第十八話:部室整理令




               ※※ 18 ※※



 飯塚いいづか先輩と結衣ゆい先輩との『邂逅かいこう』から二日が経った。

 結局、勧誘された灼と、勧誘していたはずのお二方との会合は、『歴史の意義』なる話にすり替えられ、最後は俺と飯塚先輩との論争で終わった。しかも、その内容も意義ある結末とは、ほど遠く、ぐだぐだで解散したのだった。


 三日経った朝。鉛色の曇天は低く、押しつぶされるのではと思うくらいの陰鬱な気分を、さらに加速する事件が起きた。

 いつものように、俺と灼は長い坂道を上り、校門を抜けたところで人だかりを見た。

まあ、俺には関係ないと、高を括っていたところに富樫が人だかりから転げるように俺の前でへたり込む。

無視して踏み付けても良かったのだが、それよりも早く富樫が俺の右足に纏わりついた。


「生徒会の横暴だァァァァ!」


(鼻水と涙を俺のズボンで拭かないでほしい)


 この時まで俺はただの第三者だと思っていた。

 そして、いつもの放課後……、というわけにはいかなかった。

 歴史研究部内には、暇人富樫、女子モトクロス部の尾崎、そして意外にも古代考古研究部の飯塚先輩と高階先輩がいる。もちろん、俺と灼に部長。相変わらずの四字熟語もいる。

 何なんだ、このカオス。

 しかし、それには原因があった。


 俺は昼休みの時、早朝に人だかりが出来ていた元凶、つまり生徒会からの所謂『部室整理令』の内容を読んでいた。

 そこに再び涙腺が壊れた富樫がやってきて、更に悲壮な面持ちの部長まで現れた。そこで、初めて我が『歴史研究部』が該当部として指定されていることを知った。 

 とにかく、放課後に部室で打ち合わせをしようと部長を帰し、ついでに富樫の相談も乗ってやるかと、部室に招いた。そして、放課後に富樫と俺は道すがら、今度は幽霊のような尾崎に出くわした。


「……、あ、平良君……待ってたよォ~……」


 お前は人を地獄へ誘う鬼か物のか! 正直、近寄りたくなかったので、眼をらし無視をしようとした。が、それより早く、すり寄り、魂が抜けだしそうなぐらいな重音声でささやく。


「せェ~きィィにん~、とォォォってよォォォォ~」


 俺の胸あたりでせりあがるように見つめるのはやめてくれ。今晩夢に出そうだ。隣で見ていた富樫は虚ろな眼で遠くを見た。


「平良ってば、双月ちゃんだけじゃなく、ほかの後輩にまで手を出していたのか……。なんか、爆発してほしいァ……」

「ってお前、俺は灼にだってッ!」

「……文化祭のとき、抱き合ってたのを見たもんねェ~」


 俺の左右で富樫と尾崎がゾンビようにまとわりつく。

 今日ってば仏滅だっけとか、本気で天をあおいでいると、今度は見た目は美少女と言っても遜色そんしょくない結衣先輩が抱きついてきた。


「平良くゥゥゥん、ウチを奪ってェ、そんで誰も知らん街で一緒に暮らしまひょ?」

 

 首まで手を伸ばす結衣先輩が近すぎる。

 玉細工のように潤んだ瞳が淡く光彩を放ち、象牙のようにきめ細かい頬が、軟餅やわもちのように俺の首筋ではずむ。漆色の長い髪がサラサラと音を立て、真っ赤に火照った俺の顔を包んだ。


 しっとりの艶やかな黒髪に、爽やかで、まァるい感じの温かさ……『荷葉かよう』? いやほのかに甘みを感じる。


藤袴ふじばかま……」 

 

 以前、文献上の薫物たきものが知りたくて独学で香を聞いていた。

 灼が「くさいィ!!」と言って当分俺の部屋に入らなかったほどだ。それでも納得できなかったので、香道部に一日体験した経験があった。しかし、髪に香をめる高校生はまずいないだろう。


「……よく、『藤袴ふじばかま』ってわかりやしたな。あの考古で歴史オタクの飯塚でも気が付かへんのに……。せやから、平良君はイケズなんやわア」


 瞳を細め、顔を近づけてくる結衣先輩に、尾崎がデコピンを食らわした。乳色の広くも狭くもない整った額が朱くまる。


「に、にゃァ!? なにしてくれますのん!?」

「……悪霊退散」


 オザキの瞳に、もはや光彩がない。


 「平良君はェ……、これからあたしの青春を取り戻すために犠牲になってもらわないといけないッス。だから色ボケの先輩には渡せないッスよ」


 俺に取って聞き捨てならない事を言い放つオザキ。に対して、途端に、結衣先輩が瑠璃色の髪を逆立てた。


「ふーん……。平良君は渡しはせんで。ウチにとって死活問題が起きたんや。この学校で考古研究が出来んようになったときのために、平良君には家畜のように働いてもらわんと割にあわんわ」


 鋭い目線を送る結衣先輩に尾崎は揺るがなかった。


「あたしも、平良君を絶対に渡しませんッ! 前の文化祭で敗北した女子モトクロス部に生徒会から廃部命令が来たんッス。かつてより全国上位の成績を出しているにもかかわず、無様すぎると。三郷部長は寝込んで再起不能だし、歴史研究部と一番近しいあたしが『交渉人ネゴシエイター』に選ばれたんスッ」


 だんだん、話の内容が見えてきた。何故俺なのかは不本意甚だしいが、『設楽原したらがはら』の実験考古で不祥事があったらしい。部長も把握していなかったが少なくとも生徒会は看過出来なかったみたいだ。

 しかし、なぜ『古代考古学研究部』がここに絡むのだろう? それを言えば、どうせしょーもない悩みに違いないが富樫も同様だ。

 と、いうわけで、後から飯塚先輩も参加し、このメンバーに至った。

 

(しかし……いったい、俺が何をした? 生徒会は何を問題にしているのだ?) 


「なんだか、妙な集まりになったが、皆で忌憚ない意見を出し合おうではないか」


 部長の提案で、即席秘密結社のような会議が始まった。






 生徒会から公示された内容はこうだ。


『平成元年以降の部室利用において、生徒会および学校によって認めている書類がない部室は全て利用を停止します。また平成元年以前においても同様による書類がない場合も停止します。この告示に対し異議を唱える部も同じく停止いたします』


 確かに、活動していない部室を無断使用する愛好会。さらにいえば活動が有名無実化している部室を二重貸与したり等、部室棟の秩序はないに等しい。生徒会がそこにメスを入れるのも頷ける話だ。

 四字熟語がおもむろに口を開いた。


学知利行がくちりこう。民法上、悪意有過失であっても、二十年占有せんゆうすれば良い」


 最近、四字熟語との相対距離に慣れたせいか、だんだんコイツの思考が理解してきた。だから、『よくわかる民法』なる書物を熱読していたのか。

 ちなみに貴方はこれから二十年高校生続ける気ですか?


(分かりやすいけど分かりにくい……)


「……どこの部室も登記などしていない。だから生徒会のやり口は悪辣。登記に公信力がない以上、たとえ部室の占有権を主張しても無駄。生徒会に対抗するためには、まず先に登記が必要」


 どこの世界に部室を利用するために、登記をする生徒がいますかッ! 

 いうなれば賃貸契約をしたアパートの一室を不動産登記するようなもんで……って、まあ、いわゆる非常識です。


「と……、とにかく、それはおいといて。生徒会の告示の内容だ。何かに似てないか?」

 

 俺は、誰も理解していない四字熟語の主張を打ち消すように提案した。

 俺は灼を見る。視線が合ったとき、露骨に嫌悪を示して嘆息交えて言った。


百錬抄きゃくれんしょう……」


 その言葉に尾崎が反応する。


「百連勝!? すゥげェェェ!! それだったら生徒会にも勝てるよねェ」


 舞い上がる尾崎の頭に拳を落とした灼は、苦虫を噛んで噛みまくったような顔で言う。


延久えんきゅう元年に出されたという官符かんぷよ……。詳しくはアイツに聞いて」


 灼の言葉に飯塚先輩が驚いた顔をした。まあ、そうだろう、考古が専門とはいえ、俺と一緒にいるのだ。そのくらい知って当然である。


「延久に出された荘園しょうえんの停止命令だ。延久は西暦1069年頃。

 符には寛徳かんとく二年以降、つまり1045年以後に新立した荘園は全部取り上げるって言ってるんだ。

 ちなみにその前であっても立券りっけん、つまり所有権を示す公文書があっても不明な点があればダメ。更に停止に反抗した場合はいかなる理由があっても停止する……そういう内容だ」


 俺の説明で灼を除く全員が埴輪はにわになった。虚空こくうのような眼に開いたままの口、手を意味もなく拡げて固まっていた。

 そんな呪縛から真っ先に解き放たれた部長は、


「歴史は繰り返される……。だったら方法はあるのだろう?」

「まあ、月並みだが……それが歴史だ。この時期から次々と荘園整理が始まる。つまり、朝廷にとって実入りがないのに、何故か周囲がリッチになっていく……。それが許せなくなる」

 

 尾崎が小首をかしげる。


「あれ? だったら生徒会は……!?」


 その言葉に全員が現実に引き戻された。


「そうだ、荘園停止令はもういい。実際、生徒会は俺たちの部室を取り上げて、なんの利があるのか!?」


 飯塚先輩の言葉に、完全に影と化していた富樫が言う。

 

「俺は……、実は『自転車ツーリング愛好会』の会長なんだ。しかも『百人一首部』が部員不足なのをいいことに全員で仮入部して、そこの部室を占拠してた。でも、いいじゃんかよッ! 使いたい奴が、使える場所を使っても。けど、生徒会が……」


 これが、壊れた蛇口のように鼻水と涙を垂れ流していた原因かよ。

 その意味だけ考えれば、今回の『部室停止令』は一見筋が通っている。部室を不当に私物化したり、溜り場にしたり等、富樫のような奴が多分にいるからな。

 でも、だったら『歴史研究部』や『古代考古研究部』、ましてや全国レベルで実力を示している『女子モトクロス部』は?

 そんなことを思案している俺をよそに、結衣先輩が急に手を挙げた。


「ようは、なんや実績を作れば、ええんちゃう? ほんなら、ええ話があるわ」


 その場の人間は、それを聞き、戦慄した。だがしかし、ひとりだけ闘志を燃やす灼がいた。

 

(たのむから、問題起こさないでくれよ、頼むから……) 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る