第十一話:馬防柵の正体




               ※※ 11 ※※




 灼の『大』の旗が風になびく。

 予想通り、中央馬防柵の前に指物が一列に陣立っている。

 一斉射撃で迎え撃とうと画策しているのは、もはや疑いない。

 後は反転のタイミングだ。

 一斉射撃より早いと側面を晒し、的にされる。

 逆に遅いと射撃によって陣形が混乱し、やはり的にされる。

 灼は鉄の馬と一体になりながら、敵の動向を伺った。 

 先鋒が連吾川に差し掛かった時。

 ふいに緊張の糸が弾いたような、理屈ではなく、直接肌に気迫が突き刺さる衝撃を感じた。

 反射的に、灼は腰に差した軍配を右に大きく振る。

 縦深陣で攻め込んだ武田勢は一斉に右回頭し、陣形が大きく三つのU字を描く。

 しかし、その前に織田の鉄砲が一斉に火をふいた。

 瞬間、水の微粒子が飽和状態になり、周囲に濃霧を作り出す。

 灼は絶妙なタイミングを確信した。この前方不可視状態を利用して陣形を再構成して再突撃する。

 この時、灼にわずかな誤算が生まれた。

 陣形再編に当たり、騎馬3騎が討ち取られていたことが判明したのだ。


(意外と射程距離が長い?)


 灼は無念な思いをひた隠しつつ、赤橙色の水を全身に被り、意気消沈している部員を後方へ退がらせた。……しかし。

 それでも再突入の再編成まで、さほど時間は要しなかったはずだった。

 

 濃霧が晴れた時。

 眼前の敵陣に、織田兵の姿はなかった。





 

 俺は今、泥ネズミのように塹壕の底を這いずっている。

 指物が見えないように、かつ素早く、近代戦法における突破機動の防御に走る。

 中世の遺物である旗は兵数を見極める重要なアイテムではあるが、野戦には適さない。

 これが革新ってやつですか?


「伝令! 壱の陣、配置完了」


 伝令兵が左の塹壕から無駄な動きなく報告し、素早く元来た道を戻る。


「伝令! 弐の陣、配置完了」


 同じく右から。即座に帰っていった。


協心戮力きょうしんりくりょく。後は待つだけ」


 四字熟語の言葉に俺は頷く。

 

 (ここまでやったんだ)


 後は灼にどこまで対抗できるか、だな。





 再編成を終えた灼は密集陣形で再突入を下命する。

 鉄騎馬隊は、咆哮を上げ、大きな意志の塊となって突進していく。

 最前線の馬防柵と塹壕は難なく突破を果たした。


「全然、余裕じゃん。やっぱり平良の言ってた鉄砲の威力って、所詮こんなもの」


 灼は誰に聞かせるわけでもなく、自賛の言葉を吐いた。

 鉄騎馬隊が弐の陣に差向かったとき、正面に突然、織田の指物が顔を出した。


「待ち伏せ? 伏兵!?」


 このまま密集したままだと、鉄砲の的だ。


「左右に散開!!」


 灼が下知を下す。しかし、眼前の馬防柵に阻まれて、陣形が崩れバラバラに四散していく。

 その瞬間、弐の陣から一番少数単位になってしまった集団に向かって発砲された。

 全員が討死した。


 濃霧が発生する直前、織田勢が再び塹壕に身を隠し、移動していくのが見えた。


「まさか? 塹壕野戦での各個撃破?」


 別の場所で鉄砲の斉射音が聞こえた。

 灼の目の前を織田勢の少数部隊が横切る。

 今度は灼自身が標的にされていることを自覚した。


「今は前に進むだけだわ!!」


 灼はスロットルを捻り、土塁を跨ぎ、ジャンプして柵を越えていく。


「アッキーに続くよ!」


 尾崎以下数名も同じように柵を越えた。

 撃ち損ねた鉄砲隊は、再び身を隠し、複雑な塹壕を移動する。


「アッキー、これからどうする?」


 尾崎の質問に即答する灼。


「土塁を越え、最短ルートでフラッグを奪う。こっちは一騎になってもフラッグさえ取れれば勝ちよ」


 灼は再度土塁を越えようとすると、眼前に鉄砲隊が顔を覗かした。

 灼はフロントブレーキをいっぱいに絞り、バイクを寝かせ、反転した後、素速く起こし、降ってきた土塁を再び登る。

 立ち遅れたモトクロス部員数名が赤橙色の水を被っていた。

 灼は土塁に沿って迂回しながら織田本陣手前の最終馬防柵の位置を確認する。

 自分自身が考古的検証し、構築した織田陣地だが、こんな使い方してくるだなんて……。


 土塁を降り、馬防柵の前に立つ。


「灼ァ!!」


 正面の塹壕から、聞きなれた声が響き、「よいしょっと」とつぶやきながら、一人這い出てきた。

 その姿を見て、思わず灼は笑みをこぼした。





 俺に根拠はなかったが、必ずここに灼が来ると確信していた。

 そして今。

 眼前に灼がいる。

 灼はヘルメットを取り、俺を見た。


 さっぱりした笑顔で言う。


「馬防柵を文字通り馬を防ぐための柵ではなく、分断するための障害に使うだなんて、ね。呆れたわ」

「信長公記に『人数を備え候。身がくしとして、鉄砲にて待ち請け、うたせられ候へば、過半数打倒され』とある。織田軍の勝因は、この野戦陣地と鉄砲のコラボレーションにあったわけだ」

「まだ負けたわけじゃないもんッ」


 灼はヘルメットをかぶり、エンジン音を高ぶらせる。


「きっと、勝頼も今のお前と同じ気分だったろうな」


 俺が片手を挙げると、鉄砲隊が射撃体勢に入る。


「行くよォ!!」


 灼は叫ぶ。


「来いッ!!」


 俺は灼の気迫を全身で受け止めた。

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