第二十八話:『歴史遊戯』






               ※※ 28 ※※




 俺は激しくきびすを鳴らして生徒会室へと向かう。

 灼が必死についていこうとするが、一歩の大きさが全く違うので追い着き追いつつだ。また俺も頭に血が上って、歩幅を合わす余裕を失っていたのだ。

 激しく扉を開き、荒れ狂う衝動しょうどうき散らし、多分入学以来、初めての怒声どせいを上げた。


「会長ッ! よくも俺たちをからかってくれたなッ! ふざけるのもたいがいにしろッ!」

「相変わらず目上に対する礼儀がないわね。……まあ、いいわ。で、ふざける、とは?」


 会長は執務机のノートパソコンに向かっている最中だった。俺の乱入に動ずることなく、掛けていた眼鏡を机に置いた。


「これのことだァッ!」


 俺は渾身の力で、例の手紙を机に叩きつけた。が、会長は一瞥いちべつして無味乾燥な視線を上げる。

 ようやく追いついた灼は、狼狽うろたえつつ、俺の制服の袖をつまむように掴んだ。


「……ああ、これね。で、答えは?」

「今の『俺』が答えだッ!」


 会長はおもむろに立ち上がり、窓辺に立った。

 冬の日暮れは早い。薄寒く、かぼそい夕日の光が、会長の髪を赤銅しゃくどう色に輝かせる。小さい体躯たいくに、実年齢よりも若干幼さを残す端正な顔立ちは、凛として何処どこか人を寄せつかせない冷徹さを感じる。

 会長も美人の枠に入るのだろうが、結衣さんとは対極にある窈窕ようちょうさがあった。


「ふうん……。答えの根拠を聞こうじゃない?」

「そんなに難しいことではない。『伊勢いせ物語』を読んだことがある人間なら、誰でも気が付く。これが酒のれ歌ということがな。

 つまり、俺と灼と同時に渡すことで返歌があることを匂わし、『桜』と重ねた恋の歌と勘違いさせる。しかし、これこそが罠だ。あんたは俺たちの仲をもてあそんだ。許せるわけないだろ」


 会長は大きな瞳をさらに広げる。やがて「クックックッ」と笑い出した。


「彼氏いない歴イコール年齢の私が、あなたたちを少しねたんだだけよ。許してちょうだい。しかし……谷君?」


 底知れぬ微笑を見せる会長。俺は、その声、その表情に戦慄せんりつし、心が大きく揺れるのを感じた。


「あなた自身が『相思相愛』と認めたわけね」


 俺は言葉に詰まり、思わず灼を見た。途端に赤い顔で灼は、俺の横腹に肘鉄を喰らわす。再び会長は「クックックッ」と笑う。


「まあ、いいわ。とりあえず及第点きゅうだいてんかしらね」


 会長は椅子に座り直し、俺を直視する。そのまま視線を外すことなく続ける。


「もし、あなたたちが返歌だけで良しとするか、恋の歌だけで満足するような二人なら、明日にでも『不純異性交遊』で停学処分にするつもりだったけど……。最初の男二人のように、ね」


 俺と灼は渋い顔をし見合う。そして、俺は不機嫌な気持ちを前面に押し出して詰問した。


「やはり、あんたか。この行為に何の意味がある?」


 突如、会長の双眸そうぼうに青白い光が差す。思わず背けたくなる鋭さを一身に受け、俺は耐えた。


「……部室整理令。対象の部・サークル・愛好会の大多数は受け入れたけど、あなたたちのような反対者には、条件を与えた。前回の考古研修もその条件のひとつ。でも、私も甘かったわ。全員にひとつの課題って当然怠ける人間が出てくる。富樫君……かしら? 彼は素晴らしいくらいにピンク脳ね。『歌』の手紙を与えたら、ラブレターと勘違いしたみたい。論外ね」


 会長は「クックックッ」と含み笑いを浮かべ、


「飯塚に渡した『歌』を見て、富樫君は、飯塚が私と高階さんを二股かけてたと勘違いし、あろうことか喧嘩までするなんて……。全くの喜劇だわ。

 そうそう、女子モトクロス部は、部活継続の嘆願書を教師全員の署名付きで持ってきた。面白うまみに欠け、つまんないから認可したわ。……でも、歴史研究部は違う」

 

 会長は僅かに近づき、愉しそうに俺の強張こわばる表情を覗き込んだ。てつく光彩いろが大きな瞳に宿っている。


「21億3432万円も浪費してまで、痴話ちわ喧嘩した高校生は古今の歴史を紐解ひもといても、あなたたち以外きっとるいを見ないわね。ましてや興行利益132億2001万円!? 完全に部活動から逸脱してる」

「それで、部室整理令で潰しに来たってわけか」


 俺の唸り声に、会長は瞳をパチクリさせ、少し思案気に小首をかしげた。


「まあ、それはその通りだけど、簡単に潰したら面白くないじゃない。あんな派手な事をする人たちとは是非お近づきになりたいもの。だから遊んでもらおうと思ったの」


 会長は、立ち上がり、俺と灼の立っている前で執務机に腰を落とす。細く長く、そして透き通った白磁のような足を組むとき、スカートが乱れて奥の黒い布が見えた。

 プリーツのしわも気にしないまま、「クックックッ」と悪戯いたずらっ子の瞳を細め、俺を優しくにらむ。

 俺は臆さず追及する。


「部長や、四字熟語はどうした?」


 その言葉に、会長は失笑した。


「あなたたちの部長には今、贈賄ぞうわい嫌疑けんぎがかかってるわ。だから自主的に自宅待機中。四字熟語……? ああ、五十嵐いがらしさんね。彼女は今、私の手伝いをしてもらってるから参加は無理ね。

 私、最初に言ったはずよ。前代未聞の痴話ちわ喧嘩をするあなたたちと遊びたいって、ね」


 会長は、ゆっくりと執務机から立ち上がり、歩き出す。


「……まあ、いいわ。課題をあげる。富樫君と高階さんにあげた『歌』を基に、私を愉しませてくれる歴史解釈を持ってきて頂戴ちょうだい

 通説や、教科書のような、つまらない回答ものだったら、部活停止および即停学よ」

「そ、そんなの、部室整理令どころか、停学カンケーないじゃんッ! 受ける義理ないわッ」


 俺の背中に終始隠れていた灼が、穴の中から出てきた野ウサギのように、抗議した。

 聞いて、会長は嘲弄ちょうろうの笑みを漏らし、灼の抵抗を微塵も感じない、圧倒感と厳格な意思で返してきた。


 「これは遊戯ゲームなの。内容は別に『歴史』でなくても良いのだけど、谷君の『歴史』について何でも知ってるという顔が苦痛にゆがむのが見たいじゃない。もっとも高階たかしなさんのようにリタイアする方法もあるわ。双月さんは、どっちのたぐいなのかしらね?」


 威圧に負けて、再び俺の背中に隠れる灼。俺は灼の頭に手を乗せ、確たる意志を持って言う。


「わかった。あんたのゲームに付き合ってやる。だが、ひとつ条件がある」

「なにかしら?」

「あんたを唸らせる考証が出来たら、富樫と飯塚先輩の停学処分は取り消してくれ」


 会長は目の前、張り詰めた俺の気迫溢れる表情を見つめなおす。……そして。


「いいわ。ただし、私がつまらないと判断したら、あなたたち二人は退学よ。これで話は終わったわ、帰りなさい」


 反論を許さない、強烈な会長の態度に当てられ、俺と灼は、無言で生徒会室から退室した。




 

 下校し、俺の自宅門を、灼と二人でくぐる。

 玄関ドアを開け、「ただいまぁー」と、俺の帰宅の声に続き、「お邪魔しまぁーす」と、灼の声が響く。

 靴を脱ぎ、玄関に上がると、リビングの方から話し声が聞こえる。不可思議な顔で、俺と灼は見つめ合い、リビングのドアを開けた。


「おおッ! 愚息ぐそくよォ! ついにモテ期が到来したかァ! こんな美人な先輩にしたってもらえるなんて、この幸せモンがァ!」

 

 有頂天な母親を前にして、ころころと銀片が震えるような涼やかな声で笑うザンネン美少女。


「ややわァ、お義母かあさん。ウチが勝手に想ってはるだけやァ、照れますねん。あ、平良君、双月ちゃん、お帰えりな……に、に、にゃあぁぁぁッ!?」


 俺と灼が間髪入れず、結衣さんの頭に手刀を落とした瞬間だった。

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