もほぼ同相当で、叙位の時期もほぼ同時期、嵯峨天皇、淳和天皇と同じ時期に仕えている。さらに、清公が左遷されたとき」


 突如、灼が顔を突っ込んだ。


「道真の爺さんも左遷されてたの!? なんだか菅原家の闇を見た気分ね」

「菅原家の闇は、後ほどもっと深くなるが……、今は清公じいさんだ。天長元<824>年、播磨権守に左遷されるが、翌年には、公卿たちがそろって上奏したため、帰京を許され、再度文章博士を兼ねている。この時、上奏に絡んでいたのが葛原親王だと推測する。

 逆に左遷を画策したのは、都腹赤みやこのはらか等であろうと言われてる。清公が、律令法によって本来大学寮の博士の筆頭とされてきた明経博士からその地位を奪い、且つ『山陰亭』という私塾まで作ると、多くの門下生が集まり、文章博士の地位が菅原家から世襲的に輩出することで反感を買ったとされている。

 ちなみに甥の都良香みやこのよしかは道真の昇進で先を越されたため、怒って官を辞したという逸話もある。さらに良香は文章得業生試験中の道真に弓の勝負を持ちかけてる。『本の虫』に弓が引けるかと高を括って勝負したらしいが、道真は百発百中だったという話だ。まあ代々馬が合わなかったのだな」


 灼は冷めきったミルクティーを啜り、嘆息する。


「道真の左遷は、本人の資質に対しての反感や妬みだけではないのね。『菅原家』に対する反感が、一気に表に出て、それをたまたま道真の代で受けてしまった……と考えても?」

「道真は文官僚としての能力に秀でてたのも事実だが、当時、『武士』の存在はないけれど、その片鱗たる要素が窺える。弓馬はもちろん、剣術にも長けていたらしい。しかも、自ら刀を鍛え、宝剣、名刀を多く拵えている。常に太刀を数本傍らに置き、佩刀の『猫丸ねこまる』、脇差の『小猫丸こねこまる』は常に身に着けていたらしい。これは道真が、というより菅原家としての嗜みだった、ということだな。

 知識集団としての菅原家……さらに戦闘集団としての菅原家。藤原家が脅威と感じて、源氏を抱き込んでも不思議ではない」

「えーと、昌泰の乱の首謀者である、藤原時平と源光は『菅原道真』個人ではなく、間違いなく『菅原家』の勢力を無力化しようとした、ってことね」

「そうだ。しかし、菅原家にとって一番明暗を分けたのは『高望王たかもちおうの臣籍降下』だ」


 言われて、灼は額をかかえる。


「高望王と言えば、平氏の祖だけれど……。まさか、道真が関わってたの?」


 その詰問を、俺は小さな咳とともに、返答する。


「葛原親王の第三王子として生まれた高望王は、無品で無官の皇族だ。

 なまじ皇族なだけに、生計を立てる術がない。葛原親王が三十三年掛けて組織化した式部省を受け継いだ菅原清公、その息子である是善これよし、そして式部大輔兼文章博士を継承した道真は、仁和二<886>年に讃岐守を拝任。突如、式部大輔と文章博士を辞する。寛平元<889>年に高望王は、宇多天皇の勅命により平朝臣を賜与され臣籍降下した。

 そうだ、道真が讃岐の国の国守に任ぜられ、文章博士を辞したとき、大学寮の北堂<文章道の講堂>で行われた送別の宴で詠んだ漢詩がある。


 我将南海飽風煙 我将に南海にて風煙に飽かむ

 更妬他人道左遷 更にねたきは他人の左遷とわむことを

 倩憶分憂非祖業 つらつらおもうに分憂ぶんゆうは祖業にあら

 徘徊孔聖廟門前 徘徊はいかい孔聖廟門こうせいびょうもんの前 


 ――私は、讃岐へ行けばきっと南海の浜辺で、思いっきり自然を満喫できることだろう。

 ただ、忌々しいのは、この赴任を、人は左遷と言って騒いでいることだ。

 別に菅家の人間が受領となっても不思議ではない。文章博士が祖業ではないからだ。

 とはいえ、皆とは別れたくないので、大学寮の孔子聖廟の門前を去り難い思いで行きつ戻りつするのだ。


 

 送別の際の歌なので、多少脚色が入ってると思うけど、肝心なのは勧んで国司になったということだ。恐らく宇多天皇から高望王の臣籍降下に対して相談を受けたのだと思う。

 当然、皇族が降下すれば公卿となるわけだが、無品で無位の皇族は受領国司になるしか手はない。これは高望王の為に手本として国司としての経営手段を手ほどきしたのだと、俺は考える。

 前にも言ったが、一般的に国司は赴任中、一財産築くものだが、道真はそこに手を付けていない。さらに、昌泰元<889>年、高望王が平高望たいらのたかもちとして臣籍降下し、上総介かずさのすけとして赴任するが、後に寛平八<896>年、道真は長女衍子えんしを宇多天皇の女御とし、翌年の寛平九年<897>年には三女寧子ねいしを宇多天皇の皇子・斉世ときよ親王の妃とするなど、皇族との間で姻戚関係の強化も進めている」


 灼は不可思議な顔をして訊いてくる。


「皇族には感謝され、天皇には頼りにされる。道真にとって花道じゃない。なんで、これが明暗を分かつの?」

「歴代天皇家と姻戚を持って権力を維持し続けてた藤原家にとって、これ以上の強敵はないと思うぞ」


 俺は咳をひとつ、


「高望王から、つまり坂東平氏として武士集団を形成するにあたり、戦闘集団としての菅原家の力が少なからずあったとみるべきだと思う」  

「つまり、道真は『平家誕生』に一役買ってると?」

「菅原家の濃いエッセンスの一部を移植したと言っても過言ではないかもな」


 灼は再び、人差し指を唇に当て、考え出したのだった。

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