第二十六話:『源実朝暗殺』事件




                ※※ 26 ※※




 学校内で事件が起きた。

 とはいえ、学校内なのだ。おおよそ喧嘩か盗難、紛失の類いだろう。

 案の定、俺の範疇はんちゅうを越えなかったが、聞くところによれば加害者と被害者、双方ともに相手と状況が悪すぎた。

 加害者は富樫。被害者は飯塚先輩。つい先日までは共に研修旅行まで行った仲であったはずなのに、何故そうなった!? 

 俺は現場にいなかった為、聴取ちょうしゅすることしか出来なかったが、現場付近にいた人間も、事の顛末を全くと言っていいほど把握していなかった。

 気が付けば階段の踊り場で富樫と飯塚先輩が取っ組み合いで口論し、あげくの果て飯塚先輩は階段から転がり落ちたらしい。

 ただ複数の証言から、富樫はひたすら「裏切り者ッ!」とののしっていたということだけは分かった。生徒が集まり、先生が到着した時は富樫の姿はなく、ただ一つ残された遺留品……と呼ぶべきものだろうか、書置きがあったということだ。

 

 内容は、


『いでてなば主人あるじなき宿やどなりぬとも軒端のきばの梅よ春を忘るな』


 俺は読んで、ふけった。


 これを詠んだ本人『源実朝さねとも』が予感していたように、飯塚先輩も何か運命じみたものを感じていたというのか。

 それとも、誰かが悲劇の将軍を模して、陥れようとしているのか。

 今は解らない。






 建保けんぽう七年、正月二十七日。

 鶴岡つるがおか八幡宮を舞台に大きな事件が起きた。その夜は雪だったらしい。

 『吾妻鏡あづまかがみ』によると、源実朝は右大臣の位を得て、拝賀の儀式の帰りがけに石段で、突然三人の僧兵に斬りつけられる。そして、お付の源仲章なかあきらとともに世を去った。

 そのとき、僧兵の一人だった公暁くぎょうが「父の仇を討った」と名乗りをあげたということだが、その公暁も三浦義村よしむらの手によって捕縛され、処刑されて、この事件はあっさり終わった。


 将軍が誅殺ちゅうさつされ、源氏直系の血がえたというのに、なんとも後味の悪い事件である。


 今回の富樫と飯塚先輩との経緯いきさつについても、近似した嫌悪感を感じていた。

 久しぶりに一人で帰宅した俺は玄関を上がる。奥から母親の、はしゃぐ声が響く。暗雲が垂れ込めた表情でリビングに向かうと、母親と灼がお茶をしているところだった。

 

「実は今晩用事があったのよォ! ホントに灼ちゃん、お願いしてもいい?」

「いいわ、お義母さん。あたしも別に暇だし」

 

 落ち着いた仕草で、ゆっくりとティーカップを口に運ぶ灼。反して、母親の興奮は絶頂を迎える。

 

「お義母さんッ!? なんて至福な言葉なのかしらァ……って、あんた居たの?」

 

 恍惚こうこつな表情で、何もない空間を凝視していた母親の視界に俺が入った途端、声が一オクターブくらい低くなり、興ざめた顔に変わった。俺は無視を決め込んで言う。

 

「オフクロ、俺にも茶をくれ」

「愚息は水道水でも飲んでなさい」


 相手にする気もない、聞く気もない、そんな態度を見せながら、


「俺はこれから調べものがあるから、部屋まで頼む」


 と、リビングを後にし、自室に向かった。





 自室でカバンを降ろし、制服の上着を脱いでいると、ノックが三度響く。


「どうぞ」


 扉が開き、灼がお茶を持ってやってきた。少し躊躇ためらいながらも、大きな瞳に決意を乗せて、俺の部屋に入る。俺は素直に室内に灼を招いた。こういう場合の灼は単刀直入だ。だから、俺も正面から灼を受け入れる。


「あんた、あたしに何を隠してるの? もしくは、あたしに何か言ってないことあるでしょ?」

「え、えーと……まあ、確かにお前に話そうとした……いや、話すべき案件があるのだがァ……。その、なんだ」


 受け入れると、それなりの覚悟をしたのだが、結果は自分自身でも不自然と感じるくらい、決意と行動が伴わない声を紡ぐ。内心、富樫と飯塚先輩の事件について、どう説明したものかと窮していたのだ。自室に戻って考える時間が欲しかった。心の準備は必要だ。

 故に、しどろもどろは勘弁してほしい。


「富樫と飯塚先輩が口論の末、喧嘩したらしい。多分、事態が大きくなってるので何らかの処分はあるだろう。理由は分からない。分からないが……」


 俺は、例の遺留品と呼ぶべき『歌』を灼に渡す。読んだ灼は愁眉を見せた。


「……で、あんたはこれを読んで、その根拠を調べようと……。そういうことね」

「根拠というか……せない所がある。『階段』での口論、富樫が何度も叫んだという『裏切り者』、そしてこの『歌』。一見、源実朝が暗殺されたシチュエーションに見立てているようだが、作為というか第三者の意図を感じる。まあ、あくまで想像の域だが」


 灼は俺にミルクティーの入ったカップを渡し、床に座り込んだ。そして、人差し指を小さな朱唇に当てる。こいつが思考を巡らすときの癖だ。


「ねぇ、平良……。本当に実朝は『石段』で、頼家の子供である『公暁』に『父の仇』って言われて殺されたの? だって叔父と甥の関係なのよ?」

 

 俺は、ミルクティーを一啜りする。ほろ苦い茶葉と、気分が和らぐ乳製品の中にある仄かな甘み。これはきっと蜂蜜だ。いつも……やっぱり、灼の作ったものは何でも美味い。俺は無性に嬉しくなった。

 最近、灼との『歴史』に対する話題で、以前のような重苦しさを感じなくなった。明るい気持ちで向き合って会話している俺自身に驚きつつ、しかし、それを灼に悟られないように、もう一啜りする。


「『吾妻鏡』には『石段之きわに来るを窺い、つるぎを取りて丞相じょうしょうおかたてまつる』と記されてる。

 丞相とは大臣、つまり実朝だな。しかも『或人あるひといわく、上宮之砌うえみやのみぎりおいて、別當阿闍梨べっとうあじゃり公曉くぎょう、父の敵を討つ之由、名謁被なのらると云々うんぬん』と後述されてる。ただ、気になる点がある」

「それは?」


 灼はお茶を啜り、訊ねてきた。


「『吾妻鏡』は北条一門を正当化するために編纂された書物だということだ。つまり、一方的な目線でしかない。しかも公暁は実朝を殺した後、『今将軍のけつ有り。吾專ら東關之長に當る也』つまり、今は将軍が不在だから俺が将軍となるぜって三浦義村よしむらに伝えたところ、逆に殺されてしまう」

「一体、誰が裏切り者だったんだろうねェ……」


 クッキーを頬張る灼は、見かけ通りの幼い顔に満面の笑みを浮かべた。これも灼の手作りのようだが、俺も口に放り込んだ途端、思わず頬が緩んでしまった。何度でも言うが、こいつの作ったものは、とにかく美味い。


「富樫の『裏切り者』発言は気になる。ちなみに慈円の『愚管抄』には北条義時だと勘違いして殺したと記載しているし、当時、儀式に参加した公家の日記『仁和寺日次記にんなじひなみき』には『社壇しゃだんにて誅される』と記されてる。

 また『百錬抄』にも『社壇において……』と書かれてる。まあ、社壇といえば敷地内全体を指すけど、暗殺は本殿で行われたという可能性もでてくるわけだ」

「……ところで、いっこ訊いてもいい?」


 灼が上目遣いで俺を見つめる。一瞬、心臓が強く跳ねる音を聞いた。


「あんたの話、結構面白いんだけど、さ。少し傾倒しすぎるっていうか、固執してない? そもそも、富樫や飯塚先輩本人から話聞いたの?」


 不意を突かれた俺は、言葉を失って凍りついた。そんな態度を見て、灼は大きな瞳を細めて微笑む。


「まあ、話の続きは晩御飯を食べた後にして……。平良は何食べたい?」


 呪縛から解けかけた俺は、再び凝固する。


「晩御飯って……? 今晩うちにいるのか?」

「うん、今日は泊まるよ。お義母さんに頼まれたし。あ、うちのお母さんにも話してるから」


 灼は空になったカップをふたつ盆に載せ、立ち上がる。俺は慌てて手を伸ばす。もはや、灼はドアを開けて外に出ていたので届くはずもないのだが、衝動的な意思に駆り立てられた。残された手を腹に抑え、


「……ハンバーグ」


 俺の簡潔にして、強い決意の表れを、腹の鳴る音が全て顕現けんげんしてくれたのだった。





 翌日、再び事件が起きた。

 今度は結衣さんが失踪したというのだ。書置きを残して。


 内容は、


 『東風こち吹かば匂いおこせよ梅の花あるじ無しとて春な忘れそ』


 俺と灼は憮然と顔を見合わせた。

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