第十四話:歴史の闘争…再び




            ※※ 14 ※※




 俺は窓を開け、冷たい空気をいっぱいに吸い込んだ。

 東の空が白く、紫紺しこんの雲は細くたな引いている。


(いと、をかし……。なんて、な)


 大きな欠伸あくびをする。ずっと忘れていた睡魔すいまにかられてしまったようだ。

 窓を閉め、夜明け前まで読み耽った日本考古学会の機関紙「日本考古学」の表紙を見た。

 大きく書かれた見出し。


『全国高校生考古学論文大賞受賞:平安後期の水運経済を考察する~手賀沼の遺跡より 東葛山高校一年 双月灼ふたつきあきら


「ほんと、やりやがったな、灼」


 俺は半分意識を失いながら、布団にもぐりこんだ。





 再び意識を取り戻したのは、腹部に衝撃が走った時だった。


「平良ァ! 起きなさいよォ!」


 罵声ばせいとともに、目を開くと、俺に馬乗りしている灼が不敵に笑う。

  

「さあ、今日も歴史に挑戦するわよッ!!」


 こうして、俺の、いや……俺たちの歴史がつむがれていく。

   




 校門へと続くやたら長い坂道を灼と並んで歩く。灼が入学して以来、ほぼ毎朝の習慣だ。とはいえ、熱愛中のカップルとは、ほぼ遠い。

  俺は歩きながら『更級日記』を熱読し、灼は何かのアニソンを鼻歌まじりで歌っている。

突如背後から、俺を呼ぶ声がした。が、紙面に視線を置いたまま無視を決め込む。

  見ずともクラス一の暇人、富樫だ。


「よう、平良。後で古文の宿題みせてくれ。お、双月ちゃんもおはようさんっ! んじゃ、後でなァ」


 そのまま自転車で坂道を全力で登って行った。文化祭のときも思ったが体力だけはあるのな、あいつ。


「ねェ、平良。もう読んだ?」


 ふいに、灼が上目遣いで覗き込んでくる。プリーツの細いスカートが風で流れた。

 きっと、話すタイミングを推し量っていたのだろう、灼は、はにかみながら両手をお尻の上で組み、背中を伸ばして微笑んだ。

  

「ああ、読んだ。一気に読んだから、朝までかかったぜ」

「どうだった?」


 灼は大きな栗色の瞳を輝かせ、平良の腕を取る。ここだけ、傍から見ると、やっぱり相思相愛のカップルに見えるのだろうな。

 俺は若干、離れ気味に歩く。しかし、灼はさらに腕を絡ませてきた。答えを聞くまでは離さないといった風に、小さく頬を膨らませた。

 

「まったく……。面白かったよ。だから離れろって」


 俺は灼の頭をいじる。灼は「ぶー……」と不本意な感情をあらわにして、からめた腕を外した。が、猫の目のように表情が急に、ぱあっと明るく変わって問う。

  

「どの辺が面白かった?」


 俺は『更級日記』を閉じ、しばらく表紙を眺めた。そしておもむろに口を開く。

  

上総かずさの――千葉県北部で出土した鉄の加工場、つまりたたらの数は全国でも一・二位を争う。

 当然、都にもはがねは献上されてたんだろうけど、千葉県、栃木、茨城といった関東一円の遺跡や出土品から、各地域で手賀沼、利根川の水運を利用して活発に経済活動してたのでは……。と、いうお前の論文趣旨は全体的に俺は共感できた」

「あんたがインターネットで海抜かいばつを自由に変更できる無料ソフトで平安後期の海を再現してるのを見たとき、ひらめいたのよねぇ。あの論文、あんたがきっかけね」


 灼は愉しそうに笑う。

 確か『更級日記』のまつさとの下りのところで、当時の海が知りたくて、松戸の関跡まで海抜を上げたらどうなるだろうと思ったときか。

  

「特に鋼の交易によって、鉄製のくわすきが急速に広がりを見せる、それらを平将門が水運を使用していたのではという論理展開は実に興味が湧いたな。

 確かに将門は最新の鉄製武具と軍馬の増強によって関東八か国を瞬く間に平定したことが『将門記』でも見てわかる。しかし、それ以上に兵站へいたんが水運によって能動的に行き渡っていたことで、将門の八国平定が短期間で成し得たのでは、という仮説は眼からうろこだったよ」


「へ、へェ……。でも単なる仮説だよ」


 灼は頬を照れながらく。

  

「いやいや、これが立証できれば歴史が変わるぜッ。なんせ将門が水軍も保有してたかもしれないってことだからな」

  

 俺は、今朝の夢が冷めやらぬ興奮を思い出す。

    

「お前はたいした幼馴染だぜッ!」

  

 最大の賛辞を満面の笑みで送る俺。

  

「ふ、ふぅ~ん……。なんかあんたから、そんなに手放しで絶賛されると、妙に背中がくすぐったいわ」


 少しカールが入ったツインテールをなびかせて、幸せいっぱいに笑う。そんな灼の横顔を見ると、俺まで何だか心が満たされていくような気持ちになるから不思議だ。

 やがて、校門にたどり着いた俺たち二人は、「じゃあ」と片手を上げ、それぞれのクラスへと向かう。

 俺がちょうど灼に背中を向けたとき、灼の挑戦的な声が響いた。

  

「あんた、誰ェ? ちょっと近づかないでくんないッ!」


 振り向いた俺は、男子生徒に迫られている灼の姿を見たと同時に、走り出していた。

 灼と男子生徒の間に割って入り、俺は正面から睨みつけた。

  

「灼に何の用だ?」


 俺の低く、ドスの効いた声に、男子生徒は、へらりと笑いながら両手を上げ、二・三歩退がる。

 わざと怖がるふりをして見せるあたり、軽く見られている気がして、ますます頭に血が上った。

    

「君が谷平良君か……。なるほど、ね。聞いた通りの人物だね」

 

 俺は無言で大きく一歩近寄る。いつでも首根っこをひねって一発殴れる間合いだ。男子生徒は俺の本気に慌てて、

  

「ちょっと待ってくれッ! 双月を見たら、これについて聞きたくなって声をかけたのだけど、かえって迷惑をかけたみたいだ。すまなかった」


 と、カバンから日本考古学会の機関紙『日本考古学』と取り出した。

  

「素晴らしい論文だったよ。あ、申し遅れたけど、俺は三年の飯塚新平。古代考古研究部の部長をしている」


 俺と灼は、突如現れた人物に、しばし呆然とした。

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