第二十三話:『貝塚』が示す意味



                ※※ 23 ※※



 農道を抜け、小さな丘が見えた。

 『おじさん』教授に連れられて、丘を登ると寺があり、境内から少し離れた空き地に小さなプレハブが建っていた。


「女子は奥に着替え室があるから、そこで着替えてねェ」


 おっとり姉さんの大学生が開錠し、皆を中へ促す。昨晩皆で自己紹介した時、聞いた名前……確か、中村さんだ。

 その中村さんが女子を率いて奥へと消えた。

 ふいに、富樫が言う。


「男子は?」


 その答えに並木さんが、富樫を揺さぶりながら


「男は、ここで着替えだァ!」


 ロッカーから作業着を取り出した。





 俺と灼は、実は持込みだったので、最初から土建方面で良く使用される薄緑色の作業着に安全ブーツ姿である。

 奥から灼が現れると、俺は海兵隊かネービーシールズが背負うような大きなカバンを蹌踉よろけつつも、ゆっくり降ろしジッパーを開けた。すると教授も含め、大学生男子から「おおォォォ」と感嘆の声を聞いた。

 所謂、土建用ヘルメット。ベルトに通す腰袋には、様々な腰道具が入っている。大小の刷毛はけ。まるで、パフェでも食べるかのような長いさじ。緑色地のカミソリホルダーに鋭い刃。そしてスケール等。もちろん園芸用のシャベルも忘れてならない。

 やがて、全員が集まった。

部長、四字熟語、富樫、尾崎はレンタル作業着にヘルメット。飯塚先輩も結衣先輩も似たような格好をしている。特に結衣先輩がいつも流している黒髪ロングをお団子……いや、よく見ると『大夫髷たいふまげ』⁉︎

まあ、この美少女先輩ならみずらっても似合うだろう。とにかく新鮮だ。


「ホンマ、ようウチのこと見てはるねェ。だから平良君はイケズなんやわァ」


( しまった! また無意識に声に出していたのか⁉︎)


  隣にいる灼の視線が突き刺さって死ぬほど痛い。俺はさりげなく灼の背後に回り、視線の死角に入った。灼から大きな嘆息が漏れる。

 ただ引率者である教授含め、大学生三人は頭にタオルを巻き、麦わら帽子を被るだけ。きっと今日は発掘作業はないのだろう。

 しかし、俺と灼はフル装備だった。


「さすが双月さんやわァ。準備に余念があらへんね」


 結衣先輩の言葉に、


「……馬鹿にしてるの?」


 灼は憮然として言う。先程の事もあり、いささか機嫌が悪い。しかし『おじさん』教授は何度も大きく頷き感心していた。


「君は発掘経験者なのかい?」

「……初めてよ。でも、南総で発掘作業といえば、洞窟内もあり得るし。ましてや『舟形木棺ふながたもっかん』が出土しゅつどする場所なら、このくらいの装備当然だわ」


 鼻を鳴らす灼に、俺は気が気ではなかった。

 おい、相手は専門の、しかもセンセだぞ! どうして、そんなに高飛車になれるんだ!?


「たいしたもんだ。あ、そういえば昨晩から名前を言ってなかったね、私は茂木もぎという。よろしく灼ちゃん」


 好々爺こうこうやの自己紹介に、灼が突然おののく。


「……茂木って、あ、あの茂木雅孝もぎまさたかセンセ?」

「ははは、考古学論文で大賞取るだけあって、私のような研究者の名前も知ってるだなんて嬉しいね」


 灼の、大きな栗色の瞳が今まで見たこともないくらいに拡がる。


「茂木センセェ!! ま、まさか本物に逢えるなんてェ!? 先生の執筆された本、論文は全部持ってますッ! ……あ、後でサインもらえますか?」


 まるで、流行アイドルにでも対面したかのような狼狽ぶりだ。隣の灼は鼻血でも噴出しかねないばかりに興奮している。


(へえ……、この『おじさん』そんなに有名なんだ)


 ちょっと嫉妬している俺自身に気づかずにいた。


 



 そして、皆がそろったところでブルーシートが掛かっている遺構へと向かった。

 茂木センセがシートを取ったところで、真っ先に降りようとする市川さんを灼はさえぎった。

 怒りよりも意味が分からないといった風に挙動不審な市川さんをよそに、灼は俺に言う。


「ゴーグルとマスク、ゴム手袋もね、あんたも一緒に来て」


 同じ格好をした俺と灼は、人骨の前に立つ。

 初めて見る葬式以外の人骨は、俺を恐怖に陥れるに十分だった。絶対今晩夢に出る。そんなことを思いながら、隣で作業する灼の手元を無言で凝視する。

 小さなさじで、確かによく見ると黄褐色おうかっしょくになっている土を慎重にすくい、密封できるビニール袋に入れた。そして、人骨の周囲を刷毛はけでサラサラと洗い出した。

 俺は思った。何千年前なのか、何万年前なのか分からないが、この人骨には確かに人格があって生きていたのだ。決して『文献』では感じ得ない生生しい衝動。

 灼を、ただ見ているだけの俺が、共に『歴史学』を学んでいるはずの俺が、小さな存在に思えた。

 何かを見つけた灼は何度も頷き、黒い線が横に伸びている土壌を掬い、同様に密封できるビニール袋に入れた。二つのサンプルを丁寧に腰袋に納め、俺の手を取り、皆のいる場所へいざなう。俺はやはり無言で従った。

 上にあがった灼は茂木センセにペコリとお辞儀する。俺は親を含めて他人に礼儀を示す灼を初めて見た。


「センセ、今日はホントにありがとうございました」


 ゴーグルを取り、マスクを外して、満面の笑みで礼を言う。今の灼は誰が見ても恋におちいりそうな、そんな表情をしていた。

 茂木センセも戸惑いつつも、


「灼ちゃんのやる気が強かったし、『土』に気付く生徒がいなかったので、中断しただけさ。気にせんでいい」


 と、しきりに両手を振る。よくわからないが、俺の中で再びモヤモヤが復活した。

が、途端にその大きな瞳に強い意志を乗せ、相手を真っ直ぐに見て言う。


「市川さん。思った通り、あんたの論点はあり得ないわ」

「それは、どういう意味だ?」

「人食はなされていない、ということよ。仮に『この人』を食べてたら、この村は大変なことになってたでしょうね」


 意味が全く理解できない市川さんに、灼は畳み掛ける。


「ちなみに、ここは貝塚じゃない。もしそうなら広い地層で貝殻が出土するけど、この『仏』との地層が違い過ぎるわ。しかも細かい地層が多数存在する。つまり、ここは浅瀬だったってことよ」


 灼の意見に市川さんは真っ向から反対した。


「仮にここが浅瀬だったとして、貝殻の集合出土から貝塚ではないという答えにはならない。むしろ、大量出土した方が異常だ。天変地異かそれに近い異変がない限り、浜辺の貝が大量に死滅することはないと思う。地層をみれば確かに人骨の上部地層に貝殻が多い。しかも下部層は砂の層と石の層が細く重なってる。これを見てキミは浅瀬と判断したのだろうが、ここはやはり貝塚だとみるべきだと思う。何世紀も使用された場所と仮定するなら、当然地層にも反映する」


 ふいに、哀しみを大きな瞳に揺蕩たゆたわせ、人骨に視線を移す。


「この『人』……ずいぶん苦しんで死んだんでしょうね。死んだ後も、木棺もっかんに入れられず浜辺に埋められて」

「き、君は何を!?」

 

 市川さんはますます意味が分からないといった風に取り乱した。灼は腰袋から先ほど採取した二種類の『土』サンプルを突き出した。灼の双眸に込められた眼力が、大きな闘志となって市川さんを射抜く。


「この黄褐色の『土』……間違いなく腸内細菌の死骸よ。こんなに残るという事は、多分アニサキスか何か寄生虫に犯されてた証拠だわ。この『土』を検査に回せば、きっと寄生虫の卵が出てくる。それで死因が分かるわ」


 灼の発言に教授以外、全員がおののく。しかし、沈黙を最初に破ったのは俺だった。


醤酢ひしほすひるててたい願ふ吾にな見せそ水葱なぎあつもの……」

「何スか? 平良君」

 

 緒方が可思議な顔をして詰問する。対して「今、それを言うか」という灼のジト目が俺を直視した。そんな俺たちを見て、結衣先輩がフォローを入れてくれた。


「万葉集にある有名な歌でおます。簡単に言うと『醤油と酢に、ネギを入れて、そこにタイの刺身を浸けて食べたいなァ……。ネギしか入ってないスープなんか見せてくれるな』でっしゃろ。

 まあ、『ひる』はネギとか、ニンニクとか、言われはるけど、『水葱(なぎ)』はミズアオイと言われ、ネギの一種やから、ここはネギと思うたほうがおもろいわなァ」

「……そんなこと、誰も聞いてないわよ。あたしは生食の危険性リスクを言ってたのに、何故にその歌!?」


 灼は結衣先輩ではなく、俺に詰め寄る。思わず半歩退いてたじろいだが、視界に例の人骨が入り、手を合わせた。よくわからないが、そうしたかった。

 肩透かしを食らった灼は、意味不明な俺の行動に鯉のように口をパクパクさせている。


「……この『人』がグルメかどうだったかは今となっては分からない。でもなァ、灼!!」


 俺は全身に渾身の意志を込めて、言葉を発する。灼は内心、俺の意味するところを理解してくれるはずだ。

 だから、言わなければならない。言うべきなのだ。


「お前だって、刺身は大好物じゃないかァ、はブゥ!?」


 語尾の不明な声は、瞬間、灼にヘルメットの上から土建用シャベルで脳天を殴られたためだ。

 俺はそのままうつ伏せに倒れ込み、昇天した。

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