第十二話:そして…振り出しに




              ※※ 12 ※※




「放てェ!!」


 本陣手前の二重塹壕から、一斉射撃、いやピンポイント斉射によって全ての水弾が灼を襲う。

 が、バイクの後輪を弾ませ、威力を殺し、水泡の射程距離ギリギリで跳躍した。


「いやーァ、アッキー、さすがッスねェー」


 赤橙色まみれのスーツをまとったショートカットの女の子がいつの間にか、塹壕の中でくつろいでいた。


「誰?」


 俺は思わず指差す。

 その仕草に、少し苛立ちを見せながら、よく動く大きな瞳と、愛嬌ある口元が、これ見よがしに喧伝する。


「お、ざ、きィ。って、この間名乗ッたスよ、平良君」


 ちょ、ま……、あの時はバイクで、ヘルメット被ってて。

 俺が混乱し始めると、尾崎は不敵に顔を近づける。


「尾崎ッス。ヨロシクッス!」 

「……お、おう」

「それよりアッキー、再突入してくるッスよ」


 尾崎が促した。

 丁度、灼が前部車輪で体勢を整え、塹壕を飛び越えるために、エンジンを吹かしていた。


金城鉄壁きんじょうてっぺき。第二隊、射撃用意」


 四字熟語の命令が下る。

 これは灼も予想はしていなかったようだ。が、選択肢はない。

 灼は突貫を決意した。

 スロットルを思いっきり開き、弾丸のように押し出された灼は土塁の壁を真横になって突き抜け、馬防柵に迫ってくる。


「……あいつ、上海雑技団にでも入るつもりか?」


 俺は我が目を疑った。

 土塁を壁ごしに走り抜け、且つ鉄砲の射程外をかすめつつ、柵を越えようというのだ。

 本気の灼に俺は慄いた。

 しかし、四字熟語の射撃はどこまでも冷静だった。


「放て」


 バイクの進行方向に沿って、斉射された。灼も対応すべく、ジャンプを試みる。

 灼はスロットルを絞ると同時に、膝でバイクを安定させようとした時。

 一発の水泡が後輪を直撃した。

 バランスを崩し、灼はすでに跳んだバイクの安定に執心する。が、飛距離を稼ぎきれなかったのか、前輪が馬防柵にあたり、そのまま灼を放り出してしまった。


「ダメェ!!」


 固く目をつぶる灼。ここで力尽きようとする自分に無念の衝動が沸き起こる。


(でも……)


 やっぱり、ここまでだったのかもしれない。


「あたしは……。やっぱり平良とは一緒には……。でもでも、そんなのは嫌だ」


 落ちていく灼は消えて行く自分の意志に恐怖した。




 

 俺はその瞬間、どれだけの時間が経過したのか、全く自覚がない。

 宙に放り出された灼を追いかけるのに夢中だった。

 馬防柵に弾かれそうな灼を寸前で捕まえることが出来たが、肝心の俺は土塁に打ちつけられ、塹壕へ転がり落ちた。

 遠のきそうになる意識を奮い起こし、叫ぶ。


「灼! 灼!!」


 やがて、ゆっくりと目を開ける灼。


「大丈夫か? 全く無茶しやがって」


 俺は安堵と野次を含めて、灼の頭をなでる。

 灼も堰切れたかのように、大きな栗色の瞳に大粒の涙を浮かべた。


「こ、怖かったよう……」


 俺は軽く灼をこづく。


「っ痛?」

「心配掛けやがって。そもそもお前がバイクに乗るってだけで、俺はどんだけ……」


 言葉が詰まって出てこない。ただ目の前の幼馴染が無事なだけが。

 それだけで俺は満足だった。


「……ごめん。でも、平良が悪いんだよ?」

「俺?」


 灼は涙をふり払い、自明の理と言わんばかりに言う。


「だって、あたしと話してて疲れるとか……」


 俺は改めて言う。


「いや……だから。あれは歴史の話をしてると、いつも喧嘩になるからであって」


 必死に弁明する俺の胸に顔を埋める灼。


「……好きなの」


 くぐもって聞こえないかのような声で囁く灼。

 しかし、意を決したのか、顔を上げ、まっすぐ俺を見て言う。


「あたし、好きなのッ」


 確かに届いた灼の気持ちにうろたえる俺。


「あたし、あんたと歴史の話をするのも、喧嘩するのも、ぜんぶ……、ぜぇーぶ好きなのよッ!!」


 つらそうに瞳を逸らす灼。


「だから……だから。勝手にあたしから離れないでよォ!!」


 最後に俺の胸で大泣きをする灼。思わず灼の頭を優しく撫でた。

 

 (俺は灼に何を求めていたのだろう?)


 灼は俺に?

 二人で愉しく歴史の話をしていた小学校の頃を思い出す。


「すまん。俺が悪かった」


 俺は灼を抱きしめる。



「ぐぉ、っほん!!」


 突如、部長の慇懃な咳で俺たちは現実に戻された。


「いや、このまま見ていても愉しいのだけど、そろそろ勝敗を決めてもいいかね?」


 部長がわざとらしく遠慮気に言う。

 灼が顔を真っ赤にして俺を蹴り、離れた。

 対応の豹変ぶりに不平を感じた俺をよそに、ジャッジが下った。


「勝者は歴史通り……、織田信長でぇーす!!」


 部長の宣言に織田の兵士は雄叫びを上げる。観覧席からも歓声が上がった。

 蹴られた俺は、のろのろと起き上ったところで、灼が手を差し伸べる。


「負けたわ。あんたの文献学認めてあげる」


 灼の言葉に俺は後ろ頭を掻く。


「いや、俺こそ騎馬隊の存在を疑ってた。逆説的に信長がここまでしなきゃ勝てない存在だったわけだ。今回はお前が正しいよ」


 はにかみ頬をふくらます灼。


「いいわよ、そういうふうに言わなくても」

「そんなことはないぞ。信長だってチェリニョーラの戦いを知らなければ、三方が原の二の舞だったかもな」


 したり顔で言う俺に、たちまち灼の表情が豹変する。


「ちょっと待って。チェリニョーラの戦いって1501年にスペイン軍司令官ゴンザロ将軍が鉄砲で、当時欧州最強だったフランス軍重装騎兵に圧勝したってやつよね? あんたまさか……ルイスフロイスがそれを信長に教えたって思ってないよね?」

「……悪いかよ?」


 俺の返答に対し、いつもの口癖を連呼する。


「ありえないッ! ありえないッ!」


 ……こうして。


 俺たちは論争を繰り返す日々に逆戻りするのだった。

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