第2話

 まずい。

 俺は引き攣る顔をなんとか笑顔にし、平静を装った。

 クッサ星人異臭の発生源はきょとんとした顔で首を傾げる。


「はい? 確かに私はクッサ星人ですが……何か?」


 昨日クッサ星人に会った時は何も感じなかったのに。だが、よく考えたらその時は宇宙服を着ていたから、そのせいかもしれない。


「い、いいえ……なんでもありません……お変わりはないかな、と思いまして、ウッ」

「ええ、大丈夫ですよ。地球に着いたらきちんとお金は払いますから、心配しないでください」

「あ、ああ、はいぃ……失礼しますぅ、ウッ」

「?……え、ええ。では」


 貨物室の扉が閉まると、俺は息を止めて急いでその場を離れた。ブリッジに戻った俺は、思わず言ってしまった。


「うえー、な、なんなんだ、あのニオイは! クッサ! 超クッサ!」


 鼻がもげるかと思った。いや、もう少しあそこにいたら自ら鼻をもいでいた可能性がある。なんとも形容し難い、今まで嗅いだ全ての悪臭を煮詰めて、さらに未知の暗黒物質を加えたような、とにかく不快なニオイだった。

 だが、クッサ星人に罪はない。彼らは確かに足が八本あって目が三つあるかもしれないが、有害異星人ではないし、代謝物も毒性はないとされている。乗せる前に「全銀河の人種図鑑」できちんと調べたのだ。

 見たところ、特別不潔にしているわけでもなさそうだ。

 地球の人間の鼻には三百九十六種類の嗅覚受容体センサーがあり、物質ごとに反応する受容体が決まっている。そして、吸い込んだ空気に含まれる数百から数万の物質による受容体の反応が複雑な信号パターンとなって脳に伝わり、記憶と結びついて認識される。それがニオイだ。

 おそらく、地球人の鼻の構造、俺の生まれ育った環境、宇宙船内の空気の組成、俺の体臭、そこにクッサ星人から発せられる物質がたまたま奇跡的に噛み合って、最悪の悪臭となったのだ。反応する受容体の種類が一つ違うだけでも、まったく別のニオイになっていたはずだ。

 だからクッサ星人に罪はないのだ。


「どうしたものか……」


 俺は頭を抱えた。地球到着まではあと三日ほどかかる。船内のニオイはどんどん強まっている気がするし、これは耐えられない。

 クッサ星人に正直に話し、宇宙服を着てもらおうか。

 だが、それには危険が伴う。

 なぜなら、クッサ星人は怒りのコントロールが下手なことで有名なのだ。彼らの機嫌を損ねた結果、滅びた文明もあるという。そんな彼らに、「お前、臭いんだけど」なんて言ったら、一体どうなるか……


 俺は、どうにかして消臭することにした。


 消臭にはいくつか方法がある。

 まずは、臭いの発生源を断つ。

 クッサ星人に船を降りてもらうなり、宇宙服を着てもらうのだ。だが、近くに停泊できる惑星はないし、クッサ星人に臭いと伝えるのは機嫌を損ねる可能性があるため、却下。


 次に、換気をすること。

 しかし、残念ながらここは航行中の宇宙船だ。却下。


 次に、ニオイ物質をフィルターなどで取り除くこと。実はこれはもう行われている。宇宙船の空調には有害物質を除去するフィルターが付いているのだ。だが、それでもニオイがするということは、フィルターでキャッチできないか、すでにフィルターの性能限界を超えているということだ。


 残された方法は、ニオイの原因物質を化学反応などで別の物質に変えてしまうことだ。だが、そのためには原因物質が何かを突き止めなくてはならない。サンプルの採取が必要だ。


 俺は覚悟を決め、再び貨物室の扉をノックした。


「おや、どうしました? まだ地球には着いていませんよね?」


 扉が開くと、周囲のニオイが一気に強くなる。俺は必死に笑顔を作り、シリンジを掲げて見せた。


「実は、船内の環境測定を行わなければならないのです。はい」

「ほう?」

「法律で定められていましてねぇ。すぐに終わりますので、ウッ……」


 俺はシリンジを使い、貨物室内の空気を採るふりをして、クッサ星人の周囲の空気を採取した。


「終わりました! では!」

「ちょっと待って!」


 踵を返し部屋を去ろうとした俺を、クッサ星人が呼び止めた。俺はビクリと肩を震わせた。まさか、気に触ることをしてしまったのだろうか?

 恐る恐る振り返る。


「なんだか顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」

「え、ええ……大丈夫です……ありがとウッ!」


 俺を気遣うクッサ星人。結構いいやつなのかもしれない。だが、今は一刻も早くここを離れなければならない。

 だって臭いのだ。すまない、クッサ星人。


「で、では!」


 俺は胸の中でクッサ星人に謝りながら、駆け足でその場を後にした。

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