第二十九話:『菅原家』青天の霹靂~検証①~





   


              ※※ 29 ※※




 結論から話そう。

 結衣さんは、『家出』をして来たそうで、今晩我が家に泊まることになった。むろん、灼もだ。

 俺の母親が許可した途端、おもむろにスマホを出して架電かでんする。何処へかと訝しがる俺たちをかたわらに、結衣さんは母親に「今、家出してる」旨、そして「今晩は後輩宅に宿泊する」旨、最後に「明日、帰宅する」旨を告げていた。

 ちゃっかりしてて、しっかりしているよ、結衣さんは。

 結衣さんの存在に一番驚いたのは、父親だった。まあ、見た目は遜色そんしょくない超絶美少女だ。

 夕飯時、結衣さんにしゃくをされて、まんざらではない笑みで頬を緩めていた。灼のジト目に気づいて、威厳を保とうと、時々咳をして誤魔化していたが、現役警察官が嬉々ききとして女子高生の酌を受けた時点で、父親としての誇りは無きに等しい。

 まあ、俺としては常に厳格な父親の、人間らしい一面が見れて愉しかったが。

 しかし、母親に至っては「こんな愚息よりも、結衣ちゃんや灼ちゃんみたいな、可愛い女の子が欲しかったわァ!」と、本人目前でひどい言葉を連発し続け、ついに俺の精神ダメージがマックスを突き抜けてしまった時点で、せっかく楽しみにしていた灼の、揚げ立て唐揚げの味がさっぱり分からなくなっていた。

 母親の精神攻撃と、女子二人が宿泊するという緊張感から憔悴しょうすいしきっていた俺を持ち直してくれたのは、灼手製のバニラアイスだった。

 俺はもちろん、両親も、結衣さんも感嘆の声を上げた。俺の「家でもアイスクリームって作れるんだな」と間抜けな問いに、「こんなの簡単よ」と鼻を鳴らす灼だった。

 おかげで今現在、完全復活を遂げた俺は、自室にて灼と結衣さん含めて三人で、例の二首の歌を広げて顔を突き合わせている。


「……菅原道真って、どんな人だったんだろう?」


 ミルクティーをすすりつつ、灼が訊いてくる。問いは単純だが、答えは窮するほど難解だ。いや、答え自体は文献や伝承を紐解けば良いだけなのだが、とにかく情報量が多い。

 俺は脳内で何度も反芻はんすうし、吟味したうえで答えた。


「『仕事』も『遊び』も優秀な、大企業のサラリーマンってとこかな」

「つまり、『お金』も『地位』も『名声』もある、出来る男ゆうことやねェ。仰山ぎょうさんモテはったんやろなァ」


 結衣さんが、母親の戯言ざれごとにおわせつつ、頬を緩ませる。俺は冷めてしまったミルクティを一気に飲み干し、努めて表情を引き締め、結衣さんの方へ向き直した。


「きっと『名声』はあったと思う。祖父の代からある私塾『山陰亭さんいんてい』を受け継ぎ、後に『菅家廊下かんけろうか』と称されるように部屋に入れないほど多くの門下生がいたというからな。

 『地位』は菅原家の世職せしゅうである文章博士だ。大学教授みたいなもんだが、政府直属の有識者といったところで位階は最高位で従五位下相当だ。『お金』は、まあ……さほど持ってなかったんじゃないかな? 


『微臣把得籝中滿』  微臣きくること得てかごの中に満つとも

『豈若一經遺在家』  かんや 一経ののこりて家に在らんには


 実際、『お金がたくさんあっても、代々受け継いだ学識には遠く及ばない』ってってるしな。

 しかも、道真は文章博士をし、国司として讃岐さぬき……今の香川県へ赴任したことがある。

 たいがい任国で一財産作って帰京するもんだが、道真にはできなかったみたいだな。代わりに讃岐に住む民の惨状さんじょうをしばしば漢詩で詠みえってる。生真面目な性格もあったんだろう。

 また、大宰府に流されて、奥さんから届いた手紙を読んで詠った漢詩は、道真の環境と心境と為人ひととなりが良くわかる。


 

『消息寂寥三月餘』   消息、寂寥せきりょうたり三月餘さんげつよ

『便風吹著一封書』   便風、吹著すいちゃくす一封の書

『西門樹被人移去』   西門の樹は人に移去せられ

『北地園教客寄居』   北地の園は客をして寄居せしむ

『紙裏生薑称薬種』   紙には生姜しょうがをつつみて薬種と称し

『竹籠昆布記斎儲』   竹には昆布こんぶめて斎の儲けと記す

『不言妻子飢寒苦』   妻子が飢寒のくるしびを言わず

『為是還愁懊悩余』   是が為に還りて愁えわれをして懊悩おうのうせしむ



――京の家族から音信が途絶えて三月余り寂しい思いをしていたが、とある日、他の便りのついでに一封の手紙が私のもとへ届いた。

 それを読むと屋敷の西門の樹は人によって運び去られ、また北の園地は他人に貸与しているという。また手紙と一緒に、紙につつまれた生姜が添えられていて、これは薬だと言い、竹の籠にいっぱいつめられた昆布は物忌みの時に食べてくださいと書いてある。

 しかし、自分たちの生活が苦しいことについては何も書いてない。それがかえって私を悲しませ、心配でたまらなくさせるのだ。


――と、いう意味だが……。

道真は、家族思いで、ちょっと融通が利かない秀才タイプだったと思う。また、仕事中だろうが、和歌や漢詩を口づさみ、気に入ったフレーズが出たら、その場で紙に書いて専用の壺に入れてたそうだ。好きな事には熱心だったんだろうな」


 灼は大きな瞳に憐憫れんびん光彩いろを見せ、大きく慨嘆がいたんする。


「なんか、あんたの話聞いてると、道真ってすごーくいい人っぽいじゃん。なんで左遷させられたんだろう?」

「諸説あるが、やっぱり共通点は『妬み』だろう。公卿の家でもない道真が、宇多天皇の信任を得て、右大臣まで昇るわけだ。藤原氏としては面白くないし、当然だな」


 俺はカップを傾けかけて、中身がないことに気づいた。灼はくすりと笑い、


「新しいお茶、作ってくるわ。結衣先輩も?」

「おおきに」


 結衣さんもカップを差し出した。灼は、子盆にカップを三つ載せ、リビングへと降りて行った。

 取り残されて、急に静寂になった二人だけの空間に、俺は動揺を隠しきれずにいた。結衣さんが僅かばかり近づき、二人の距離が縮まる。小首を傾げ、俺の顔を覗き込んでくる結衣さんと眼が合った。


「あんねェ、平良君……」

「なな、なんですか?」


 艶やかな漆黒のロングヘアーが肩から滑り落ちて、サラサラと音を立てる。俺は鼓動が激しくなっていくのを自覚しながら、慌てて距離を取る。しかし、それ以上に結衣さんが進み出て、距離が一層に近くなる。


「今日、山科さんから電話があってん。なんでもウチのために、無謀なゲームを始めおったってなァ」


 瑠璃色の瞳が潤み、桜色の小さな唇が微笑みの形を作る。俺は一瞬、見惚みとれれてから、


「その情報には齟齬そごがあります。会長から出された課題が、実は俺と灼を茶化すものだったんで、抗議に行ったら、成り行きで富樫と結衣さんの、会長から渡されたであろう『歌』で歴史の面白い解釈を持って来いって言われたんで、ついでに富樫と飯塚先輩の処分撤回を条件に入れただけです。安心してください、結衣さんは一切関わりがありませんッ」


 俺は、まともに結衣さんを見ることが出来ず、早口で一気に捲し立てた。

じりじり後退する俺に、居寄いよる結衣さん。背中が壁に着いて退路を断たれたことを感じると、俺は覚悟を決めて硬く目を閉じていた。


「あんた、何やってるの?」


 灼の声で恐々と目を開ける。困惑した笑顔で、俺の手にミルクティーの入ったカップを握らせる。結衣さんはいつの間にか相対距離を取って笑顔でお茶を飲んでいる。

 俺は、灼に気取られぬよう、額に滲んだ汗を拭った。


「で、道真は冤罪えんざいのまま、九州で死んだのよね」

「ああ、朝廷の歴代高官の名を列挙した職員録とでもいう『公卿補任くぎょうほにん』には、延喜えんぎ<903>三年二月二十五日薨去ほうきょと記されている」

 

 灼は、ちびっとミルクティーを啜って、俺の言葉を無言で噛みしめた。

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