第二十七話:生徒会長『山科花桜梨』






               ※※ 27 ※※



 

 昌泰二<899>年、菅原道真は右大臣に昇進。昌泰四<901>年の正月には従二位に叙せられる。しかし、間もなく醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世ときよ親王を皇位に就けようと謀ったと誣告ぶこく――つまり虚偽告訴され、罪を得て太宰員外帥いんがいのそちとして左遷されたのだ。

 

 そして、都を去る時に詠んだ歌が


東風こち吹かば匂いおこせよ梅の花あるじ無しとて春な忘れそ』だ。


 しかし、『拾遺しゅうい和歌集』によると、


東風こち吹かば匂いおこせよ梅の花あるじ無しとて春を忘るな』


 と、なっていることは意外と知られていないと思う。


『いでてなば主人なき宿と成ぬとも軒端のきばの梅よ春を忘るな』


 俺は実朝さねともが、有名な菅原道真みちざねの歌を知らないはずがないと思っている。いや、逆に知っていたからこそ我が身を重ねてんだのだろう。


 結衣さんの失踪……と、いうか不登校事件は、放課後になると、校内の掲示板に公布された富樫と飯塚先輩の処分決定内容によって完全に有耶無耶うやむやとなった。


『校内暴力において、両分の理由に問わず、処分を決定する。

 

  三年一組 飯塚新平

  二年三組 富樫昭宏


 両名を一週間の停学に処する』


 目を通した灼が開口一番に叫ぶ。


「これって、重すぎない? たかが喧嘩よ!? しかも二人とも前科ないんでしょ?」


 俺はパックジュースを飲み干し、ストローで空気の注入と圧搾あっさくを繰り返した。


「……『喧嘩の事、是非に及ばず成敗を加ふべし』つまり、喧嘩両成敗だな」

「だってェ……でも、やっぱり変だよォ」


 灼は少しばかりの理屈では引いてはくれない。しかし、だからといって、どうしようもないことも理解しているので言葉は自然とよどむ。

 その、やりきれない思いに反応するように、背後から声がした。


「……是非に及ばずか。『甲州法度之次第こうしゅうはっとのしだい』ね。谷君は武田信玄しんげんかしら」


 俺と灼が振り向くと、ほそみの身体で背は低いのに、やたらと強気の少女が立っていた。雰囲気からして上級生か、上から目線がとても板についている。

 しかし、実際は少女が見上げ、俺が見下ろしていた。


「……ええと、正解ですが、どなた?」

「あなた、私を知らないの?」


 確たる答えが当然のように、強い意志とともに返ってくる。


「私は、生徒会長の山科やましな花桜梨かおり。あなたは二年の谷平良君で、隣の子は一年双月灼さんね。研修旅行はお疲れ様。思った以上の成果を出してくれてお礼を言うわ」

「あんたが山科花桜梨かおり……」

「上級生に対しての言葉遣いではないわね。……まあ、いいわ。それはともかく、谷君と双月さんに差し上げたいものがあったの」


 山科会長は、制服から取り出した封筒を俺の足元へ投げ、


「でも、考古研修は第一関門に過ぎない。次は二人だけに問題をあげる。せいぜい頑張って、ね」


 と、きびすを返して去って行った。

 俺は、人生で初めて(灼以外)女子からもらった手紙が、こんなにも心弾こころはずまないことに新鮮な気持ちでさとった。

 そんな俺を余所に、灼が手紙を拾い上げ、中を見る。突如、不審な視線とともに、俺に突き出した。


『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』


 確実にあの会長が黒幕だということが、いきなり判明して俺は大きな嘆息を漏らした。



 

 掲示板から離れ、下校の道すがら、灼は終始不機嫌だった。聞かずとも語らずともわかる、会長あれは灼の天敵だ。

 俺は校門から緩やかに下る坂道のはたに植えられている桜並木を眺めながら、来年もきっと見事な桜が咲くのだろうなァ……と、ぼんやり思索にふけっているうちに、つい口が滑ってしまった。


難波津なにわつに咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花』


 灼が、鋭い光彩いろを大きな瞳に宿やどしながら、俺を睨む。


「あんたまでゲームのラスボスみたいな会長にめられてどうするのよッ! 富樫も飯塚先輩も、あいつにめられたんだわ」


 憤怒ふんぬの表情を思いっきりあわわにして、灼は桜をった。今は冬なので、すでに葉はない。落ちる物も無いが、当然幹自体も小揺るぎもしない。


「たえて桜のなかりせば!? 本当に桜を無くしてやるわよォ! この、この、くぉのッ!」


 鬱憤うっぷん晴らしに、何度も蹴りを加えていた灼が、己の行為が徒労であることに気づいたときは、いくら吸っても足りないくらい、肩で、胸で、腹で大きく息をしていた。


「はぁッー、はぁッー……。ところで、さっきんだ歌って?」

大鷦鷯尊おおさざきのみこと仁徳にんとく天皇として即位した際、その治世の繁栄はんえいを願って詠まれた歌だが、『春』は繁栄を、『梅』は子孫を意味する。まあ、この場合『花』は梅なので、桜に罪はないぞ」

「わかってるわよッ! なんで、その歌なのかってことよッ!」


 俺は再び坂を下りだした。灼も肩を並べて歩く。


「実は、さっき会長から貰った内容を考えてたのだが、どうも違和感が残る。というのも、富樫が残した歌と結衣さんが残した歌には関連性が見えてた。  

 まあ、飯塚先輩の歌は分からないが、もし二つの歌と重なる意味があったのだとしたら? 今回の事件を引き起こさせるように仕組まれたとしたら?」

「だと、したら?」


 灼の大きな瞳に少しおびえの影が落ちる。俺が頭を優しく撫でてやると、まんざらでもない歓喜の表情を隠すように、乳色の小さな頬を膨らませた。


「さっき、俺が言った歌の方が、富樫や結衣さんたちの歌と、なんか上手く組み合わさるんじゃないかと勝手に思っただけだが……すまん、俺も良くわからなくなった」


 俺が情けない笑みを浮かべると、灼が瞳を細めて微笑した。

 

(よかった……。機嫌が直ったみたいだ)


「そもそも、全く関連なんかないのかもよ? あんた、会長から貰った歌に返歌があるの知ってるでしょ?」

「ああ、確か『散ればこそいとど桜はめでたけれうき世に何かひさしかるべき』だろ?」

「そう。あいつは手紙を投げたとき、こう言ったわ。あたしとあんたに、ってね。つまり、この返歌を伝えるのが正解なのよ」


 得意満面で大きくうなづく灼。しかし、俺はに落ちなかった。そんな簡単な問題を出して終わるような感じではなかった。

 どこか言い知れぬ、ボタンの掛け間違いで取り返しのつかない事件になる、迂闊うかつな判断は許されない、そんな危惧きぐを抱かせるほどに。


「おまえ、この二首の本当の意味わかるか?」

「どういうこと?」

 

 不思議そうな顔を向ける灼に、俺は羞恥しゅうちの心を奥深く隠すため、努めて無表情に答える。


「恋の歌だ。つまり『桜』は恋の例えであって、

 『世の中に……』の方は『好きという感情が世の中になかったとしたら、こんなに悩まないのに……。でも貴方と私の恋が仮にないと思っただけでも悲しくなる』という意味で、

 『散ればこそ……』の方は『人の気持ちも、恋の行方ゆくえにも、必ず明暗めいあんがあるものだ。しかし、だからこそ私は貴方に永遠の愛を誓おう』みたいな。

 ちょっと、いやかなり意訳したが、おおむねそんな感じだ。ん? どうした?」


 灼はうつむいたまま、無言で歩いていた。前髪でふさがって表情が読めない。ただ耳が紅く熱くなっていた。


「あ、あたしたちって、そういう風に見られてたんだぁ……。恥ずかしいィィ……」


 幼い小さな身体をさらに縮ませて、俺に問う。


「でも、あれって確か在原業平なりひら惟喬これたか親王の歌だったよね。男同士じゃん」

「『伊勢いせ物語』八十二段のなぎさの院で

 『狩はねむごろにもせで、酒を飲みつつ、やまと歌にかかれりけり……』とある。まあ、ろくに狩もしないで、宴を開いて、酒の余興よきょうで作ったれ歌ということさ」


 笑って、ふと我に返る俺。


れ歌? 戯言ざれごと?」


 急に表情が硬くなる俺に、灼はいぶかしがる。そして、気づいてしまった途端、湧き上がる驚愕きょうがく激昂げっこうは、先ほどの灼の憤怒とは比ではない。


「あの女ァッ! 俺たちをコケにしやがってェッ!」


 俺は我を忘れて、学校へ戻るべく坂道を走り出した。    

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