契約結婚した相手に「できちゃった❤」って言ってみた

亜逸

契約結婚した相手に「できちゃった❤」って言ってみた

「できちゃった❤」


 自身のお腹に両手を添えながら、アリスはカルロスに告げる。


「バ、バカな! あり得な――……」


 カルロスの口から否定の言葉が出そうになるも、ことに気づき、口ごもってしまう。

 そんなカルロスの反応を予見していたアリスは、顔に出すことなく内心でガッツポーズした。


 アリスとカルロスは、契約によって結ばれた夫婦だった。


 貴族ゆえに体面が気になるのか、アリスが二〇歳を迎えたあたりから、親は結婚しろ結婚しろとうるさくなった。

 そんな状況に辟易していたところ、友人の知り合いに、アリスと同じように親から結婚しろ結婚しろと言われて辟易している貴族の息子がいることを聞いた。

 その貴族の息子がカルロスだった。


 アリスは友人に頼んでカルロスと会い、親の目をごまかすために契約結婚を結ばないかと持ちかけた。


 期限は一年。

 双方の親が、子供ができないことを怪しく思い始めるであろう年月が、大体これくらいだろうという判断のもとに決めた期限だった。


 加えて、離婚で心を傷ついたていを装えば、向こう二~三年は親も何も言ってこないはず。

 その猶予期間モラトリアムを全力で謳歌し、その間くらいに、まあ、本当に結婚したい相手くらい見つかるだろうというのが、アリスとカルロスの算段だった。


 もっともその算段は、アリスの中ではもうとっくの昔に瓦解してしまっているが。


「……そうか。可能性としてはあり得るか……だとしたら、腹をくくるしかないな……」


 できちゃった発言を真剣に受け止め、覚悟を決めようとしているカルロスを、アリスはさながら恋する乙女のように見つめる。


 いつからだろうか。カルロスのことが、愛おしく愛おしくてたまらなくなったのは。


 少なくとも、契約結婚を結んでから二~三ヶ月くらいは、アリスにとってカルロスは契約によって結ばれた同居人程度にしか思っていなかった。

 だというのに、気がつけば彼のことを本当の夫として見るようになっている自分がいた。


 今は友人とバカをやっている方が楽しい――そういった意味ではアリスもカルロスも同じであり、だからこそ相性が良かったからだろうか?

 遊び慣れているようでその実身持ちが堅く、思ったよりも誠実な男性だと知ったからだろうか?


 兎にも角にもカルロスのことが好きになってしまったアリスだったが、そのことに気づいた時にはもう、契約結婚の期限を迎える手前まできていた。


 どうにかして彼を引き止めたい。たとえ契約でも彼との夫婦生活を続けたい。

 その想いから出たのが、子供ができたと嘘をつくこと――できちゃった発言だった。


 これはアリス自身にも言える話だが、カルロスは無類の酒好きだ。

 外で酒を呑む場合はしっかりと自制して多少酔っ払う程度で抑えているが、家の中だと寝落ちするまで呑むことも珍しくない。


 アリスもカルロスに付き合って酒を呑むことも多く、アリス自身も酒の呑みすぎで寝落ちしたことは一度や二度ではない。

 そんな一時ひとときが、カルロスが好きだということを自覚してからは、アリスにとっては何よりも楽しい一時であることはさておき。


 カルロスは、ぐでんぐでんに酔っ払うと、その時の記憶が残っていない傾向にあった。

 カルロス自身もそれを自覚していたからこそ、アリスの嘘のできちゃった発言を聞いても「あり得ない」とは言い切れなかった。むしろ「あり得る」とさえ思っていた。

 今、この時のように。


 カルロスは散々思い悩んだ末に、アリスに訊ねる。


「やっぱり、俺が酔っ払っていた時か?」


 愛おしい人に対して嘘をつくのは、正直気が咎めるものがある。

 アリスは相当な努力を要した末に良心をねじ伏せ、神妙な顔をしながらも嘘の答えを返した。


「……ええ。あの時はわたくしも酔っていて、気分が高揚していて……つい受け入れてしまって……」


 カルロスは短く「そうか」と返す。

 そして、短くない黙考の末に、覚悟を決めた表情でアリスに言った。


「君さえよかったらでいい。俺たち……これからは契約ではなく、本当の夫婦としてやっていないか? 正直に言うと、君と暮らしたこの一年間は本当に楽しかった。君のことも……その……本当の本当に正直に言うと……気がつけば……好きになっていた……」


 まさかカルロスも、自分と同じようにいつの間にか相手のことを好きになっていたことを知ったアリスの頬に、涙が一筋つたっていく。


「ど、どうしたアリス!? やっぱり……俺と本当の夫婦になるのが嫌なのか?」


 おそるおそる訊ねるカルロスに、アリスはかぶりを振る。


「違いますの……わたくしも……気がつけばカルロスのことが好きになってて……同じだとわかったから嬉しくて……」


 たまらずといった風情ふぜいで、カルロスはアリスを抱き締める。

 アリスも、感極まったように抱き返す。


 この瞬間、二人の契約あいは永遠のものになったのであった。































 気持ちを落ち着けるためにカルロスと一旦別れて自室に戻ったアリスは、カルロスと本当の意味で夫婦になれた幸せを噛み締めていた。

 だが同時に、罪悪感も噛み締めていた。


 ベッドに倒れ込み、天井を見上げながらポツリと独りごちる。


「やっぱり褒められたやり方ではございませんわね。いくらカルロスを繋ぎ止めるためとはいえ、子供ができたなんて嘘をつくなんて……」


 本当の意味で夫婦になれたからこそ、自己嫌悪が止まらない。

 こんな非道い女が、カルロスの傍にいてもよいのかと考えてしまうほどに。


「本当に子供をつくってしまえば、嘘が嘘ではなくなりますけど……」


 罪悪感が消えることは決してない――と、思っていたその時だった。

 唐突に吐き気に襲われたのは。


 我慢できず、ベッドの近くにあったゴミ箱に向かって胃の中のものを全て吐き出す。

 異変に気づいた、子供の頃からアリスに仕えていた壮年の侍従メイド長が、すぐさま木杯コップに水を入れて持って来てくれたので、口をゆすいでから侍従長に礼を言った。


「ありがとう。でも、どうして……」


 そんな主の疑問に、侍従長は神妙な顔をしながら答える。


「……お嬢様、確信を持って言わせていただきますが、十中八九〝おめでた〟かと」

「お、おめでた……?」


 その言葉を意味するところは、アリスも知っている。

 そして、目の前にいる侍従長が産婆の経験が豊富であることも、アリスは知っている。


 だからこそ信じられなかった。

 自分の身に、カルロスの子供が宿っているなどという話は。


 まさかすぎる展開に言葉を失っているアリスに、侍従長は問いかける。


「この場合、『おめでとうございます』と言ってもよろしいのでしょうか?」


 子供の頃からアリスに仕えていることもあって、この侍従長はアリスの味方であり、カルロスとの結婚が契約であることも知っている。

 だからこその問いになるわけだが……アリスにはその問いに答えず、半ば呆然としながら侍従長に訊ね返した。


「いつ……ですの?」


 それだけで質問の意味を理解した侍従長は、頬に少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべながら答える。


「カルロス様と一緒に酒盛りして、お二人揃ってぐでんぐでんになるまで酔っ払った時かと。アリス様はご自身のことを酔っ払っても記憶が残るタイプだと思っていらっしゃるようですが、記憶がトんでること、ちょいちょいありますよ」


 まさかの事実に開いた口が塞がらなかった。

 先程までとは別の意味で自己嫌悪が止まらなかった。


 こうして、アリスのできちゃった発言は嘘ではなくなったわけだが。

 カルロスとの大事な大事な初夜の記憶が綺麗さっぱり残っていなかったことを悔やみに悔やんだアリスは、絶対に二人目もつくってやると心に決めたのであった。

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